第16話
「櫻井君、今月もお疲れ様。君の素晴らしい働きで今月も売り上げ上々であった。これ、今月の給与明細。いつも通り振り込んでおいたから」
「ありがとうございます」
10月の中頃、僕はバイト先で店長から給与明細を受け取っていた。
「それじゃあ、今月も君の素晴らしい働きを期待してる!!」
店長はそれだけ言い残して僕の元から去っていった。
僕は店長から受け取った給与明細に目を落とし、ニマニマしながらそれを眺めていた。
今月もまた、金が貯まってしまったな。
空白の時間を埋めるために始めたバイト、その副産物として給料を貰っているのだが、特に趣味もない僕にその使い道が無く、着々と貯金を積み上げていた。
お金があっても僕は無駄使いはしない主義だ。
僕がそういう主義に目覚めたのは幼稚園児の時の頃…月に一度、親から小銭程度のお小遣いを貰っていた僕はそれですぐさまお菓子を買って、お小遣いを綺麗に使い切っていた。当時の僕にはお金を貯めるという発想がなかったからだ。
そして数日かけて買ったお菓子を少しずつ食べることが当時の僕のスタイルだった。
だがしかし、幼き少年にとある残酷な現実が突きつけられた。
それは…『食べ物には消費期限がある』ということだ。
当時の僕にはモノが腐るという考えはなく、当然消費期限などという言葉も知らなかった。
そんな僕はある日、大切に保存しておいたお菓子に異変が起きていることに気がついた。後に少年はそれをカビと呼ばれるものだと知るのだが、そんなことを知る由もない当時の僕はその異変を親に相談した。
腐り果てたお菓子を目にした母は、僕が大切にとっておいたお菓子を子を思って廃棄した。
そして拠り所を失って泣きじゃくる僕に母はモノは腐るというこの世の理を教えてくれた。
モノには寿命があることを知った僕はその時気がついてしまったのだ。
『お金には、消費期限がない』
それ以来、僕は無駄使いをやめて貯金をするようになった。
お金なら、どれだけ保存していても腐らない、無駄にならない。
お金という普遍的で半永久的価値が僕に安心感を与えてくれたのだ。
僕も成長するにつれてお金にも消費期限がないこともないことを知ったが、お金ほど日持ちのする価値の物差しには出会えなかった。
そういうわけで僕は小さい頃から無駄使いはせずにお金を貯めることに目覚め、今もなお健在しているというわけだ。
お金は使わなければ意味がないとか言う人もいるだろうが、残金という確かな数字として積み上がっていく達成感と資産が増えていく優越感とお金が貯まることによって得られる安心感には中毒性があり、その魅力は何物にも代え難いものだ。
そういうわけで僕は初給料で強請られていた母へのバッグを買って以来、ほぼ全く給料には手をつけていなかった。
「使うあてもないのに嬉しそうな顔してるね、櫻井」
給与明細を見ながらニヤニヤする僕にサカもっちゃんが声をかけてきた。
「そりゃあお金ほど価値が確かなものは無いですから。そんなお金をかけてまで手に入れたいものはありません」
「その考え方は賢いだろうけど、君が人生を賭けてでもやりたいことがないのと一緒だね」
…痛いところを突かれた気がした。
11月の中頃に行われる文化祭に向けて僕のクラスはあわただしく動いていた。
クラスの出し物は喫茶店。個人的には演劇とか、映画とか撮るとかだったらいいなぁなどと思ったが、その意見を声に上げることもなく、無難に喫茶店にまとまり、少し残念に思っていた。
それでもいつものように『まぁいいか』の意気込みで臨んではいたもののこの高校生の一大イベントを前に何か特別なことが起きるのでは無いかという淡い期待を抱いていた。
しかしながら、文化祭の話し合いは文化祭委員とクラスの中心人物達を主に進行していき、僕の活躍する所どころか、役目さえなかった。
それでも何かやれることはないかと考えた僕は数少ない人脈をフル活用し、バイト先から大量のダンボールを持ってきてクラスに献上した。
大したことはしてないが、それでもクラスの中心人物的な人達から『ありがとう』たか『助かった』とか言われて少し嬉しかった。たぶん、この時が高校生活が始まってから一番輝いた瞬間だと思う。そして、僕が文化祭の準備に貢献できたのもこの時くらいであった。
放課後になり、文化祭の準備に向けて皆あわただしく動き回る中、特にやることもない僕は校舎を背にいつものように一人寂しく帰宅するのだ。…い、いや、別に寂しくなんか無いんだからね!。
時を同じくして鷲中を守るために動いている鷲宮隊も署名活動の目標である3万人を突破した。
「皆さん、ここまでお疲れ様でした」
会議の席で、斎藤さんがそう言って頭を下げた。
「予定よりもずっと早く、目標を達成できたのは皆様のおかげです。ご協力ありがとうございます」
そんな斎藤さんの言葉に会議室に拍手が湧いた。
しかし、そんな陽気な雰囲気も一変し、斎藤さんが強い口調で話し始めた。
「ですが、これからが本当の戦いです。私達はこれからこの署名用紙を県の教育委員会へ提出し、取り壊しに対して直談判を行います」
斎藤さん曰く、教育機関の廃止を決定するのは教育委員会なのだそうだ。
早速直談判をするために僕たちは県の教育委員会に訪れていた。
その一室で僕らを待っていたのは、キッチリとスーツを着こなしてはいるものの、どこか覇気のない中年の男性であった。
彼は教育委員会の委員の一人で富沢と名乗った。
「早速ですが、今日私達は鷲宮第二中学の取り壊しに反対する県民の声を届けるためにここに参りました。この署名用紙に名を連ねる3万203人が反対の声を上げているのです。こんなにも多くの県民の声を無下にして、取り壊しを推し進めるというならば県民は教育委員会に対して不信感を募らせると思われますが、その点を如何にお考えですか?」
「ええっとですね…もちろん私どもとしてもそういったお声を無下にするわけにはいかないのですが…取り壊しはすでに決定されていることでして…」
斎藤さんの威圧感のある声に圧されたのか、富沢さんはためらいながら口を開いて曖昧な回答をし始めた。
「つまり委員会は県民の声を無視して、学校を取り壊すと言いたいのですね?」
「い、いえ…無視だなんて…そういうわけではないのですが…」
「では取り壊しをやめてくださるのですね?」
「い、いえ…本当に申し訳ないのですが…取り壊しは決まったことなので…」
「では鷲宮第二中学の存続を願う県民の声はどうなるのですか!?。県民の声などどうでもいいというのですか!?」
はっきりとしない委員会の回答に斎藤さんは声を荒げて訴えた。
「い、いえ!もちろん私どもとしては出来るだけ皆様のお声を傾聴したいのですが…上が維持費を予算に組み込んでくれなくて…」
「では県民の声は無下にされると!?」
「い、いえ…えっと…ですから…」
話をまとめるとこうだ。
まず斎藤さんの言った通り、教育機関の廃止を決定するのはたしかにいま目の前にいる県の教育委員会なのだが、彼らがすることに対する予算を決定するのはその上にいる地方公共団体の長、この場合は県知事なのだそうだ。
その県知事が鷲中の維持のための費用を予算に組み込んでくれない。だから教育委員会としては金銭的な問題で維持という選択が出来ず、そのまま放置するにもメンテナンスを怠った校舎が何かの拍子に崩壊し、近隣住民を巻き込む大惨事になりかねないため、取り壊しを余儀なくされているのだ。
だから、これ以上自分達に何かを言われてもどうしようもないというのが教育委員会の富沢さんの意見だ。
しかし、斎藤さんは頑なに教育委員会の言い分を聞こうとしない。少しでも取り壊す旨を富沢さんが口にすると、すぐさま『県民の声を無下にした』と反論していた。
客観的に見れば斎藤さんが教育委員会に対して出来ないことをやれとわがままを言っているようにも見える。
だがしかし、斎藤さんにも考えがある。
たしかに予算を決めるのは教育委員会ではなく県知事だが、県知事は予算を決めるにあたり、教育委員会の意見を聞く必要がある。そういう場が設けられているのだ。
鷲中の維持費を予算に組み込むためにはその話し合いで県知事を説得する必要がある。だから、まずは委員会を懐柔しなければならない。
だから斎藤さんは教育委員会を動かすために無理をゴリ押し、相手が根をあげるのを待っているのだ。
だがしかし、話し合いは平行線のまま時間だけが過ぎていき、タイムアップを迎えた。
「…また来ます」
この場でこれ以上のゴリ押しは事件に発展しかねないと判断した斎藤さんは話を切り上げ、今日は引くことにした。
斎藤さんに続いて鷲宮隊が会議室を後にする中、姫浦がその両手を強く握りしめながら口を開いた。
「…奪わないでよ」
悔しさを噛み締め、怒りに震え、抑えきれない悲しみが涙となって頰を伝い、雫となって宙に舞った。
「これ以上、奪わないでよ!!!!」
そう叫んで、彼女は逃げるように走って会議室から出て行った。
彼女が部屋から出て行ったのを黙って見ていた僕がふと部屋にいる富沢さんを一瞥すると、富沢さんは彼女が去っていった出口を呆然と見つめていた。
そして、我に返り自分のことを見ていた僕と視線が合うと、富沢さんは申し訳なさそうに目を背けた。
…この人も県民の声と県知事の板挟みで大変そうだな。
そんな富沢さんの姿を見てしまった僕の心は怒りよりも同情に満たされていた。
その後、流れるように鷲宮隊は解散し、その日の活動を終えた。
その帰り道で僕は鷲宮隊の集まりの時には必ず行われていた姫浦との手紙のやり取りを今日はやり忘れていたことに気がついた。
今回は通例通りなら姫浦が僕に手紙をくれる番だったが…もう解散してしまったし、手紙を催促するのもなんだか…。
このまま手紙のやり取りが自然消滅しなければいいけど…。
鷲中の存続よりも僕の数少ない女子とのパイプである姫浦との手紙のやり取りの存続を気にしてしまっていた僕は姫浦に対して密かに罪悪感を抱いていた。
なんにしても僕は相変わらず、なにに対しても直向きに…真っ直ぐに…本気になれなず、何もかも中途半端なままだった。
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