第30話
「好きなもの頼んでいいよ、櫻井君。おじさん、それなりにお金持ってるし」
「はぁ…」
斎藤さんに食事に誘われた僕らは二人でファミレスに来ていた。
斎藤さんに『何か食べたいものある?』と聞かれても特に食べたいものもない僕は答えられず、そのままなんやかんやでファミレスに落ち着いたのだ。
いくつかの品を注文した後、斎藤さんは『若いんだし、いっぱい食べなよ』とか、割とよく聞くような言葉で僕の中にある遠慮を取り払おうとしていた。
そんな斎藤さんの親切に割り込んで、僕は早速本題を切り出した。
「あの…僕を食事に誘ったのは…今日の募金活動に関してのことですよね?」
今日の募金活動、正直言って僕は戦力外だった。
積極性にもかけているし、話しかけても募金の成功率も低い。
はっきり言って、募金活動に関して僕はいいとこ無しだった。
斎藤さんが僕を食事に誘ったのは、そのことに対するアフターケアなのだと僕は考えていた。
「すみません、どうもああいうのは苦手で…」
何か言われる前に自分の弱さを認めて謝ってしまおう…そう考えた僕は自らその話題を振り、早々に謝罪した。
そんな僕を目にした斎藤さんは少し間を開けた後、僕にこんなことを言ってきた。
「君は頭の中にフィルターがあるタイプの人間だね」
「…フィルター?」
「何か行動をする前とか、何か発言をする前に、『本当にそれをしていいのか?』とか、『それを言うことで相手がどんな反応するか?』とか、『それをしたことでどういうことが起きるか?』とかを考えるフィルターだ。無意識のうちにこれからする発言や行動に一瞬ブレーキをかけて、フィルターを通して考えてから物事を行うタイプの人間。おじさんはそれをフィルターのあるタイプと呼んでいる」
「…はぁ…まぁ、そうですね…」
斎藤さんの言葉に困惑しつつも、思い当たる節はいくつかあった。
「もう少し言うならフィルターのあるタイプは相手の立場になっていちいち物事を考える人が多い。で、櫻井君はフィルターのあるタイプ。それに比べて姫浦ちゃんはフィルターのないタイプの人だ。フィルターがないって言っても、必要最低限の礼儀作法はあるし、姫浦ちゃんは賢い子だ。誰にだってフィルターはあるし、あくまでその強さの問題だ。本当に何も考えずに行動したりする奴なんてそうそういない」
「まぁ…言わんとすることは分かります」
姫浦と僕を比べれば、そのことが如実にわかる。
僕はあれこれ考えている合間にも、彼女は迷いなく行動していた。
別に彼女の胸の内が分かるわけではないが、少なくとも僕に比べれば姫浦はあれこれ迷うことなく行動に移している。
このフィルターがある限り、僕には『とりあえず行動してみる』という選択をするのが難しくなる。
当然、積極性にも影響してくる。
もちろん、姫浦と僕の差には他の要因もあるだろうが、フィルターの有無で僕らを分けるのは言い得て妙であった。
「フィルターがある人は相手の立場に立てるからよく言えば思慮深い、悪く言えば臆病。フィルターの有無はもちろん積極性にも影響するんだけど、それよりも迷いや躊躇いに違いがある。フィルターが強い人は迷いや躊躇いがちなんだ。そしてその迷いや戸惑いは会話している相手にも如実に伝わりやすい。そして相手から躊躇いや戸惑いを感じると、人は相手を警戒しやすくなる。『なにか隠してるんじゃ無いか?』って疑われやすくなるんだ。その迷いや戸惑いを完全に隠すのはよほど訓練を積んでいないと出来ない芸当だ。その一方でやはりフィルターのある人よく考えてから動く分、ミスが少ない。どちらにも得手不得手があって一概にどちらが良いかとは言えない」
「まぁ、そうですね…」
「さて、おじさんは電化製品を売る会社で営業部長って地位にいて、部下に一般のお客様を相手に電化製品を売らせているんだけど…。ここで櫻井君に問題です、フィルターのあるタイプと無いタイプ、どちらの方が成績が良いでしょうか?」
「そりゃあ…フィルターの無いタイプなんじゃ無いですか?。そっちの方が積極的ですし、迷いや戸惑いがない分、お客さんに不信感をもたれないでしょうし…」
「残念、これがどっちもどっちなんだなぁ」
「そうなんですか?」
「正確に言うと、フィルターのないタイプは成績が似たり寄ったりなんだけど、フィルターのあるタイプは出来る奴と出来ない奴に二分化している。その平均を取ると…どっちも同じくらいになるんだ。少なくとも私の知る限りでは一番成績がいいのはフィルターのあるタイプの出来るやつの場合が多い」
「フィルターの無い人で出来る人と出来ない人でなにが違うんですか?」
「ふっふっふ、なにが違うと思う?」
斎藤さんはまるで『簡単に教えてはつまらない』と言わんばかりに勿体ぶってきた。
「勿体ぶらないで教えてくださいよ」
「いやいや、なるべく自分で考えて欲しいからね。…でも、ヒントをあげよう。まず櫻井君に聞きたいんだけど、櫻井君が募金活動とかが苦手なのはなんでだと思う?」
「それは…積極性に欠けてるからっていうのと、迷いがあるからだと思いますけど…」
「ふむふむ、でもその積極性に欠けてるっていうのは迷いがあるからだよね?。つまるところ、君の足を引っ張っているのは迷いだ」
「そうですね。迷わなければそりゃあ僕だって…」
迷わない…そんな単純なことがどれだけ難しいことか…。
「じゃあさらに櫻井君に質問だけど…なんで君は募金活動に躊躇いがあるの?」
「それは…多分、相手の迷惑になってるんじゃないかとか、相手に不利益を与えるんじゃないかとか考えちゃって…」
「そう、君はいつだって相手の立場になって考える。だから相手のためにならないことに戸惑いを感じる。逆に言えば、相手のためになるなら君は迷わないはずだ」
「…そうですね」
「電化製品を販売する場合、少なくともお客様は何かしらの電化製品を求めてやって来るはずだ。そんなお客様のご要望にピッタリ該当して、君が絶対にお勧めできるような製品を販売するのに、君は迷ったりするかい?。お客様が買って絶対に後悔しないような製品を販売するのに、君は躊躇するかい?君が心の底からお勧めできるような製品を販売するのに、君は戸惑ったりするかい?」
「…多分しません。そこまでお勧めできるようなものなら、積極的にもなれる気がします」
「つまりはそういうことだよ。君が心からお勧めできるようなものなら、心底必要だと思えるものなら、君は迷わないはずだ。フィルターがあって出来るやつっていうのは、そういう販売を心がけてる。お客様の立場になって、お客様が何を必要としているのか正確に把握して、お客様のためになるって強く確信を持てる物を販売する。その確信が他の些細な迷いなんて吹き飛ばしてくれる。私達が日々商品情報やら詳細な情報やニーズを把握するのに余念がないのは、お客様に絶対お勧めできるピッタリな至高の逸品を見つけるためなんだ」
「…なるほど」
正直、素直に感心した。
僕だって心からお勧めできたり、必要だと思たら積極的になれる気がする。
そんな風に僕が考えていると、斎藤さんが声のトーンを落としてこんなことを話し始めた。
「さて、それに当たって櫻井君には大きな問題があるんだけど…ぶっちゃけた話、櫻井君………鷲宮中が取り壊されようが取り壊されまいがどうでもいいと思ってるでしょ?」
「い、いえいえいえいえ!そ、そそそそそそそんなことございませんよ!?!?」
嘘ヘッタクソやなぁ…。
いきなり図星を突かれた僕はあり得ないほど吃ってそんな声が出てしまった。
たしかに斎藤さんの言う通り、僕からしたら鷲宮中が壊されるのはそんなに悲しい事でもない。
以前にも言ったが、思い出なら写真や動画で残せるし、生活に支障が出るわけでもないので、本音を言えばどうでもいいのだ。
「大方、姫浦ちゃん狙いなんでしょ?」
「いやぁ、別にそういうわけでは…」
そういうわけではない…多分。
ただ断る理由も、ここで辞める理由もなく、だらだらと続けているだけ。
最初は姫浦の近くにいたら彼女みたいに『本気』になれると目論んでのことだったけど…結局、僕なりの『本気』を見つけられる兆しもない。
なんにしても、僕は中学がどうなるとか、そんなに興味を持てないのだ。
「そんな心構えじゃ、そりゃあ募金活動に積極的にはなれないね」
「す、すみません…」
「でも、もしも君の中の迷いが晴れれば…もしも君が鷲宮中学を守ることに自分が納得できる意義を見出せるなら、きっと…………君は化けるよ」
「僕が…化ける?」
「うん、自信持ちな」
斎藤さんの言葉を聞いて、僕はぼんやりと考えていた。
僕が鷲宮中を守る理由は…僕の思い出とか、そんな些細な物を守るため。だけど、そんな物は僕のエゴでしかない。少なくとも今の僕にはエゴとしか思えない。
『誰かのためになる』ってもっと自分が納得できる理由があれば…僕は、迷わなくて済むのかな?。
梅雨の湿った空気が、雨を運ぶ暦がやってきた。
鬱陶しいくらい降りしきる雨にうんざりし、空も心も曇天模様な僕に、神は残酷な試練を与えた。
「はい、じゃあ修学旅行のグループ、好きに作って」
教壇に立つサカもっちゃんがぼっちの僕に無慈悲な死の宣告を告げた。
『二人組作って』を代表するボッチを絶対殺す言葉は多々あるが、此度の死の宣告はいささか心苦しいものがあった。
高校生の修学旅行といえば、人生の中で三本の指に入るくらい重要なイベントと思える。そんな修学旅行に、まさか一緒にグループを組む人すらクラスにいないとは…中学生の頃の僕だったらそんなこと思いもよらないだろう。
少年よ、現実は残酷なんやで。
僕は若かりし頃の僕にそんなことを伝えたくなった。
ちなみに修学旅行は10月の下旬の京都、大阪に4泊5日、内訳としては1、5日目はクラス行動、2、3、4日目はグループ行動となっている。
「せっかくの修学旅行なんだから男女で組むのもいいぞ」
サカもっちゃんが呑気にそんなことをほざく様子を、僕は殺気を込めた瞳で睨んだ。
「じゃあ、サカもっちゃんの言う通り男女で組もうぜ!」
僕とは縁のないクラスの中心人物的なアレがそんなことを宣っていた。
周りの人が次々と群れを成す中、僕は自分の机でただ静かに時が満ちるまで瞑想していた。
「…何やってんの?櫻井」
見かねたサカもっちゃんが僕に話しかけてきた。
「先生…『残り物には福がある』って本当ですか?」
次々とグループを形成されていくのを見ていると次第にどうでもよくなってきた僕は諦めてそんなことを尋ねた。
「…その言葉はね、妥協したやつが自分を納得させるために作った言い訳だよ」
先生はそんな僕に残酷な真実を突きつけた。
「『櫻井が余ってるから誰か入れてやってくれ』って大声でクラスに告げていい?」
「やめてください、死んでしまいます」
いや、割とマジで一生もんの傷になりかねないのでやめてください。
結局、余り物の僕は人数が足りなかったグループに懐柔される形となった。
僕のグループは僕の他に仲良し女子3人組、そして無表情な谷口の5人のグループになった。
仲良し女子3人組が楽しそうに談笑する輪の中に僕なんぞが入れるわけがなく、蚊帳の外の僕の隣では谷口が興味無さそうな顔しながら窓の外を眺めていた。
…やべぇ、修学旅行…行きたくねぇ…。
空は相変わらず、どんよりと黒い雲に覆われていた。
「さくらちゃん、修学旅行の班決め…どうなった?」
昼休み、いつものように僕は愛里と昼食を共にしていた。
「僕なんかが輪に入れそうもない仲良し女子3人組と宇宙人の谷口。…正直、やっていける気がしません」
「私も仲良し女子二人組と仲良し男子二人組に囲まれてボッチ濃厚っぽいです」
僕らは逃れられないぼっちの負の連鎖に同時にため息を吐いた。
「修学旅行のグループ行動、僕ら二人で回る?」
「うん!そうしよう!」
愛里は待ってましたと言わんばかりに僕の誘いに乗ってきた。
そういうことで僕らはグループ行動を共に行動することにした。
ぼっち確定修学旅行から女の子と二人っきりの修学旅行にこうも簡単に様変わりしてしまうと、あまりの落差に『なんで僕ボッチなんだ?』と自問自答したくなる。なんでボッチか女の子と二人っきりの二択しか無いのだろうか?。…まぁ、選べるだけマシなんですけどね。
なんにしてもこれで楽しい修学旅行が約束された。
「さくらちゃんとの旅行、楽しみだなぁ」
「そうだな」
…信じられるかい?これでも僕ら別に付き合ってないんだぜ?。
改めて僕は愛里との関係の歪さを実感した。
…まぁ、だからといってどうこうするつもりはないんですけどね。
「修学旅行、どこ行こうか?」
「そうだなぁ…こことかどうかな?」
そんな風に僕らは仲睦まじく、計画を立てていった……そんなものが無残にも崩れ去ることも知らずに…。
「そういえばさくらちゃん、今日の放課後って予定ある?」
「ごめん、今日はバイト入ってるや」
「あ…そっか…」
彼女の悲しそうな顔が、妙に僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。
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