第15話

「4611人です」


姫浦の報告に公民館の一室がどよめいた。


前回の報告会から二週間、姫浦はその間に4000人もの署名を集めていたのだ。


猛暑の中、一人奮闘した彼女の成果がこういう数字として示されただけなのだが、その人数の多さに僕も驚愕していた。


他の人も姫浦ほどではないにしろ、お盆ということで時間があったのか、前回よりも多くの人数を報告していた。


その中で僕が多少身を削って集めた100という数字はダントツでビリであった。


それでもギリギリ体裁を保てるくらいの数ではあったので、僕はホッと安堵の息を吐いた。


「今日で署名人数は1万人を超えました。皆さん、おめでとうございます」


斎藤さんの累計報告に会場に拍手が湧いた。


1万人…そのうちの半分以上は姫浦が集めたものだ。


「目標人数である3万人の署名が集まり次第、市へ直談判します。あと2万人、これからも署名運動、頑張りましょう!!」


そんな斎藤さんの締めの言葉に皆は拍手で応えた。


会議が終わると、僕は姫浦に声をかけた。


「姫浦、約束通り君が頑張る理由を教えて欲しいんだけど」


「…なんで、そんなに知りたいの?」


姫浦は身を守るかのように左手で右腕を抑えながら僕にそう尋ねた。


「それは…それを聞けば、僕も姫浦みたいに頑張れるかなって思って…」


「…わかった。明日駅前に来て」


僕の言葉に納得したのか、彼女はそれだけを言い残して去って行った。







翌日、僕は早速駅前へと訪れ、当然のようにそこで署名運動をしていた姫浦に声をかけた。


姫浦は僕に気がつくと相変わらず俯きながら、黙って手紙を渡して来た。


「ありがとう」


姫浦のためにもすぐにここから離れるべきだと判断した僕はそれだけ言い残してさっさと家へと帰って行った。


家に帰り、部屋に引きこもった僕は前と同じように一呼吸入れるために手紙を机の上に置いた。


これで…きっとこれで僕も…。


覚悟を決めた僕は恐る恐る手紙の封を開け、中にある便箋を取り出した。


今度の便箋は辛辣な一文だけだったものとは違い、丸みを帯びた小さく可愛らしい文字でびっちりと文字が並べられていた。


僕は早速、中身を読んでみることにした。


『櫻井へ。まず、私が君に勝手にトラウマを抱いているせいで不快な思いをさせたり、このような大切なことを手紙で伝えることになってしまったことを謝らせてください。ごめんなさい。』


手紙はまず謝罪で幕を開けた。


彼女は彼女なりに僕に対して気を使っていることを僕は初めて思い知らされた。


『君は私のように頑張りたくて私が頑張る理由を尋ねたけど、正直私は君の期待に応えられる自信はないの。何を伝えたらいいのか、どう伝えたらいいのかもよくわからない…だから、純粋に私が頑張っている理由を綴ろうと思います。とは言ったものの…私自身、私が頑張る理由というのがよくわかりません。母校を守りたい…そのために頑張ることがそんなにおかしいかな?やれることを全部やりたいって気持ちは異常なのかな?』


少なくとも、僕には彼女の頑張りが特別に見える。


たしかに中学には楽しい思い出もあっただろう、だけど君の思い出は楽しいことばかりではないはず、思い出せば震えるほどの辛い記憶もあるはずだ。


それでもどうして君は朝から晩まであの炎天下の中で戦い続けることが出来るのか…。


『だって、私は何か悪いことをやったわけじゃない。それなのに思い出を奪われなきゃいけないっていうのは理不尽だ。そんな道理に反したことが目の前で堂々と行われようとしているのに、なんでみんなは指をくわえて見ていられるのか、むしろ私にはそれが理解出来ません。…まぁ、分からず屋だからきっと中学では孤立したんだろうけどね』


…たしかに、思い出を奪われることは理不尽だ。


でも、その理不尽に立ち向かうことは疲れる。敵が強大すぎてどうにかできる気がしない。


だからみんな『自分を変える』という妥協の道を選ぶ。そっちの方が断然楽だって知ってるから。


『もうこれ以上、何を書けばいいか分からないけど、もしかしたらなにか参考になるかもしれないから、私が中学の時、学校に行かずになにをしていたか、書こうと思います。予め言っておくけど、全然面白い話じゃないから。あの時、私は中学には行かずに取り壊しされている鷲宮小学校に行ってました。そしてなにをするでもなく、取り壊されていく自分の母校をジッと見ていました、恨めしそうに睨みながら。毎日、毎日毎日なにをするでもなくただジッと、恨めしそうに睨んでました。完全にやばい奴、黒歴史だwww。それを分かっていても、私はそうせずにはいられなかった。もしかしたらって思ったら、そうせずにはいられなかった』


僕は毎日女子中学生に恨めしそうに睨まれながら働く解体業者の気持ちを考えて、不謹慎だがちょっとクスッと笑ってしまった。


『結局、ただの私の愚痴みたいになっちゃったけど、なんだか書いたらスッキリした、ありがとう。多分、こんないろんなことを書けるのは相手が櫻井だからだと思う。こんなものが君の力になれるなら何よりだけど、どうやら私は君の力にはなれそうにはありません、自分から誘っておいてごめんなさい。誰かに努力を押し付けるのは酷だと言われたので、君は君なりに頑張ってくれたら十分だと思う。だって、君まで私みたいに一人になるわけにはいかないでしょ?。私は一人でも頑張るから、気にしないで。姫浦より』


手紙を読み終わった後、普段の姫浦の僕に対する態度からは考えられないほどフランクな文章に僕は一人なぜだかニヤニヤしていた。


やっぱり、姫浦のことは嫌いにはなれないな。


僕はそのことを再認識すると同時に姫浦の力になりたいと思った。


だけど…姫浦のようには頑張れない。


これだけじゃあまだ僕の心は夢を抱けない。人生を賭ける決意などこれぽっちも湧いてこない。


きっとそれは、まだ姫浦のことを全然知らないから。こんな手紙一枚じゃあ、彼女の16年のカケラでさえ、彼女の想いの片鱗さえも理解し得ないからだ。


もっと彼女のことを知りたい。彼女のことを知れば、この鎖で雁字搦めにされた心でもやりたいことを見つけられる気がしたから。


そう考えた僕は彼女への返信を返すために筆を取った。


『姫浦へ。まず、僕のわがままに付き合って手紙として応えてくれたことに感謝を述べます。ありがとう。君は僕に頑張る理由を教えてはくれたけど、正直僕は君のこと、これっぽっちも理解出来ません。例えば、母校を守りたいって言っても、卒業した母校が無くなったところで生活に困るわけでもないし、思い出だって残そうと思えば写真や動画で残せる。理不尽だって自分で納得できればそんなに気にならなくなる。そういう妥協で消化する術もあったはずなのに、君は問題の解決という茨の道を選ぶ。僕からしたら完全に異常だ。それと同時にそんな理不尽にも全力で立ち向かえる君が羨ましくもある、例え孤独であったとしても。これ以上、なにを書けばいいか分からないから僕も少し話をさせて欲しい。高校生の1学期、部活も友達もいない僕は家に帰ってなにをしていたか、書こうと思います。予め言っておくけど、全然面白い話じゃないから。あの時、僕は家に帰ってはなにをするでもなくベッドに横になってしました。そしてなにをするでもなく、天井にあるシミをジッと見ていました、無気力に数を数えながら。毎日、毎日毎日なにをするでもなくただジッと、無気力に数えていました。完全にヤバい奴、白歴史だwww。それを分かっていても、僕はなにもしないでいた。まあいいやって思ったら、なにもしないでいた。結局、ただの僕の愚痴みたいになっちゃったけど、書いたらなんだかスッキリした、ありがとう。僕がこんなことを書けるのはきっと相手が姫浦だからだと思う。ずっと君の力になりたかったからだと思う。だけど、どうやら僕はそんなに君の力にはなれそうにはない。だけど、僕が一人なることを心配してるなら気にしなくていい、すでに僕はボッチだから。だから、せめて君が一人にならないように頑張ろうかなって思います。…まぁ、嫌われてるからあんまり近付きませんけどね。櫻井より』


「…こんなもんでいいのだろうか?」


つい勢いで筆を執ってしまったが、そもそも嫌われている奴からの手紙など…。


まぁ、『いらなかったら破り捨てて』とでも言って渡してみるか?。


あくまでこれは手紙の返事、礼儀の範疇だ。うん、きっとそうだ。


きもいとかって思われたら…いや、別に今と扱いに差は無いな。なにも問題はない。


こうして、僕は次の週の鷲宮隊の集まりに姫浦にあくまで返事という名目で手紙を渡した。もちろん『気に食わなかったらシュレッターにかけてヤギの餌にしてもいい』という言葉も添えて渡した。


姫浦は意外とすんなり何も言わずに受け取ってくれた。


その後、読んでくれたのか、きもくなかったかとか気にしながら特になんの音信もなく一週間が過ぎ、再び鷲宮隊の集まりで会った時に、彼女は僕に手紙をくれた。


相変わらず僕の顔すら見てはくれないが、震える手で僕へと手紙を差し出したのだ。


嫌われてはいるもののやはり女の子からの手紙であることには間違いなく、複雑な心境で受け取りながらも口元はニヤニヤしていた。


そしてその一週間後、また会議で会った時に僕は返事を返した。


こうして僕らは手紙という形でコミュニケーションをするようになり、いつしかそれが習慣となっていた。


だけど、手紙を渡すのは一週間に一度、渡してから受け取って、再び渡すのに二週間を要する。


メールでやりとりすればもっと頻繁に出来るはずなのだが…櫻井へ当てたメールだと意識するとなんだかトラウマを再発させそうになると手紙で言われたので、結局僕らは手紙で会話をすることになった。


ゆっくりとだが、僕たちは少しずつ対話を重ね…いつしか夏休みが終わった。


初めは無限に続く砂漠のように思えた夏休みも、終わってみればなんやかんやであっという間だった。


そして、夏休み中は僕と姫浦は週に一度の鷲宮隊の集まりでしか会えなかったが、学校が始まれば毎日『嫌でも』顔を合わせることになる。


そうなれば当然やりとりが増える…かと思いきや、そんなことはなかった。


結局僕らは週に一度の鷲宮隊の集まりの手紙でのやりとりをする以外には1学期の時となんの変化もなく、相変わらず会話も視線すらも合わせることはなかった。


だけど、1学期の頃と比べて僕は少し忙しくなった。


バイトに鷲宮隊の活動…姫浦との手紙のやり取りという楽しみも増えた。


しかし、久しぶりに会った加藤も相変わらず忙しく、ほかに親しい友達もいない僕は昼も帰りもぼっちであることには変わらなかった。


家に帰っては天井のシミを数える日々は終わった。それでも相変わらず本気を見つけられない僕は、西日を背にひとりぼっちで学校から立ち去るたびに考えてしまうのだ。


相変わらず、僕は青春から置き去りにされてる、と…。


だけど非情にも時は流れ、暦は10月となり、文化祭の準備で学校があわただしくなった頃、時を同じくして鷲宮隊の署名運動の目標であった3万人が目前に迫っていたとさ。

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