第20話
「…落ち着きましたか?」
「すみません、すみません」
事務所でしばらく子供のように泣きじゃくり、富沢さんはようやく気持ちを落ち着かせた。
僕は放っておくこともできず、とりあえず富沢さんの介抱をしていた。店長からその許可はすでにもらった。
まぁ、どうやら落ち着いたようだし、あとは一人で帰れるでしょ。
僕がそう考えて帰るように促そうとしたその時、富沢さんが唐突に語り始めた。
「…私が教育委員会に飛ばされたのは7年前のことなんです」
「小銭と涙の後は身の上話までぶちまけんるですね」
「…すみません」
何も聞いてないのに話し始めた富沢さんに思わず僕はそんなセリフが口から出てしまった。
やはりこんな身の上話をされても迷惑か…と、富沢さんは考えたのか、口を閉ざしてしまった。
しかし、バイトの時間も終わり、帰る以外用のない僕はとりあえず富沢さんの話を聞いてみることにした。
「でもいいですよ、僕でよければ聞きますから…」
そして、僕はいつものようにこう言うのだ。
「誰かの声に耳を傾ける時間もないほど、僕は忙しくないですから」
…そう、結局僕はただ暇なだけなのだ。
僕の言葉を聞いた富沢さんはブツブツと独り言のように自分の身の上話を始めた。
話をまとめるとこういうことだ。
まず富沢さんが教育委員会に飛ばされたのは7年前、だから僕がまだ10歳になるかどうかあたりの時期だ。
すでにネームレス化…つまりは子供が産まれなくなった現象が起きて10年弱、多くの人が子供を産むことを諦め、人類の終焉を受け止めた頃の出来事であり、学校をはじめとしたいずれは役目を終えて消えて無くなる教育機関を運営、管理する教育委員会への異動は事実上の左遷であった。
その原因は当時の県知事に喧嘩をふっかけたことらしい。票集めのために福祉ばかりに力を入れ、教育を疎かにしようとしていた県知事と衝突し、飛ばされる羽目になったそうだ。
それでも大切な教育の舵きりを任された身、せめて今、教育を必要としている子供達のために出来ることをしようと当時は身を粉にして四六時中働いていた。
富沢さん曰く、『そのせいで婚期を逃した』だそうだ。
だけど、そんな富沢さんに陰りがさしたのは3年前、鷲宮小学校の取り壊しが決まった時だった。
当時の富沢さんは取り壊し反対の県民の声を聞き入れ、県知事に申し入れをした。
しかし、『使わなくなった小学校にかける金などない』とあっさりと一蹴された。
その後も何度も県知事に意見をぶつけたが、どれも惨敗であった。
次第に富沢さんはどうしようもない強大な権力を前に自分の無力さを感じるようになった。
何をやっても無駄。どれだけ抗っても全ては水泡に帰す。だったらもう努力に意味はない。
むしろ、話せば話すほど相手の言い分が正しい気がしてしまう。
そりゃあそうだ、思い出を守るために市民の血税をかけて使わなくなった小学校を存続させるというのはただのエゴでしかない。
自分のできることの限界と県民の声に板挟みとなり、次第に心は廃れていった。
やがて努力もむなしく、鷲宮小学校の取り壊しが始まった。
自分が力を注いで継いで来た小学校の崩壊が、まるで自分の努力そのものが無駄だったと否定されている気分になった。
だけど、これは別に悪いことではない。失った分、手に入れるものがあるはず。
そう信じて富沢さんは人類の叡智の壊滅を見届けていたその時、自分に言い聞かせて納得させようとしていた富沢さんにトドメを刺したのは母校の取り壊しを恨めしそうにじっと見つめる1人の少女の姿であった。
来る日も来る日もただひたすらに黙って自分達を睨みつけ、呪い続ける少女の瞳に富沢さんは耐えきれなくなった。
子供達のために尽力していた自分が、またあの時のように子供から恨まれたら、自分の存在意義を見失う。
もう何が正しいことか、自分のしたことが間違っているのか…そういうことを考えるのに辟易してしまった。
そういう葛藤もあって、富沢さんは鷲宮第二中学の取り壊しの反対に積極的になれないでいた。
「私だって、本当は鷲中を守りたい。なぜなら、鷲中は私の母校でもあるのだから…」
「富沢さん、鷲中のOBだったんですか?。だったら…」
『だったら一緒に守りましょう』
そう伝えようとした僕に富沢さんが制するようにこう言った。
「でも、それは私のエゴでしかないんだ…」
ドラマで刑事に追い詰められ、最後にボロボロと自白をする犯人のように富沢さんは僕に全てを打ち明けた。
少なくとも僕には富沢さんを責めることは出来なかった。
富沢さんのいう通り、ただ自分達の思い出を守りたいだけならば、僕達鷲宮隊のしていることはただのワガママなエゴでしかない。
そう、ただのわがままなエゴなんだ。
富沢さんが帰った後、僕はしばらく一人で惚けていた。
そんな僕にどこかでこっそり話を聞いていたのか、サカもっちゃんが話しかけてきた。
「たしかに、君がしていることはただのエゴでしかない」
サカもっちゃんの僕を突き放すような発言に、僕は一人俯いた。
「だけど、世界はエゴで回ってる。誰かの願いで動いている。そのエゴによって喜ぶ人もいるし、悲しむことになる人もいるだろう。誰もが幸せになれる選択肢なんてそうないから、誰もがエゴイストであるしかない。そういう沢山の人達のエゴが一致した時、それは世論と呼ばれるものになる。そしてその世論を叶えるのが政府や自治体だって僕は信じてる。君達は署名活動を通して多くの人たちのエゴを集めたんだろ?。あとはそれをどう世論とするかだ」
「簡単に言わないでくださいよ。僕一人にそんなことできるわけないじゃないですか?。そこまでやるくらいなら、別に中学くらい取り壊されたっていいって考えた方がずっと楽ですよ」
「うん、櫻井の言う通り、取り壊されたっていいって妥協することは賢い選択だ。だけど…僕はそれだけを教えるために教師になるわけじゃないよ」
「…どういうことですか?」
「今はまだ秘密」
先生はそう言って子供っぽく口元に人差し指を立てて見せた。
「なんにしても、今の僕から言えるアドバイスは一つ。誰かが取り壊しを望んでいるわけじゃないなら、そうせざるを得ない原因をどうにかすることだね」
結局、先生は答えを何一つ教えてはくれなかった。
翌日、学校の授業をBGMに僕はずっとサカもっちゃんの言っていたことを考えていた。
そもそもなぜ学校が取り壊されるのか。
端的に言ってしまえば、メンテナンス費用が捻出できないからだ。
メンテナンスを怠ってしまえば、学校の老朽化が進む。そうなれば災害時に倒壊の恐れがあり、近隣住民に多大な被害を及ぼす可能性がある。他にも警備を怠ればヤンチャなにいちゃん達の溜まり場になる可能性もある。そうなれば治安にも問題が出てくるし、メンテナンスされてなければ老朽化が進み、中に入るだけでも事故が起きる可能性がある。
もしも維持するならば、施設として使わないとしても必要最低限のライフラインは必要だし、その費用はかさむ。特に寒冷地方ならば水道管の中の水が氷結し、水道管が劣化する恐れがあるので頻繁にメンテナンスをしなければならない。
要するに莫大な金がかかるということだ。
それならばいっそぶっ壊した方がお得…つまりはそういうことだ。
結局は金の問題…まぁ、世の中の問題なんて大体金の問題なのだろうが…。
しかし、逆に言えばその金さえ工面できれば取り壊す必要はない。
…どっかの金持ちが金出してくれないかな?。…無理か。
あるいは募金で資金を募るか…いや、長期間の維持が目的である以上、いつまでも募金を募る必要がある。そんなのやってられん。
結局のところ、使わなくなった学校なんぞただのお荷物、何の価値もない金食い虫でしかない。
…本当にそうか?。
確かに学校としては価値を失ったけど…別の施設としてなら…。
僕がそういう考えに至った時、すでに時刻は昼休みの時間になっていた。
周りの人が各々の居場所に移動するために後者が騒がしくなる中、僕はいつものように一人でお昼を…というわけではない。
「今日もお一人ですかい?旦那」
お弁当を小脇に抱えた愛里が僕の元へとやって来たのだ。
「いつも通り、お一人ですよ」
「奇遇ですな、旦那。拙者も一人でごわす」
「…どういうキャラしてんだよ?」
ボッチ同盟の延長として、僕らは昼休みを共にすることが習慣となっていた。
お互いがお互いの居場所になるために始まった関係だが、こうして面と向かい合えば、それなりに会話もする。
ボッチ同士だからと言って、僕も彼女も人と話すのが苦手というわけでもない。…多分。
ただ人と関わることに受動的で、そんな人間にちょっとした不幸が重なるだけで割と簡単にボッチにはなれてしまうものなのだ。
だがしかし、ボッチからいきなり女の子と二人でお昼を食べるリア充にクラスチェンジするというのはゲームでいえばただの村人がいきなりパラディンに転職するようなもの、見える景色の違いに若干の戸惑いを感じていたりもする。
その戸惑いを顔に出してしまえば、この関係に亀裂が入ってしまう気がする。
だから僕は女の子と食事をしているということを意識しないように意識している。
ただの普通の男友達(それすらほとんどいないけど)と話すように振る舞うことにしている。
「でもなんやかんやで文化祭は楽しかったよね…ボッチだったけどさ」
「まぁ、そうだね」
愛里との話は気がつけば文化祭の話となっていた。
「準備期間とかもさ、私はボッチで作業してたけど、いつもより遅くまで学校に残って、校舎から窓の向こうの夜の町を見てたらさ、なんか不思議な気分になった。いつもと違う景色に高揚感っていうか…何か特別な夜になりそうって期待しちゃうというか…」
「僕も気持ちはわかる」
僕もなんやかんやで準備期間を含めて楽しかった。ボッチだったけど…。
「いっそこのまま学校に泊まれたらなぁ、なんて思っちゃったよ」
「確かに学校に泊まれたら楽し…そう…だ…な…」
もしも学校に泊まれたなら…そういう宿泊施設として利用できるのなら…。
僕は突然、愛里との会話を打ち切り、考え込んだ。
「…櫻井君?どうかしたの?」
突然目の前で難しい顔して黙り込んだ僕を愛里は不思議そうに見つめていた。
「…これだ」
「なにが?」
「これだよ!!ありがとう、愛里さん!!」
「だからなにが?」
「そうだ!この手があったんだ!!これなら、この方法ならいけるよ!!誰も悲しませずに出来るよ!!」
「…いや、だからなにが?」
結局、一人で勝手に盛り上がる僕に彼女は一人ぽかんとしているだけだった。
その日の放課後、いつものように学校に残る用事のない帰宅部のエースである僕はすぐさま家に帰ろうと動き出した。
しかし、教室から出る際にバッタリと愛里と鉢合わせてしまった。
僕らはボッチ同盟を組み、文化祭、そして最近では昼休みを共に乗り越える仲ではあったが、登下校を共にしたことは一度もなかった。
流石に登下校を共にするのは同盟外の範疇…僕らには一緒に帰る理由は特にはない。
だがしかし、二人ともこれから一人で帰りますよオーラ全開でこのようにバッティングしてしまい、それをスルーするということは僕たちの関係はここまでというボーダーラインを引いてしまうような気がした。
なぜならば、僕らはあくまで同盟を結んだ同士であって友達ではない。必要以上に一緒にいる理由はない。この場でのスルーはそれを明確にしてしまう。
多分、今この何気無い瞬間は僕らのこれからの関係を明確にするターニングポイント…ここで声をかけるかかけないかで僕らの関係は大きく変わる。
もちろん、僕は愛里のことは嫌いじゃない。誰かと一緒に帰ることに対する憧れもある。その相手が愛里ならばそれは申し分ないことだ。
だがしかし…女の子を誘うっていうのはいささかハードルが高い。
…やっぱり、これ以上踏み込むのは無理か…。
僕の心が諦めかけたその時、かつての苦い記憶が蘇る。いくつもの可能性を『まぁいいか』で妥協してしまった結果、僕の人生は白紙のページを積み重ねてしまうことになってしまったことを…。
…いや!ここは引くわけには行かない!。
ここで引いてしまったら、きっとなにも残らない!。
僕は自分を奮い立て、僅かな勇気で喉元を振り絞り、声をかけた。
「…お一人ですか?」
「み、見ての通り一人ですよ」
「じゃあ、一緒に…帰る?」
「…うん」
こうして、はるか彼方先を行く青春に置いてけぼりにされていたけど、一週遅れで追いついた僕たちは、青春に走る人たちに周回遅れも御構い無しにしれっと紛れて走り出すのであった。
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