第26話

我が家の姉が朝刊の一面に載った。


正直、いつかはなにかしらの形で載るのではないかと疑っていたので、それについては特に驚きはしなかった。


で、問題はどうして姉が新聞に載ったのかということなのだが…以前、子供を産むと宣言した姉は、その後不幸にも無事に子供を身籠り、出産する意思を政府に伝えたからだ。


ネームレス化が始まってから間も無く、政府は子供を産む意思のある妊婦を経済面、医療技術面と多岐にわたってバックアップする新しい制度、通称『コウノトリ制度』と呼ばれるものを制定し、ネームレス化に対抗すべく世間に出産を促したのだが、ご存知の通り、その結果は芳しくなく、ネームレス化を乗り越えられた者は誰もいなかった。


やがて子供を産もうなどと考える人も少なくなり、この制度の利用者も減少の一途を辿り、ネームレス化が始まってから10年も経つころには、この制度は指で数えるほどしか施行されることはなかった。


確か…最後に日本で『コウノトリ制度』が施行されたのは2年前、つまり言ってみれば我が家の姉は2年ぶりの子供を産もうと果敢にも無謀に挑む挑戦者というわけだ。


そして当然姉もこの『コウノトリ制度』を申請し、それをマスコミがどこかからリークしたため、今回の姉の出産がこうして大々的に発表されることとなったのだ。


流石にプライバシーを考慮してか、新聞に個人名までは載っていなかったが、この注目度ではいつそういう情報が世に出てもおかしくはない。


姉の妊娠についても僕らがその事実を知ったのは今日姉から電話で『朝刊一面独占したぜ』という結果報告を受けたからであり、こういう発表のされ方は心臓に悪いからせめて事前に一言教えてほしいものだ。


で、新聞に載るとなったら当然ニュースでも騒がれる。


朝の討論番組では姉の行いの良し悪しを議論していた。


姉の果敢な挑戦に拍手を送る者もいれば、無謀な挑戦に子供が苦しむことになると批判する者もいた。


どちらにも言い分があり、きっとどちらも否定することは出来ないだろう。


僕がそんなことを考えていると、新聞に目を通していた父が新聞を畳み、ため息混じりに一言こう言った。


「娘の妊娠を素直に喜べないとは…嫌な世の中になったもんだ…」


父の言葉は目の前のテレビで繰り広げられている白熱した議論に向けてのものなのか、それともネームレス化などという抗いようのない理不尽に対するものなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか…なんにしても、今回の姉の行いは身内である僕らでさえも複雑な心境にならざるを得なかった。


その後、父は僕らに注意喚起するかのようにこんなことを口にした。


「もしかしたらウチにもマスコミが来るかもしれないけど…伝える言葉には気をつけて欲しい」


…本当に我が家の姉はよく人様を巻き込むなぁ。


そんなことを思いつつも、血を分けた肉親のやることだ。


僕も出来る限り応援してやりたい。


僕らの家族は口で言わずとも、姉を応援するという気持ちは一致していた。














その後、僕はバイトのシフトが入っていたのでいつものスーパーを訪れていた。


最初の頃は忙しい時間帯の穴埋めのために、そういう時間にシフトが入ることが多かったが、出来ることも増えた今ではどんな時間帯を任されてもそれなりの仕事が出来るようになっていた。


お昼の繁殖期を終え、お店もお客さんが少なくなり、お店が小休止に入ろうとした時、坊主頭のやつが僕の待つレジへとやって来た。


「今日こそはまけてもらうぞ、櫻井!!」


奴の名は久保田。僕とは同じ中学の同級生だったやつ。今も昔も野球一筋の野球少年だ。


こいつは僕がレジ打ちしている時に度々値下げ交渉を仕掛けてくるのだが、僕はそのどれも一蹴して正規の値段を支払わせていた。


だが、久保田は諦めが悪かった。


僕に負けじと何度でも値下げを繰り返す困ったやつなのだ。まぁ、暇な時を見計らっての行いなので可愛い抵抗で済むことなのだが…。


そういうわけで、今回も久保田は僕に値下げ交渉を仕掛けて来たのだ。


「こちらの商品、合わせて380円のところ、0%引きで380円になりまーす」


まぁ、当然びた一文まけませんけどね。


「せ、せめて消費税だけでも…」


「では消費税を引いた分、サービス料を上乗せして、合計380円になりまーす」


「プラマイゼロじゃねえか!?」


そんな調子でいつものように久保田を適当に遇らっていると、僕のレジに新たに人が久保田の後ろに並んだ。


その人物の姿を見て、僕は困惑してしまった。


「…愛里さん?なんでここに?」


「暇だから来ちゃった、さくらちゃん」


「いや、暇だからっていきなりはちょっと…」


「2人で行ったディスティニーランドの写真ができたから、早くさくらちゃんにも見せたくてさ…」


「でも、来るなら連絡くらい…」


「やっぱり…迷惑だったかな?」


「いや、そんなことはないよ。…正直、来てくれて嬉しいし…」


「よかったぁ、ありがとう。私バイト終わるの待ってるから終わったら連絡して、さくらちゃん」



そう言って彼女は会計を済ませて、そそくさとその場を去っていった。


僕らのやり取りを近くで見ている久保田は顔が惚けていた。


「…今の子は…彼女?」


恐る恐る久保田は僕にそんなことを訪ねて来た。


「いや、彼女ではない」


「でも2人でディスティニーランドとか言ってただろ!?」


「まぁ、たしかに2人でディスティニーランドには行ったけど…」


「ふっざけんな!!。イケてるイケメンならまだ納得出来るけど、お前みたいなパッとしないやつまで彼女が出来るとか…こんなのあんまりだろ!?」


「さりげなく酷いこと言うなぁ」


その後、久保田は膝から崩れ落ちるようにその場に倒れ、メソメソと嘆き始めた。


「俺がむさ苦しいグラウンドで汗水垂れ流してる間にヨォ、お前ってやつはヨォ…」


「他のお客様のご迷惑となるのでやめてくれませんか?」


いくら人が少ない時間帯とは言えど、お店で泣かれては迷惑になる。


…っていうか、姫浦の時といい、富沢さんの時といい、みんなこのお店で泣き過ぎじゃない?。…僕のせい?。


「こんな店二度と来るか!!爆発しろ!リア充!!」


一通り泣いた後、久保田は文句をわめきながら帰って行った。


「部活頑張れよぉ〜」


そんな久保田に僕はいつも通り、エールを送るのであった。


…しかし、まさかバイト先まで来るとはなぁ、愛里さん。


僕は突然現れた愛里のことを考えていた。


もちろん、いきなりとは言えど会いに来てくれることは嬉しかった。僕も伊達に人に飢えてはいない。


ディスティニーランドに2人で行った後、僕らの距離はさらに縮まり、僕らは春休み中も何回は2人で遊びに行った。


2人でディスティニーランドを乗り切ったこともそうだが、愛里が僕のことを『さくらちゃん』呼ばわりしてから、さらに愛里さんは僕に対して積極的になった気がする。


だから、もはや僕らはボッチ同盟だけで繋がれたような関係性ではないし、2人で過ごす時間も多くなった。


だがしかし、恋人という感じでもない。普通に仲のいい友達…僕が思うに愛里が僕に向ける感情はそれだと思う。こういうのを友達以上、恋人未満の関係というのだろうか?。


しかし…なんだろう…仲良くなれば仲良くなるほど恋人としての関係は遠退いて行っているような気がする。『さくらちゃん』という僕の呼び名が明確に僕らの関係の終点を示している気がしてならない。


まぁ、僕もどうしても愛里さんと恋人になりたいとか思ってるわけでもないし、今のままでも楽しいから別にいいのだが…時々、愛里さんの距離感の近過ぎる行動が心配になってしまう。


具体的に言うならば、愛里さんは僕に対して不必要なボディタッチが多い。具体的には手相が見たいとかなんとか言って手を握って来たりとか、一緒に写真撮る時とか肌が触れるくらい接近して来るし、酷い時にはなんかしらないがテンションが極まって抱きしめて来る時がある。


彼女からしたら普通に女友達といつもするような軽いスキンシップなのだろうが、僕からしたら時にそれはルール無用の反則級の犯罪行為に等しいものだ。


こちらとも健全な思春期男子なんですから『うっかり好きになってしまったらどう責任とってくれるんだ!?』と声高らかに説教したくはなるのだが…そういう時は心頭滅却するのに神経を集中していてそれどころではないのだ。全く…相手が僕じゃなきゃ襲われてもおかしくないんだぞ。


まぁ、本当のことを言うならば、そういう邪な考えがあることを悟られたくはないだけなのだが…。


なんにしても、彼女は僕に対する貞操の危機感とか、そういう防犯意識を高めて、健やかな日々を送って欲しいのだ。


そうこう考えているうちに、僕のバイトのシフトの時間が終わり、僕は店の外で待ってるであろう愛里の元へ足早に歩き出した。


お店の外に出ると、10メートルほど向こうにいる愛里と目が合った。


僕を見て嬉しそうにこちらに駆けてくる愛里に手を振ろうとしたその時、僕らの間に割って入って誰かが僕を呼び止めた。


「櫻井光輝君、だね?」


取り繕ったような笑顔を僕に向けて痩せた中年の男が声をかけて来た。


「そうですけど…あなたは?」


礼儀正しく接して来たとは言えど、どういうわけか僕の名前を知っている見知らぬ人に話しかけられた僕は警戒心を相手に向けた。


警戒心を露わにしたのは相手が見知らぬ人物ということもあったが、どういうわけかそれ以上に本能が僕に警戒しろと命じていた。


相手は僕に名刺を差し出し、名乗りを上げた。


「私は週刊文旬に勤めてる梶田というものです。あなたのお姉さん、櫻井瑠美さんについていくつかお伺いしたいのですが…」


どうやら僕の嫌な予想は当たったようだ。


相手は週刊誌の記者、目的は当然、妊娠して2年ぶりに『コウノトリ制度』を申請した姉についてのことだ。


僕は今朝、父から『マスコミに余計なことを言わないように』などと言われたことを思い出した。


その理由は僕でもわからなくはない。テレビや新聞などのマスコミが一番欲しがっているものは話題性だ。どれだけ注目されるか、どれだけ数字を取れるかが彼らにとって一番の目的。はっきり言って物事の真偽や、その報道による影響など全く考慮などしない。少なくとも僕にはそういうイメージがある。


だから彼らは物事を話題性を生み出すためのフィルターを通してお茶の間に発信する。そのフィルターには報道される側の人間に対する容赦も敬意も優しさのかけらもない。


ただひたすらに喰らい尽くす化け物…そんな奴らに大切な肉親である姉を食べ物にされたくない。

「すみません、これから用事があるので失礼します。行こう、愛里さん」


だから僕はそう言って状況が分からず困っている愛里さんを連れて早々にその場を立ち去ろうとした。


そんな僕の様子を見て、梶田は嫌味を含んだ声色で僕に向かって口を開いた。


「姉は無責任にも妊娠、弟はそんな姉など構わず女とデート…随分と節操のない家庭だこと。親の顔が見てみたいものだ」


そんな梶田の言葉に、僕は足を止めた。


僕は今、大切な家族をよく知りもしないやつに一家まとめて愚弄された。そんなことを言われれば当然、僕の心に怒りが湧き上がる…かと思いきや、僕の心は意外にも冷静に、なぜ相手がそんな言葉を口にするのかを考えた。


そして、僕は梶田に対して言葉を返した。


「挑発で相手を怒らせていろいろ喋らせようって魂胆ですか?。残念ながら、僕の家族は誇れるような人達だってことは僕が一番分かってますよ」


この言葉は僕の家族を馬鹿にした梶田に対する抵抗でも、ましてや反撃などでもない。


これは虚勢だ。


今僕を突き動かしているのはただの恐怖。大人の男を相手に本気を出されれば、僕のようなちっぽけな子供などひとたまりもない。


それでも僕は少しでも強く見えるように、大きく見えるように精一杯の威嚇しているのだ。


だから僕は実力が未知数な相手を前に震える身体を抑えて、ギロリと睨みつけるしか出来なかった。


そんなちっぽけな僕を前に、梶田は表情を崩して笑ってみせた。


「ははははは…済まない済まない。君を高校生だと思って甘く見てたよ。君の言う通り、チョロっと挑発すればベラベラ喋ってくれるかなって思って言っただけだ。君の家族に対する愚弄を謝罪しよう」


そう言って梶田は僕に向かって頭を下げてみせた。そして僕に向かってさらに言葉を続けた。


「その上でやはり君に話を聞きたいと思った。賢い君なら分かっているはずだ、君のお姉さんに対する世間の意見が二分化していることに。君のお姉さんを人類の滅亡を食い止めようと果敢に挑む勇敢なヒーローであると支持する声と、小さな命を巻き込んで無謀な挑戦に挑む愚かなイカロスであると非難する声…今世間の声はどちらかというと後者に傾いている。世間一般的に、君の姉はロウの翼で太陽を目指す愚かなイカロスと認識されている。君もそれは分かってるでしょ?」


「…えぇ、まあ…」


梶田の言葉を否定出来るだけの根拠を僕は持ち合わせていなかった。


家族の僕でさえ、姉の挑戦は無謀に思える。


だけど、それを非難するのは…上手く言葉にできないけど、何か違う気がする。


「だけど、君としてはそういう世間の声は本望ではない。出来れば君だって世論が君のお姉さんの方に傾いて欲しいって思ってるだろ?」


「そりゃあ、もちろん…」


「だったら、君が代わりに代弁して欲しい。君の中にある君のお姉さんを応援したいっていう気持ちを僕らの週刊誌を通して世間に届けて欲しい。流石に世論を丸々ひっくり返すようなことにはならないだろうけど、君の言葉を通じて君のお姉さんについての考えを改める人もいるかもしれない。君のお姉さんの味方を少しでも増やすためにも、君のお姉さんのためにも、ぜひ君の意見を聞かせてはくれないだろうか?」


梶田の言うことは最もだと思う。僕も何かしらの形で姉の力になれるなら…少しでも味方が増えて、少しでも姉の精神的負担を軽減出来るのなら…。


「ちゃんと…僕の声を伝えてくれますか?」


「こちらとも商売でね、それ故に君の言葉を100%そのまま伝えることは出来ない。だけど、君のお姉さんの行いを否定するのは、私の本望ではない」


少なくとも、まっすぐに僕の目を見つめてそう語る梶田の言葉に嘘偽りはないように見えた。


「…分かりました。僕でよければお話を伺います」


こうして、僕は梶田のインタビューに答えることとなった。

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