第33話
僕の夏休みの後半戦は募金活動の日々が続いていた。
最近はほぼ毎日、姫浦の横で募金活動に勤しんでいた。
真夏の太陽の下でもう何日もやり続けると流石にあれこれ考える余裕もなくなり、最近は無心になって募金活動をしていた。滴り落ちる汗が僕の思考ごと洗い流していたのだ。
そんな風に視界すら朧げな中、炎天下に揺蕩う陽炎の先に誰かの影がうっすらと見えた気がした。
…愛里?。
僕が遠くで僕を見つめる影の正体に気がつき、ハッと我に帰り、再びその影が見えた方角に振り返った。
しかし、そこには愛里と思しき人の姿などどこにも見当たらなかった。
あまりの暑さで蜃気楼でも見えてしまったのだろうか?。
そして朧げな意識の中、よくよく思い返してみれば、もう何週間も愛里と会っていないことを思い出した。
もしかして…何日も会わなかったから、本能的に愛里に会いたくて錯覚を見たのか?。…まさかな。
「櫻井、大丈夫?」
隣にいた姫浦が僕の異変に気がつき、声をかけてきた。
「大丈夫、なんでもないよ」
最近、僕らは少しだけ直接会話するようになった。
とは言っても、せいぜいこのくらいの軽いやり取りが限度。深く語り合うほど話すことはまだまだ難しかった。
そしてその後も募金活動に精を出した後、僕らは公民館で行われる鷲宮隊の集まりに参加していた。
「資金集めが相変わらず難航してます」
斎藤さんはみんなを前にそんな事実を告げた。
募金活動は姫浦の頑張りで予想よりも多くの資金を集めることが出来ている。
だが、頼りにしていた補助金がなかなか降りないのだった。
「私達はこれから補助金の申請を許可してもらうために財務省の役人へ事業の説明をしに行きます」
そう言って斎藤さんが何人かの役員を連れて行こうとした時、僕は思わずこんなことを口に出してしまった。
「あの…僕も行っていいですか?」
正直、自分でもなんでこんなことを言ったのかが分からない。多分、どうして補助金が降りないのか、その理由が知りたかったんだと思う。自分が納得できないままで引き下がれなかったのだ。
自分に何かが出来るとは思ってない。ただなぜなのかが知りたかったのだ。
「…着いておいで、櫻井君」
「ありがとうございます」
こうして、僕は斎藤さん達と共に財務省へと足を運んだ。
財務省の一角の会議室で、僕ら鷲宮隊は役員に熱心に説明を続けていた。
「使わなくなった校舎を宿泊施設として再利用し、鷲宮第二中を守ることはもちろんのこと、新しい試みによる地域の活性化を…」
斎藤さんの熱弁を前に、役員の人達はどこかうんざりしているように見えた。
「お話は分かりました」
斎藤さんの説明に役員は淡々と答え、きっぱりとこんな結論を出した。
「残念ですが、補助金は出せません」
「どうしてですか!?」
「どうやら資料を見る限り、資金が不足しているようですね」
「ですからこうして援助を求めて…」
「しかし、必要経費はこの補助金だけで賄えるような金額ではありませんよね?。そんな団体に中途半端に資金を援助しても宝の持ち腐れです」
「他にもいくつもの補助金を申請して賄っている途中です!!。そちらが援助していただけるなら、すぐにでも資金は集まります!!」
「ですが、話に出た中学が取り壊されるのは9月なのでしょう?。9月なんてもうすぐじゃないですか。それまでに資金集められるなど到底考えられませんね」
鷲中の取り壊し時期は、富沢さんが延期させようと動いている途中だ。富沢さん曰く、取り壊しの延期はほぼ確定出来たのだが、まだ正式に決まったわけではないのだそうだ。
そういうわけで鷲中の取り壊しは表向きではまだ9月の終わりのままであった。
その後も斎藤さん達はなんとか補助金を通してもらおうと奮闘するも、役員はそのどれもことごとく無下にあしらっていた。
その様子を見ていた僕は妙な違和感に苛まれていた。
…なんだ?この違和感は?。
僕は一人、違和感の元を探っていた。
そもそも、資金が欲しくてこうして申請しているというのに、それを資金が不足しているからという理由で断るものなのか?。
それで断られるのなら、何のための補助金なんだ?。
どうして僕らはこうも無下にあしらわれているんだ?。
もっと他に、僕らを支援できないわけがあるんじゃ…。
そう考えた僕はこんなことを口にしてみた。
「あなた達はそこまでして僕らを支援したくないんですね」
今まで置物のように黙ってそこにいただけの僕が突然発言したことが意外だったのか、その場の視線は僕の方に集まった。
『なにわけのわからないことを話してるんだ?この青二才が』
今にもそんな言葉が口から飛び出そうな役員達を前に怯んでいる場合ではない僕はさらに言葉を続けた。
「このままじゃらちがあきません。取り繕うのはやめて、そろそろ本音を聞かせてください」
自分でそんなことを言っておいてなんだが、本当に何かを取り繕うっているのかも、何をどう取り繕っているかも定かではない。
だが、このまま話し合っても終わらないことを察した僕は一か八かでそう言ってカマをかけてみたのだ。
そんな僕の言葉を受け入れたのか、一人の役員がこんな言葉を返した。
「あなた達は日本にどれだけの中学があったかご存知ですか?」
「…どういうことですか?」
「そのままの意味ですよ。あなた達は日本にどれだけの中学があったかご存知ですか?。そのうち、どれだけ多くの校舎が取り壊されることになったかご存知ですか?。それを阻止するために、あなた達のように校舎を再利用しようと活動している人達が、全国にどれだけいるかご存知ですか?」
僕たちの返事を聞くいとまもなく、役員はさらに話し続けた。
「校舎を再利用しようとしている人が貴方達だけだと思いますか?。そのための資金が不足しているのは貴方達だけだと思いますか?。そのために補助金を申請しているのは貴方達だけだと思いますか?。申請を受けた全ての団体に補助金が出せるほど、財務省の資金が潤沢だと思いますか?」
直接的に言っているわけではないが、ようやく僕はなぜ補助金が出せないかが見えてきた。
僕達、ラストチルドレンが中学を卒業し、校舎が使われなくなったのは何も鷲中だけではない。全国にある中学がそうなったのだ。そうなれば鷲中と同じように取り壊されることが決まった校舎がいくつもあるはずだ。そして、その校舎を守ろうと僕らの鷲宮隊のような団体も全国でいくつも生まれ、そのための手段の一つとして校舎を何かしらの形で再利用しようと考える団体もいくつもあるはずだ。
そしてそのほとんどが校舎を再利用するための資金集めのために補助金を申請している。だけど、国にそんなものにそこまでお金を出せる余裕はない。
もちろん、そのうちのいくつかだけならばお金は出せなくはないだろう。
だがしかし、もし仮に一つでも申請を通してしまえば、その全部を通さざるを得なくなる。
だから申請は一つも通せない。
だからどの団体も適当にあしらって、断らなければいけない。
それが役員達が置かれている状況だった。
そしてそのことを僕らに理解させた上で、役員は最後に僕らにこんなことを尋ねた。
「それでも、申請を通さなければならないような価値が、鷲宮第二中学にありますか?」
そんな役員の質問に、僕らは思わず言葉を詰まらせてしまった。
鷲宮第二中学は特にこれといった取り柄もないごく普通の中学だ。
そんな国が学校を守る理由はない…少なくとも、学校そのものには…。
でも…あの学校は特別なんだ。
上手く伝えられないけど、きっと特別なんだ。
だけど、何がどう特別なのかが、僕にもわからない。
「僕は…別に思い出を守りたいとか、壊されたら寂しいとか…そんな理由で守ろうとしてるんじゃない」
何を話せばいいのかも分からない僕は、口からこぼれ落ちるように、無意識に自分の素直な気持ちを話し始めた。
「思い出なんて写真とか、そんなので十分だ。そもそもそこまでして守りたい思い出すらない。だから、使わなくなった校舎なんて僕にとってはこれっぽっちも価値がないんだ。そう、価値なんて全く無いんだ」
僕のそんな告白を周りの人達は黙って耳を傾けてくれた。
「だけど…鷲宮第二中学は違う。鷲宮第二中学はこれからも使われるんだ…ちゃんと、学校として…」
「…それはどういう意味かな?」
役員の人が僕にそんなことを尋ねてきた。
「僕の姉は…コウノトリ制度を施行した例の妊婦です。自らの意思で妊娠して、小さな命をお腹に宿しています」
僕の口から出てきた衝撃のカミングアウトにその場は騒然とした。
「姉も僕と同じで鷲宮第二中学出身です。そんな姉が僕に言ったんです、『いつか自分の子供を自分の母校に通わせることが夢なんだ』って…。だから、鷲宮第二中学は守らなきゃ…少しでも姉の元気に繋がるなら、少しでも赤ちゃんに良い影響を与えられるなら…少しでも未来に繋がるのなら…。だから…鷲宮第二中学は、特別なんです」
僕が話し終えた後も、しばらくその場は静まり返っていた。
僕の言葉は自分勝手なものなのかもしれない。本当は鷲宮第二中学に価値なんてないのかもしれない。僕の言い分なんて、ただのわがままなのかもしれない。
だけど、不思議と僕の言葉を否定する声は上がらなかった。
そして少し時間が過ぎた後、役員の人が突き放すようにこう述べた。
「時間です、本日はお帰りください」
話し合いの時間が終了したため、役員の人達は冷徹に僕らを帰そうとした。
「あんたら本当にこのままで良いのか!?」
だけど、その言葉に納得できなかった斎藤さんがそう叫んだ。
だが、そんな斎藤さんの言葉に耳を貸そうともしないまま、役員達は僕らを会議室の外へと追いやった。
結局、何も変えられなかった…。
僕らがそう結論付けようとしたその時、閉まろうとする会議室の扉の向こうで、役員の一人が僕に向かってこんなことを言い残した。
「この件は、こちらで検討させていただきます」
そして…扉は閉じられた。
僕の言葉は…なにかを変えられたのだろうか?。…いや、そんな手応えはまるで無い。
そもそも、鷲宮第二中学が取り壊されようが取り壊されまいが、姉の出産にはさしたる影響は出ないのだ。
結局、僕の言葉は、僕の行いは、誰かのためにはならないんだ。
そんな気持ちを抱えつつも、僕は翌日も募金活動に赴いていた。
だけど、その心は複雑だった。
この活動に意味はあるのか?。価値はあるのか?。意義はあるのか?。
そんな疑念が頭の中にふつふつと湧き出して止まらない。
何かの拍子に、今にもこの心は崩れてしまいそうだった。
…彼女が僕の前に姿を現したのはそんな時だった。
「さくらちゃん、今日も頑張ってるね」
「…愛里さん」
彼女は僕に向かって笑顔を向けていた。
「久しぶりだね。最近ずっと構ってくれなくて寂しかったよ」
だけど、彼女の笑顔に隠れて、その瞳には陰りが差していた。
『今日はどうしたの?』とか、『会えて嬉しい』とか、そんな言葉を挟む隙も、余裕もない僕がなにも言えないままでいると、彼女は間髪入れずにこんなことを尋ねてきた。
「ねぇ、さくらちゃんはなんでこんな無駄なこと頑張ってるの?」
そう尋ねる彼女の声は、どこか無機質で冷たかった。
……無駄なこと?。
僕は彼女から出た思いもよらなかった言葉を一瞬理解できなかった。
「愛里さん…無駄なことって、どういうこと?」
「無駄なことは無駄なことだよ」
彼女はさも当然のように、僕にそんな言葉を投げかけてきた。
「…っていうかさ、さくらちゃん。本当にこれで学校守れるって思ってる?」
「それは…わからない。分からないけど、姉ちゃんの子供のためにもやらないと…」
いつもの人懐っこい愛里とは違う。今日の愛里はどこか不穏で、トゲトゲしくて…なんだか、怖い。
それでも僕はそんな感情を表に出さないように穏便に愛里の質問に答えた。
「そこが問題なんだよ。さくらちゃん…本当にお姉さんが赤ちゃんを産めると思ってるの?」
「どういう意味?」
「分からないわけないよ。賢いさくらちゃんなら分かるはずだよ」
それでも彼女は笑顔を崩さない…その取り繕ったかのような笑顔を…。
「…いや、分からないよ、愛里さん」
「だからぁ…」
愛里はやれやれといった感じに、渋々…そして残酷に僕にこう告げた。
「赤ちゃん、どうせ産んだって死んじゃうじゃん」
僕は愛里の当たり前の言葉に、なにも言い返せなかった。
そんな僕を畳み掛けるかのように愛里はペラペラと語り始めた。
「赤ちゃんが無事に育つわけないじゃん、もうネームレスが始まって17年経つんだよ?。もう誰もどうすることも出来ないって分かりきってることじゃん。だから赤ちゃんは生まれない、だから中学校ももう必要ない、だから全部無駄。さくらちゃんのやってることは全部無駄なんだよ?」
『全部無駄』
そうだ、僕だって分かってるはずだ。
姉ちゃんは凄い人だけど、特別なわけじゃない。
いくら姉ちゃんでも今回ばかりは相手が悪い。
なにか特別な秘策があるわけではない。
だから、どうせ子供を産んだって、ただ死なせるだけ。
ただ無駄に苦しんで、無駄に悲しんで…僕らの頑張りもどうせ無駄になる。
「全部無駄だよ、さくらちゃん。…でも、別にだからって私達は決して不幸なわけじゃないんだよ?。美味しい物は食べられるし、遊園地にだって遊びに行ける…楽しいことはたくさんできる。友達とワイワイやったり…恋だって出来るんだよ!?。そんな私達が不幸なわけないよ!!全然幸福!!めちゃくちゃ幸せ者じゃん!!。変な希望を持たないで、平穏に生きていけばちゃんとそれなりに暮らしていけるんだよ!?。だから別にいいじゃん、こんなに頑張らなくてもいいじゃん!!」
彼女の声はどんどん大きくなり、声色もどんどん激しくなった。
「だからさ、『今の自分たちは不幸です』みたいな顔しないでよ!!!。こんな風に無駄に『不条理と戦ってますよ』ってアピールしないでよ!!!!『この世界は間違ってる』って自分勝手な妄想しないでよ!!!!!!『頑張ればなんとかなる』とか無責任な希望を持たせないでよ!!!!!!!私達が不幸だって決め付けないでよ!!!!!!!」
そんな叫びのような愛里の声に、周りの人達も足を止めて僕らを見ていた。
「ただほんのちょっと受け入れるだけでいいんだよ!?!?!?。ほんのちょっと仕方ないって妥協しちゃえば楽になれるんだよ!?!?!?。それでもまだ無駄な希望を持って無駄に足掻くの!?!?!?。そんなことでどうにかなるわけないじゃん!!!!『世界を変える』なんて出来っこないじゃん!!!!!!足掻いたってどうしようもないんだよ!!!!!!!!争ったってなんの利益もないんだよ!!!!!!私達はなにをやったって無駄なんだよ!!!!!!!!」
激しく恫喝するように、悲鳴のような叫びを上げて、どうしようもないと諦めて、力なく空回って崩れた笑顔と、その瞳を涙で滲ませながら、彼女は僕にこう言った。
「だって…だって…私達はどうせ……………ラストチルドレンなんだよ?」
そして彼女は頰に一筋の涙を流した。
僕は…なにも言い返せなかった。
愛里の言ってることはなにも間違ってなんかない。
僕の姉が、子供を無事に産める保証なんてどこにもない。何か策があるわけでもない。
だから…きっとおそらく、姉の赤ちゃんは…。
…僕らのやってることは全部無駄。
彼女に真実を突きつけられ、グラグラと不安定に揺れていた僕の心が今にも崩れ落ちそうになったその時、姫浦が僕と愛里の間に立ちふさがり、そして…姫浦の頰に思いっきりビンタした。
「私達の行いが無駄かどうかなんて、貴方が押し付けないでよ」
ビンタの乾いた音の後に、姫浦の凛とした声が響いた。そして姫浦は間髪入れずに愛里にこんなことを口にした。
「貴方がどう思おうと勝手だけど、他人に同じ考えを押し付けるのは酷よ。止めた方がいい……友達無くすから」
どこか説得力のある言葉に諭されたのか愛里は呟くようにこんなことを口にした。
「ほんとだ…なにやってんだろ、私。…最低だ」
そしてボロボロと涙を流した後、彼女は僕にこう告げた。
「ごめんなさい。……さようなら」
それだけ言い残して、愛里は逃げるように雑踏の中に消えてしまった。
僕は…追いかけることが出来なかった。
今にも崩れそうになる心を支えるので一杯一杯だったからだ。
愛里の言っていたことは、なにも間違ってなんかいない。
僕らがなにをしようと、多分結果は変わらない。
姉ちゃんの子供はどうあがいても死んじゃうだろうし、学校だってどうせ取り壊される。
『大切なのは過程』…そんなものは妄言だ。努力が報われなかった時の慰めだ。
世の中、結果が全てだ。
なのに僕は…途方にくれるほど報われようのない努力を続けるのか?。
不安定にぐらついていた僕の心が、ジェンガのように音を立てて崩れた……そんな気がした。
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