第163話 救済

 

 それは、数分前。突然のことだった。

 穴の開いた紙袋を被った少女たちが、突如そこら辺の椅子に俺を括り付けたのである。

 抵抗しようとはしたが。

「……どうなってもいいの?」

 妙にシリアスな口調で言われて、どうにも抗う気になれなかった。半ば自ら括られていたような節さえあるし、いまも脱出しようとすればすぐに脱出できる。

 ――で。

「なあ、どうしてこんな真似をしたんだ、アリス、リリス。あと……あの、学園都市の女子高生の子たち」

「なんであたしたちの名前覚えてないのよー」

「というかなんでわかんの。なんというかマジヤバくね?」

 魔力感知はレベルアップに伴う強化や熟練によって今や一人一人の個体識別さえも可能にした――というのはさておき。

「ひとまず質問に答えてくれないかい」

 俺は目の前の、紙袋を脱ぐ少女たちを睨む。

「……またその目だ」

 ふと、ルミナが口にした一言。俺は聞き逃せなかった。

「どういうことだ?」

「へ? なんのこと?」

「すっとぼけるつもりか? ならば――」

「まって! ステイ! ステイゴールド!」

 馬か。いやなんで知ってんだ。

 そんなことより。

「……『その目』って、どの目だよ」

 おどけた姿のその少女を俺はくっと睨みつけながら聞くと、その道化はやれやれ仕方ないといった風にため息を吐いて。

「なんか、化け物みたいな凶暴な、悲しい目がやだったの。あたしってほら、楽しいのが好きだからサ」

 ……ルミナ、めっちゃシリアスな話してるところ悪いけど。

「スカート、ずり落ちてんぞ」

「ぴゃんっ!」

 九十年代の少女漫画にありがちな崩れめなギャグ作画で恥ずかしがって見せるルミナ。そういうとこだよ。

 ……その仕草すらも計算ずくなのだとしたら、この少女はいったい何者なのだろう。いや、この疑問はおそらくこの話が完結するまで解かれることはないのだろうけれども。

「シリアスブレーカーとでも答えておこうか」

「なんだそれ」

 こんな気軽なやり取りが楽しい。それだけでもう十分だと思えた。

「で、どうして俺は椅子に縛られてるんだ、ルミナ」

 聞くと、彼女は笑顔で口を滑らせた。

「なんかあんたがぶっ壊れてたから心配で」

「治してあげるために、とりあえずいろんな方法を試すことにしたの❤」

 途中からアリスが引き継いだ。言っていることはわかるのだが、手に持っているものがなんだかおかしい気がする。金属バットとかシャレにならないぜ……。

「まずは、顔とかを整えてあげないとね……」

 金属バットはとりあえず置いたアリス。しかし、代わりに持ち出したのはカミソリ……もしかして殺すつもりじゃないよな?

 まあ、別に殺されてもいいのだが。

 諦めながら、目をつぶって、これから来るであろう痛みに備えた――。


 数分後。

 妙にすっきりとした感覚。

「どう?」

 不審に思って目を開くと、そこには数年前の俺――と酷似した青年がいた。

 鏡。ここ数年目にもしていなかったが、どうにもピンとこない。自分だという実感がない。

「髭を剃って髪を切ってあげたの。これで少しは清潔になったね」

 そうか、そりゃあ変貌しているわけだ。顎を軽くなでると、じょりじょりを通り越してふさふさしたような感覚――はもうなくて、代わりにつるつるとした皮膚の感覚。

「ああ、ありがと」

 礼を言って。

「……ここまでしておいて言うのもはばかられるが」

 唐突に、リリスが口を開いた。

「きっと、ジュンヤを治す手立てはないぞ」


**********


「何が何やらわからないままに紙袋をかぶせられてこいつの捕縛を手伝ったわけだが、ようやく合点がいった」

 リリスは悲痛な目で俺を見つめた。

「レベルがあまりにも高すぎる。人間の身には余るほどの魂をその身に抱え込んでいる。人の身で神になり果てようとしている」

「それってつまり?」

「人として死ぬ寸前。ほぼキャラロストだな」

「なに言ってるかわかんないけど……なんか、相当ヤバい気がする……」

 アリスとリリスのやりとりで、俺の状況が改めて理解できた。

 キャラロスト。ゲームなどでキャラクターが自分の手を離れること。一般的には完全な死を意味する。

 ふっと息を吐いた俺に、視線が集まる。

「……知ってたよ。俺がもう駄目だってことは」

 諦めていた。もうこれが寿命なのだと、諦観していた。

「だから……最期は君の元で。そう思って、ここまで来たんだ」

 言って、俺はアリスを、その濁った瞳にうつす。

「……はじめて、こんな俺なんかを好いてくれた君の元で、俺は二度目の生涯を終えたいと、そう思ったんだ」

 俯いた俺に、その少女は悲痛に呟く。

「生涯を終えるって……やだよ。いかないでよ」

 立ち上がって俺の手を握るアリス。

「どれだけ待ったと思ってるの? どれだけ好きで、どれだけ悲しくて……また会えたとき、どれだけ嬉しくて、どれだけ満たされたか……わかんない?」

 苦しげに、絞り出すように。

 彼女は、強く俺の手を握りしめて。

「また、あんなに悲しい気持ち――こんどは、ずっとさせるつもり?」

 拙い語彙でつづられた想いに、胸が締め付けられて。

「……俺だって、いきたかなかったさ」

 独り言を吐き捨てた。

「ああ、世界ってのは残酷なものだ。神様ってのは馬鹿野郎だ。……俺を散々頼ったくせに……愛する人を、幸せにする権利すらくれないなんてよ」

 もとはと言えば全部自分のせいだ。自暴自棄になって、生き物を殺して回って。

 神様だって、あまり関係ない。ハデスも最近は通信してこない。

 要するに責任転嫁だった。言い訳じみた、醜い責任転嫁だった。

「まあ、何をどう言ったところでもう手遅れだ。好きに喚くがいいさ」

 リリスは、どこか慰めるように口にした。

「その言い方は――」

「待て、お姉ちゃん。続きがある」

 怒ろうとしたアリスを抑えながら、目の前の悪魔は口角を上げる。

「ふふ、よかったな、上級悪魔たる私が仲間にいて。力がだいぶ戻ってきた私なら……お前を生かせるかもしれない。恩人であり姉の恋人たるお前を殺すのは忍びないからな……特別だ」

 くっと俺を見据える少女悪魔。

 わずかな思考時間の後に、その口は告げる。俺の運命ゆくすえを。


「イワタニ・ジュンヤ。契約しよう。汝の命と魂を代償に、大いなる力を授けよう!」


 ――悪魔の契約だ。

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