第11話
炎天下の陽炎が揺蕩う街中で一人寂しく立っている若い女の子の元に、ひとりの若い男が汗だくで駆け寄る。
女の子は待望の彼の登場にそっと頬を緩ませ、彼が自分の元へやって来る前に軽く身支度を整える。
男は彼女をこれ以上待たせまいと、このクソ暑い中、汗をかいて彼女の元へと走るのだ。
少々息を切らせながら遅れて来た男は女の子に『ごめん、待った?』と問いかける。
女の子は待たされてはいたが、自分を見つけるなり走って来てくれる彼を見て嬉しかったのか『今来たところ』と笑顔で返事をするのだ。
そして二人はその手を繋ぎ、街中へと歩き出し、人混みに紛れて愛を育むのだ。
一晩放置した白米のように冷たく乾き切った青春を送る僕だってそういうシチュエーションには憧れがある。
男女二人っきりで待ち合わせをするのなら、そういうことが出来ると信じて疑わなかった。っていうか、それ以外の始まり方を知らない。
だから、自分のことを嫌っているはずの女子から呼び出された時、僕は彼女になんて声をかければいいのか分からなかった。
そもそも自分のことを嫌っている人を呼び出す理由など、殺すため以外に僕は思いつかない。
だから僕は今日、おそらく殺される。享年16年…短い人生だったなぁ。
そんなことを考えながら僕の仇となる姫浦が待つ殺人現場へと向かった。
お店の外に出ると駐車場の一角の木陰で姫浦が突っ立ているのを目撃した。
『どうせ殺されるのなら…せめて憧れのシチュエーションをしてから死のう』
そう考えた僕は姫浦の姿を捉えるなり、走って殺人現場へと急行した。
そして額に汗を流しながら僕は問いかける。
「ごめん、待った?」
よし、これで僕の念願が叶った。これでもう思い残すこともない。
密かで些細な野望を叶えた僕がこの世への未練を断ち切っていると、姫浦は顔を伏せ、僕の顔を見ることなく小さな声で返事をした。
「…ううん、大丈夫」
『あ、待ち合わせっぽい』
この一瞬のやり取りでこの夏一番の青春を謳歌した僕はこれで完全に生への未練を断ち切ることができた。
さぁ、いつでも殺してどうぞ?。獲物はチャカ?ナイフ?。どこからやる?一思いに頭?それとも腹からじっくりいたぶる?。まぁ、煮るやり焼くなり好きにしなよ。
そんな僕を尻目に、姫浦は相変わらず顔をうつむかせたまま本題を切り出した。
「実は…今日一緒に来て欲しいところがあって…」
「来て欲しい場所って…どこ?」
せめて自分の死地くらい知りたかった僕は自分の殺人現場を聞いてみた。
「…公民館」
「公民館か…」
まさか公共の場での殺人とは思わなかった僕は大胆な犯行に思わず困惑した。
「なんで公民館なの?」
公民館を僕の墓標にする理由が純粋に気になった僕はそんなことを聞いてみた。
「実は今日、そこで集まりがあるの」
集まり?。なるほど、各々殺したい奴を持ち寄ってまとめて殺ろうってことか…。
はぇ〜、公民館って民間へ殺人現場の貸し出しもしてるんですねぇ。
家かバイト先にしか居場所のなく、世情に疎い僕は公民館の発展に感心していた。
「…櫻井は鷲宮第二中が取り壊されることは知ってる?」
「知ってるけど…」
なぜ今鷲宮第二中が取り壊される話が?そうか、校舎の解体時に死体を紛れ込ませて処分するつもりか!?。
自分の殺人がここまで計画されていたものであると知った僕は、『こんなにも僕のことを思って殺されるなら本望だ』などと考えていた。
そんな僕を尻目に姫浦は話を続けた。
「集まりっていうのは、その取り壊しに反対する地元住民の集まりで…櫻井にもそれに来て欲しいの」
「なるほどね、中学の取り壊しを阻止するための集まりか……え?それと僕の殺人に何の関係が?」
「…殺人?」
姫浦の困惑した声に、僕は姫浦が自分の殺人を目論んでいたわけではないことを悟った。
「いや、なんでもない。ごめん、ちょっと考えをまとめる時間を頂戴」
姫浦からの予想だにもしなかったお願いに、僕はひとまず頭の整理を始めた。
まず、姫浦の頼みというのは今日公民館で行われるという鷲中(鷲宮第二中学)の取り壊しに反対する地元住民の集まりに僕に来て欲しいというものだった。
なんの変哲もない至ってわかりやすくシンプルなお願いだ。
だがそれは僕と姫浦の因縁がなければの話。姫浦が僕を嫌っているという前提を加えてみるとどうしても解せない点がある。
「…なんで僕なの?」
そう、なぜ自分が誘われるのかということだ。確かに僕は姫浦と同じ鷲中出身、慣れ親しんだ母校が無くなるのは寂しい思いはある。だけど、そのくらいで僕が動くほど情に熱いわけでもないし、姫浦だってそれは重々承知しているはずだ。
嫌っていて、役に立つわけでも、積極的なわけでもない。そんな僕でも頭数が必要だから、猫の手も借りたいから誘うのか、それともまた別な…。
なんにしてもどうしても僕を誘う理由が気になったので、僕は再び姫浦に尋ねてみた。
「どうして僕を誘うの?。…だって姫浦は僕のことを…」
『嫌ってるだろ?』
そう口にする前に、姫浦が話し始めた。
「確かに…私は櫻井のこと避けてるよ」
覚悟はしていたが、ハッキリと口で言われたことが意外とこたえたのか、目頭がジワリと熱くなるのを感じた。
だが、目を伏せたままの姫浦がそのことに気がつくはずもなく、姫浦は僕に構わず話を続けた。
「ねぇ、櫻井は私が不登校になる前に、私に言ったことを覚えてる?。…努力を人に押し付けるのは酷だって話」
「…うん、覚えてる」
覚えている、鮮明に。
「あの時、櫻井がそれを言ったせいで私は立場を失って、自分の居場所も失って、ズタズタに傷つけられて…大好きな学校にも行けなくなっちゃった。だから私にとって櫻井はトラウマなんだ。一緒にいるだけであの時の記憶が蘇っちゃう」
姫浦の声が震えているのが僕にはわかった。
よほど酷い目にあったということなのか…。
「今でもそう。櫻井といると嫌なこと思い出しちゃう。だから申し訳ないけど本当は話したくもないし、顔を見たくないの」
彼女が頑なに僕と話すことも、視線を交わすこともしない理由がわかった。
だから彼女は今もその顔を伏せたままなのだ。
…今もなお、彼女は戦っているのだ。
「だったら、なんで僕なんか誘うのさ?」
嫌いで、話すだけで気分が悪くなって、顔を見るだけでトラウマになる僕を、どうして彼女はここまで無理に誘うのか。
そんな僕の疑念を吹き飛ばすかのように彼女は強く叫んだ。
「それでも!!!!」
そして今度は涙で震えながらか細く、小さく…それでも強い意志のある声で僕に語り始めた。
「それでも…櫻井だけだから。馬鹿な私にも分かるようにわかりやすく、面と向かってハッキリと教えてくれたのは櫻井だけだったから。理不尽に暴言を吐いてくる人がいた…気を使って遠回しに避ける人がいた…慰めようと優しい言葉をかけてくれた人がいた。それでも誰もどうしてこうなったかを私にも分かるように教えてはくれなかった。そんな中、櫻井だけが私にちゃんと教えてくれた。だから、櫻井が手を貸してくれたらなら、もしかしたら…って、私が勝手に期待してるだけ」
彼女の伏せた顔から溢れ、アスファルトに残った無数の涙の跡がその言葉に信憑性を持たせた。
そして彼女は顔を伏せたまま自分の涙を拭った後、言葉を続けた。
「私が勝手に期待してるだけ…だから断ってくれてもいいよ。…努力を押し付けられるのは酷でしょ?」
それは彼女の過去の過ちに対する反省から出てきたのか、それとも僕に対する皮肉なのか…そこまでは僕には計り知れなかったが、どこか自暴自棄にそう尋ねたように聞こえたあたり、恐らくは前者なのだろう。
彼女は僕を説得するためにトラウマを掘り出し、今の過去の苦しみと戦いながら僕の前に立っている。その彼女の苦しみを僕には推し量ることができない、だけど…体が震えるほどのトラウマというのは想像を絶するものであることはわかる。
それでも彼女は『もしかしたら』のためだけにこうして今もここに立っている。ほんのわずかな、小さくか細い一縷の望みのために、震えながら僕の前に立っている。
それほどまでに彼女の想いは強い。そんな彼女が僕を必要としているのだ。
彼女の決意の強さを感じた僕はふっと笑って彼女へ返事を返した。
「正直、僕がそこに行ったってなんの力にもなれる自信なんかないよ。頭がいいわけでもないし、人脈もあるわけでもないし、行動力があるわけでもない。僕なんかがいたって出来ることは雑用とか、せいぜいその辺が関の山だ」
僕は彼女を突き放すかのようにそう答えた。彼女もその意図が伝わったのか、『やっぱりダメか』とうなだれた。
「だけど…」
彼女の想いに答えるべく、僕は格好をつけてこんなことを口にした。
「僕を必要としてくれる人のお願いを無下に断る理由があるほど、僕は忙しくない」
…つまりただ暇ってだけですけど?なにか?。
それでも僕の言葉が嬉しかったのか、彼女は緊張を緩ませて小さな声でこう答えた。
「…ありがとう」
こうして僕は、因縁であるはずだった彼女の味方として、彼女と少しの間行動を共にすることとなった。
僕と彼女を隔てる溝の正体を知ることが出来た僕は高校に入学して以来、初めての前進を感じることができた。
…だけど、あくまで溝の正体を知っただけ、僕と彼女の溝はまだこれっぽっちも埋まってなどおらず、相変わらず彼女の顔は俯いたままだった。
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