第8話
高校生になってから1ヶ月とちょっと、ゴールデンウィークが空け、暦が五月の半ばに差しかかろうとしていた頃、僕は加藤に尋ねた。
「加藤、無理してないか?」
話を聞けば加藤はゴールデンウィーク中もずっと先輩達に付きっきりでベースの特訓をしていたという。
僕は以前に2年の先輩達から加藤が巻き込まれている騒動を聞いていたこともあって、加藤が無理を強いられてないか心配になっていた。
そんな僕の質問に加藤は笑ってこう答えた。
「無理してないかと言われたら…結構無理してるわ。先輩達は厳しいし、まだ始めて1ヶ月くらいの俺が先輩達の要求に応えるのはかなりしんどい」
「それなら…」
「でもさ、いますっげえ充実してる。かつてないくらい今楽しいんだ、俺。初めて本気になれた気がする。いま俺はベースに青春を賭けていいって思えるんだ。だから…多少の無理は喜んで受け入れるさ」
「…そっか」
ここまで言われると、僕は加藤に何も言えなくなってしまった。
そうか…加藤は見つけられたんだな、本気になれるものを…。
「楽しみだなぁ…ライブ」
そう語る加藤の背中を、僕は複雑な感情で眺めていた。
それから数日後、僕達が通う鷲宮東高校では体育祭が行われていた。
晴天の下で行われた体育祭は予定されていたプログラムに従い、滞りなく進行していた。
別に僕は運動神経が良いわけでもなく、むしろ悪い方なので体育祭で僕が活躍するといった機会は訪れることはないだろう。そういうわけで僕が参加する種目は玉入れくらいでかもなく不可もない普通の活躍をして、僕の出番は幕を閉じた。
鷲宮東高校では赤組、青組、黄組、緑組、桃組の五つの団体にわかれて種目ごとに設定された得点の累計を競い合う形になっている。そして時刻は流れ、太陽が西に傾いて来た頃、最終種目である組対抗のリレー対決が幕を開けようとしていた。
得点が各組、拮抗していたこともあり、会場は白熱していた。
「赤組!!ファイトオオオオオ!!!!!」
このリレーでどこが優勝するかが決まる。…そうなると応援にも熱が入る。グラウンドは生徒達の雄叫びのような声援に包まれていた。
皆が優勝のために気持ちを一つにし、腹の底から選手へ応援を送る中、僕はみんなから置いていかれるようにどこか冷めた気持ちでリレーの行く末を見守っていた。
選手達が各々のスタートの準備を整えると、声援も一旦止み、戦さの合図を皆固唾を飲んで見守っていた。
まさに嵐の前の静けさ…白熱の静寂がグラウンドを支配した。
そして今…最後の戦いの火蓋が切られた。
選手達が力を振り絞り、走り出すのと同時に、グラウンドは歓声に湧いた。
選手達は自分が任されたバトンを少しでも早く次へと渡すために必死で足を回していた。
やがて、先頭の青組が第2走者の元へとたどり着き、無事にそのバトンを受け継ぐことが出来た。
精一杯、自分の持てる全ての力を出し切って誰よりも早くバトンを繋ぐことが出来たことに満足したのか、安堵と達成感に満ち溢れた顔で自分が渡したバトンの行く末を見送っていた。
それに続いて、他の選手もその受け継がれたバトンを次へ繋げるために必死こいて走り抜いた。
誰もがバトンを次へ次へ紡ぐため、自分の持てる力以上のものを出し切ろうとするのだ。
『それなら、僕らは何のために走れば良い?』
グラウンドが受け継がれたバトンの行く末を見守る中、僕の脳裏にそんな言葉が過った。
やがて、繋がれたバトンはアンカーへと渡った。
みんなの想いと願いが込められた大切なバトンを、アンカーはゴールへと届けるべく、全力で足を運ぶのだ。
まだどう転ぶかわからない、どこが一番早くゴールに着くかわからない拮抗した戦い果てで…とうとう選手はそのゴールテープを切った。
繋がれたバトンを一番早くゴールへと届けたその選手は勝利の雄叫びをあげ、他の選手同様に安堵と達成感、そして誇り溢れる顔でその瞬間を迎えた。
「リレーは良いよな。ゴールがあるから…」
バトンを渡す相手もいなければ…ゴールもなければ…僕達は、何のために走れば良いんだろう。
そんな僕の小さな独り言は嵐のように吹き荒れる声援にかき消され、五月の美空に溶けていった。
火曜日の放課後、僕は一人、浮かない顔してプレハブ小屋に来ていた。もちろん、練習のためである。
初めの方はここに来るたびに胸が高鳴っていたが、今ではすっかり冷めてしまっていた。
谷口は今日は来ない。今回はすでに『用事がある』と連絡を受けていた。
加藤は先輩達のバンドに集中しているから今日も僕は一人だ。正直、今日はここに来ることに躊躇いがあったが、誰しもがこの練習場所を使いたい中、使わずに穴を空けるのは申し訳なく思ったので渋々ここに来たのだ。
一週間ぶりにケースを開けて特に愛着もないギターを取り出し、無音になるのが嫌だから練習した。
なるべく何も考えたくないから、必死になって弦を弾いた。
そのうちどんどん弾き方が乱雑になり、それでも弦をかき乱して雑音を振りまいた。
ただひたすら30分、無心になってそれを続けた。
ただ穴を埋めるだけの限りなく意味のない30分を終えた後、僕は西日に照らされた道を他の下校する人達に紛れて一人歩いていた。
だけど学校を出て来てから15分ほど経った時、僕はカバンをプレハブ小屋に忘れて来たのに気がついた。
何も考えないようにしていたあまりに自分がカバンすら背負っていなかったことに気が付かなかったのだ。
流石にカバンを置いて帰るわけには行かないので、僕は渋々引き返すことを決めた。
ギターだったら置いていっても別に困らないのにな…。
皆が楽しく談笑する道のりを僕は荒んだ心で掻き分け、ただひたすらに黙々と歩いていた。
僕が忘れ物をしたプレハブ小屋の前にたどり着くと、中からエレキギターの音が聞こえて来た。
それは軽快に、だけど複雑に、時に豪快に自由自在にその音色を変え、聴く者の耳を楽しませた。
初心者の僕でも『めちゃくちゃ上手い』って分かった。
こんな上手い先輩いたんだなと感心しつつ、カバンを取るために演奏中にいきなり中に入って邪魔をするのを申し訳ないので、プレハブ小屋の窓から中の様子を確かめることにした。
するとそこには、慣れた手つきで颯爽とギターをかき鳴らし、先ほどのイカした音楽を奏でる…………谷口の姿があった。
「…え?」
僕は演奏者の意外な状態に思わず声が漏れ、その場に釘付けになった。
それでも谷口は急展開に置いてけぼりの僕を尻目に豪快な演奏を続けた。
あの無個性で無表情な谷口からは想像もできない姿に僕はただポカンと口を開けて見守ることしか出来なかった。
やがて、谷口がキッチリとした締めで演奏を終えるとプレハブ小屋の中から大きな歓声が上がった。
それと同時にマイクで拡張された別の人物の声が聞こえて来た。
「…ってなわけで、今日からうちのバンドに加わることになったギターの谷口だ!」
…は?うちのバンドに加わる?ギター?。
怒涛の展開に頭の回転が追いつかない僕を尻目に、谷口は他のメンバーから拍手で迎えられていた。
そんな歓迎を受けた谷口は照れ臭そうに僕でさえ一度も見せたことのない笑顔を他のメンバーに見せた。
「先日、谷口は前のバンドを脱退して、今日から正式に俺たちのバンドのメンバーになった。楽しくやろうぜえええ!!!!」
はぁぁぁぁぁ!?!?!?前のバンドを脱退!?!?そんなの一言も聞いてませんがぁぁぁぁ!?!?!?。
その時、何かの気配を察したのか、谷口がふと窓の外へと振り返った。
見られると思った僕は思わず隠れてしまった。
…なんで僕、隠れてるんだ?。
いや、そんなことより、とにかく一度落ち着ける場所で状況を整理したい。
そう考えた僕はカバンをそのまま放置して、早足で家へと帰った。
家に帰るなり、自分の部屋へと駆け込んだ僕は背負っていたギターをガサツに床に置き捨て、ベッドに横になった。
…え?なんだこれ?なんだこれ?
その後、ずっと一人で悶々と考え込んだが、答えは出なかった。
『谷口は裏切った』
そういう結論に達するのに時間はかからなかった。
元々居るのかいないのかも分かんない存在だったやつだ、だけど一言も断りもなく脱退とか…。
他にもドラム志望だったくせにギターがくそ上手かったりとか、不可解な点は多いが、なんにしても谷口は寝返ったということだ。
「最近そっちのバンドの調子はどうだ?」
加藤が僕にそんなことを尋ねた。
「えっと…まぁ、ボチボチやってるよ」
そういって僕は歯切れの悪い返事をした。
加藤にはまだ谷口のことを言ってなかった。っていうか、言えないでいた。
加藤は今は自分のことで手一杯だし、それに……。
『【そっち】のバンド』か…。
加藤が先ほど何気なく発した一言が、なんとなく僕の心に蟠りを残した。
『【俺たち】のバンド』じゃないだな…。
そんな中途半端な状態で一週間が経ち、再び火曜日の放課後が訪れた。
僕はただ、練習場所の穴を空けないためだけに一人でプレハブ小屋へとやって来た。
鍵を受け取り、一人でプレハブ小屋へと入っていった。
一人で扱うには広すぎる空間に寂しさを覚え、胸を締め付けられた。
薄暗く、一人では静かすぎる空間が、僕を拒んでいるように思えた。
時折グラウンドから聞こえてくる運動部の声に、一人取り残された気持ちになった。
その不安をかき消すために、ただの現実逃避のための道具と成り果てたギターを取り出し、無茶苦茶にかき鳴らした。
なにも見えないようにするために、なにも聞こえないようにするために、なにも考えないようにするために、僕はただただ乱雑にギターをかき乱す。
意味もなく、意義もなく、成果もなく、前進もなく、価値もなく、内容もなく、意図もなく、ただひたすらに、ただひたすらに…声にならない叫びのように…。
だけどその叫びを声には出さない僕の代わりに弦が悲鳴をあげ…僕の中のなにかに呼応するようにプツリと切れた。
それと同時に僕の暴走のような雑音が止まり、静寂が押し寄せた。
一人では広すぎる空間が、孤独を呼び覚ました。
遠くで聞こえる運動部の声が、焦燥を促した。
それを認識してしまった僕は…もうギターを弾くことが出来なくなった。
…もう、ここには居られない。
まとわりつく静寂が…広すぎる空間が…耳障りな声が…
なにも話さず裏切った谷口が…僕には笑顔に一つすら見せなかった谷口が…
僕を置いて先走る加藤が…僕の存在を否定する姫浦が…
何かを得た実感のない生活が…
冷めきったこの心が…
なに一つとして本気になれない心が…
ゴールのない人生が…
いずれ来る終末が…
僕を置いてけぼりにする青春が…
その全てが…
僕を否定している気がしたから。
僕は、まだ時間が残っているのも憚らず、荷物をまとめて逃げ出すようにその場を後にした。
無表情にうつむきながら僕が足早に帰路を辿っていると、誰かが僕を呼び止める声が聞こえた。
「櫻井」
声の正体は加藤だった。
「今日は珍しく先輩たちから早めに解放してもらってな、まだ時間も残ってるからそっちのバンドに顔出そうとしたんだが…練習終わったのか?まだ時間残って…」
「解散しよう」
僕は加藤が言い終わらないうちにそう切り出した。
「へ?…解散?」
「ああ、解散しよう、俺たちのバンド」
「ちょっと待てよ!いきなりどうした?なんで解散なんだ?」
「このバンドに意味なんてないからだ」
「意味がないって…じゃあ俺はどこに帰ればいいんだよ?」
「加藤はそのまま先輩達のバンドに残ればいいだろ?。正式にメンバーにならないかって誘われてるんだろ?。だったら僕達のバンドに戻るよりもそっちの方が加藤のためになる」
「でも…谷口はどうするんだよ!?」
「谷口はすでに抜けて他のバンドのメンバーになってる」
「…はあ!?聞いてねえよ!?」
「そりゃあ言ってないからな」
突然の事実に困惑する加藤を尻目に、僕は言葉を続けた。
「加藤、お前はやっと本気になれるものを見つけたんだ。だったら僕なんか構わずそのために一番いい環境にいろ」
「一番いい環境って…だったら、櫻井も一緒に…」
「僕はダメだ。本気になんてなれない!。お前みたいに青春を賭けていいって思えない!!。一緒にいても足枷にしかならない!!。だから加藤、俺に構わず、先輩達のバンドに残れ」
僕はそう言い残し、加藤に背を向けてその場を後にしようとした。
「…それでも!!」
僕を呼び止めるように加藤はそう叫んだが、その先の言葉を口にするのを躊躇したのか、そこで言葉に詰まってしまった。
そして僕に聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさの声で、手を固く握り締めながら悔しそうにこう口にした。
「それでも…俺はお前とバンドしたかったよ」
こうして、僕達の名前すらなかったバンドは解散された。
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