第19話
「昨日は突然いなくなってごめんなさい、愛里さん」
文化祭の翌日の朝、僕は愛里へ文化祭中に黙っていなくなってしまったことに謝罪の言葉を述べていた。
「ライブ中に気がついたらいなくなってて心配したよ。…なんでどっか行っちゃったの?」
「えっと…それは…」
誰かが輝いているところをこれ以上見れなかったから…などと口に出来るはずもなく、僕は言葉を詰まらせていた。
「もしかして…私のせい?」
「いや、愛里さんはなにも悪くないよ。ただの僕自身の個人的な問題」
「問題って?」
「うーん…話すと長くなるし、上手く伝えられるかどうか…」
加藤のライブを見て抱いた僕の醜態を口にするのは憚られたが、同盟を裏切られた彼女にはそれを聞く権利があるだろう。
そう考えた僕は話すことは拒否したくなかったが、もうすぐ朝のホームルームが始まるこのわずかな時間で僕の複雑な心境を伝え切れる自信がなかった。
彼女も今は話す時間がないことを察してくれたのか、僕にこんな申し開きをしてきた。
「じゃあ…ボッチ同盟の延長を申し入れます」
「え?」
「文化祭の日は一日、居場所になりあうって同盟が破棄されたから、その償いとして同盟を昼休みまで延長して欲しい」
「えっと…どういうこと?」
「いや、その…つまりさ…『お昼一緒に食べない?』って誘ってるんだけど…ダメかな?」
照れ臭そうにそう聞いてくる彼女に、僕はクスリと笑いながらこう答えた。
「女の子の誘いを無下に断る理由があるほど、僕は忙しくないよ」
…まぁ、つまりは暇ってことです、はい。
そして時は流れ、昼休みを迎え、校舎は忙しなく動き始めた。
我先へと売店へと走るもの、学食の席を求めるもの、いつものメンバーでお昼を食べるべく準備を始める者…そういう昼休み独特の流れを他所に僕はいつもならば我関せずと一人でお昼を食べるのだが…今日はそんな僕の元へ約束通り、来訪者が現れた。
「こんにちは…もしかしてお一人ですか?」
小さなお弁当を小脇に抱えて愛里はわざとらしく僕にそう尋ねてきた。
「見ての通りボッチですよ」
「奇遇ですね、私もボッチなんです」
わざとらしくそんなやりとりをした後、周りの空いている机をくっつけて、僕らは食事を囲んだ。
思えば、誰かと一緒にこうしてお昼を共にするなどという至高を味わうのはいつぶりだったか?。
確か四月の終わり頃にはすでにボッチだったので、半年ぶりのNOT一人飯だ。
面と向かって誰かと食事をする喜びに僕は思わず目頭が熱くなっていた。
愛里も愛里で思うところがあったのか、目元を手で押さえていた。
食事の前に、この喜びを噛み締めよう。
そう考えた僕らはそのまま食事に手をつけるでもなく、ただただ黙って目元を手で押さえて俯いていた。
10分後…。
「いただきます」
神への謝辞を述べた後、ようやく僕らは食事にありつけた。
「それで…どうして櫻井君、ライブの途中でいなくなっちゃったの?」
「えっと…なにから話せば良いのやら…。まず結論から言うと、あれ以上加藤達のバンドを見ていられなくなったからなんだ」
「どうして?」
「まず、僕は加藤とバンドを組んでたんだ。加藤が『バンドやろうぜ』って誘ってきてさ、僕は断る理由はなかったから了承したんだけど…それで二人で軽音部入って、その時の新入生歓迎会で谷口…昨日のライブでギターをやってたやつを仲間に入れて三人でバンドを組むはずだったんだ」
「そうだったんだ。…加藤君がベースで、谷口君がギターだから…櫻井君はドラムだったの?」
「いや、加藤はベースだったけど、その時は僕がギターで谷口がドラムでやるつもりだったんだ」
「へぇ、そうなんだ…」
「それでバンドを組んだもののいろいろ問題が発生して、どんどん僕達はすれ違っていったんだ。それで結局解散しちゃった。でもその問題っていうのがどれもこれも些細なものでさ…あの時、ほんのちょっと何かが違ったら…もしかしたら僕は今も加藤達とバンドを組んで、あのステージの上で輝けたのかもしれない。夢中になれるものにただひたむきに全力で、本気で走れたのかもしれない…そう思ったら後悔が波のように押し寄せて来て…もう見てられなかったんだ」
「そっか、そういうことか…」
「だからといって黙っていなくなったのは別の問題だから、本当に愛里さんには申し訳ないことをしました。ごめんなさい」
「いいよいいよ、ボッチには慣れてるからさ。でも、あのライブの興奮を誰かと分かち合えなかったのは残念だったなぁ…」
「本当にごめんなさい」
「あ、いや、そうじゃなくて…凄かったよね、加藤君達のバンド」
「うん、凄かった…見てられなくなるほどに…」
「私も…何かやらなきゃ、このままじゃダメだって触発された」
きっと加藤にはこの気持ちは分からないだろう。
本気で打ち込めるものがあって、それにひたむきに全力で走る加藤には僕らが抱く何かやらなきゃっていう焦燥感も、なにをしたらいいのか迷って燻る行き場のないエネルギーも、現象を変えたいという願望と新しい環境へ飛び込む恐怖の葛藤も、なにもかも分からないだろう。
…クソ、羨ましいな。
そんな風に僕が加藤へ強い羨望を抱いていると、お昼休みもそろそろ終わりに近づき、クラスの人達が教室へ続々と帰って来た。
それに紛れて加藤も弁当を片手に教室へ帰って来て、僕と目があった。
その瞬間、加藤の表情が絶望へと染まり、持っていたお弁当箱を『ガシャン!』と地面に落とし、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れた。
「…加藤?」
突然の出来事にクラスが騒然となる中、加藤はゆらりと立ち上がり僕に向かって小さく呟いた。
「さ、櫻井が女子とご飯食べてる…」
「は?」
「櫻井、お前まで…お前まで…」
困惑する僕を尻目に加藤は僕に迫り、涙目で叫び始めた。
「お前までリア充になったというのかあああああああ!?!?!?!?」
「え?」
「お前まで、お前まで俺を置いて青春するのか!?!?俺がこんなに頑張っても全然モテないっていうのに、お前は何の苦労もせずにリア充になれたというのか!?!?」
「お、おい、落ち着け加藤」
「文化祭の間、むさっ苦しいバンドで俺が必死で練習してる間、お前はしっぽり愛を育んでいたというのか!?!?クソ!!クソ!!クソ!!羨ましいじゃねえか!!」
「いや、だからそんなんじゃなくて…」
「あああああああああああああ!!!!!!!!世界中のリア充爆発しろおおおおおおおお!!!!」
加藤はそれだけ言い残して泣きながら教室から走って出て行ってしまった。
「えぇ…なんだ、あいつ」
そんな勝手暴走して勝手に消えていった加藤に僕はただただ呆然としていた。
そんな一部始終を近くて見ていた愛里はくすくすと笑いながらこう言った。
「加藤君でも、羨ましいとかって思うんだね」
たしかに加藤はリア充を嫉妬するほど羨ましがっている。
だから加藤のいった僕への『羨ましい』は本物だ。だけど、僕はそんなやっかまれるほど日々は充実していない。
だけど女の子と二人で食事などという現状は客観的に見ればリア充そのものだ。だから加藤が暴走するのは無理もない。
だけど…このままじゃダメだって僕の感情は消えてくれないままだった。
…それはそうと、逃げるようにいなくなった加藤はそのまま午後の授業に出て来なかった。
本人曰く、『保健室で寝込んでいた』だそうだ。
2学期の最大のイベントとも言える文化祭が終わり、暦が師走を迎えようとしていた頃、相変わらず鷲宮隊と教育委員会との話し合いは平行線をたどっていた。
何度話しても納得のいく返事がもらえない鷲宮隊、県民の声と県知事の板挟みでこれ以上どうしようも出来ない教育委員会、双方が納得のいく答えが出ることはなかった。
結局、今日も良い返事をもらえなかった僕らは退室を余儀なくされた。
「申し訳ない。今日も勝てなかった。だけど、諦めるわけにはいかない。必ずや、鷲宮第二中学の存続を敵から勝ち取りましょう!!」
そんな斎藤さんの言葉に鷲宮隊は掛け声のような返事を返した。
…敵、か。
果たして、斎藤さんのいう僕らの敵とは一体なんなのだろうか?。
取り壊しを推し進めようとする教育委員会?。予算を与えてくれない県知事?。
彼らは本当に僕達の敵なのだろうか?
僕は最近、そんな疑問を胸に抱いていた。
去りゆく僕らの背中を申し訳なさそうに見つめる教育委員会の富沢さんの姿が僕の目に焼き付いていた。
そして相変わらず週に一度というゆっくりとしたペースだが、僕と姫浦の文通は続いていた。
今回は僕が姫浦に手紙を渡す番…今日も意見が通らなくて悔しそうに手をぎゅっと握りしめる姫浦に、僕は申し訳なさそうに手紙を渡した。
「…ありがとう」
相変わらず目は合わせてくれないが、姫浦はいつものようにお礼を言って受け取ってくれた。
僕が今回手紙に書いたのは、鷲宮隊の活動がこのままで本当にいいのかという疑問が主なものだった。
このまま話し合いが平行線を辿れば、きっと鷲宮隊はデモ活動などの行為でもっと強引に教育委員会に圧力をかけるだろう。
だけど、僕は正直このやり方に疑問を隠せなかった。
そういう行為を否定するわけではないが、相手の事情を考慮せずに実力行使に出るというやり方は少なくとも僕の好みではない。
それでも現状はそうするしかないから、そうせざるを得ない…そういう葛藤を手紙に託したのだ。
この手紙が突破口となることはないだろうが、それでも誰かにこうして伝えるだけでも気持ちは楽になっている。
だから僕も姫浦もこの手紙のやり取りを続けているのだ。
だけどそれでも、姫浦の抱えているトラウマを消し去るようなものではなかった。
「文化祭はどうだった?櫻井」
その日、いつものスーパーでのバイト中にサカもっちゃんにそう声をかけられた。
「まぁ、ボチボチでしたよ」
「行く所なくて図書室に篭ってたりしなかった?」
「残念ながら図書室は閉まってました」
…っていうか、この人なんで僕の行動パターン把握してるの?エスパーか?。
「そっか…図書室は閉まってたか…それは良かったな」
どういう意図でサカもっちゃんがそう言ったのかは定かではないが、僕の脳裏にふとあることがよぎった。
それは『文化祭の図書室はボッチにとってのジーザスフィッシュである』ということだ。
ボッチならば文化祭という特別な日にわざわざ図書室に訪れる理由は分かるが、居場所があるボッチでない人間にはそもそもそういう発想が出てこないはずだ。
では、なぜサカもっちゃんは当たり前のように図書室という発想が出てきたのだ?。
答えは…決まっている。
「サカもっちゃんって…もしかして高校時代ボッチだった?」
僕のその質問に、サカもっちゃんはどこか遠い場所を見るように上を見上げた。
「半分イエス、半分ノー…かな」
「…どういうことですか?」
「友達はいたよ。でも、不思議と誰かと放課後に遊んだりはしなかったんだ」
「結構ボッチですね」
「まあね。それでも高校生活は楽しかったけどね。ただ…楽しかっただけで、それしか残らなかった」
「…それなら、サカもっちゃんってなんでこんなご時世に教師になんかなったの?」
「愚直という価値を誰も教えてくれなかったからかな」
「…教えてくれなかったから?」
「そう、だから僕が代わりに教えようと思ったんだ。僕の仇を討ってもらうためにね」
「仇?」
「だけど今は、人類が青春に敗北するところを見たくなったから…かな?」
「敗北?。どういうこと?」
「ほら、口ばっかり動かさないで、手を動かさないと」
先生は話題を逸らすかのように僕にそんなことを言った。
「いや、でも…さっきのって…」
話がついていけずに困惑している僕にサカもっちゃんは最後にこう言い残した。
「僕から君に今言えることはただ一つ、『頭ばっかり動かさないで、足を動かせ』ってことだけだ」
結局、答えは何も教えてはくれなかった。
『頭ばっかり動かさないで足を動かせ』…要するに考えるよりも行動に移せということなのだろう。そんなこと言われなくても分かってる。
分かってるけど…この足でどこに向けて歩けばいいのか、それが分からないんだ。
そんな風に僕が一人でポツンとレジに突っ立っていると、見慣れた顔が目の前に現れた。
「よう、櫻井。友人のよしみでまけてくれよ」
僕にそう話しかけてきた坊主頭の正体は同じ中学のかつての同級生で、今もなお高校で野球部を続けている久保田だった。
彼はいつものようにお弁当と飲み物を携え、レジへやって来て値切り交渉をして来たのだ。
「じゃあ値下げした分、友人のよしみで値上げさせてもらうわ」
「なんだよ、それ。ちょっとくらいまけてくれよぉ〜」
「お前はお店が商品の値段を1円下げるためにどれだけ苦労してるか分かるか?」
バイトを始めてまだ数ヶ月ほどだが、働いてみるとお店側の努力というのが僕でも少しずつ見えてくるようになっていた。
恩のある店長のためにも、値下げなど出来るわけがないのだ。
「ちぇ、ケチだな」
そういうわけで僕は久保田風情がなんと言おうと、正規の値段を請求した。
商品をレジに通す途中、ふと久保田の姿を見てみると、背中にバットを背負っていた。
「これから部活か?」
「おうよ!先輩たちも引退して、これから新戦力で甲子園に向けて一直線よ!」
「そっか、頑張れよ」
ひたむきに努力を積み重ねる人間はやっぱり羨ましい。せめて僕も何か差し入れの一つや二つしてやりたいと思ってしまうほどに…。
「声援じゃなくて物が欲しいな」
「じゃあ甲子園行けたら好きなの奢ってやるよ」
「マジで?良いのか?」
「いいよ。伊達に貯金してないし…」
「バイト代貯めてるのか?何か欲しいものでもあるのか?」
「いや、別にないけど?」
「じゃあなんでバイトしてんの?」
「…ただの暇つぶしだが、なにか?」
僕の言葉に久保田はドン引きしていた。
それから数時間、久保田がおそらく青春で汗を流しているであろう中、僕はひたすらにバイトで汗を流していた。
…今もこうして誰かがなにかにひたむきに打ち込んで、僕と差を付けてるって思うと…なんか焦っちゃうな。
少しでも置いていかれないように、日々を空白で終わらせないように、せめてこのバイトくらいは気合入れてやるか…そう考えていた時、ふとある人物の姿が目に入った。
その人物はスーツはきっちりと着こなしているが、その顔には覇気がなく、今にも『死にたい』などと言いそうな面持ちをしていた。
あれは…富沢さん?。
そう、僕が見かけた人物は僕が所属する鷲宮隊の敵とも言える教育委員会の富沢さんであった。
仕事帰りなのか、品物を抱えてトボトボと俯いて歩くその姿は随分と小さく見えた。
そして顔をうつむかせたまま、僕が待ち構えるレジへとやって来た。
疲れ果て、やつれた顔をした彼は持っていた弁当と缶ビールをレジに置いた。
今の時刻は午後9時…おそらくこれは今日の晩御飯なのだろう。
僕は富沢さんが既婚者かどうかあるいは家に帰って誰かが待っているのかを判別する術はなかったが、富沢さんが一人でお弁当をつまみながら缶ビールを仰ぐ光景が脳裏によぎった。
生々しい生活感を垣間見てしまった僕はなんだか少し申し訳ない気持ちになった。
「2点で530円になります」
そういう僕の声にふと顔を見上げた富沢さんがようやく目の前に立っている僕を認識したのか、目を大きく見開いて驚き、慌てて財布を落とし、小銭をその場にぶちまけてしまった。
「大丈夫ですか?」
「すみません!すみません!」
富沢さんは地面に這いつくばりながら平謝りを繰り返し、いそいそと小銭を拾い始めた。
僕もなんだか見ていられなくなって、小銭を拾うのを手伝い始めた。
小銭を拾い終えた後、僕は500円玉と50円玉を富沢さんから受け取り、20円のお釣りを丁寧に手渡した。
富沢さんは申し訳なさそうにお釣りを受け取ると、覚束ない足取りで逃げるようにその場を立ち去ろうとした。
「…富沢さん」
なんだか黙って見てられなかった僕は思わず富沢さんに声をかけてしまった。
富沢さんは僕の呼びかけにその場でピタリと立ち止まったが、こちらに振り返ることはなかった、まるで合わせる顔がないとでも主張するかのように…。
そんな富沢さんを見ていていたたまれなくなった僕は一言だけ、富沢さんに伝えた。
「お仕事…お疲れ様です」
僕のその言葉で、涙腺を堰き止めていたダムが崩壊したのか、富沢さんは僕の方を振り返り、今度はその場で涙をぶちまけた。
それと同時に持っていた荷物を全て地面に落とし、その場にうずくまるように泣き崩れた。
大の大人のマジモンの号泣にその場が騒然となる中、僕は他のお客様のご迷惑にならないようにするため、とりあえず富沢さんを事務所に連れて行くこととした。
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