第10話

真っ白な予定表を誤魔化すかのようにバイトで塗り尽くした僕のバイト三昧な日々が幕を開けた。


これは当たり前のことだが、最初から上手くいくはずもなく、迷惑をかけまくってしまった。


それでも僕がバイト初体験の高校生ということもあってか、みんな優しくフォローしてくれたし、知り合いというか、元担任のサカもっちゃんがいたこともあってか、それなりに他のバイトの人と仲良くなれた。


幸福なことにそのスーパーで働いている人はだいたい優しく気のいい人だった。店長なんかどんどん成長していく僕を『素晴らしい!!!やはり君は100年に一人の逸材であったか!!』などとべた褒めしてくれた。


スキンヘッドで強面な顔とは裏腹に褒めて伸ばすことを信条としているのか、店長は誰でもなんでも常日頃から過剰すぎるくらいにべた褒めしていた。


そういうわけで、基本的にここは良いバイト先であった。良いバイト先…で、あるのだが…強いて問題点を挙げるとするならば…働いている多くの人はパートのおばちゃんで、だいたいが4,50代の人で僕を除いて一番若いのがサカもっちゃんということもあって、年齢層がかなり高いことだ。


おかげで会話にマリアナ海溝ばりに大きなジェネレーションギャップによる溝を感じることもしばしば。それでもみんな良い人だから『ババくさくてごめんね』などと自傷気味に笑い飛ばしてくれるから良いのだが…。


それと困るのは『こんなにバイト入って、予定とかないの?』と聞かれる時だ。


そんなこと聞かれたら、『ボッチなんでなんもないんですよぉ』と僕は白目向いて答えるしかできなかった。


その時の道端に捨てられた汚らしい子猫を見る時のような哀れみに満ちた瞳といったら…。


それでもみんな良い人だから、中には飴ちゃんくれたり、『おばさんもあと20年若かったら…』などと気を遣ってくれる。


優しさは傷によく染みる、良くも悪くも。


「お給料が入ったら、何に使うつもりなの?」


バイト中、僕はサカもっちゃんに尋ねられた。


「えっと…」


汗水垂らしてこうやってお金を稼いでいるくせに、僕にはその使い道の候補がなかった。


強いて言えば、母にせがまれた新しいバッグくらいか。


「貯金するのは悪くはない、お金はずっと残るからね」


お金はなくて困っても、あって困ることはそうそうない。だから貯金するのも別に悪くはない。


「…でも、それじゃあ君の青春にはお金しか残らないよ」


空白を埋めるために働いている僕に、サカもっちゃんの言葉がチクリと突き刺さった。


そうやって働き出して数日、慣れ親しんだ近所のスーパーということもあってか、僕はどんどん仕事を覚え、レジ打ちも一通りは出来るようになったため、一人でレジに回ることも多くなった。


で、その近所の慣れ親しんだスーパーとなると、こういう問題も発生する。


「…アレ?櫻井じゃん?」


昼食代わりの弁当と飲み物をレジに持ってきた坊主頭の高校生が僕に声をかけてきた。


彼は僕と同じ中学の同級生で野球部をしていた久保田。進学先が違い、仲も別に良かったわけでもないので中学卒業以来会ってなかった。


そんな喜んでいいのか、嫌がればいいのかよくわからない久保田との再会に反応に困りながらも僕が弁当と飲み物をレジへと通すと久保田は僕にこんなことを言ってきた。


「櫻井ここで働いてんだ…ウケるw」


「…お会計、2点で380円のところ、10割り増しで760円になります」


「おい!なんで増えてんだよ!?」


「貴様は『ウケる』などと宣い、店員を敵に回した。これはその罰だ」


「お客様は神様じゃないのかよ!?」


「人の勤労を愚弄する神など、僕は認めん!!」


僕の強情な言い分に久保田は『ウケるw』と笑って返した。


「まぁ、笑って悪かったよ、櫻井」


「分かってくれたらいいよ。5割り増しで勘弁してやる」


「やめてくれよ、死活問題だから」


久保田で遊ぶのもここまでだなと考え、僕は仕方なく正規の値段で販売してやった。


久保田から500円玉を受け取り、お釣りを渡そうとした時、彼の背にバットのようなものが背負われているのが分かった。


「…野球、続けてんだな」


「ああ、これから部活だ」


「そっか…部活か…」


それだけ言うと僕らは会話を打ち切り、久保田はスーパーを後にしようとした。


僕はそんな久保田の背中を見て、一言声をかけた。


「部活、頑張れよ」


久保田はちらりとこちらを振り返り、手を上げ、その手を横に振って返事を返した。


と、そんな風に中学がそれなりに近くにあることもあり、中学時代の同級生と再会することも何度かあった。


僕は仕事中ということもあり、話しかけられない限り話しかけないと言うスタンスでいた。


僕はご存知の通り、交友関係が広くはないので、知ってる顔と遭遇しても話しかけられないということも少なくなかった。


話せば時間がある時ならちょっとは会話にはなるし、それなりに楽しめた。話さないなら話さないでそれはそれで別に良かった。


だがしかし、のらりくらりやってきた僕でも反応に困る時もある。


それは夏休みの半分が過ぎようとしていた日曜日の昼下がりのこと。


その日の僕のシフトは忙しさのピークであるお昼が終わるまでの時間帯であった。


昼食を求めてやってくる主婦や学生やサラリーマンの大方をさばき終え、バイトの終わりも目前に迫り、暇になったのでこっそりとあくびをし、『今日僕はこれからなにをして生きれば良いのだろう』と自問自答していたその時だ。


彼女がやってきたのだ。


彼女が颯爽と僕の立つレジへやってきたのだ。


僕も彼女も商品をレジに置くまでお互いの存在に気がつかなかったが、僕がふと顔を見上げた時、僕は彼女と目が合ってしまったのだ。


そう、僕はその時、彼女と…姫浦とバッチリ目が合ってしまったのだ。


僕と彼女の関係は、中学が一緒で、3年の時にクラスも一緒で、同じ高校に進学し、今も同じクラスにいる。客観的に見ればここまで同じならそれなりに仲良くなっていてもおかしくない。仲良くないにしろ、今こうしてばったり会った時、ちょっと話しかけるくらいの仲でないとおかしい。


幸運にも僕が今忙しくて手が離せないのであれば、その忙しさを存分にアピールして、『忙しかったから話しかけなかった』という大義名分の元、スルーすれば良い。それが出来れば話さなかったのは仲が悪かったからではなく、忙しかったからと言い訳ができるからだ。


だが、不幸にも僕は今暇だ。さっき仕事中にも関わらずうっかりと欠伸をしてしまったほどに暇なのだ。だから忙しいという大義名分は使えない。それでも存在を事前に察知出来れば、顔を伏せ続けて相手を視界の隅に追いやり、『気がつかなかった』という言い訳ができるのだが…僕らはバッチリと目が合ってしまった。ここで相手の存在に気がつかないのであればそれは眼科に緊急搬送されるほど目が弱っているか、この夏休み中に顔を忘れてしまうほど阿呆であるかのどちらかだ。


残念なことに僕は目も頭も悪くはなかった。


姫浦も姫浦で事前に僕の存在を察知出来ていれば、僕ではないレジに商品を通すだけで穏便に済ますことが出来たはずだ。


だからこうしていま僕らが目を合わせてしまったのはお互いに落ち度がある。そしてバッチリとお互いに存在を認識してしまった僕らが今ここでなんのアクションも起こさないということは…それはもはや『あなたのことは嫌いですよ』という意思表明と言っても過言ではない。


別に僕は姫浦のことは嫌いではない。だからここまで『話しかけない理由』がなければ、話しかけなければいけないと考えた。


だがしかし、僕が行動に移る前に姫浦はさっと顔を伏せ、そのまま動かなかった。それはまるで間違っても二度と僕の顔なんか視界に入れないという堅い意思を示すかのように。


…まぁ、そうだよな。


自分が姫浦から嫌われていることを再認識しつつ、僕は流れ作業をこなすかのように商品をレジへと通した。


嫌われていることはすでに分かっていたので、そんなに傷付きもしなかったが、彼女が嫌いな僕がここで働いていることを知ったことによって、彼女が僕を避けるためにこの店に二度と来なかったら、顧客を一人失い、お店に迷惑をかけてしまう。


僕はそんな謎の罪悪感に苛まれつつも滞りなく会計をこなした。


金銭のやり取りを終え、彼女がその場に止まる意味も、僕が彼女を引き止める理由もなくなると、彼女は顔を伏せたまま僕に背を向けて歩き始めた。


あの時僕が余計な事を言わなければ…彼女の小学校は救われずとも、彼女は卒業式をみんなと共に迎えられたのかもしれない。


少なくとも、あの時のことがなければ少しくらい世間話に花を咲かせることが出来ただろう。


そう考えると、僕はあの日の自分にやめとけって忠告したくて堪らなくなる。


だけど、過去の出来事の…運命の改変に成功した人類はどこにもいない。


彼女と僕の間にあの日の出来事がある限り、僕らの間にベルリンの壁のごとく立ちはだかる隔りを壊すことは出来ない。


一度混じり合った直線同士が、座標の上で二度と交わることがないように…僕らは永遠にすれ違っていく。


たとえこの先何があっても…人類が終末を迎えても…もしも僕らが地球上で最期の人間になったとしても…きっと僕らは交わることはない。


だからもうどうしようもない、どうしようもないから『まぁいいか』と諦めようとしたその時、去り行く彼女の歩みが止まった。


横目で見ていた僕は疑問に思いつつも僕には関係ないと割り切っていたその時…







運命が覆った。





何かを決意したかのようにその手を固く握り締めた彼女は僕の方に振り返り、早足に僕の方へと迫って来た。


その顔は伏せられたままだが、僕の近くにやって来た彼女は確かに僕に向かってこう声をかけて来たのだ。


「今日…この後時間ある?」


運命が翻るその歴史的で奇跡的な瞬間を目の当たりにした僕は困惑しつつも返事を返した。


「えっと…あと10分くらいでバイトが終わるから…それからなら…」


「分かった。…店の外で待ってるから来て」


顔を伏せたまま、早口にそれだけを告げ、彼女は僕の元から去っていった。


側から見ればこれはただ単に女の子に話しかけられたという出来事に過ぎないが、僕からすれば天変地異が起きたくらいの衝撃的出来事であった。


大災害の余震で今もなお頭が混乱しつつも、僕は彼女が僕を呼ぶ要件を必死で考えていた。


彼女が僕を呼びつける理由…嫌っているはずの僕を呼びつける理由…。いや、もしかしたらその嫌っているというのが間違いなんじゃないのか?。もしかしたら、彼女は僕に好意を寄せているのかもしれない。だから照れて話しかけられないし、照れて顔も見ることが出来ないのかもしれない。


そう考えればそれなりに辻褄が合う…合ってしまう。女の子と関わる機会がなさ過ぎて、僕が経験もなく卑屈になり過ぎているせいで、彼女が僕を嫌っているかのように見えるだけなのかもしれない。もしそうなら、彼女が僕を呼び出す理由は…好きな人を呼び出し告げる言葉といえば…










告白?。






…いや、無いな。冷静に考えてない。どう考えてもラブレターをもらう確率よりも果たし状をもらう確率の方が高い。明らかに毛嫌いされてるもん。


そう考えると、やはり嫌いな人を呼び出す理由といえば…殺し。


目障りな僕を亡き者にすることによってより快適な高校生活をエンジョイするつもりなんじゃ無いだろうか…。


うん、やっぱりそれだ。それが一番しっくりくる。もうそれしか考えられない。


そっか…殺すためかぁ…短い人生だったなぁ。


死期を悟った僕は逃れられない運命に半端諦めてかけていた。


「櫻井、さっき姫浦が来てなかったか?」


死を前に悟りを開いた僕にサカもっちゃんがそう声をかけて来た。


「先生、僕に何かあったら僕の初給料で母へバッグを見繕って、『今まで育ててくれてありがとう』っていう一文を添えて渡しておいてくれませんか?」


「…え?なに?櫻井死ぬの?」


そんな風にサカもっちゃんに遺書を託した僕は、バイト終わりという死亡推定時刻を迎え、事件の真犯人たる姫浦の待つ殺人現場へと重い足を運ぶのであった。

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