第26話 二つの正義
「ナイトメアバスターズ、だと? 僕を、殺すだと?」
夢魔は目をさまよわせた後、不敵に笑いながら、新たな触手を生やし、伸ばし始めた。
「何が、夢魔殺しだ。殺せるものなら、殺してみろよ!」
でろでろとした液体がしたたり落ちて、周囲の地面を汚していく。
突然、公園の地面から肉の芽が生えて、一気に成長した。
突風が吹き、血の雫をあたりにぶちまけながら、それらは大きく天へと延びる。
それらは太く、たくましい筋肉のような生の肉の樹木だった。
沢田はすぐさま引き金を引く。
二度、三度と轟音が響き、密かに迫っていた触手の何本かを弾け飛ばすと、そのまま照準を夢魔の肉体に向ける。
が、その時、沢田の腕にすがりつく者があった。
「やめて! 殺さないで!」
魚住・希ルエである。
「邪魔だ!」
沢田は力任せに希ルエを振り払うと、急いで銃口を夢魔に向け、撃った。
だが、その時すでに、生肉の樹木が壁となり、射線を遮っていた。
その裏側から、夢魔の声が響く。
「なるほど……お前、さっきベテランと言ったな? 確かに、夜シル君とは一味違う感じだ。君からは強い殺意を感じるよ。僕を殺すと言う、ただのそれだけの、純粋な意志を。ならば、僕は一度、姿を隠すことにする。長期戦と行こうじゃないか」
その言葉と共に、気配が消える。
沢田は、ゆらゆらと揺れながら枝を伸ばして来た生肉の木々へ銃を連発し、吹き飛ばしたが、その後ろには夢魔の姿はどこにもなかった。
「沢田さん!」
「……赤井! こっちに来て、手を貸せ!」
「な、何をすれば」
「患者にこれ以上、俺の邪魔をさせるな!」
夜シルは走り、沢田に抱きかかえられていた希ルエの元へ急いだ。
沢田は、希ルエに言う。
「魚住・希ルエさんだな? 何故、余計なことをした」
「じゅ、樹ミ君は、体を乗っ取られてるだけなんです。殺さないで、助けてあげることって、出来ないんですか?」
夜シルは到着する。
沢田は体を震わせている希ルエに背を向けて、羽織っていた薄い生地で作られたコートの内側から新しい拳銃を取り出し、夜シルに渡した。
「そっちの銃の弾はそろそろ切れる頃合いだ。これを持っておけ」
「はい。……すいませんでした、沢田さん。俺、何もできなかった。来てくれなかったら、殺されてました」
「何、誰にだってはじめてはある。すぐに慣れるさ」
沢田は飄々とした顔で、周囲を見た。
散らばった木の肉片が再び芽を出し、成長を始めている。
ここに留まってはいられない。
「沢田さん、どうしますか? これから」
「依然、変わりなく夢魔殺しだ。長期戦だとかふざけたことを言っていたが、必ず自分の手で彼女を殺しに来るはずだ。とりあえず、ここを離れるぞ。ここは危険だ」
「あ、あの!」
突然として希ルエが、言った。
「私の話は、聞いてくれないんですか?」
「なんだ?」
「樹ミ君を、助けて欲しいんです。私を助けるために無理をして、気を失って……あの、怖い奴は体を乗っ取ったって言ってたんです。お願いします! 彼を助けてください!」
沢田は若干のイラつきを見せながら希ルエを見たが、夜シルがフォローに回った。
「沢田さん、樹ミ君は魚住さんの幼馴染です。昔、彼女を守るために死んで、それからずっと心の中にいて、魚住さんを守りに来たって」
何とかできませんか? と続けた夜シルに、沢田は言った。
「……赤井。お前まで何を言っているんだ? 夢魔は憑りついている人間の記憶を読めるんだぞ。再現されたに決まっている」
「でも、沢田さん。彼は……」
夜シルは言いたかった。
だが、戦いの中で自分が感じた違和感を、なんと伝えようか。
わからない。
それでも何かを言わずにはおれず、必死に言葉を探しながら、言った。
「彼は、僕の味方をしてくれていました。夢魔も、自分が作っていない人間が現れたから、驚いたって」
「そう言ったのなら、それも含めて夢魔の策だ。その危険性を考えろ」
沢田の顔は真剣だった。
「今、言ったばかりだろ。お前は今回がはじめてで、まだ素人なんだ。いろいろ知らないことも多い。惑わされることもあるだろう。今回は、俺のことだけを信じろ。俺たち以外で出てくる奴は、全員敵だと思え」
しかし、それを聞いていても納得がいかないのは希ルエだった。
「待って! 待ってください! ここが夢の中ってことは、先ほど聞きました。夢の中の悪魔を倒すって。あなたなら、その悪魔に乗っ取られた人を助ける事とか出来ないんですか? 乗っ取った悪魔だけを倒すとか」
「魚住さん。今、こいつに言った通り、その樹ミとか言う奴は敵だ。敵を助けることなんて出来ない」
「敵じゃありません! いつだって私を助けるために命を懸けてくれていた男の子なんです! 私の、大切な……」
「悪いがな、お嬢さん」
沢田は希ルエの声を遮ると、その小さく震えている肩をグッと掴んだ。
「あんたのノスタルジーに付き合うつもりはない。誰であろうと、俺たち以外は敵だと言っているだろ。俺たちは人を喰い殺す悪魔を滅ぼすために戦っている。それが仕事だ。敵を助けたって何の得にもならんし、最悪、俺たちまで危険になる」
「そんな!」
沢田は拳銃を持った手を持ち上げると、撃った。
希ルエはひっと身をすくませる。
弾丸は、近くまで枝を伸ばしていた生肉の樹に命中し、ぐったりとその身を地面に沈ませる。
「ここは危険と言っただろ! 話し込んでいる時間は無い! 行くぞ、赤井。患者を連れて、さっさとこの場所を離れるんだ!」
「でも沢田さん、どこに行くんです?」
「とりあえず土の地面じゃ無ければどこでも良い! 俺は肉で出来た植物を伐採するなんて仕事はごめんだ。お前もやりたくはないだろ?」
確かに、コンクリートを突き破って出てくるようには見えない。
土の上をうねうねと動きながら、ゆっくりとこちらに近寄って来るようにも見えたが、公園の外を移動できるとは思えない。
だが、それを拒否したのは、あろうことか保護対象であるはずの希ルエだった。
「……私、行きません」
「何?」
希ルエが、涙をボロボロと流しながら、沢田に食って掛かった。
「樹ミ君を助けてくれるって言うまで、ここから動きません!」
心の底から軽蔑の表情を見せた沢田は、今度は笑った。
「くっくっく、全く、困ったお嬢さんだ。自分の状況を分かっているのか?」
「な、何を笑っているんですか! 私は真剣に……!」
そして、夜シルは見た。
夜シルには……少なくとも女性に対しては神聖視に近しい物を感じていた無垢なる少年には信じられなかった。
沢田は、手を大きく振り上げると希ルエの頬を打ったのだ。
彼は、倒れそうになった希ルエの手を掴んで無理やり立たせると、今度は銃を向けた。
「死にたいのなら手伝ってやるぜ?」
カチリと言う銃の立てた音に、夜シルの方が驚いてた。
「さ、沢田さん! やめてください!」
「黙ってろよ、赤井! ……良いか、魚住・希ルエさん。俺は、あんたがどんな人間なのかはまるで興味がない。だから、あんたの過去に何があったかなんてことも、俺には関係がないんだ」
希ルエの目から、涙がボロボロとこぼれる。
沢田はそれすらも構わず、言葉をつづけた。
「この場所では、あんたが大切にしていると言っているその相手は、俺の敵だ。人喰いの化物だ。そいつを殺し、ついでにあんたの命を助けてやるために俺たちは来たんだ。死にたいなら勝手にしろ。例えあんた自身が自分を危険に追い込もうと、自分を殺したがっていようと、俺の知ったことではない。ただし、終わった後だ。死にたければ、全部終わった後で好きにすればいい。今は俺の指示に従ってもらう」
夜シルは、愕然とした。
夢魔さえ倒せれば、希ルエのことなんてどうでも良いと言っているように聞こえたし、事実そう言っているのだ。
夜シルの脳裏に、灰谷・真ロウが沢田に話していた言葉がよみがえる。
『いいか、沢田君。君の夢魔殺しの腕は確かだ。戦い方は応用も効くし、だからこそ、新人の夜シル君と組ませた。だけど、僕は心配なんだよ。君のやり方では……』
夜シルは思った。
――そうだよ。こんなやり方で、人を救うなんて。死んでも良いなんて、何でそんなことを言うんだ! あんたが!
どうにも我慢できない気持ちもある。
夜シルは飛びだして沢田の腕を掴んだ。
「……何の真似だ、赤井」
「俺はやめてくださいって言ってるんです! 沢田さん!」
「何だと?」
「こんなの、間違ってる! この人を大切だって思えないで、どうして救えるって言えるんですか!」
「……赤井。今すぐ手を離して、その口を閉じろ」
「嫌だ! 俺は黙らないぞ、沢田さん! こんなの、許せるかよ!」
沢田は口元に笑みを作り、それでも目に怒りを浮かばせながら夜シルの胸倉をつかんだ。
「……お前、何のつもりだ?」
「い、言う事を聞かなきゃ、暴力なのか!」
「その通りさ」
沢田は夜シルの腹を殴った。
「ぐっ……はっ!」
「少しは夢魔殺しとして見所があると思ったが、とんだ見当違いか? 赤井、夢魔がお前に何をしたかを考えろ! お前の友達に、何をしたのかを!」
「だ、だからだよ! だから、俺はあんたのことが許せねぇんだ!」
「何?」
夜シルは勢いを付けて立ち上がると、沢田の体を殴り返した。
まさか殴り返してくるとは思っていなかったのか、沢田はグッと顔をしかめる。
しかし、鍛え上げられた沢田の筋肉には、ほとんど無意味だった。
「ちくしょう!」と、夜シルは再び流れ出した涙をぬぐい、それから言う。
「あんたの言う通り、俺は友達を殺された。自分も死にかけた。自分一人しかいなくなって、絶望してた! 唯一の家族だった母さんが話すのは仕事と金のことばかりで、俺がどうなろうと関係ないって風に話して来た。俺のことなんて死ねば良かったって目で見て来たんだ! リナさんから本当のことを聞かされたって、今日だってそれを信じられないでずっと疑ってばかりだった! だから……!」
夜シルは、今度は沢田の胸倉をつかんだ。
長身で筋肉質な沢田の胸倉は高く、遠目で見ればぶら下がっているかのようにも見えたかもしれないが、それでも。
それでも、夜シルは言った。
「だから俺は……嬉しかったんだ! 誘われて、必要とされて! 仲間だって言ってもらえて! なのに、何であんたが俺の母さんみたいなことを言うんだよ! 目を覚ました俺に、最初に戦ってくれって、俺のことを呼んでくれたのは、あんたなんだぞ!」
沢田は冷ややかな目で夜シルを見返すことしかせず、黙って言葉を聞いていた。
「あの時、俺は確かに救われたんだ! 人を救うって、そう言う事じゃないのかよ! 俺たちは、人を救うためにここにいるんじゃないか! 救うために夢魔と戦うって……! だから!」
沢田は夜シルの手を振りほどいた。
そのまま真剣な顔をして、言う。
「……俺がお前を仲間だと言ったのは、夢魔を憎む同士になれるかと思ったからだ」
言いながら新たな拳銃をコートの中から取り出し、両手で構えると周囲に忍びつつあった生肉の木々に向けて乱射した。
すぐ、そばまで迫っていたのだ。
弾ける血肉が散らばって、臭気があたりを包む。
「俺は夢魔を憎んでいる。お前と同じように、大切な人を殺されたからだ。あいつらのやり口を知って、女であった『あの人』がどういう風に喰われて死んだかも想像した。到底許せるものでは無い」
沢田はそれだけを言うと、拳銃から上る硝煙に息を吹きかけて、言葉を続けた。
「だから、俺は何よりも夢魔を殺すことを優先する。それが俺の中の正義であり、生きる意味だ。俺とお前では優先順位が違うらしいな。お前にとっては、『患者を助けるために夢魔を殺す』。俺にとっては、『夢魔を殺すことで患者の命も助ける』。なら、それでも良いだろう」
沢田は表情を崩さずに言った。
「別行動だ。お前は患者を守るために逃げ続けろ。俺は夢魔を殺すために、気配を探って追う。挟み撃ちだ。とりあえず、移動するぞ。ここにはいられない。地面を見てみろ」
どうやら、今すぐ動かなければならないらしい。
肉片が散らばれば散らばるほど、生えて来る生肉の植物は数を増やし、太く、動きも早くなっている。
夜シルは、どうしたら良いのかも分からずに、ただただ沢田の言葉に頷いた。
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