第25話

「櫻井君は下手くそなんだよ」


愛里は小休止がてら遅めの昼食を食べながら僕にそう告げた。


「下手くそって…なにが?」


「ストレスの発散が下手くそなの」


「…どういう意味?」


「櫻井君は絶叫マシンの楽しみ方がまるで分かってない」


「楽しみ方?」


「そう。ああいうのは怖いけど、それを叫ぶなりなんなりして外に発散するからスッキリ出来るんだよ。でも櫻井君はそれを発散しようとせず、自分の中に押し込もうとしてる。それじゃあ怖いのが発散出来ず、ただのストレスで終わっちゃうんだよ」


「そうかな?」


「そうだよ。櫻井君、さっき乗ってた時叫びもせず、縮こまって怖いを耐えてるって気がした。だから今度は手すりから手を離して、我慢せずに思う存分に怖がってみようよ」


「えぇ…手を離すの?」


ジェットコースターで手すりから手を離すなど、僕にとっては命綱無しで綱渡りするような所業に思えた。


「大丈夫だよ。騙されたと思って一回やってみよう?」


「うーん…」


そもそも僕は姉に『怖くない』と騙されてジェットコースターに乗ってトラウマを植え付けられたのだ。


もう騙されるのはこりごり…という思いもあるのだが、このまま絶叫マシンを楽しめず、愛里に遠慮されるのも申し訳ない。


そういう思いもあってか、僕は愛里の提案した通り、命綱を手放してみることにした。


そして、僕らは再び絶叫マシンの行列に並び始めた。


うんざりするほど長いその行列の先には僕への刑の執行が待っている。


断頭台へと続く死出の行軍に僕のテンションは下がる一方だった。


「大丈夫だって、楽しいって」


そんな僕の様子に気がついたのか、愛里は僕を励ますかのように声をかけてきた。


「そ、そうだね、楽しまなきゃね」


そんな風に愛里に気を遣わせるのも申し訳ないので、なんとか気を取り戻そうとするのだが、やはり気が重いのは確かなことでどこか気持ちが空回りしてしまっていた。


その一方で、愛里は先ほどの絶叫マシンでテンションが高まって火がついたのか、いつものように話題を振ってくれた。


そのおかげで待ち時間中はそこまで退屈せずに済んだのだが…。


「2名様どうぞ」


係員さんの指示に従い、とうとう僕らのための刑の執行用の席が用意された。


僕らが乗り込んだのは席が高いところまで上がり、一気に垂直に急降下するフリーフォール系の乗り物だった。


仰々しく動き出した乗り物は少しずつだが着実に僕を断頭台へと押し上げていった。


「櫻井君、手を離す覚悟はできた?」


「…ごめんなさい、無理です」


あまりの高さに手すりを握る手に力が入ってしまい、それを手放すなど到底できそうになかった。


「ふむ…それなら仕方ないなぁ」


愛里はそう言って僕が手すりから手を離させることを諦めた…かと思いきや、僕の片手を掴んで無理やり手すりから離した。


「愛里さん!?」


突然、愛里に手を握られたことに僕が困惑していると、彼女は悪戯に笑いながら僕にこう言った。


「ごめんね、さくら……い君」


その瞬間、僕たちは重力に従い、自由落下した。


片手が手すりから離れていたせいで、いつもより感じる恐怖が倍増し、堪らず我慢出来なくなった僕は、とうとうその恐怖を叫びにした。


「うあああああああああ!!!!!!」


「きゃああああああああ!!!!!!」


僕と彼女の悲鳴がこだまし、止むことはなかった。


正直、初めて女の子に手を握られたとか、その温かさとか感じている余裕はなかった。


今はこの恐怖をひたすらに外に押し出すことにしかできなかったのだ。


やがて、僕らを乗せた装置は止まり、僕らを地上へと帰してくれた。


ようやく安息の地へ帰還した僕に愛里は開口一番に聞いてきた。


「楽しかったね!櫻井君!」


そんな彼女をよそに、命綱を片方手放しながら刑が執行された僕はあまりの恐怖で足が震えていた…と、いうことはなかった。


最初に乗った絶叫マシンよりもよっぽど怖い思いをしているはずなのに、僕の心は意外にもスッキリと澄み切っていたのだ。


そして、僕の胸は不思議と高揚を覚えていた。


「…楽しかった…気がする」


不覚にも僕はその不思議な高揚感に快楽を得ていた。


「でしょ!?でしょ!?。じゃあ次の乗ろうよ」


彼女は僕の高揚が治らぬ内に次の絶叫マシンへと僕を促した。


先ほどまでなら乗り気でなかった僕も、いまはこの高揚感の正体を確かめたくて少しウズウズしていた。


次の絶叫マシンも僕は手を離して、恐怖を悲鳴として吐き出しながら乗り切った。


そして僕の心は爽快感と高揚感に包まれていた。


「…楽しい」


いま僕ははっきりとわかった。


僕はいま…恐怖を楽しんでいる。


「すごい!楽しいよ!愛里さん!」


愛里の言っていた『恐怖を楽しむ』という感覚が少しずつ分かってきた僕はその感動のあまり、いつになく興奮していた。


「うん!楽しいね!さくら…い君!」


愛里も愛里で僕と絶叫マシンの楽しみを共有できたことが嬉しかったのか、声に出して喜んでいた。


そして絶叫マシンの楽しみ方が分かり、味を占めた僕は、初めて覚えた言葉を連発する子供のように何度も絶叫マシンに乗り込んだ。


今まではなぜあえてこんなにも怖い思いをしなければならないのかが分からなかった。


だが、今ならわかる。


あえて怖い思いを…適度な負荷を受け、それを悲鳴などの形として外に放出することによって、体に溜まっていた他のストレスごと発散することができる。言うなれば一種のデトックスのようなものだ。


そんな新しい快感に目覚めた僕はしばらく興奮が止むことはなかった。


「櫻井君、次はこれ乗ろうよ!」


そう言って彼女が指を指したのは、途中で一回転するタイプのジェットコースターであった。


「よし!乗ろう!」


恐怖を楽しむ術を知った僕に『怖いもの』などなく、僕は即答した。


「私、このアトラクションはディスティニーランドに来たら毎回乗るようにしてるんだ」


「なんで?」


「一番最初にディスティニーランドに来た時ね…小学2年生くらいの時だったかな…家族と来てたんだけど、お盆期間に来たこともあってすっごい人が混んでて、このアトラクションも2時間待ちでさ…」


「僕たちが小学二年生の時か…あの頃はまだ『家族連れ』がいたからディスティニーランドも混んでただろうなぁ」


「そうそう、しかもお盆だったからね。それで、暑い中頑張って2時間近く並んでようやく乗る直前まで来たんだけどね…身長が足らないことが発覚して結局乗れなかったの。その時の悔しさと言ったら…」


「はは、それは悔しいだろうね」


「だからその悔しさを晴らすため、私はこのアトラクションに毎回乗ることにしてるの」


「なるほど」


そんな世界が無くしてしまった昔の話に花を咲かせていると、愛里が一つの看板を指差した。


「あれ見て、あれ。あいつのせいで私は昔、これに乗れなかったの」


そう言って愛里が恨めしそうに指を指した先には身長制限を測るための看板が設置されていた。


「ねぇねぇ、さくら…い君。ちょっと写真撮ってくれない?」


そう言って彼女は僕に携帯を渡して例の看板の前に立ち、身長を測った。


「毎回撮ってるの、ここの写真」


おそらく、かつてこの看板のせいでアトラクションが乗れず、頑張りが無駄になったことに対する彼女なりに仕返しなのだろう。


そんな些細な抵抗に僕はクスリと笑いながらその様子を写真に収めた。


そうこうしている内にアトラクションへと続く道は進み、僕らは思い出の看板を後にした。


その際、愛里がこんなことを呟いた。


「もう…あの看板も使われないんだろうなぁ」


その言葉はどこか寂しいものがあった。


「ねぇ、櫻井君。あの看板って、この先もずっとあのままあるのかな?」


「どうだろう。あるといいね」


「うん。例え使わなくなっても…思い出が消えていくのは寂しいからね」


彼女の言葉に、僕はふと姫浦のことが脳裏をよぎった。


その後も、僕らはアトラクションはもちろん、ショップやらなんやらも楽しみ、日が暮れる頃には彼女は園内で買ったカチューシャを、僕は同じく園内で買った被り物を被り、ドップリと楽しんでいた。


初めはこそ不安だったが、今となっては随分と小さな事で悩んでいたなぁと僕はふと我に帰って振り返っていた。


「ねぇねぇ、さくらちゃ……櫻井君、パレード見に行こうよ」


「オッケー」


僕らは近くでやっていたパレードを見に行った。


そこでは誰もが知ってる世界的有名なキャラクターが登場し、パレードを通してお客さんを楽しませているのだが…まぁ、正直な話、僕はそんなに興味はない。


それでも今日1日を振り返り、余韻に浸るにはちょうどいい刺激だ。


僕は今日一日、充実した日を振り返っていた。


卒業式終わりにここへ来て、女の子とのデートをこなしつつ、絶叫マシンの楽しみ方を学び、そして乗りまくり、おまけに買い物まで楽しんで、こうして特に好きでもないキャラクターの被り物までつけちゃって…今日ほど充実した日はそうないだろう。


僕は今、最高にリア充してる。…してるはずなのだが…なぜだかまだ何か物足りない。


なんだ?僕は何がまだ物足りないんだ?。


僕はその理由を考え、そして此の期に及んでまだ満たされてないものの正体に気がついた。


そうか…ここはまだゴールじゃない、ただの通過点に過ぎないんだ。


でも、ここがゴールでないとすると…この先っていうのは具体的にどういう事なんだ?。


この先っていうと例えば…付き合う、とか?。


…いや、別に愛里と付き合いたいってわけじゃないし、仮に付き合ったところでどうすればいいのかわからない。


まぁ、恋人になれば恋人なりの距離感を得られるのだろうが…なんというか、そこまで高望みはしないっていうか…そこまでして付き合いたいわけでもないし…。


それでも憧れというのはある。でも自分から『付き合おう』などと告白する気もさらさらない。


…っていうか、愛里のこと異性としてそこまで好きでもないと思うのに『付き合おう』など言えるはずもない。


いや、正確に言うならばきっと僕は愛里のことが好きと言えば好きだ。でも、一言で好きと言っても段階がある。


僕が思うに、『好き』の強さには三段階あると思う。


一番強いのは『誰々じゃなきゃダメ』って思えるくらいの『好き』。もうその人以外眼中にないレベルの『好き』だ。


その次に強いのが『誰々がいい』って思えるくらいの『好き』。数ある選択肢の中ではっきりとその人がいいと選べるくらいのレベルの『好き』だ。


一番弱いのが『誰々でいい』って思うくらいの『好き』。妥協点は超えてるから別に付き合ってもいいと思えるくらいのレベルの『好き』だ。


じゃあ、僕の愛里に対する『好き』がどれに値するかというと…まず『愛里じゃなきゃダメ』とはとてもじゃないが思えそうにない。『愛里がいい』かと言うと、他に比較対象となり得るほど仲のいい女子がいないからなんとも言えない。


だけど少なくとも『愛里でいい』という妥協点は余裕で超えている。だから僕の愛里に対する好きは『愛里でいい』と『愛里がいい』の境目くらいが妥当なのだろう。


というか、僕の『誰々でいい』というハードルはかなり低い。僕は伊達に物事を妥協することには長けていないし、仲のいい女性友達も少なく、それなりに飢えているので、この妥協点のハードルは著しく低いのだ。


そんな僕がいま愛里に告白するのは愛里しかいないから仕方なく愛里に告白するということであり、そんなものは失礼だから、もし僕が告白するとしたら、少なくとも『愛里がいい』とはっきり言えるくらいじゃないといけない気がする。


でも、『愛里でいい』のラインは超えてるから、もし向こうから告白してくるなら…。


まぁ、つまるところ僕は愛里から新たな一歩を踏み出すことを提案されるのを待っているというわけだ。


そんなことを考えていた僕はふと隣にいる愛里の顔を一瞥した。


物憂げな表情をした彼女の顔が思っていたよりも近くにあったことに僕は少し恥ずかしくなった。

「愛里さん、なんか表情暗くない?」


僕はさりげなく愛里と距離を取りつつ、彼女のどこか暗い表情について指摘した。


「いや、そのさ…もう一年生も終わりだなぁとか思ってさ…」


「それで?」


「2年生になって、私たち違うクラスになったらさ…どうなるのかなぁって思って…」


「ああ、なるほど、そういうことか。大丈夫だよ、ボッチ同盟にはクラスっていう国境はないから」


「そうだよね、クラスが違ってもボッチ同士なのは変わらないもんね」


彼女は安心したようにそう口にしたが、その表情にはどこか陰りが見えた。


気がつけば日はすっかり沈み、目の前のパレードは星の光すらかき消すほどの強い光で華々しさを演出していた。


そしてパレードは佳境を迎え、賑わいだし、夜空に打ち上げられた花火がより一層、世界をロマンチックに変えた。


闇夜に輝く光と、夢の世界へと誘う音に包まれ、目の前に誰もがうっとりしそうな光景が繰り広げられる中、愛里は何かを決意したかのように僕に向かって話しかけた。


「櫻井君、私ね…どうしても君に伝えたいことがあるんだ」


男女2人、遊園地、夜のロマンチックな光景…そして彼女の伝えたいことというワードに僕の頭に愛の告白という考えが浮かばないわけがなかった。


突然の出来事に期待で頭が真っ白になり、身体が固まる中、夜空に弾け飛んだ花火の音が僕をハッと我に戻した。


「つ、伝えたいことって…なに?愛里さん」


僕の言葉に彼女は躊躇いながら返事をした。


「本当はさ…もっと早く伝えたかったんだけど…きっと伝えたら櫻井君、困っちゃうだろうから、ずっと伝えるか伝えないか迷ってたんだけど…やっぱり、今日一日を通して伝えなきゃいけないってはっきりと思っちゃったの。だから…こんなこと言われたら櫻井君、絶対困っちゃうだろうけど…聞いてくれる?」


躊躇い混じりに僕を上目遣いで見つめてくる彼女の瞳から、僕は目を逸らせなくなった。


「わ、わかった、聞くよ」


彼女の何気ない仕草、瞳の瞬き、小さな息遣い…その一つ一つが僕の心臓の鼓動を急かした。


「あのね…私、櫻井君のこと…」


目の前でたくさんの人たちを魅了する光と夢の世界へ誘う音など、もはや僕の目や耳には入らなかった。


僕らは誰かが輝くステージの下の薄暗い観客席にいるただの一般人だけど、もはやこの世界は僕らだけのものだった。


僕の聴覚や視覚、嗅覚も、この心臓の鼓動でさえも言うことを聞いてはくれず、僕の全ては彼女に支配されてしまい、もう他のことなど考えられなかった。


世間からしたら一瞬の出来事なはずなのに、今の僕には悠久のようにこの沈黙が長く感じてられてしまった。


「櫻井君のこと……」


そうして、僕が彼女の言葉を一言一句聞きもらせまいと全神経を捧げる中、彼女は満を持して、その募り募った思いの丈を僕に伝えた。























「…櫻井君のこと……………………『さくらちゃん』って呼んでいいかな?」














「…はぁ?」


予想だにしない言葉に僕は思わず感嘆を言葉にしてしまった。


「だから…櫻井君のこと『さくらちゃん』って呼んでいいかなって言ったんだけど…」


「え?。ま、待って、『さくらちゃん』?なんで?」


「なんでって…そっちの方が可愛いから」


彼女は当然のことのようにしれっとそんなことを口にした。


「いや、でもさ…その…確か愛里さんの親友も『サクラちゃん』って呼んでなかったっけ?」


「いやぁ、そうなんだけどさぁ…そのせいでなんか時々櫻井君のこと間違えて『さくらちゃん』って呼んじゃいそうになっててね…だからダメかな?『さくらちゃん』」


彼女は僕にそう言うのだが、僕は期待と現実のあまりのギャップにショックでそれどころではなかった。


「ダメかな?『さくらちゃん』」


「す、好きにしなよ…呼び方くらい」


そしてショックのなにも考えられなくなり、僕は思わず承諾してしまった。


「やったぁ!ありがとう!」


そんな僕を尻目に、彼女は1人喜び、そして僕にこう告げるのだ。


「これからもよろしくね、さくらちゃん」


こうして、彼女と僕の初めてのデートは幕を閉じたのであったとさ。

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