第12話
暇を持て余し、姫浦のお願いを断る理由さえ持ち合わせていない僕は姫浦と共に公民館へと向かっていた。
だいたいここから歩いて10分ほどの場所にある公民館でこれから開かれるらしい鷲中の取り壊しを阻止するための集まりに出席するためなのだが…僕らはセミがせわしなく命の限り叫ぶ炎天下の道をただ黙々と並んで歩いていた。
『…流石になんか喋った方がいいかな?』
無言に耐えかねた僕は姫浦に話題を振ってみることにした。
「そういえばさ、あのスーパーでサカもっちゃんも働いてるの知ってる?」
話題を振るならばやはり共通の知人に勝るものはない。
我らが元恩師たるサカもっちゃんの話題ならば僕みたいな話下手でも公民館までは会話を持たせられる筈だ。
しかし、そんな僕の考えとは裏腹に、姫浦は急に立ち止まり身を守るように左手で右腕をぐっと掴みながらあからさまに僕から視線を逸らしつつ、小さくこう呟いた。
「…ごめん、やめて」
『え?なにが?』
ちょっと声をかけただけで不審者に遭遇したかのようなあからさまな拒絶の意思を示された僕はショックで身体が一瞬固まった。
しかし、少し頭を回転させて先ほど姫浦が僕に対して『櫻井といると嫌なこと思い出しちゃう。だから申し訳ないけど本当は話したくもないし、顔を見たくないの』と言っていたことを思い出した。
そっか…僕と話すだけで気分が悪くなるから『やめて』なのか…。
病原菌のような扱いに涙がちょちょぎれそうになりつつも、姫浦の事情を考慮し、涙がこぼれないように上を向いて黙って歩き始めた。
嗚呼、僕を明るく迎え入れてくれるのは青空だけなのか…。
などと自傷的に考えるのは辛いばかりなので前向きに考えてみることにした。
そうだ、考えてみれば僕らの間には会話をしない理由があるのだから、その大義名分に甘んじて堂々と黙っていることが出来るのだ。
無理に気まずい空気を読んで、無理に会話をして、無理に間を埋めようとする必要なく、ただ堂々と、胸を張って黙って歩くことが出来るのだ。
そう考えれば嫌われるとはなんたる楽なものなのか、こうしてなにも気にすることなく沈黙という選択を選べるなんて、僕はなんと幸せなのだろうか。
こんなにも気持ちが楽に、念願の女の子の隣に居られるなんて、これほど幸せなことはない。
そうやって前向きに捉えながら、僕は束の間の些細な青春を謳歌した。
公民館で僕らを出迎えたのは恰幅のいい陽気な50代ほどの男性であった。
「おお!姫浦ちゃん、やっぱり来てくれたんだね」
「ご無沙汰してます、斎藤さん」
斎藤と呼ばれる男性の出迎えに姫浦は僕に対する対応からは考えられないほど礼儀正しくその声に応えた。
「いやぁ!姫浦ちゃんが居てくれると心強いよ!。鷲小の時も頑張ってたしね」
「え、ええ…まぁ…」
斎藤さんの言った鷲小とは姫浦が通っていた小学校。つまりは姫浦が努力し、孤立して、結局守れなかった小学校だ。
だからあの時のことをまだ消化し切れていない彼女は斎藤さんに対して歯切れの悪い言葉を返した。
「で、姫浦ちゃんの後ろにいるのは…もしかして、彼氏?」
冗談まじりで問いただす斎藤さんに対して、僕も冗談まじりでこう返した。
「はい、彼氏の櫻井でーす」
その瞬間、隣にいた姫浦が膝からガタリと崩れ落ち、『ビタン!』と大きな音を立ててその場に倒れこんだ。
「姫浦ちゃん!?」
突然の出来事に僕達が困惑していると、今度は姫浦の顔がみるみるうちに青ざめていくのが見て取れた。
「大丈夫!?姫浦ちゃん!!」
周りの大人も集まり始め、姫浦の容態を心配し始めた。
だが、姫浦の容態は悪化の一途を辿り、最終的には全身が痙攣し始め、口から泡を吹き出した。
「救急車!!救急車あああああああ!!!!!」
結局、姫浦曰くただの過呼吸らしく、ビニール袋を口元に咥えながら彼女は部屋の隅で大人しくしていると、次第に容体が安定し始めた。
「姫浦ちゃんがあんなに苦しみだすなんて…一体なにが原因なんだ…」
他の人達が姫浦の容体の急変の引き金となった原因を模索する中、僕は片隅で申し訳なさそうに肩をすぼめていた。
…まさか、冗談で彼氏面しただけでこんな惨事になるとは…。
自分が如何に姫浦から嫌われているかを再認識し、僕は一人心を酷く痛めていた。
やっぱり僕は女性に嫌われるような存在で…女子からすればゴミムシ以下の存在で…目の上のたんこぶどころか、心臓に住み着く末期ガンのような存在で…そうだ、死のう。
僕が一人心を病んでいるのを差し置いて、姫浦の容体も安定したことにより、会議が始まった。
会議に出席していたのは十数人ほど、当然だがそのほとんどが年上だ。
だが、その年齢層は意外にもバラバラで斎藤さんのような50代の男性、20代ほどの男女、中には白髪のどう考えても還暦を迎えているおじいちゃんなど様々であった。
そんな面子を前に僕はふと思った。
『思っていたよりも人が少ないな』
このような場に出席したことがなかったので適正人数というものは分からないが、中学の取り壊しを阻止するのに十数人は少ない。
そんな僕の疑念に答えるかのように斎藤さんが口を開いた。
「鷲小の時はもっと人がいたが…今回は少数精鋭ということだな」
鷲小の時はもっと人がいた…だけど、結局鷲小は壊されて、立ち上がることをみんな諦めたんだ。『どうせ無理だ』って諦めて、受け入れることにした。
その結論になんら違和感を持てない。間違ってるだなどと言える反論の余地もない。
きっと僕らは慣れてしまったんだ、奪われることに。
会議の内容は端的に言ってしまえば小学校の時と同じ、地道に署名運動から始めて、声を募って市議会に提出し、改善を求める。それでダメならもっと強引に…。
「鷲中を鷲小の二の舞にするわけにはいかない!!私達の手で市議会の奴らに打ち勝って、私達の手でみんなの鷲中を守ろう!!」
そんな斎藤さんの掛け声に皆が一致団結する中、僕はどこか冷めた目でその光景を眺めていた。
『打ち勝つ』ね…。
僕はこのやり方にどこか違和感を感じていた。
だけど、その違和感を人に伝わるように、自分でもわかるように言葉に出来るほどの能力が僕にはまだなかったから、とりあえず言われた通りにやることにした。
「櫻井くんも、私達鷲宮隊の仲間としたこれから頑張ろう」
鷲宮隊とは、鷲中を守ろうとするこの団体名のことだ。
僕をその新しいメンバーとして迎え入れた斎藤さんはそう言って、僕にも署名用紙を渡してきた。
「足りなかったら私に言ってくれればもっとあげるから」
A4の大きさの用紙にはざっと50名ほど名前を書く空欄が設けられていた。
「友達とかに頼めばそれくらいすぐ埋まるから」
え?マジ?友達50人もいないのって僕だけ?。
自分の人脈の狭さに絶望しつつ、僕は埋まる宛のない署名用紙を手に、家へと帰宅したのであった。
それから数日後…。
あの日、絶対に交わりあうことのないはずの僕と姫浦の運命が覆り、姫浦のお願いを聞いた時から、僕の人生は劇的に変わった……
…なんてことはない。
あの日以来、姫浦には会っていない。そもそも連絡先すら知らない。
よって、バイトくらいしかやることのない僕はバイトと家を行き来する日々を繰り返した。
『もしかして僕、時空をループしてる?』
そう思ってしまうくらいに変化のない日々に相変わらず焦燥感を募らせていた。
強いて起きた出来事を述べるとするならば、鷲宮隊の一員となった翌日、バイト先でパートのおばちゃんがニヤニヤと笑みを浮かべてこんな声をかけてきたことだ。
「櫻井ちゃん、昨日一緒にいた可愛い子は…もしかして彼女?」
どうやら僕と姫浦が店の前で話していたのを目撃していたらしく、下世話焼きなおばちゃんがその真相を問いてきたのだ。
「違いますよ、ただのクラスメートです」
「ただのクラスメートを泣かせるなんて…この女泣かせ」
「いや、あれただのガチ泣きですから」
姫浦が泣いていたところもバッチリ見られていたようだが、僕は動じることなく淡々と返事をした。
「あのあと二人で街中へ消えていったけど…どこへ行ったの?まさか…」
「きゃー、昼間からお盛んね!!」
「ちゃんと避妊はしなさいよ。中絶料もバカにならないんだから」
いくつ歳をとっても恋バナへの興味は尽きないのか、どんどん僕から話を聞き出すためにおばちゃんが集まっていた。
「だからそんなんじゃないんですって。鷲中の取り壊しを阻止する集まりに連れて行かれただけなんですって」
そう言って僕はその証拠と言わんばかりに例の署名用紙を取り出した。
「せっかくだから名前書いてくださいよ」
証拠を提示されたおばちゃん達はつまらなそうな顔をしつつも名前を書いてくれた。
とはいえ、一度おばちゃんに情報が回れば、おばちゃん達の強固で迅速なコミュニティの結束により、クラウドからデータを同期するかのように瞬く間に僕と姫浦の情報が共有された。
そうなると当然、サカもっちゃんにもその話が入って来るわけで…。
「姫浦との和解は出来たのかい?」
バイト中にサカもっちゃんはそれとなく僕にそんなことを訪ねてきた。
「こちらとしては協定を結ぶ準備は出来てるんですけどね…」
「なるほどね」
どうやらサカもっちゃんは姫浦の事情をそれなりに把握しているらしく、僕のその一言で大体の状況を察知したようだ。
「っていうか、サカもっちゃんは卒業後に姫浦と会ったことあるの?」
「もちろんあるよ。このお店で会うこともあるし、今でも連絡を取り合ってる。…どうやら今の高校ではそれなりに楽しくやってるようで何よりだよ。…少なくとも櫻井よりは楽しそうだ」
「その最後の一言必要でしたか?」
え?なに?喧嘩売ってんの?だったらバイト代叩いてでも買わせていただきますよ?。
母へのバッグ以外にバイト代の使い道の候補を僕はようやく見つけた。
「…姫浦のこと、よろしく頼むよ」
「よろしくって言われてもなぁ…」
吐くほど嫌われてるし、特に力になれる気もしないし…。
「それならサカもっちゃんが手伝ってあげればいいんじゃないの?」
「いや、僕には他に優先すべきことがあってね…今は力になれないんだ」
「でも、僕じゃあ彼女の力になんか…」
「それでも君は姫浦のそばにいてほしい。姫浦のためにも…君のためにも…」
「まぁ、努力はしてみます。…断る理由があるほど、僕は忙しくないですし」
そう、僕には断る理由があるほど忙しくない。そういう理由で僕は彼女に協力する。
だけど本当は期待してるんだ、彼女が僕に与えてくれるって…。
最後に、サカもっちゃんはそれとなく僕に下世話なことを尋ねてきた。
「ところで…君と姫浦の仲って実際どうなの?本当にそんな仲じゃないの?」
「先生は、泡吹かれるほど人に嫌われたことってあります?」
この世の深淵を覗いてしまったかのような僕の瞳に、サカもっちゃんは何も言えなくなったとさ。
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