第29話

五月病などと呼ばれる病が蔓延する暦がやって来た。


慢性的に五月病を患っている僕には関係ないが、周りを見渡せば気怠そうにしている人がちらほら見受けられる。


しかし、春の陽気が惰性を促すこんな季節でも、彼女の…姫浦の熱意をなまくらに変えることは出来なかった。


「この度、無事、我々はNPO法人、『鷲宮隊』を設立することができました!」


鷲宮第二中学を守るために結成された鷲宮隊は鷲宮第二中学を宿泊施設として運用することを目的としたNPO法人となった。


何ヶ月も前からその手続きに追われていたが、先日、ようやく僕らは正式にNPO法人となることができたのだ。


代表である斎藤さんが設立を宣言すると、会議室には拍手が湧いた。


「しかし、ここからが本番です。これからやらねばいけないことが沢山あります」


これから鷲宮隊がやるべきことは大きく分けて三つ。


まず一つは使わなくなった鷲宮第二中学を借りる為の手続き。一応、国を挙げて使わなくなった校舎を事業や団体に貸し出しをし、再利用しようとするプロジェクトが存在するようで、それに沿った手続きが必要なのだそうだ。


二つ目は事業計画とその見積もり。これについては僕はほとんど携わってないが、NPO法人設立の準備期間中におおよそのものはすでに出来ている。


そして最期、一番の問題…それは資金集めだ。仮に宿泊施設として滞りなく運用できる見込みがあるとしても、元手となる金が必要だ。宿泊施設として最低限運用できるようにするための整備費や維持費、従業員も必要となるであろうから人件費も必要だ。他にも光熱費やらなんやら、挙げるときりがない。


「目標は1千万円です」


斎藤さんの掲げた数字は高校生の僕には途方も無いものに思えた。


資金を集めるための方法は主に二つ。


一つは募金。僕や姫浦は主にこれからこの活動に努めることになる。人脈の少ない僕はともかく、署名活動であれだけの成果をあげた姫浦は期待されていた。


もう一つは補助金。廃校を再利用するための補助金や地域の活性化を目的とした活動のための補助金がいくつかあるらしい。それらの審査を通れば補助金としてお金が手に入るとのことだ。


そっちの方面に関しては僕が出来ることなどなにも無いので、それについては僕はノータッチだった。


とりあえず、今日はこれからの鷲宮隊の活動の方針と、募金活動をいつどこで行うかを決めた後、解散という形となった。


その後、僕と姫浦は、県の教育委員会に訪れていた。


なぜ二人でこのようなところに来ることになったかというと、以前僕が教育委員会の富沢さんとバイト先のスーパーでばったり会って、色々話したという旨を手紙で姫浦に伝えた際、NPO法人が設立したら宿泊施設として運用することを富沢さんに話してみようという話になったのだ。


富沢さんも鷲宮中のOBであり、鷲宮中の取り壊しは本意では無い。だから、廃校を宿泊施設にするという新たな可能性が生まれれば、富沢さんも協力してくれるかもしれない。具体的にどう協力してくれるかとか、どの程度力になれるとかは全くわからないが、彼女はほんの小さなもしかしたらに全力をかけられる人だ。思い立てば行動しない理由が彼女にはない。


そんな彼女の酔狂な誘いに断る理由もない僕はこうして彼女と共に富沢さんを説得しに来たということだ。


事前にアポを取っていた僕らは応接間に通され、富沢さんの到着を椅子に腰掛けて待っていた。


ちなみにだが、僕らの会話はここまで一切なかった。


相変わらず、姫浦はトラウマを乗り越えられないでいるようだった。


…まぁ、話さなくていい理由があるなら、黙っているのは楽だからいいのだが…。


そうこうしていると浮かない顔をした富沢さんが応接間に姿を現した。


富沢さんは僕らの顔を一瞥すると、僕らから目を背けるように俯いた。


「お久しぶりです、富沢さん」


「お…お久しぶりです」


以前、スーパーで泣き喚いて迷惑をかけたのもそうだが、なにも力になれないことに対する罪悪感も相まって、富沢さんは肩身が狭そうだった。


「私達に協力してください」


姫浦は富沢さんが目の前に腰掛けるや否や、単刀直入にそう言い切った。


「いや、ですから協力したいのは山々なんですが…」


僕らの今の活動を知らない富沢さんはまた無理なお願いをしつこく言われると思ったのか、辟易しながらそう答えていた。


「いえ、協力して欲しいのはまた別のことなんです」


僕は今回の訪問の意図を伝えるために説明を始めた。


「今、鷲宮隊はNPO法人として鷲宮中を宿泊施設に転用するプロジェクトを進めているんです。使わなくなった校舎を再利用し、その利益で鷲宮中の維持費を補う。価値のなくなった学校に新たな付加価値を加えようとしてるんです」


「鷲宮中を…宿泊施設に?」


「はい。上手くいくかどうかはわからないんですけど…学校に泊まれたらきっと楽しいと思うんです。きっとみんな、一度は泊まってみたいとか思ったことあると思うんです」


「…それに、僕に協力して欲しいってこと?」


「はい」


僕の言葉に富沢さんは何かを考えるそぶりを見せた後、こんなことを話し始めた。


「校舎を民間事業に貸し出し、および譲渡する場合、特別な手続きが必要となります。まず地方公共団体…この場合は県庁に連絡し、そこから内閣府の地方創生推奨事務局へ認定申請を行います。その後、文部科学省で協議を行い、文部科学大臣の同意を得た後、内閣総理大臣による認定が必要です。そこまでしてようやく使用することが出来ます。正直な話、私のような教育委員会の人間がそこに口を挟むことすら難しいんです。ですから、私の出来ることはなにも…」


「あなたも鷲中を守りたいんでしょう?」


姫浦は富沢を真っ直ぐ見つめながらそんなことを尋ねた。


「そ、それはもちろん…」


「だったら協力して!私達だってこうして出来ることを見つけられたの!。あなたならもっと出来ることがあるはず!!」


有無を言わさぬ彼女の瞳に、富沢さんは何かを思い出したのか、目を見開いて驚いた表情を見せた。


その後、しばらく何かを考えるそぶりを見せた後、再び口を開いた。


「鷲宮中は今年の9月に取り壊される予定です」


「富沢さん!!」


慈悲のない大人の言葉にさすがに僕も声を張り上げた。


しかし、富沢さんは強い口調でこう宣言した。


「この取り壊しを延期してみせます」


「…延期?」


「はい、さすがに私の力では取り壊しを中止させることは出来ません。ですが、延期ならば私にも手があります」


「本当ですか!?」


姫浦は嬉しそうに前のめりになってそう叫んだ。


「はい、必ず延期させてみせます。…ですが、せいぜい12月末までが限界です。建築基準法の関係で、一応は名義上学校になっている鷲宮中は1月に点検の義務が発生します。この為の予算が上から降りません。ですから、もうそうなれば取り壊すしかないんです。これ以上の延期は少なくとも私の力では不可能です。ですから12月末まで、ギリギリまでは延期してみせます。それまでに貸し出しの申請が通れば…鷲宮中の取り壊しは阻止出来るはずです」


富沢さんは今までにないくらいにはっきりとそう語った。


「あ…ありがとうございます!!」


僕らは富沢さんの好意に頭を下げた。


「私は…お礼など言われるような人間ではないよ」


そんな僕らにしみじみと富沢さんは語り始めた。


「鷲宮小の取り壊しの時…毎日毎日私達を恨めしそうに見ていたのは君だね?」


「…はい」


富沢さんは姫浦にそんなことを訪ねた。


「随分と可愛らしくなったから今まで気がつかなかったよ。…あの時は、なんの力にもなれなくて済まなかった」


そう言って富沢さんは頭を下げた。


大の大人に面と向かって深々と頭を下げられた僕らは困惑していた。


しかし、そんな僕らを尻目に富沢さんはさらに言葉を続けた。


「正直、自分が情けなくて仕方がない。あの時、希望を奪われた少女が今もなお、こうして戦っているというのに…自分は何かと文句をつけて、仕方がないと諦めようとしていた。目の前のものに目を背けて、ただひたすら逃げてばかりだった。だけど、再び君が僕の前に現れて…いま再び目を背けてしまったら…私はもうダメな気がした。もう二度と立ち上がれない気がした。深い海の底に沈んでいた私を、君が蹴り上げてくれた。だから…お礼を言うのは私の方だ。…本当に、ありがとう」


そして富沢さんは、姫浦にもう一度頭を下げた。


まだまだ取り壊しを阻止するには程遠いけど、少し前に進めた気がしたのか、姫浦は静かに微笑んでいた。














『力になれることがあったら言って欲しい。私も自分なりに出来ることを探してみる』


富沢さんは最後にそう言い残して僕らの元を後にした。


その数日後、僕ら鷲宮隊は募金活動のために駅前に集まっていた。


目標金額に少しでも近付けるためにみんな躍起になって声を張り上げたり、話しかけたりしている中、やはり僕は遅れを取っていた。


署名活動の時もそうだったが、はっきり言って、こういうのは苦手分野だ。


見知らぬ人に話しかけて署名をしてもらうやら募金を募るやらが僕は苦手だ。


まず、話しかけることがハードルが高い。


話しかけられて迷惑じゃないだろうかとか、急いでるんじゃないだろうかとか、嫌な気分にさせないだろうかとか、とにかくいろんなことを考えてしまう。


それでも勇気を振り絞って時折話しかけるのだが、募金交渉をしている間も要らないことを考えてしまう。


お金を出すのは嫌そうだなとか、そもそも学校の存続に興味ないんだなとか、あからさまに嫌そうな顔されてるなとか、とにかく余計なことが頭によぎる。


話終えた後もそうだ。話しかけられて迷惑だっただろうなとか、ウザかったとか思われてそうだなとか、胡散臭い団体だと思われてそうとか、嫌になるくらい不安でいっぱいになる。


そんな僕に比べて姫浦はとにかく積極的だった。


ちょっと手が空いてそうな人を見かければ積極的に話しかける。話しかける数も多いし、僕と比べても募金をしてもらえる成功率も高い。


積極性はともかく、成功率が僕より高いのは女子高生っていう最強のステータスが作用しているからなのかもしれない…っていうか、そうでも思わないとやってられない。


そうこうしているうちに時間が過ぎて、今日の募金活動の時間は終わった。


他の人に比べて断然に成果の少ない僕は随分と軽い自分の募金箱を見つめてため息をついた。


やっぱり…こういうのは向いてないな。


そんな僕を見かねた斎藤さんは僕の肩を叩いてこんな提案をしてきた。


「櫻井君、一緒にご飯でも食べに行かないかい?」


「…え?僕ですか?」


「もちろん」


恰幅と人柄のいい斎藤さんは笑顔で僕にそう告げた。


正直、僕は迷っていた。


もちろん、斎藤さんのことは嫌いじゃない。


だが、二人で一体何を話せばいいのかわからないし、めちゃくちゃ気を使う自信があった。


しかし…。


「わ、分かりました、いいですよ」


僕は躊躇い気味に了承した。


まぁ、結局のところ、誰かの誘いを断る理由があるほど、僕は忙しくはないのだ。

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