第3話

2022年4月1日、この日をもって世界中から子供が産まれなくなった。


正確に述べるならば、産まれてもその場で死ぬようになった。


小さな命が産声をあげたその直後から少しずつ…少しずつ少しずつ息が浅くなり、やがて呼吸不全に陥り、そのまま窒息死するのだ。


どんな最新の医療器具を用いても、どんな名医が手を施そうとも、その小さな灯火を誰一人として繋ぎ止めることはできなかった。


原因は未だに不明。


胎児だけに影響を及ぼす未知のウイルス、大気汚染による影響、人類の遺伝子構造の変化などさまざまな説が唱えられていたが、確信を突くようなものは未だに証明されず、中には『これは神が人間に下した罰である』と主張する説まで現れる始末だ。


子供を宿しても死んでしまう。おまけにどこかの専門家が言っていたが、窒息死する過程で胎児はかなり苦しむそうだ。


それでも子供を産むことを諦めない人は多かったが、その誰もが産んだ我が子を1時間も抱きしめることは叶わず、名前すら授かることすら出来ずにその生を終える子供も少なくなかった。


そういった経緯もあって、この謎の現象により死んでしまった子供は『ネームレス』と総称されるようになり、生きて授かるはずだったその名は代わりに墓石に刻まれた。





子供を頑張って産んでも苦しんで死んでしまうのなら、産まないほうがいい。





社会がそういう結論に至るまで時間はかからなかった。


もちろん、誰もが指をくわえてみていたわけではない。世界各国が協力し、原因の究明と問題の解決に力を注いだ。


だが、なんの成果もあげられないまま1年、2年…5年…10年と過ぎて行き、社会は新たに子供が産まれてくることを諦めつつあった。


新しい命が産まれなければ…やがて人類はいなくなる。そんな人類の終末を予感した社会は、恐らくは地球上の最後の人類となる僕らの世代を、世界の見届け人となる僕らを密やかに…








『ラストチルドレン』と呼んだ。










麗らかな春の日差しと、桜の花びらに混じって、今日から僕が通う鷲宮東高校では世界の終末など微塵も感じさせない平凡な入学式が行われていた。


「皆様のご入学を心から…」


知らぬ存じぬ人達のテンプレの意味のない会話にいい加減辟易していた僕は、先生達に見つからないように密かにスマホを弄る算段をつけていた。


制服の裾で隠しながら弄れば…などと考えていたその時、壇上では部活動紹介が始まろうとしていた。


『部活動紹介くらい見るか…』と思った僕はどこか期待を込めた瞳で壇上をとらえた。


しかし、その期待に反して壇上で繰り広げ荒れるのは寸劇のような当たり障りのない無難な紹介ばかりであった。


『まあ、こんなものか…』と見限ろうとしたその時、青天の霹靂のごとく、鋭いギターの音が会場に響き渡った。


それと同時に体育館を照らしていた照明が落ち、代わりにスポットライトの強烈な光が壇上を照らした。


新入生が突然の出来事に騒然としているのを尻目に舞台では唐突にバンド演奏が幕を開けた。


熱烈で激しく、荒々しく大胆に、そして全力で…本気で奏でられるその音楽はダイレクトに僕の心に突き刺さった。


曲はよくわからないし、音楽のジャンルにも詳しくないが、多分これをロックと呼称するのだろう。


束の間にも思えるその演奏が鳴り止むと、体育館には大いなる歓声が湧いた。


僕も僕であまりの衝撃に開いた口が塞がらず、ただただ漠然と拍手を送ることしかできなかった。


そんな僕を尻目に、壇上のど真ん中に立つボーカルの男子生徒がマイクを通して語りかけてきた。


「鷲宮東高校へようこそ…ラストチルドレンの諸君」


その発言に体育館がざわついた。


それもそのはず。『ラストチルドレン』という言葉はこのように厳正な、沢山の人達を前に口にしていい言葉ではない。なぜならばそれは逃れられない人類の終焉を連想させるため忌み嫌われており、口にしてはいけないという社会風刺が蔓延しているからである…それはまるで、臭いものに蓋をして、みたくない現実から目を逸らすかのように…。


だが、壇上の彼はそんなことも気にせずに話を続けた。


「俺は軽音部部長、名前は…どうでもいいか。軽音部を代表して、俺からラストチルドレンに言っておく。我々軽音部は、新入部員を歓迎しない!!」


けたたましく忠告のような文句を垂れ流すその口が開くたび、体育館にはざわつきが響いた。


「練習場所が限られてるから、お前達が入部するとおれたちの練習時間が減るんだ。だから俺たちは諸君らの入部を歓迎しない。それでも入る覚悟があるやつは…今すぐ音楽室に来い!!」


そう言って彼らは入学式を荒れに荒らして帰っていった。


ざわつきで混乱が体育館に残る中、人混みから加藤が現れ、僕に話しかけてきた。


「行くぞ、櫻井。音楽室だ!!」


動揺と高揚が入り混じり、整理が付かず、頭の中は真っ白であった僕は迷うことなく加藤に続いてまだ終わっていない入学式を飛び出して音楽室へと向かった。


そのまま廊下を全力で走り回り、音楽室へと続く扉を勢いよく開けた。


「…よく来たな、ラストチルドレンの諸君」


そこには先ほどのボーカルの男が玉座で待ち構える魔王のような佇まいで待ち構えていた。


そして選別するかのように僕達を見つめ、口を開いた。


「今年は二人…いや、三人か」


彼がそういうと僕達の後ろから一人の女子生徒が音楽室へと入って来た。


「…姫浦?」


髪を三つ編みで縛り、大きなメガネをかけ、地味な見た目をした彼女は僕の中学時代のクラスメートだった。


「ちょうどいい。いまから入部テストとして即興の3ピースでセッションをしてもらう」


威圧的な態度で部長は僕達にそう告げた。


「そんな、いきなり弾けだなんて…」


困惑する僕を姫浦が止め、僕にこう語りかけて来た。


「大丈夫、私達なら出来るよ」


根拠もなく放たれたその言葉になぜか僕は納得してしまい、テストを承諾した。


「ほら櫻井、お前のギターだ」


どこに隠し持っていたかは知らないし、なぜ加藤が持っているかはわからないが、自分のギターを受け取った僕は演奏体制に入った。


それと同時に加藤がベースを、姫浦がドラムをセッティングして演奏準備をした。


全員が演奏準備を終えたのを確認すると、加藤が掛け声を挙げた。


「いくぞ!!1、2、3、4!!」


加藤の合図と同時に幕をあけた即興のセッションは意外にも息が合った演奏で幕を開けた。


思っていた以上に…いままでの練習では考えられないほどに巧みな演奏に自分でも驚いていた。


しかし、それでも加藤と姫浦の二人の演奏には引けを取っている。僕がこのセッションの足を引っ張っている。


演奏の最中、そんなことが頭によぎった僕がふと部長の方を一瞥すると、はやり僕の方を怪訝な顔で見つめていた。


「このままじゃ、お前は失格だな」


部長にそう言われた僕の胸は高鳴った。


…嫌だ。


こんなにも特別なのに…こんなところで終わるのは嫌だ。


やっと…やっと見つけたのに、こんなところじゃ終われない!!。


僕が迷うことなく人生を賭けられるものを…本気になれるものを…こんなところで終わらせられない!!。


溢れ出す思いを…身の丈以上の全てを、魂を込めて本気で弦を弾いた。


するとその瞬間、幾度となく聞いたことがある目障りな音が鳴り響いた。


それはまるで束の間の安息を断ち切るかのような夢の終わりを告げる音。


終焉にして開幕の知らせるベルの音。


その音の正体が目覚し時計の警鐘であることを認識すると同時に、僕は自分が自室のベッドで横になっていることに気がついた。


今もなお、高鳴る胸に誘われ、寝床から飛び起き、あたりを見渡した。


「えっ…もしかして…夢?」


夢と現のあまりの落差に思わず僕は声が漏れ、そしてこれから始まろうとしていた普通じゃない特別な物語の崩壊のショックで膝から崩れ落ちた。


「夢のくせに期待させるなよなぁ」


そんなに独り言を口にしない僕もこれには流石に悪態吐いた。


「…っていうか、なんで姫浦だったんだ?」


僕と姫浦の関係は…端的に言えばただの元クラスメートだ。3年生の2学期ごろから不登校になり、結局卒業式にすら来なかった元クラスメートだ。


仲が良かったとか、よくしゃべったとか、部活や委員会が同じだったとか、特別な性的な思いを抱いていたとか、そういうのはない。


ただ、僕と彼女に特別な因縁がないというわけではない。そしてそれは彼女が不登校となった理由に関係がある。


まずきっかけは3年生の始め頃だっただろうか。


なにに影響されたか知らないが、その頃から彼女はとあることに熱を注いでいた。


それは小学校の取り壊しの反対運動であった。


彼女が通っていた小学校がその頃に取り壊されることが決まったのだ。


いくらもう使われなったからといって自分が通って来た母校が潰されることを彼女は黙っていられなかったのだ。


そんな彼女は取り壊しを阻止するために何かできることはないかと考え、まず協力者を仰ぐ署名運動を始めた。


名前を書くくらいなら…と、思った生徒は多く、その小学校に通っていた生徒はもちろんのこと、関係のない沢山の人達も名前を連ねた。ちなみに小学校は違ったが、僕も名前は書いた…書かされたといった方が正しいか。


しかし、署名だけでは取り壊しを食い止めるまでには至らなかった。


当時は学校残すくらいいいじゃんと安易に考えていたが…いまになって分かる、無人になった学校を残すだけでもお金がかかってしまうということが。


あれだけ膨大な建物だ、維持費だけでもそれなりにかかる。


その維持費惜しさに学校をそのまま残しつつ、放置していれば老朽化が進み、災害時に崩壊の恐れがあり、周辺区域に危険が及ぶ。もしそのようなことが起きれば責任は自治体が取ることになるだろう。


だから使われなくなった学校は取り壊す…これがいちばん効率的で安全だ。


だけど中学生がそこまで頭が回るわけがない。だから彼女は署名だけではダメだと考え、もっと強引な手段を取ることにしたのだ。


まずは自治体への直談判。それがダメならデモ運動とどんどんエスカレートしていった。


最初は協力していた周りの人たちもどんどん暴走していく姫浦についていけなくなり、次第に彼女は孤立していった。


彼女の親しい人間も彼女を影で腫れ物のように扱うようになり、ついに彼女たちは衝突した。


「なんで私はこんなに頑張ってるのに、みんなは頑張ってくれないの!!」


彼女の溜まりに溜まった蟠りが抑えきれず、沢山の人がいる教室であるにも関わらず彼女の不満がこだました。


「みんなも小学校守りたいんだよね?だったらなんで頑張ってくれないの!?」


思えば彼女は人一倍努力家だったのだろう。その証拠といってはなんだが、彼女は勉強も出来る方だった。


だけど、他の人は彼女がやろうとしているデモ運動や直談判にあまり意味がないことが分かってるのだ。


僕も側から見ていて彼女が頑張っていたのは知っている、だけど望みの薄い努力を人に強いるのは…。


普段は女子に自分から話かけることはないが、どうしても彼女に言いたいことがあった僕はこの日ばかりはなぜか無駄に積極的だった。


「姫浦、あのさ…」


「いきなりなに?」


話しかけて来た僕を彼女が怪訝な顔で睨みつけて来たのを今でも覚えている。


まあ、それもそうだろう。彼女からしたらこんな白熱した大事な場面で僕みたいなモブキャラが話しかけて来ればそれはそんな顔をする。


そんな顔されるだけで済んだ分、まだマシな方だ。


だけど僕は僕でどうしても言っておきたいことがあったため、怯まず話を続けた。


「例えば…家から走って30分かかる駅から1日一本しかでない電車があと5分で出発するとして…姫浦はどうする?」


「はあ?」


唐突で偏屈な質問に、当然のごとく彼女は悪態を吐いた。


「いいから答えて」


「私はそれでも走るよ」


「どうせ間に合わないのに?」


「それでも、もしかしたらなにかの事故とかで電車が遅れてるかもしれない」


「そうだね。僅かな望みでも全力を出せる姫浦はすごいと思う。だけど、その『もしかしたら』のために他人に同じ努力を押し付けるのは……酷だと思う」


そんな僕の言葉に彼女は一瞬、怯んだ様子を見せたあと、ワナワナと体をふるわしながら口を開いた。


「あんたに…あんたになにが…」


『あんたになにがわかるの!?』


おそらく彼女はそう言おうとしたのだろう。


だけど、彼女の言葉を遮ったのは彼女の味方だったはずの女子生徒達だった。


「そうだよ!!。姫浦さんは努力家だから出来るかもしれないけど!!私達には出来ないの!!」

「姫浦さんの要求に私達は答えられないの!!」


「姫浦さんは勉強できるからいいかもしれないけど、私達は受験勉強もしなきゃいけないの!!」


おそらくは…いままでは『みんなの小学校を守るために行動していた姫浦を否定すること=みんなの小学校を否定すること』という図式が成り立っていたため、『良い子』でいるためには姫浦の行動を否定することが出来なかったのだろう。


だけど、僕がその方程式を崩してしまったから、姫浦を守るものはなにもなくなってしまったのだ。


それからというもの姫浦の失脚ぶりは凄まじかった。女子生徒におけるグループからの孤立がどんなに悍ましいかは知り得ないが、あの強かった彼女の心をへし折るくらいには惨たらしいものだったのだろう。


彼女が不登校となってしまうのに、長い時間はかからなかった。


これが彼女と僕の因縁の話。あの時の姫浦との会話はいまでも鮮明に覚えている。多分、彼女が不登校となるきっかけを作ってしまったということに罪悪感を覚えているのだろう。別に自分の言ったことが間違ってたなんて思っていないが…もう少し言い方があったと思ってしまうから。


だから、彼女からしてみれば僕は言ってみれば仇。だけど、僕は彼女のことは嫌いではなかった。少なくとも中学卒業してこれからどうするんだろうと心配してしまうくらいには思っている。…いや、むしろ僕はあの時、彼女のことを…。


まあ、もう過ぎたことだ、忘れよう。また夢に出てもらっても困る。


それよりも今日は入学式だ…早く準備をしないと…。


そのとき、僕はふと今朝の夢を思い出した。


あそこまでとは言わずとも…どうか今日の入学式が、特別なものでありますように…。


そんなことを僕は密かに部屋の隅でおざなりに捨て置かれているギターに願い、今日という入学式に期待し、麗らかな新しい春の日差しに飛び込んで行った。











…まあ、結局待っていたのは厳かで平凡ななんの変哲も無い人類最後の入学式だったんだけどね。

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