第25話 限界点

 映像の中で、玖ユリは泣いていた。

 自分のいる場所が夢の中だと分かってはいるようだったが、それでも、目にしている光景を信じたくないようだった。


 今、偽物の夜シルが、同じく偽物の金田・瑞リの肩に手を置き、そっと口づけしている。


『好きだよ、金田さん』

『うん。私も。でも、私、その……何も経験ないから、がっかりしちゃうんじゃないかなって』

『ううん。逆に良かったよ。安心した。何も経験ない方が、俺は嬉しいし。誰かと何かしたことがある人って、何だか俺、受け付けないからさ』


 玖ユリは顔を下に向け、失意の表情でその場を逃げだした。


『な、なんで……? なんで、夢見マシンの電源が落とせないの? こんな夢、もう、見たくないよ。早く起きたいよ。どうすれば良いの?』


 そんな玖ユリの背後に、スーツを着た、きちんとした身なりの男が現れる。

 玖ユリはおぞましい気配を感じたように振り返ると、悲鳴を上げた。


『きゃあああああああ!』

『玖ユリちゃーん! お久しぶりー!』

『お、おじさん? なんで……! なんで! いや……! いやぁぁぁぁぁぁ!』


 玖ユリの表情は驚きと、そしてトラウマに触れた苦痛に満ちていた。


『玖ユリちゃんに会いたくってねぇ。我慢できなくて、出て来たんだよ。ひひひ。ほら、あの頃のままの姿だろ? だからね、おじさんともう一回、あの時の楽しい事しましょーか! はい、脱ぎ脱ぎしましょーね!』


 玖ユリは逃げ出そうとしたが、ダメだった。

 周囲の地面から突然に壁が出現して、逃げ場をふさいでいくのだ。


『ひっ、なんで! こんな!』


 ついに全く逃げ道が無くなり、玖ユリは迫って来る男を見て腰を抜かし、その場に座り込むと涙をボロボロとこぼして震えた。


『いや! 来ないで! 来ないでよ!』


 だが、男は玖ユリの願いなど聞くつもりはないらしい。

 スーツのネクタイを外し、ベルトの金具を外すと、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。

 玖ユリは壁を背にして、少しも動けない。

 男は、そのまま下着を脱ぎながら歩き、ついに玖ユリの腕を掴んだ。


『そんな悲しいこと、言わないで欲しいなぁ。僕はね、ほら、こんなに玖ユリちゃんのことが好きなんだよ? そうして冷たい言葉ばかり聞かされると、乱暴にしたくなっちゃうなぁ!』

『や……やめて! 離して! うっ、ぐっ……!』


 打撃音。うめき声。ボタンが弾け飛ぶ、ブツッと言う音。

 玖ユリが履いていたスカートの、変形した留め具が映像に映った。


『ひひ、立派に育ってますねぇ。おじさん、嬉しいなぁ』

『い、いやぁ……! 助けて……! 夜シル……! 夜シル……!』


 夜シルはもう、見たくなかった。聴きたくなかった。

 でも、玖ユリが助けを呼んでいる。自分の名前を呼んでいる。

 それが分かって、夜シルはどうしようもなく聞いてしまった。


 出来るなら、助けに行きたい。

 だが、これはもう、すでに終わってしまった事。

 夢魔が誇らしげに見せているこれは、木村・玖ユリの最後の映像なのだ。

 夜シルはボロボロと流れて来る涙を払い、地面に置いてあった銃を拾って、構えた。


「お? ついに手にしたね。我慢できない? 撃ってみるかい? 希ルエに当たらなければいいねぇ」


 盾にされている希ルエの顔が、恐怖にひきつって、夜シルの銃を見た。

 やはり、夜シルには撃つことが出来そうもない。


「ち、ちくしょう……! 何でだよ! 何で、木村にこんな酷いことを……! 木村が何をしたって言うんだ!」


 別に何も? っと夢魔は答える。


「何でこんなことって、決まってるだろ? さ。人間に苦痛を与えれば、それだけ僕たちは満たされるんだ。お前ら人間だって腹は減るだろ? 選べるなら、旨い物が喰いたいだろ? だから僕は、僕と言う個の生物として、好きなものを好きなようにして喰うのさ。お前ら人間だって、そうやっていくつもの種の動物を喰い滅ぼしてきたじゃないか。喰えば滅ぶと分かっていても止められない。僕だって、同じさ。目の間にこんな僕好みの魂があったら、そりゃ食べたくもなる。……しかし、この玖ユリちゃんは最高だったぜ? ほら、よく聞けよ夜シル君。良い鳴き声だろ?」


 複数の映像が夜シルの視線を遮った。

 玖ユリの苦しむ様が、様々な角度、様々な距離から映し出されている。


『た、たすけて! 誰か……! ああああああああ!』


 引き金に触れている指が、わなわなと震えた。

 涙は止まらない。


 夜シルの頭の中を、仲間たち三人で過ごした思い出が駆け巡っていた。

 今になって気づく。

 玖ユリと言う少女が、どれだけ夜シルの心の中を占めていたかを。


 彼女の優しい言葉。元気に笑いかけて来る顔。ちょっとした仕草。

 ロックを語った、彼女のどこまでも尽きない、旧世紀の音楽への憧れ。

 いつまでもキラキラと輝くはずだった、青春。


 どれも、全て素敵だった。

 それは、夜シルの中で、確かに幸せと呼べるものだった。


 だが、今。

 映像の中で、それらの全てが踏みにじられて死んでいく。


 嗚咽。涙。悲痛な表情。濁った音の混じった、犠牲者の叫び。


『や、夜シル……! 夜シル! いやあああああああああああ!』

「き、木村……! 木村ッ!」


 夜シルは玖ユリの名を呼ぶと、顔を歪ませて嘆きの声を漏らした。

 喉の奥、心の部分から上がった、言葉として意味のなさない、悲しみの音。

 自分では止められない、涙と共に流れ出た絶望の感情だった。


 だが、樹ミの姿をした夢魔は、そんな夜シルを見てなおも笑う。

 本当に、愉快に、面白いと言うように。


「ギャハハハハ! その顔、良いねぇ。でも、さ。言っておくけど、これだけで終わりじゃないからな?」


 夢魔の、下劣さ溢れる声が高らかに響く。


「これ以上、何かしたって言うのかよ」

「もちろんさ。これが終わった後、ちょっとしたゲームをしてやることになってねぇ! 鬼ごっこって奴?』

「……鬼ごっこ、だと」


 夜シルがゾッとした顔で返すと、夢魔は、こらえきれない愉悦を我慢した、クックックと言う笑いと共に答えた。


「そう、鬼ごっこさ! ただし、鬼役は複数で、逃げる役は玖ユリちゃん独りだけ。で、玖ユリちゃんが捕まったら罰ゲーム! って奴?」


 夜シルは唇を噛んだ。


「ふざけんな……! ふざけんじゃねぇ!」

「え? 別にふざけてはいないよ? こっちだって遊びじゃないんだぜ? ちゃんと罰ゲームはしてやったさ! 今、映像の中で玖ユリちゃんがされてることを、時間をかけて、たっぷりとね!」


 信じられなかった。

 何故、玖ユリがこうまでして苦しめられなければならないのか。


「最初の二回目か三回目くらいはまだ抵抗してて面白みがあったんだけど、そこからは足取りが弱弱しくなっちゃってね、簡単に捕まえられたからもう、やりたい放題さ! 面白かったぜー! あんなに夜シル君に酷いこと言われたのに、こっちがどんどん人数を増やして、とことん追い詰めて囲んでも、何されても、ずっと『やしるー、やしるー』って名前呼んでやんの。けどさぁ、二十回か、三十回か忘れたけど、その辺で玖ユリちゃんのご要望通り、僕が造った夜シル君に登場してもらってね。『なんだこのきたならしい女』って声、投げかけさせたら、それがトドメになって死んじゃった! アハハハハハ!」


 もう、限界だった。

 ――撃つ。


 だが、引き金を引く最後の瞬間、希ルエの顔が目に入り、夜シルは銃を下げた。

 この復讐に、希ルエを巻き込んで犠牲にするわけにはいかない。

 夜シルは思い、前に足を踏み出した。


 ――ちくしょう! 撃てないのなら、殴りかかってでも一発くれてやる!


「お? 何だ何だ? お前、あの女の事、好きだったのかよ?」


 恋愛対象ではなかった。

 だけど、それとは違う意味で大好きだった。


 一緒に河原で聴いた曲。

 一緒に笑いあった時間。

 その全てが、何よりも大切だった。


「木村は、仲間だったんだ! 大切な仲間だった!」

「ああ、そう言うこと……! でもさ、お前のそういう気持ちが苦しめてたんだよなぁ! そんなお前に惹かれて、ずっと思い悩んで……お前が殺したも当然じゃないか? いっそ、女として見てやればよかったのに! 抱いてやればよかったのに!」

「……ッ! 黙れ! 黙れよ!」


 その時だった。

 誰かが後ろから夜シルの肩を掴み、力いっぱいに引き寄せる。


「落ち着け、赤井」


 沢田・ア墨だった。


「全く、夢魔って奴は悪趣味な野郎が多い。だが、こういう奴らだから、遠慮なく戦えるな」


 沢田は冷静にそう言うと、フーっと息を吐きだした。

 その沢田を見て、樹ミはイラついた表情を向ける。


「……何だ、お前? 夜シル君の仲間か?」


 返事は、スッと手を水平に持ち上げた仕草だった。

 その手には、拳銃が握られている。


「赤井、よく見ておけ。銃ってのはこう撃つんだ」


 言うより早く、沢田の銃から火が噴いた。

 発射された弾丸は、希ルエを拘束している樹ミの臓物を弾き飛ばす。

 一本、二本、三本。

 飛び散る腐った汁が希ルエを汚し、地面にこぼれた。


「さ、沢田さん!」


 夜シルは焦った。

 希ルエに当たったら、どうするのかと。

 しかし、沢田の正確無比の射撃は確実に夢魔の肉体を撃ち抜き、希ルエには傷一つ負わせていない。

 希ルエを押さえていた手と肩にも命中して、樹ミは「ぎゃ」っと短い悲鳴を上げた。


 ベレッタ。M9。

 夜シルが持っているものと同じ拳銃を構えた沢田の銃撃は、なおも拘束していた触手の全てを吹き飛ばし、解放されて倒れこんだ希ルエを見るや否や、続けて樹ミの胴体に弾丸をぶち込んだ。


「……な、なん、だと! 人質がいるのに、こんな、でたらめな! 当たったらどうするつもりだ!」

「外さないさ。自信がある」

「ぐっ、くそ!」


 樹ミは臓物ごと後ずさった。

 その隙を逃さず、沢田はさらに銃弾をぶち込むと、倒れこんだ希ルエの元に走り、さらに引き金を引く。


 そこで装填されていた弾丸が尽きたらしく、沢田は素早く弾倉を抜き、新しい物と入れ替えた。


「き、貴様、何者だ!」


 血のあぶくと共に口から吐かれた樹ミの言葉に、沢田はニヤリと笑うと言った。


「ナイトメアバスターズ。夢魔殺しさ。そっちの新人と違ってベテランだが、まぁ、別に覚えなくても良いぜ? お前はもうすぐ、死ぬんだからな」

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