第4話
普通だ。
やっぱり普通だ。
僕は小さなプレハブ小屋に並べられた楽器や音響機器、そして軽音部の先輩を目の前にそんなことを思っていた。
今僕は、加藤に誘われるがまま高校の軽音楽部に入部し、新入部員の自己紹介を兼ねた歓迎会の真っ只中にいる。
そこにはもちろん、魔王の佇まいで待ち構え、いきなり新入部員に即興でセッションをさせるような強烈な先輩の姿はなく、普通に歓迎ムードの和やかな自己紹介が繰り広げられていた。
「じゃあ次、自己紹介どうぞ」
人の良さそうな先輩がそう言って僕にマイクを差し出した。
「えっと…櫻井と申します。希望楽器はギターです。よろしく」
なんの面白みも印象にも残らないクソみたいに無難な自己紹介に我ながら嫌気がさした。
なにか言ってやろうとは思うものの特に面白いことも思い浮かばず、後ろ髪引かれながらも隣にいた加藤にマイクを手渡した。
「どうも、加藤です。希望楽器はギター…だったんですけど、間違えてベース買っちゃったのでベーシストになりまーす」
隣でそれなりに好印象な自己紹介を卒なくこなす加藤に僕は敗北感を感じた。
「いやー、嬉しいね。ベースは人数少なくて毎年困ってたんだよね」
そう呟く先輩に対して加藤は偉そうにこんなことを宣った。
「ベースの良さが分からない奴らは才能ないんですよー」
「そういうお前は間違えてベース買ってショックで3日も寝込んでたけどな」
そんな僕のツッコミにささやかな笑いが起き、先ほどのなんの面白みもない自己紹介の挽回が出来たと思い、心の中でガッツポーズをした。
そんなこんなで和やかに自己紹介も一通り過ぎて行った頃、先輩がこんなことを提案し出した。
「じゃあ、一年生で適当にバンドグループ作っちゃってくださーい」
突然の提案に僕は違和感を覚えた。
バンドのグループって、そんな簡単に決めていいものとは思えなかったからだ。
同じグループになればそれなりに関わってくる…もっと人柄とか音楽の趣味とか知ってからでも…。
僕と同じようなことを考えた人が何人かいたのか、困惑している人がちらほらと見受けられた。
そんな新入部員の心境を読み取ったのか、先輩がこんなことを呼びかけた。
「あんまり深く考えなくても、今組んだグループが絶対ってわけじゃないから、心配しないで」
そんな先輩の気遣いとこれくらい普通なことだという場の雰囲気に流されて、その数名もウロウロとバンドメンバーを探して歩き出した。
「どうするよ、加藤」
「どうするって…決まってるだろ、女子と組む」
「お前…マジか?」
見知らぬ女子に話しかけ、ましてやバンドグループになるなど、異性経験の浅い僕にとってはエベレスト山を無酸素単独で登頂するほどの偉業であった。
「や、やめとけ、加藤!!その顔じゃ無茶だ!!」
「いいや!俺はやる!やってやる!!」
「その顔で馬鹿言うな。命が惜しくないのか!?」
「櫻井、俺は決めたんだ、高校生になったら変わるんだって…。もう彼女欲しいって言うだけで、なんの行動にも移さない口先だけの日々は終わりにするんだ!!」
「加藤…わかった。その顔でもそこまで言うなら、もう止めやしないさ」
エベレスト山単身無呼吸を覚悟に決めた友の背をこれ以上食い止めるのは無粋だ。
「ありがとう櫻井」
加藤も加藤で友を見送る決意を固めた僕に敬意を評して手を差し出した。もちろん僕は躊躇うことなく、差し出せれた手を握り返した。
「その顔でも食らいついてこい!!加藤!!」
「ああ!!行ってくるぜ!!。……あと、その顔でとか言うな、普通に傷付く」
固い握手を交わした後、加藤は僕に背を向け、その足で大いなる御山の麓を踏みしめた。
初めはその足も軽快なものであった、女子グループまでの距離が5合目、6合目辺りまでは特に苦もなく進むことができた。
しかし、加藤の足が7合目に差し掛かってきた頃、雲行きが怪しくなってきた。
目標としていた頂きを先に別の男グループに登頂され、グループの交渉が始まったのだ。
こんな急激な雲行きの変化にさすがの加藤もたじろぎ、下山を余儀なくされた。
天候が変わり易い山において、あえて撤退を選ぶことができるのは一流のクライマーの証、勇気の下山に踏み切った加藤もまたプロクライマーなのだ。
「その顔なら撤退は英断だな、加藤」
無事に生還した友を僕は持ち合わせている最大限の言葉で労った。
「まさかあそこで爆男低気圧に遭遇するとは…」
「…なんだよ?爆男低気圧って」
「爆発してほしい男のことだ。それはさておき櫻井、やっぱりおまえも来てくれ、一人じゃ無理だ」
「話し下手な俺なんかついて行っても烏合の集には変わらないだろ」
「いや、それでもエベレスト無酸素単身登頂から酸素あり登頂くらいには楽になる」
そういうわけで今度は二人で険しい山道を登ることにした。
遥かなる頂きを目指し、待ち構える精神的急勾配に幾度となく心折れそうになりつつも、心情的に這いつくばりつつ、山頂付近までたどり着いた。
ついにここまでたどり着いた。
僕達は目を合わせてお互いにここまでの奮闘を称えあった。
だがしかし、ここはまだ9合目。山頂はもう目の前に迫っているが、ここから先には『話しかける』という最後にして最大の難所が待ち構えていた。
ここまで力を振り絞り、なんとか登って来た二人だが、山頂の前に立ちはだかる断崖絶壁のような最終関門に思わず絶句した。
麓から見るぶんには大したことない高さであったが、間近に迫るとその迫力は何千倍にも違って見えてくる。
覚悟を決めるためにも一度3日間ほど小休止を入れたいところなのだが、ここはもうエベレストの9合目。つまりは女子生徒の目の前、そんなところで覚悟を決めるために突っ立っていようものならば不審者を見るかのような山頂付近特有の凍てつくブリザードによって死へ誘われる可能性がある。
登るか降りるか…僕達はわずかな時間でその二択を迫られていた。
『ここは一度引いて体制を立て直すべきだ、加藤』
僕は隣にいた加藤にアイコンタクトでそう伝えた。
どれだけすごい偉業を達成したとしても、生きて帰ってこれなければ意味がない。だから、その偉業を目の前にあえて撤退という選択を決断するのもまた勇気なのだ。
生きていればいつかはもっといいコンディションでの登頂に挑める時が来る。だからいまは引こう。
僕がそう考えたその時、頂きにむけて加藤がさらなる一歩を歩み始めた。
僕は友の蛮勇を止めようと手を伸ばすが、加藤はその手を振り払い、僕にその大きな背中で語りかけて来た。
『共に行こう、ユートピアへ』
断崖絶壁、深海のように息がつまるほどの低酸素、僕達を拒むかのような精神的ブリザード。無謀としか思えない難関にその身一つで果敢に挑まんとするその男の姿に、僕は感動すら覚えた。
勇気と言う名のピッケルで断崖絶壁に張り付き、そしてとうとう手を伸ばせばその頂きに触れられるほど近くにたどり着いた彼は腹のそこに秘めた最後の力を振り絞り、緊張でカラッカラになった喉を震わし、その頂きに手をかけた。
「あの!…メンバー、決まった?」
この男…とうとう登り切りよった!!。
僕は少し後ろから彼の偉業をその目でしかと焼き付けていた。
「えっと…君たちは確か、ベースの加藤くんとギターの櫻井くんだったよね?」
「そうだよ」
加藤が我先に道を作ってくれたおかげで僕は難なくその頂きに交わることが出来た。
その頂きから見える光景は今までのものとは格別で登頂という達成感に僕達の高揚は鳴り止まなかった。
だがしかし、声をかけた二人組みの女の子は現実の非情さを突きつけて来た。
「ごめんね、私達二人ともギター希望でさ、ギターがこれ以上増えるのはちょっと…」
そう言って彼女は申し訳なさそうにやんわりと断って来た。
『まあ、そんなうまくいきませんよね』
僕は現実の厳しさに心の中でそういって笑うしか出来なかった。
だかしかし、ここで彼女はこんなことをボソリと口にした。
「でも…ベースが欲しいのは確かなんだけどなぁ…」
そう言って彼女は加藤の方をチラチラ見て来た。
少々想定外の出来事に僕と加藤は顔を合わせ、アイコンタクトで作戦会議をした。
『加藤、僕のことはいい。おまえ一人でもユートピアに行くんだ』
『馬鹿野郎!!これは俺たち二人で達成した偉業なんだぞ?櫻井を置いて行けるか!』
『バカはお前だ!男の友情なんて恋愛の前にはゴミクズ同然だろ!?』
『っていうか、俺一人で女の子グループに混ざるとか、エベレストの山頂に全裸で置いていかれるようなもんだろ!?死ぬわ!!』
『…それを言われちゃ、どうしようもないな』
一瞬のアイコンタクトで上記の意思の疎通を終えた僕達は改めて女子グループに向き合い、涙ながらにこう告げた。
「じゃあ、またの機会ということで…」
こうして僕達はエベレストを後にした。
そんなこんなでだいぶ時間をロスした僕達は、結局谷口というこれといって個性を感じさせない平凡な男子を成り行きでドラムとしてメンバーに加えることになった。
「谷口です、よろしく」
無難な挨拶だなぁ、とか僕は思った。…まぁ、人のこと言えないんですけどね。
こうして僕達は一応、バンドメンバーを結成した。
ただ…別に谷口が悪いわけではないのだが、夢とは違い、これといって特別ななにかを感じることがない展開に、僕は密やかに不満を募らせてた。
それでも…まあ、こんなもんかと平凡な高校生活のスタートを妥協した。
だけど、それでも一つ、この高校生活に変わった点があるとすれば…姫浦が同じクラスにいたということだ。
そもそも同じ高校に入学していたことも知らなかった僕は姫浦がいたこと自体にも驚いていたが、もう一つ驚かされたのが、姫浦の容姿だ。
三つ編みだった髪を綺麗なストレートにして、コンタクトに変えたのか、メガネも外していた。端的に言えば高校生デビューだ。
別に僕に美的センスがあるわけではないが、はっきりいって可愛くなったと思う。
まぁ、だからといって僕が彼女と関わるわけでもないんだけどね。
ただ…夢に見たのもあってか少し…ほんの少しだけ、彼女がもたらす刺激に期待してしまっている僕がいる。
ただその程度の話だ。
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