第7話
我が家の家族構成は金融業に務める父と、パートをしつつ家事をこなす母、そして4歳年上で高卒でデザイナーとして働いている姉、櫻井瑠美、そして僕、櫻井光輝という家族構成をしている。
姉は高校を卒業すると同時にデザイナーとして腕を磨くために上京し、帰って来るのは年末かお盆くらいだった。
そんな姉が、今日突然家に帰ってきて、僕達の前でなんの予告もなしにこんなことを告げた。
「私、結婚する」
来年の初めに成人式を控えた姉の衝撃の告白に我が家の時が止まった。
しかしそんな僕らを尻目に姉はスマホを取り出し、誰かに連絡をし始めた。
少しすると、玄関の方から誰かが入ってくる音が聞こえ、スーツを着こなした優しそうな男が僕らの前に姿を表した。
「はじめまして…上原拓哉と申します」
相手は姉の勤め先の上司だった。一通りの自己紹介を終えた後、持ってきた粗品を呆然とする母に手渡し、そして父に向かって頭を下げてこう告げた。
「娘さんを…瑠美さんを僕にください!!」
ドラマや漫画のフィクションの世界ではよく見る光景だったが、こうして直に見るのは初めてだった。
こういう場合は『おとうさんは許しませんよ!!』という決まり文句がある。
そしてドラマなどでそういうシーンがお茶の間に流れるたびに姉は『私が結婚するときはこれ言ってね』と茶化すようにねだっていたことを僕は覚えていた。姉的にはこのセリフを言われてみたいのだろう。姉ちゃんはそういうテンプレみたいな幸せな家族が好きだから…。
しかし、あまりの唐突な出来事に父の心境はそれどころじゃないようだ。愛しの娘の嫁入りがよほどショックだったのか、金魚のように口をパクパクさせるだけの物置と化していた。
どうやら今の父には『おとうさんは許しませんよ!!』という姉ちゃんの願いを叶えられそうにないようだ。
だけどこのタイミングで誰かがやらなければ…姉ちゃんの願いはもう一生叶わないかもしれない。
だったら…もう僕がやるしかない。
覚悟を決めた僕は家族で囲んでいるテーブルを『バンッ!!』と叩き、そして怒鳴るようにこう告げた。
「おとう『と』さんは許しませんよ!!」
僕の常人には理解し得ない機転の切り替えに再び家族の時は凍りついたが、姉だけは『おぉ〜』と感心つつ、僕に拍手を送った。
その後、僕の奇行で父の目が覚めたのか、母にビールを持ってきてくれないかと声をかけた。
ちなみに下戸な父が酒を欲しがるのは大体、嫌なことがあった時である。
そういうわけで、我が家の姉は結婚することになった。
話は変わるが、例の謎の現象により子供が産まれなくなってから、結婚率は下がったかと思いきや意外なことに増加傾向にあった。だけど、それと同じくらい離婚率も高くなり、結果的にほとんどプラマイゼロになっているそうだ。
その原因は定かではないが、子供が産まれなくなったことにより、負担が減ったことによって、結婚というハードルが下がったことが結婚率の増加に繋がったらしく、子供が産まれなくなったことにより、夫婦を結びつけるものがなくなって、離婚率が増加したそうだ。
子供が産まれない以上、結婚という選択肢はあくまで籍を入れる儀式に過ぎず、その意義が軽んじられているとかなんとかとテレビで偉い人が言っていた。それと同時に子供が産まれなくなったことにより、レールに縛られない生き方が増え、人生に多様性が生まれたとか…そんな話も言っていた。
自由には代償がつきもの…その逆も然りということだ。
父が酒に溺れ、姉の婚約者の上原もよほど父に酒を飲まされたのか、グデグデになった頃、姉が僕に話しかけて来た。
「光輝、あんたもワシガシに入学したんだよね?」
「そうだよ」
ワシガシとは僕の通う鷲宮東の略称だ。姉は僕の先輩で2年前に卒業したOGだ。
「阿形って先生まだいる?美術の先生なんだけどさ」
「…うーん、結構先生多いからわかんない」
「じゃあ、もし会ったら伝えといて…『姉が結婚しました』って」
「自分でいいに行けば?」
「それは出来ない。一流のデザイナーとしてデビューしたら会いに行くって約束したし」
「ふーん…結婚しても仕事続けるの?」
「当たり前じゃん。今の世の中、やりたいことやらなきゃ生きてる意味ないじゃん」
「なにそれ?」
「まあ、そのうち分かる」
そう言って姉は僕の質問を適当にはぐらかした。
別にそれはさほど気にならなかったが、僕は一つどうしても姉に聞いておきたかったことがあった。
だけど…それを口にしていいものなのか…。
「姉ちゃん…」
ためらいながらも問わずにはいられなかった僕は恐る恐る口を開き、その質問をぶつけた。
「…子供、どうするの?」
すると天真爛漫な姉には珍しく、うつむき、陰を見せながらこう言った。
「欲しいけど…産むのは私のエゴだから…」
姉の衝撃的な告白から一夜が明けた。ちなみに姉は父に限界以上に飲まされ泥酔した婚約者を背負いながら昨日のうちに我が家を後にしていた。
荒らすだけ荒らしてさっさと姿を眩ます…まさに嵐のような存在だ。
「へえ、瑠美さん、結婚するんだ…俺以外のやつと」
朝、学校で昨日の出来事を加藤に話すと、加藤からそんな返事が帰って来た。
「意味もなく意味深な一言を加えるな」
「いや、真面目に少し残念だわぁ。…狙ってたのに」
「お前本当にメスならなんでもいいんだな」
「いや、瑠美さん普通に美人だし、俺も昔は良くしてもらってたからさ」
そんな会話の最中でも、加藤は楽譜に視線を落とし、指はなにかを奏でていた。
「…調子はどうだ?加藤」
「まだまだ課題は多いけど…めまぐるしい進歩は感じてるぜ。そっちはどうよ?」
「こっちは…別に普通かなぁ」
加藤の質問に、僕は少し歯切れの悪い返事をした。
「そういえば、今日の1時間目ってなんだっけ?」
僕は話題を逸らすかのようにかとうにそんな質問をした。
「今日の1限は…家庭科だな」
「家庭科…かぁ…」
僕はまた、歯切れの悪い返事をしてしまった。
嫌われている人を前にして居心地が良いわけがない。もし居心地がいいという人がいれば、相当性根が悪い人間なんだろう。
家庭科の授業で席の並びが変わったことにより、僕は目の前にいる姫浦から関わるなオーラを当てられて片身を狭め、バツの悪い顔をしていた。
う、うーん…これ、毎週こんな思いしなきゃ行けないのかなぁ…。
そう考えるとこれからの高校生生活に少しげんなりしてしまった。
それはそうと…中学時代を不登校で終え、高校生デビューを決めた姫浦の高校生生活がどうなっているのかというと…僕から見る限りは上手く行っているようだ。
初めこそ、中学時代の黒歴史が尾を引いていたのか、あまり周りと打ち解けていなかったが、最近になって星野が姫浦に急接近し、クラスメートとの仲を取り持ち、なんとか自分のポジションを確立出来ているようだった。
少なくとも僕のように昼飯を一人で黙々と…ということは無いようだ。
このまま順風満帆な高校生生活を送って、中学時代の黒歴史なんか笑って語れるようになってくれたなら…僕のこともクラスメートとして存在を認めてくれるかもしれない。
そういう考えもあってか、僕は姫浦とクラスメートの橋渡しとなってくれた星野に密かに感謝をしていた。
…っていうか、なんで僕がこんなに姫浦のこと心配しなければならないのか。たしかに僕にも落ち度があるのは認めるけど…なんだかなぁ。
それでも、何か実害があるわけでは無いから…まあいいかで相変わらず僕は片付けてしまっていた。
結局、その日も僕は姫浦と会話どころか視線すら交わすこともなかった。
火曜日の放課後、夕方5:00〜5:30まで。
それが僕達のまだ名も無きバンドが軽音楽部のプレハブ小屋で練習できる時間だ。
5時になれば、それまでプレハブ小屋を使っていたバンドから、プレハブ小屋の鍵を受け取り、30分間は自由に使えるようになる。
その日も僕は加藤が先輩達のバンドへ派遣されるのを見送った後、一人でその時間まで待機し、一人で鍵を受け取り、一人でプレハブ小屋へと入って行った。
軽音楽部らしからぬ静寂に包まれ、僕は一人で黙々と準備を始めた。
…今日も谷口は遅刻かな。
単に遅刻癖があるだけなのか、それともやる気がないのか、はたまた別の理由があるのか…。
なんにしても仏の顔は三度まで、今日こそは谷口にもちゃんとドラムを叩いてもらって、成果のある練習をしようと僕は心に決めていた。
このままでは朝から晩まで必死に練習する加藤と大きく差が開いてしまう。いつか加藤が戻って来たときに、せめて基礎の基礎くらいは出来ていないと加藤に申し訳ない。
そう考えて、今日も僕はコードをなぞることに勤しんだ。
近くのグラウンドから聞こえる運動部の活気溢れる声に混じって、僕のギターの音色がか細く響く。
どれだけ強く弦を弾いても、音が静寂に飲み込まれ、消えていく。そんな感覚に苛まれたが、それでも僕は何かを誤魔化すかのように、無闇に振りかざすように弦を弾いた。
「…谷口のやつ、来ねえな」
僕は少しでもこの静寂をかき消したかったのか、誰かに伝えるわけでもないのに考えを言葉に出して呟いた。
練習時間開始から10分が経過したが、未だに谷口は来ていなかった。
練習初日が5分遅刻、次が10分遅刻だから、今度は15分遅刻かな。
なんてことを僕は考えて、心の中でほくそ笑んだ。
そんな風に淡い期待を込めて、僕は谷口を一人で待つことにした。
もちろん、その間もギターの練習は欠かさない。
この音が途切れないように、何度も何度も繰り返し繰り返し音をかき鳴らした。
一応、このプレハブ小屋は小さなライブ会場になるくらいの広さはあり、その空間に僕だけの音がこだまし続けた。
少しでも上手くなるため…もちろんそういう意図もあったが、本当は違う。
この音が途切れたら…この指を止めたら…この奏でが止まったら…
押し迫る静寂に、飲み込まれそうになったから。
「…来ねえじゃん」
僕が予想した15分になっても、谷口は姿を現さなかった。
そして…結局、その日の練習に谷口が顔を出すことはなかった。
練習終わりに、僕は一人で片付けをし、一人で次のバンドへプレハブ小屋の鍵を渡し、練習城を明け渡した。
「そういえばさ、聞いた?。相沢先輩達のバンドの話」
僕達のバンドの次に練習場を使う2年の先輩が同じバンドメンバーにそんな話を振って来た。
ちなみに、相沢先輩は今加藤が派遣されているバンドのリーダーだ。
「ベースの真島先輩と喧嘩して真島先輩が抜けたから、その代役に一年からベースを引っ張って来たんだって。で、その子初心者だったんだけど、筋がよくてあっという間に上手くなったから、そのままどうにかバンドに引き入れようとしてるんだってさ」
その先輩の話が僕の耳に入り、僕はピタリと足を止めて、その先輩の方に振り返り、思わず話しかけてしまった。
「それ…本当ですか?」
僕が話しかけてしまったことにより、盗み聞きされていたことを知った先輩達はバツの悪そうな顔をした。
あまり聞かれたくない話だったのか、『これ以上聞いてくるな』という顔をして僕を追い払おうとした。
しかし、先輩達のうちの一人が小さく耳打ちするかのように他のメンバーに声をかけた。
「教えてあげようよ。彼、その例の一年と同じバンドのメンバーだよ。蚊帳の外のままじゃ流石に可哀想」
その言葉に納得したのか、他のメンバーは仕方なさそうに僕に教えてくれた。
「これはここだけの話だけど…」
まず、事の発端はリーダーの相沢先輩と、ベースの真島先輩の喧嘩がキッカケだったそうだ。喧嘩の原因は一応、音楽の方向性の違いではあるものの、もともとその二人は仲が悪く、ちょっとしたいざこざが多く、今回はその積もりに積もった恨みが両者ともに爆発したそうだ。
相沢先輩がリーダーだった事もあり、自分の意見に全く聞く耳を持たれなかった真島先輩はとうとうメンバーを脱退した。だがそれは言わばただのストライキ、自分の意見を聞いてもらうための手段の一つに過ぎず、彼自身は本気で脱退するつもりはなく、自分がいなくなって困り、そのうち戻って来てくれと言われることを見越しての脱退であった。
しかし、相沢先輩はその方法を取らなかった。真島先輩の思い通りに事が進むことが嫌だった相沢先輩は『お前の代わりなどいくらでもいる』ということを示すために代役を探すことにした。そこで相沢先輩はまず、知り合いのベーシストを手当たり次第当たってみたが、はっきり言って人気のないベースはその絶対数が少なく、どこもかしこも自分のところで手がいっぱいであった。
そこで、相沢先輩はとうとう一年生から適当に見繕って鍛え上げるという大胆な作戦を試みた。その立役者に抜擢されたのが加藤であった。そしてあの日、裏事情は上手いこと隠し、涙ながらに説得して加藤を代役として引き入れることに成功した。
しかし、引き入れたのはいいものの、加藤は初心者中の初心者。初めは先輩達もその腕前に一抹の不安を覚えていた。しかし、加藤は意外にも筋が良く、先輩達の教えもあってかその腕前をメキメキと伸ばし、たったの数週間でなんとか代役が務まる程には成長した。
徐々に頭角を現して来た加藤を見て、相沢先輩は加藤を正式にバンドメンバーに迎えることを決めた。やや性格になんのある真島先輩よりも多少腕は劣っていても素直でノリも良く、話もそれなりに上手い加藤の方に軍配が上がったのだ。
そして相沢先輩は加藤に正式にメンバーにならないかと誘うのだが、加藤は『自分のバンドがあるから』と頑なに断り続けていた。それでも何とかして加藤をメンバーに加えたい相沢先輩は少々強引な手段に出た。それはなにかと加藤の腕前に文句を付けて、共に練習するように命令し、逃げられないように囲い込んでいるそうだ。
「加藤くん、取られないように気をつけなよ」
最後に先輩はそんな忠告をして、話を終えた。
先輩から一通りの話を聞いて、僕の心は複雑だった。
加藤がそんな騒動に巻き込まれていることに対する驚きもあったが、なによりもそこまで必要とされている加藤がこんな状態の僕達のバンドに戻る事が、あんなに頑張ってる加藤のためになるのかが疑問だったからだ。
へたっぴで、寄せ集めで、バラバラで、こんな僕達の…名も無きバンドなんかに…。
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