第13話

お盆を目前に迎えようとしていた日曜日、一週間ぶりに鷲中の取り壊しを阻止するために結成された鷲宮隊の集まりに僕は出席していた。


今回の集まりの主な目的は署名活動の途中経過の報告だ。


「それじゃあ早速、一人ずつどれだけ署名を集められたか報告してくれ」


斎藤さんの指示のもと、一人ずつ順番に署名用紙を提出し、その人数を報告し始めた。


みんな一枚50人の名前が書ける署名用紙を2,3枚埋め、100人以上の人数を報告する中、僕は一人部屋の片隅で肝を冷やしていた。




『やべえ、僕、13人しか名前集められてない』



みんなが当たり前のように3桁の数字を報告する中、バイト先の人と家族の名前しか集められず、スカスカの署名用紙を一枚を手に僕が報告を渋っていると、姫浦が報告のために会議室の前の方に歩いて行った。


『姫浦は努力家だからな…200人くらい集めててもおかしくは…』


僕がそんな風に考えていると、姫浦は斎藤に対してホッチキスでまとめられた書類の束を渡し、その人数を報告した。





「1436人です」




ふぁああああああああああ!?!?!?!?!?。


予想をはるかに上回る人数に僕は心の中で変な声が出た。


1400!?たったの一週間で1400!?。


会議場にいた他の人もその数の多さに驚いたのか感嘆の声が漏れていた。


「流石は姫浦ちゃん!この一週間でよく1400人も集められたね!」


「部活などで夏休み中も学校にいる人に当たって…それと人の多い駅前で署名活動をしていましたから」


「なるほどね、やっぱり高校っていうコミュニティは強いね」


みんながみんな高校生は凄いとか、若い力がどうのとか、夏休みだから時間があるとかどうとか、とにかく姫浦をべた褒めしていた。


まぁ、姫浦はそれに値する努力をしていたからそれは別にいいんだけど…。


「じゃああと署名用紙を提出してないのは…櫻井くんだけかな?」


最悪のタイミングで斎藤さんが僕に提出を求めた。


先ほどの姫浦の1400の後なので求められる数のハードルが上がっていた。


おまけに僕も一応は姫浦と同じ高校生ということもあって、その広いコミュニティに所属しているはずの僕の成果に期待の眼差しが向けられていた。


逃げられないことを悟った僕は絞首台へ登るかのような足取りの重さで斎藤さんの元へと歩み、スカスカの署名用紙一枚を渡した。


まさかこのスカスカな署名用紙が僕の人脈の全てだなどと思いもしない斎藤さんは当然のように『まだあるでしょ?』という顔をして僕を見てきた。


しかし、そのスカスカな署名用紙一枚が僕の人生の全て、唯一無二の秘蔵っ子なのだ。


僕は死を覚悟して、小さく僕の人脈の全てを伝えた。


「…13人です」


「…え?」


斎藤さんは真実があまりにも残酷すぎてその数字を認識することを拒んだのか、僕にもう一度人数を報告するように目で求めていた。


僕はまた小声で報告しても聞こえない可能性があることを考慮して、少し大きめの声で再び宣言した。


「13人です!!」





会議室の時が止まった。









死にてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!。


あまりの衝撃的数字を認識することが出来ないのか、場が沈黙に包まれる中、僕は神に死を懇願した。


「じゅう…さん人?」


ようやく頭の処理が追いついたのか、斎藤さんが困惑混じりに僕に尋ねた。


「13人です」


「13人?」


それでもまだ間違いであった可能性を捨てきれないのか、再三にわたって斎藤さんが審問してきた。


「13人」


すでに死を覚悟した僕はもうどうでもよくなってきたので平然とそう答えた。


その後、斎藤さんは『今週は忙しかったんだね』とか色々気を使ってくれたおかげで、ギロチンに首を刎ねられる程度の損失でなんとか面子を潰さずに事なきを得た。


結局、再来週の会議に成果を期待され、今回の会議は幕を閉じた。
















数日後…。


「結婚式は11月にすることになった」


お盆のラッシュに紛れて姉が我が家へと帰って来て、そう宣言したのだ。


姉の突然の結果報告はいつもの通りなので、僕ら家族は黙ってその日取りを了承した。


ちなみに籍はすでに6月中に入れたとのことだ。


「…11月かぁ」


娘の結婚式の日取りをまるで自分の余命であるかのように父はそう呟いた。


「そういえば光輝、あんたいま鷲中の取り壊しに反対する署名運動してるんだって?」


「ま、まぁ…」


母から聞いたのか、姉は僕が鷲宮隊に入って活動していることを知っていた。


「私も母校が壊されるのは嫌だからね、名前くらいは貸すぞ」


「うん、ありがとう」


「署名、何人くらい集まったの?もう100人くらいは集まった?」


母の質問に、僕の身体は固まった。


「お母さん、光輝がそんなに集められるわけないじゃん。せいぜい30人くらいでしょ」


流石は僕の姉、痛いところをついてくる。だがしかし、甘く見られたものだ。僕のポテンシャルはそんなに高くない。


「…全体でもう2000人くらい集まったかな」


僕は僕個人ではなく、鷲宮隊全体の成果を公表することで難を逃れようとした。


家族がたった一週間で2000人もの署名が集まったことに感心する中、姉がとどめの一言を放った。


「で、あんたは何人集めたの?」


「…姉ちゃん含めて14人」


母と父が自分の息子の人脈の狭さに驚愕する中、姉だけはケタケタと笑い続けていた。


そして、思い出したかのように姉はこんなことを言い始めた。


「あ、そういえば私、今日帰る時駅前ですでに署名したから、あんたの奴には書けないわ」


「別にいいよ。表面上だけでも数を稼がなきゃいけないし」


「こらこら、そんな数字に意味はないでしょ?」


「意味ならあるよ、僕の人権の確保につながる」


「そんなに数が欲しいなら、あんたも駅前で署名活動したら?」


「いや、それは…」


僕が躊躇う理由はいくつかある。


まず、知らない人に声をかけるのことが嫌だ。断られると傷付きそうだから。


努力が実を結ばないのが嫌だ。署名程度で結果が変わるとは思えないから。


あとは暑いし、汗かくし…。


「高校生くらいの女の子が炎天下の下で一人で頑張ってたよ」


たぶん、姫浦のことだ。


姫浦は僕がクーラーの効いた涼しい部屋でダラダラしている中、今日も必死で足掻いている。


決意が違う、覚悟が違う、想いが違う。


常に本気を出せる彼女と妥協に満ちた僕の間の温度差が、すでに1400と13という明確な数値で示されているのだ。


この温度差はいつか亀裂となる…加藤の時はそれが怖くて僕は身を引いた。


じゃあ今回もそうするかと言われると…そういうわけではない。


まず、姫浦と僕の仲はすでに決壊している。失うものも無いのでその辺を怖がる必要もない。


なによりも、これで身を引いたところで僕の青春に白紙のページが増えるだけ。何もない、虚無と虚構に満ちた空白の時間が増える。


すでに高校一年の1学期をまるまる白紙のままで終わらせた僕はこれ以上、空白が続くことを恐れているのだ。


だから、今回はまだ身を引くことはできない。


せめて白一色の歴史に一筋の色彩を添えることが出来るまで、今回は終わるわけにはいかない。


たとえそれが辛い出来事でも、悲しい出来事だとしても、僕の歴史に汚点のような黒を刻むとしても…何もないよりはマシだから。


だけど、このまま中途半端にズルズルと続けるのもよろしくはない。


今度また13人とかいう人脈を披露してしまえばもう言い逃れはできない。


姫浦ほどではなくとも姫浦の熱意の片鱗でも僕にあれば…。


「だったら、その子に分けて貰えばいい」


僕の心を読み取ったかのように姉は僕にそんなことを告げた。


「とりあえず手伝ってあげたら?。あの子も一人で大変でしょ」


心境を見抜かれて困惑している僕に姉はそれだけ告げるとどこかへ出かけて行った。


…姉の言うことは概ね正しい。だけど、僕は嫌われてるから彼女のそばには居られない。


だけど、彼女のやる気を分けて貰えるなら…。


僕は密かに、明日彼女に会いに行くことを決意した。








翌日、お盆ということでバイト先も2,3日お休みとなり、本格的にやることがない僕は駅前に足を運んでいた。


予想通り、今日も姫浦は駅前で署名活動をしていた。


真夏の太陽に晒されながら彼女は声を張り上げ、署名活動の存在をアピールし、手が空いているのならば積極的に人に話しかけ、直接署名を交渉した。


断られてもめげずにすぐに他の人に話しかけ、再び交渉を始める。


そんな様子を僕はずっと遠巻きに眺めていた。


朝から昼までずっと…僕の眼に映る彼女の姿は常に本気だった。


だけど、それでも僕の心は震えない。


常にどこか冷静に彼女の行動を分析し、客観的に捉えてしまう。まるでテレビで垂れ流しされている甲子園の試合をボンヤリと眺めるかのように。


ダメだ…ここからじゃ、彼女の熱を感じられない。彼女が放つ熱を分けて貰えない。


彼女が小休止のために木陰のベンチに座って水分補給し始めたのを機に、僕は彼女の元へと歩いて近づき、声をかけた。


「姫浦」


僕の声が聞こえた彼女は『ビクリ!』と筋肉を硬直させて固まり、ガタガタと震え始めた。


「な…なに」


怯える彼女の姿に傷付き、申し訳ない気持ちに苛まれながらも、僕は彼女に問いただした。


「姫浦は…なんでそんなに頑張れるの?」


僕はそう言って率直な疑問をぶつけた。彼女の熱の源が分かれば、僕の燻る心にも火がつけられるんじゃないか…僕は彼女の原動力が着火剤となることを期待した。


「どうすれば…僕も君みたいに頑張れるかな?」


こんなことを人に頼るのは卑怯だってわかってる。


それでも僕は君に近付きたい。そっち側に行きたい。


恥を忍んで質問する僕に対して、彼女はしばらく震えながら黙っていたが、やがて小さく囁くように口を開いた。


「いま…ここでは話せない。明日、同じ時間にここに来て」


「…わかった。明日また来るよ」


息のできない深い海の底で溺れているかのような苦し紛れの彼女の声に早々に立ち去る必要があると考えた僕はそれだけ言ってさっさとその場を後にした。


明日になれば、きっと僕は変われる。姫浦がきっと僕を変えてくれる。きっと君の熱が僕の凍りつきた僕の心に火を付けてくれる。


だって姫浦が…姫浦でさえもそれが出来ないなら…誰が僕に夢を与えてくれるんだ?。


夢がなければ…目標がなければ…ゴールがなければ…バトンをつなぐことすらできない僕はどうやって走りきればいいんだ?。


だから…お願いだ、姫浦。僕をそっちに連れて行ってくれ。


僕はそうやってゴールの見えないリレーを走りきる理由を誰かに託していた。











翌日、僕は約束通り姫浦の待つ駅前に訪れていた。


そこには当然のようにすでに姫浦が一人で声を張って署名活動に勤めていた。


僕は期待と不安の狭間を彷徨いつつも彼女の元へ躊躇う足を運んだ。


僕の存在に気がついた彼女はその覇気のある顔を陰らせ、俯いた。


そして僕が彼女の目の前で足を止めると、彼女はポケットから女子の好きそうな華のある可愛らしい封筒を取り出し、僕に差し出した。


「これ…あとで読んでほしい」


それだけ言い残して彼女は僕の元から去っていった。


恐らくは直接僕と話すのは気が重いのだろう。


それを察した僕は何も言わずに全てをその手紙に託してひとまず家へと帰った。


自分の部屋へ帰ってきた僕は一呼吸置くために頼みの綱である手紙を机に置いた。


きっと姫浦なら…姫浦の熱意なら僕を…。


僕はしばらく手紙をジッと見つめたあと、ゴクリと唾を飲み込み、満を持してその手紙に手をかけた。


大丈夫…きっと僕は変われる。姫浦なら僕を、何もない白い世界からどこかへ誘ってくれる。信じろ、姫浦の熱意を!!


額から滲み出る汗が僕の肌から離れ、机の上の水滴となったその時、僕は目をカット見開き、手紙を開けた。


いざ、行かん!!


手紙の封が切られ、その中からは一枚の白い便箋が姿を現した。


そしてそこに描かれた姫浦からのシンプルなメッセージが僕の目に飛び込んできた。










『とりあえず署名100人集めてから物申して、社交力13』








…グーの音も出なかった。





いや、でも僕を誘ったのは姫浦だし、その責任を取って少しくらいアフターケアをしてくれたってさぁ。


…いや、それでも13人はないか。


とりあえず…やってみないことには始まらないってことですね。


姫浦からの渾身のメッセージを受け取った僕はとりあえず渋々署名を集めるための策を練るのであったとさ。

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