第14話
僕の姉、櫻井瑠美を一言で表すならば…ハリケーンという言葉が相応しいだろう。
神出鬼没で誰にも予測できない進路を我が物顔で横断し、周りの一切合切を持ち前の暴風雨で振り回した後、知らん振りして去って行く。
その暴君のような所業には誰も逆らうことはできず、誰もが指をくわえて見つめる事しかできなかった。
まさに自然災害、抗いようのない絶対不可侵のカタストロフ。
そんな存在そのものが厄災である姉の趣味に、僕への嫌がらせというものがある。
今は姉は実家を離れ、都内で暮らしているが一緒に暮らしていた時は酷かった。僕は姉に自らの恥を晒さんと常日頃から警戒して生きてきた。
だから、姉がいなくなった僕は自由を手に入れたことを喜び、束の間の安息を謳歌していた。
だがしかし、お盆ということで悪霊たる姉が帰還し、現在我が家は占領されていた。
普段ならば僕だって姉が帰って来る前に頭を回して少しでも姉の帰りが遅くなるように玄関先にナスの精霊馬を置いておくくらいの些細な抵抗をして身を引き締めるのだが、姉がしばらく家を離れていたこともあって、平和ボケで回転が鈍くなっていた。
そしてその平和ボケのせいで僕はいま大失態を犯していた。
「光輝や、これは一体なんじゃ?」
そう言って姉はニヤニヤしながら姫浦から貰った手紙を僕に見せびらかしてきた。
なぜだが知らないが、姉は異常に勘が鋭い。
だから昨日、僕が家に帰ってきたとき、慌てて部屋に戻っていった様子からなにか僕にあったことを察していたのだ。
そして僕の部屋を漁り、僕への嫌がらせのネタを掴んだのだ。
そもそも人の部屋に勝手に入ること自体、問題なのだが、日常茶飯事過ぎてそこを指摘する発想がなかった。
「この可愛らしい封筒はきっと女の子からですねぇ。光輝選手、もしかして…ラブレターですか?」
お立ち台に立つスポーツ選手に質問するインタビュアーのように姉はグイグイと人のプライバシーへ土足で踏み込んできた。
「中身読んだなら知ってるでしょ?ラブレターなんかじゃないってこと」
「いや、まだ中身は読んでないから知らない。…流石に人の手紙勝手に読むとか最低でしょ」
「僕の部屋勝手に漁るのはいいのかよ?」
「そんなの今更でしょ?」
「自覚があるならやめろぉ!!」
「で、なんなの?この手紙は」
「それは…」
別に、姫浦のことを隠したいわけではない。
だから話してもいい。
話してもいいけど…話すと長くなるからめんどくさくて言いたくない。
それに一応、姫浦の触れられたくない過去にも触れることになるんだし…あまり人に話すようなことでもない。
だが、なにも言わなければ目の前で吹き荒む台風は留まり続ける。
だから僕はその手紙の正体を端的に話すことにした。
「それは僕が署名を13人しか集められなかったことに対する叱咤激励だよ。姉ちゃんが好きそうなものではない」
「なるほどねぇ…。じゃあ姉ちゃんが読んでも問題無いか」
そう言って姉はとうとう人の手紙に土足で踏み込んできた。
そして手紙に書かれた一文を見るなり、ゲラゲラと笑いだした。
「社交力13って…あははははは!!!!」
姉のツボにはまったのか、姉はしばらく笑い転げていた。
あぁ、これはしばらく僕は姉からTHE サーティーンとか呼ばれるな。
そして僕の社交性の低さを堪能した後、姉はようやく手紙を僕に返してくれた。
「頑張れよ。なんのことかは知らないけど、100人集めたら教えてくれるらしいしさ」
「え?」
姉の言葉の意図がよく分からなかった僕に姉は一言、僕に告げて去っていった。
「ちゃんと裏、読んだか?」
姉に言われて便箋の裏を見てみると、そこには小さな字でこう書かれていた。
『100人集めたら、教えてあげる』
翌日、お盆で休んでいたスーパーも営業再開し、僕はバイトのためにスーパーを訪れていた。
そして店長を見つけると僕は店長に頭を下げてお願いした。
「店長、鷲宮第二中学の取り壊し反対運動の署名を集めるために、お店に署名運動をアピールするチラシを貼りたいのですが、いいですか?」
店長はその強面の顔で僕を一瞥した後、堰を切ったようにその重く閉ざされた口を開いた。
「素晴らしい!!!。母校を守るために無償の活動に励むその精神はもちろんのこと、少しでも力になれるようにお店にも協力して貰おうとするその向上心は何事にも変えがたい代物だ。若者は冷めていると揶揄されるこの時代の中で、母校を守るために強く輝かんとする君の姿はまるで…(以下省略)」
結局、邪魔にならないところなら好きにスペースを設けて良いことになった。
とりあえず僕は鷲宮隊の活動の旨を伝えるチラシと署名用紙をセットでお店の中の数カ所に設置しておいた。
「へぇ、お店にチラシを置いておくことにしたのか。考えたね」
僕の仕掛けをばら撒いて獲物がかかるのを待つ定期網漁のような作戦にサカもっちゃんはそんなことを呟いた。
「まぁ、何かを得るには身を削るか知恵を絞るか、どちらかしなきゃいけませんからね。姫浦みたいに泥臭く身を削るのもいいけど、こういうやり方もあると思って…」
「身を削るか頭を絞るか、ねぇ…。でも、これだけで署名は集まるものかな?」
「ふっふっふ、甘いですよ、先生。流れのないところに網を仕掛けたって魚はかかりません。だけどここには淀みない激しい潮の流れがあるんですよ」
「と、言うと?」
「千島列島に沿って南下し、日本の東まで達する栄養分に富んだ海流の親潮ならぬ、オバ潮がね」
そう、僕はオバちゃん達の持つ強固で迅速なコミュニティのポテンシャルに期待していたのだ。
鷲宮隊の活動を知ったおばちゃんがそのコミュニティを頼りにまた別の複数のおばちゃんへと情報を流す。
そして鷲宮隊の活動の認知は鼠算のよう爆発的に広まり、署名も集まりやすくなる。
そんなおばちゃん達が集まるここはまさに海流と海流がぶつかり合う潮目、獲物の宝庫。
これで僕は手を汚すことなく楽に署名を集めることが出来るのだ。
「…どうして急にこんなことやり始めたの?」
「姫浦が署名を100人集めたら、姫浦が頑張る理由を教えてくれるんです」
「…そんなに知りたいの?姫浦が頑張る理由」
「知りたいですよ。知れば僕も…」
『変われるかもしれないから』…という言葉を、僕は飲み込んだ。
だけどサカもっちゃんにはそこまで言わずとも伝わったのか、ボソリと独り言のように呟いた。
「だけどこのやり方じゃ、姫浦の気持ちの片鱗も分かりはしないよ」
結局、この日の成果は10人ほどであった。
次の鷲宮隊の集まりは6日後…果たしてこのペースで100人集まるのか、僕は密かに不安を募らせた。
そして時は経ち、鷲宮隊の集まりがある日曜日になった。
集まりが行われるのは午後からで、午前中はバイトのためにスーパーにやって来ていた。
いくら流れのぶつかる潮目のはいえど、ただ網を設置して待つだけではかかる獲物もたかが知れており、50人まで書ける名簿はようやく一枚埋め終わり、2枚目に突入したばかりであった。
姫浦が僕に課したノルマは100人、まだその半分しかいなかったが、僕は慌ててなどいなかった。
それは姫浦が僕に100人集めるようには伝えたが、その期限まではとくに設けられていなかったからだ。
だから、今日100人集まらなくても、来週、もしくは再来週にでも100人集まると踏んでいたのだ。
そんな余裕を漕いでいる僕にサカもっちゃんが話しかけてきた。
「いいの?100人集めなくても?」
「大丈夫ですよ。来週には集まりそうですし」
「そうか…」
サカもっちゃんが呆れたようにそう言った後、僕の背中を手で『バン!』と強く押した。
「少しは頑張れよ、櫻井」
「は、はい…」
サカもっちゃんの言葉の意図が分からなかった僕は困惑しながらそんな言葉を返した。
そのまま僕は仕事をし始めたのだが…今日はいつもと少し様子が違っていた。というのも、お客さんからやたらと鷲宮隊の活動のことやら、どこにある用紙に署名すればいいのやら聞かれたのだ。
僕としてはいつも通りに働いていただけなのだが、なぜかその日はやけに署名が集まったのだ。
今日の午前中から午後にかけてまで、わずか数時間のうちに60名もの新しい名前が加わり、とうとう名簿は100名を突破したのだ。
バイト終わりに僕がなぜ今日はこんなにも調子が良かったのかを署名用紙とにらみっこしながら考えていたが、答えは出なかった。
そんな僕にサカもっちゃんがわざとらしくこんなことを言ってきた。
「あれ?櫻井、背中に何かついてるぞ?」
妙に棒読みでそう尋ねるサカもっちゃんに違和感を覚えつつも、背中を触ってみると、僕の背中に何か紙のようなものが貼り付けられているのが分かった。
僕が慌てて背中についてあるそれを剥がし、その正体を確かめると、それは店内にいくつも貼られている鷲宮隊の活動の旨を伝えるポスターであった。
「なるほど、自ら広告塔になるっていう作戦だったんだな。効果覿面だったじゃないか、櫻井」
棒読みでそんなセリフを吐き出すサカもっちゃんが僕の背中にこれを貼り付けた犯人であると僕は直感した。
それと同時にバイトが始まる前に僕の背中を叩いたのはこのためであったことに気がついた。
いくら署名を集めるためとはいえど、元教師のすることとは思えない所行に僕が言い返す言葉を考えていると、サカもっちゃんは得意げな顔で僕にこう言い放った。
「何かを得るなら、身を削るか知恵を絞るか…そうだろ?櫻井」
それだけ言い残して、サカもっちゃんは仕事へと戻っていった。
僕は辱められたことに対して怒りもあったが、こうして署名が集まったことなのでとりあえず許すことにした。
なんにしても、姫浦が課したノルマをクリアした僕は姫浦からその気持ちを引き出すために公民館へと足を運んだのだった。
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