第35話

世界が景色を失くしたから、この公園には人なんて誰もいない。


友達と走り回る少年も、砂場をいじる幼子も、遊具で遊ぶ児童も…もう、この世界にはどこにもいない。


昔は日が暮れるまで遊び続けてたっけ…。


僕は茜さす静まり返った公園で、一人で錆びついたブランコに揺られながら、そんなことを考えていた。


愛里が僕の前に現れたのはそんな時だった。


彼女は僕の前に立って、静かに、そして力なくこう言うのだ。


「…お一人ですか?」


「お一人ですよ」


ブランコはいつだって一人用だ。


彼女は何も言わずに僕の隣のブランコに座り、錆びついた鎖をキイキイ言わせた。


そしてしばらく金属が擦れる音だけが響いた後、おもむろに彼女は口を開いた。


「ごめんね、さくらちゃん。私…酷いこと言った」


「…うん」


僕は彼女の言葉にただ頷いて耳を傾けた。


「私さ…実はあの日だけじゃなくて、何度もさくらちゃん達が募金活動してる所を見に行ってたんだよね。バレないように遠巻きに、ジッと見てた…ストーカーみたいだね、自分でも気持ち悪いと思う。それでも見てるしかできなかった」


炎天下の中で見た蜃気楼のような愛里の幻影はどうやら幻ではなかったようだ。


愛里は僕を見ていたのだ。自分を置いて走り去ろうとする僕を見ていたのだ。だけど、自分はそこに足を踏み入れる勇気が無くて、見ていることしかできなくて…いつか、僕が遠巻きに姫浦の署名活動を見ていた時のように、テレビの向こう側のフィクションのようにしか思えず、見ていることしかできなかったんだ。


薄暗い舞台の下から、光り輝くステージを見上げるしか出来なかったんだ。


だから、愛里の気持ちは僕にも痛いほど伝わった。


「普通ならそこで、『私も頑張ろう』とか思うのかな。…でも、私は違った、普通じゃなかった。自分が変わろうとはしなかった。だからどうしようもなくて…さくらちゃんを引き摺り下ろそうとした。無駄だとか、そういう言い訳をして、自分の勝手な寂しさに身を委ねて引き摺り下ろそうとした。一人になるのが嫌で、居場所を手放したくなくて、誰かに隣にいて欲しくて、不安で不安で一杯になって、もう堪らなくなって…一人で醜く争った。ほんと、自分でも最低だと思う。自分の居場所欲しさに、頑張ってる人を引き摺り下ろそうだなんて…ほんと、最低だ、どうしようもないよ」


僕も、一人は嫌だ。


だけど、そのために誰かを犠牲には出来ない。


彼女だってそういうつもりだったはずだ。


…でも、一人の虚しさを知っている彼女は押し迫る焦燥のあまり、こういう行動を取ってしまった。


一人の恐怖に、彼女は耐えられなかったんだ。


「ほんとに醜い、ほんとに愚かだ、ほんとにバカだ。もうこんな自分が嫌だ、居場所がなくて苦しむなんて嫌だ、居場所が奪われそうで不安になるのなんて嫌だ。そのせいでまた誰かに迷惑かけるなんて嫌だ。それで居場所をなくすなんて嫌だ。だから…だから私、決めたんだ」


そして彼女は一人用のブランコから立ち上がり、僕に面と向かって話し始めた。


「誰かに居場所を作ってもらうなんて甘い考えはもうやめよう。私は自分で居場所を作れるようになりたい。どこに行っても、どんな環境にいても、自分の居場所くらい自分で作れるようになろうって。そしたらさ、もう居場所が奪われる心配なんてしなくていい!自分で居場所を作れるんだから、どれだけ奪われても全然へっちゃら!!私はどこに行ってもやっていける!。どんな辛い環境でも居場所があるなら前を向いて生きていける!!。自分で居場所が作れたら、もう何も怖くなんてない!!。そしたらさ、私はもう無敵!!最強だよ!!。何者も私を脅やかすものはいなくなる!!もう誰かを引き摺り下ろそうなんて考えなくて済む!!。もうさくらちゃんに迷惑かけずに済むよ!!」


彼女の言葉は確かなもので、力強く感じた。


だけど、どこかその笑顔は強がっているようにも見えて…今にも泣き出しそうに思えた。


「もうさくらちゃんを困らせるようなことはしなくて済む。…だから…だからさ、さくらちゃん…」


そんな僕の予感が的中したのか、彼女は声をふるわし、溢れ出しそうな涙を堪えながら…僕に涙は見せまいと…強がっているとは悟られないようにして、僕にこう告げた。


「だから…時々でいいから…私の居場所になってくれますか?」


…僕はその言葉の重みに吊り合うほどの言葉が見つからず、返事に詰まってしまった。


これはきっと、僕らの関係をこれからも繋ぎ止めるために彼女が必死になって考えてくれた結論だ。


今のままではきっと僕らの関係は続けられない、何かを変えなければいけない。でも何を変えればいいのかわからない。きっと彼女はその葛藤に大いに悩んだだろう。


悩んで悩んで、悩み続けて、それでもまだ答えは出なくて、まだまだ悩んで、これでもかって悩み続けて、そしてようやくたどり着いた答えだ。


きっと彼女は不安なはずだ。居場所を自分で作れるようになるかどうかなんて、全く自信がないはずだ。


それでも不安で押しつぶされそうになりながらも、こうして僕に決意を見せてくれたのは、もうそのせいで誰かに迷惑をかけるのが嫌だからなんだろう。


今も僕に涙を見せまいと必死に強がって、涙を堪えているのは、僕に涙を見せたら僕がそれで許してしまうことを知っているから…。


それで許してしまったら、きっと僕らの関係はただの馴れ合いになってしまう。


仕方なしに一緒にいるだけの吹けば消し飛びそうな関係のままになってしまう。


きっと彼女が抱えている不安は、そんな生ぬるい関係では拭い去れはしない。


彼女が本当に欲しがっているのは、確かな居場所。もし彼女がこれから居場所作りに失敗しても、不安にならずに前に進めるようにするために、例え側にいなくても、隣にいなくても、自分には帰ることができる居場所があるって思えるような確かな拠り所だ。


そしてそれは同時に、僕にもそう思えるような確かな拠り所でもある。


僕だって、そんな確かな居場所が欲しいんだ。いつだって心の支えになってくれるような、確かな居場所が欲しいんだ。


彼女のお願いに、ただ答えるだけなら簡単だ。


だけど…そんな曖昧な答えじゃ、きっと彼女は前に進めない。僕らは前に進めない。


中途半端な返事では、どんな時でも勇気をくれるような支えにはなり得ない。


彼女は最大限の、自分が考えられる以上の、もう本当にこれ以上ないほど頭をひねって、知恵を絞って導き出してくれた結論だ。


僕も、自分が持てる最大限の返事をしなきゃいけない。


だけど、僕がどれだけ考えても、彼女の決意に見積もるような言葉は出てこない。


知恵を絞っても出ないなら、もう身を削るしかない。


だから、僕は一人用のブランコから立ち上がり、彼女の目の前まで歩み寄り、そして…力一杯抱きしめた。


僕は言葉ではなく、自分が取れる最大限の行動で、思いの丈をぶつけた。


これ以上、自分の気持ちをきちんと伝えられるような言葉が見つからなかったのだ。


だから僕は今の気持ちに身を任せて抱きしめた。


彼女も僕を抱きしめ返して、ワンワンと泣き始めた。


今の僕らに、きっと言葉は要らない。


この心臓の鼓動を通して、きっと分かり合えるはずだ。


だからもう側にいなくても、例えば隣にいなくても、僕らはきっと支え合える。


この確かな居場所を支えに、前に向いて歩いていける。


だから…もう大丈夫、もう一人でも寂しくない。


きっと僕らは今、ようやく本当のボッチ同盟を結んだのだ。














「…ただいま」


「おかえり、光輝……って、ええ!?今度は別の女の子連れて来てる!!」


「は、初めまして、愛里友梨奈と申します」


僕らはしばらく公園で何も言わずに真・ボッチ同盟の余韻に浸った後、僕は愛里を家に招いたのだ。


姫浦とは違う別の女子を瞬く間に家に連れ込む僕を見て母は驚愕していた。


僕もそういうリアクションを覚悟の上で愛里にどうしても会わせたい人がいたのでここに連れて来たのだ。


愛里に会わせたい人、それは僕の姉だ。


愛里は人智を超えた域までお腹を膨らました姉の姿を見て、困惑していた。


「…姉ちゃんは、光輝が家に女の子を呼ぶための客寄せパンダじゃないぞ?」


「知ってるよ。今回は僕がどうしても会わせたくて連れてきたの」


自分が見世物のように扱われていると思ったのか、姉は僕にそんなことを言った。


そんな姉はさておき、愛里は姉のお腹を興味深そうにマジマジと見ていた。


「触ってみる?」


「いいんですか?」


「もちろん。愛里ちゃんもこの子を可愛がってあげて」


愛里は差し出されたお腹へ恐る恐る手を伸ばし、その命に優しく撫でるように触れた。


「わぁ…なんか…すごい…。よくわかんないけど…すごい」


その喜びを言葉に表すことも出来ず、彼女はただ『すごい』と繰り返していた。


そんな彼女に僕は語り始めた。


「姉ちゃんはさ、その子が産まれて、大きくなったら母校である鷲宮第二中学に通わせたいんだってさ。自分が当たり前のように享受してきた幸せを、その子にも与えてやりたいんだって。だから、鷲宮第二中学は必要なんだ…それは決して、無駄なんかじゃないよ」


「…そうだね…無駄なんかじゃないんね…ごめんね」


愛里はそう呟くと、ボロボロと涙を流し始めた。


そして、そっと自分の額を姉のお腹にピタリとつけて、祈るように囁いた。


「ちゃんと産まれて…ちゃんと大きくなって…そしてちゃんと、私達に未来を届けてね」


そのまましばらく、彼女は静かに涙を流していた。




彼女が帰る時、すっかり夜も遅くなったので、僕は彼女を駅まで送っていた。


僕らはその道のりで、あまり多くのことを語らなかった。


別に、わざわざ口にしなくても何となくわかっている気がしたから…。


「頑張ってね、さくらちゃん。私も頑張るから」


彼女は最後にそう言い残して、ホームの雑踏に消えていった。











「で、どっちが本命なの?」


家に帰った僕を待っていたのは姉からの質問攻めだった。


全く女っ気が感じられなかった僕が突然姫浦に続き、愛里まで家に連れて来たことがあまりにも予想外だったのか、姉は僕に二人との関係を問いただして来た。


「いや、別に二人ともそういう関係じゃ…」


「じゃあなに?二人とも遊びなの?女の子を二人も誑かしてるの?」


「いや、だからそういうわけじゃ…」


「酷い!!二人ともただの遊びだったのね!?」


「だからそんなんじゃないんだって!」


「じゃあ何なのよ?わたしにも分かるように説明しなさいよ」


「姫浦は…ただ同じ目的を持った仲間で…僕にとっては憧れのような存在です」


「つまり好きってことか?」


「いや、憧れっていっても、あくまで人としてであって好きとはそういうわけでは…」


「じゃあ愛里ちゃんは?」


「愛里は…なんていうか…側にいなくてもいつでも心の支えになってくれる存在っていうか…」


「え?なに?付き合ってんの?」


「いや、そういうわけじゃなくて…お互いがいるから道が違えどお互いに頑張れる存在っていうか…」


「え?なにそれ?もう恋人ってレベルじゃないじゃん。夫婦の域じゃん…なに?結婚するの?」


「いや、そういうわけでは…愛里はただの心の拠り所だよ」


「もう結婚しちまえよ!!チクショウが!!」


どうやら姉は最近、旦那さんに会えなくて寂しがって荒れているようだ。


旦那さんだって仕事があり、特に最近は忙しいようで家に来てないのだ。


まぁ、それは出産直前の臨月に一緒に居られるように仕事を前倒しで進めているからという理由があるのだが…。


「落ち着きなよ、姉ちゃん。体に負担がかかるよ」


「はぁ…それもそうね…」


そして姉は落ち着いて、優しく自分のお腹をさすりながらこんなことを呟いた。


「愛里ちゃんに未来を託されたから…私も頑張らないとね」


そんな姉の声は静かに響き、秋の夜空に消えていった。

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