第27話 決意

 沢田は公園から出ると、同じく違う方向へ歩いていく夜シルら二人の背中をチラリと目で追い、それから夢魔の気配を探った。


 遠くはないようだが、近くはない。

 沢田はしばらく歩き、それから殴られた場所……それはほんとうに些細な痛みでしかなかったが、殴られた腹部と、それから殴った夜シルのことを想った。


 ――生意気な奴だ。だが……上手く動いてくれた。


 全く、を言うのは疲れると、沢田は思う。


 死んでいい等、嘘だ。

 魚住・希ルエが生きたいと思おうが、死にたいと思おうが、自分には関係ない。

 関係がないから死んで良いなど思うはずもないし、何よりも想ったとしても、わざわざそれを口に出して言う必要はない。


 その時、ふと、誰かの声が聞こえた気がした。

 過去、どこかで聞かされた、記憶の声。


『沢田さんの考えは、確かに合理的です。ですが、そんな、目的のためなら人の心も利用するなんて方法は……』


 リナ・ブロンの声だ。

 あれも夜シルと同じく、青臭い奴だとは思う。

 だが、沢田の意図する通りに動いてくれると言う点では、実に使仲間だ。


 そして同時に、それとは別の思い出が、脳裏をチラリとかすめた。


『ア墨君。なかなか上手いじゃない』


 アメリカのロサンゼルス。

 射撃練習場で、その人はささやかに笑っていた。

 初めての銃。初めての射撃。

 手の痺れを感じて、まだ少年だった沢田は言う。


『……反動、見てた以上にきついや。それに、ちょっと怖いな』

『そうだろう? まぁ、武器だからな。怖かったら無理すんなよ』


 もう、遥か昔とも思える、遠い日々。

 初めて手にしたM9はずっしりと重かったが、それでも狙った場所に命中したことも嬉しかったし、それを大好きだったその人に褒められたことも、沢田は誇らしく感じていた。


 戸野部とのべ信子のぶこ


 全部漢字とか古風な名前だろ? と、自分の名前を誇らしげにしていた彼女は、沢田よりも射撃のことに関しては上だった。

 むしろ、今ある銃の知識も、何もかもが、当時の彼女に教え込まれたようなものだったと言って良い。


 自分の遠い親戚でありながらも近くに住んでいて、働いてお金を貯めてから急遽アメリカの大学に進学したと言うその人は、夏が来るたびに沢田を自分の住んでいた町に呼んだ。

 

 少年は来いと言う、その言葉が伝えられるたびに喜んだ。

 息苦しい日本を脱出して小旅行、それも海外である。

 胸が躍らないわけがない。

 沢田少年は彼女のアパートに泊まり、連れ回されつつも楽しい日々を過ごした。


 それは彼にとって、まさしく幸福だった。


 当時の日本もやたらと情報や娯楽に規制が多く、また、親との折り合いも悪かった沢田少年にとっては、その人とその国で過ごす日々は、何よりも大切なものだったのだ。


 だが、戸野部・信子は沢田少年が高校を卒業する直前に、日本に帰ることになった。

 彼女の両親が事故で死に、帰らざるを得なかったのである。


 そして、彼女は帰って来てから間もなく、病に倒れた。

 当時、まだ日本でも症例が少なく、アメリカでは密かに処理されていた『眠り病』だった。

 夢魔に憑りつかれたまま帰国してしまったのだと言う事が、今では理解できている。


 ……彼女が倒れる前、沢田は自分の気持ちを伝えようかと悩んでいた。

 彼女の力になりたい。一緒にずっといたいと、心の底から想っていたのだ。


『信子さん、俺……』

『悪いな、ア墨君。そいつはちょっと、今は聞けないや』


 戸野部・信子は見透かしたような目でささやかに笑うと、続けた。


『今はゴタゴタしてるしな。それに、お前ももうすぐ大人になるだろ? そしたら聞いてやるよ。会いに来い。いつでも待ってるから』


 ……沢田は時々、考える。


 もし、日本に帰らなければ。

 アメリカにいたままだったのなら、彼女は助かっていたのだろうか。

 だが、当時の日本にはまだ、彼女を救う夢魔殺しの組織は作られていなかったし、彼女は誰からも助けられず、また、沢田も彼女を助けることが出来なかった。


 沢田少年が、憧れと、若さに満ちた瑞々しい恋心を抱いていた女性。

 戸野部・信子は倒れてから5日間眠り続けた後、静かに死んだ。


 その後、アメリカに渡った傷心の沢田は、偶然にも『悪魔』と遭遇し、その狩人と合流して、眠り病の実態と夢魔の存在を知ることとなった。

 沢田・ア墨と言う、純朴な少年を復讐の鬼へと変化させるには、それで十分だった。


 彼ならば、現実世界の悪魔と戦うのにも大きな戦力となったはずだったが、それでも、夢魔殺しの役職に就いたのは、彼がそう望んだからなのだ。


 沢田はウォッチから映像データーを呼び出すと、チラリと見る。

 銃を片手に笑っている戸野部・信子と、自分。

 照れつつも緊張した面持ちで隣にいる少年の、その幸せそうな表情を見て、フッと笑みを浮かべた。

 が、しかし、それも僅かな間だけだった。


 沢田は首を振り、画像を閉じる。


 ――仕事中だ。ノスタルジーに付き合ってはいられないと言ったばかりだろう。それは自分のことだろうと同じだ。


 今も昔も、思うことは変わらない。

 殺すだけだ。夢魔を、一匹でも多く。


 今回、恐らく、夢魔の取る手段は二つと沢田は見ている。


 一つは、戦闘能力の高い自分を狙う事。

 もう一つは、未熟な夜シルと、自分が憑りついている無防備な希ルエを殺す事。

 あるいはその両方である。


 前者は、絶対的に有利な状況を作ると言う点で、有効ではある。

 だが、沢田は例え奇襲されようが負けるつもりはないし、あの夢魔も、それが分かって逃げだしたのだ。

 もちろん、夜シルを含めて二人同時に相手をするのを恐れた可能性があるが、それでも、あの夢魔が自分を狙ってくる可能性は低いと沢田は思う。


 だとすれば後者だ。

 そもそも、憑りついている者を殺せば、夢魔の勝利は確定したようなものだ。

 殺した後はネットの海へ逃げ出して、次の捕食対象を探してさまよい出せば良いのだから。


 沢田は鼻で笑った。


 ――やってみろよ。やれるものならな。


 どちらにせよ、自然に見える形で『隙』は見せた。

 二手に分かれてやったのだから、動かないでジッとしているなんてことは無いだろう。

 必ず動く。


 沢田はそう思うと、夢魔を追うために、静かに歩き出した。


 ……


 一方その頃、公園から出た夜シルが最初に行ったことは、道端に胃の中身を戻すと言う事だった。

 夢魔の、腐った液体が、今になって生理的嫌悪を呼び覚ましたのだ。

 肉の臭い。かき混ぜられた、臓物の臭い。


 再現された夜シルの胃の中身が、びちゃびちゃと地面で音を立てた。


「す、すみません、魚住さん、我慢できなくて」

「ううん、私も、もう、ダメかも。ごめん、ちょっと、向こう見てて」


 連鎖する吐き気は止めようがなく、希ルエは夜シルに背を向けると、地面に吐しゃする。

 希ルエはひとしきり吐いた後、全身にまとわりついている粘液を手で払って、それから言った。


「ごめんね、夜シル君」

「いえ、良いんです。俺もすいません。しっかりしないといけないのに」


 夜シルは滲んで来た涙を振り払う。

 それは、吐いた後の生理現象ではもちろんなく、沢田と言う頼れる先輩との口論と、それから目の前の女性を守るために、一人で怪物と戦わなければならないと言うストレスによるものもあった。

 だが、それでもやらなければならない。


「俺、魚住さんを守ります。絶対に」

「……ありがとう」


 希ルエも涙目で、それに答える。


「でも、大丈夫? 夜シル君も辛いのに。お友達が、あんな」

「……いえ」


 今も、玖ユリの泣き叫ぶ声が胸の中をグルグルと回っている。

 辛いに決まってはいるが、だからと言って、泣いてばかりもいられないのだ。

 希ルエが、そっと夜シルに言った。


「私も、樹ミ君に助けてもらったって言ったでしょ? その時、男の人に乱暴されるところだったから、分かるの。が、どれだけ辛いことなのか。子供が、無理やりあんなことされるなんて」


 言葉を切る。

 夜シルは、グッと希ルエの目を見つめた。

 誰もかれもが傷ついている。

 小さな時、親戚のおじさんにと言った玖ユリの告白が、夜シルの涙腺を再び刺激し、夜シルはそれを堪えながら言った。


「……俺、信じられないです。なんで、女の人に、あんな無理やり」

「私も、そう思っていた。男って、そう言う生き物なんだって。誤解してたの。夫に出会えたから信じられたけど、でも、忘れてた。樹ミ君だって、男だったのに」


 希ルエは言葉をためて、それから言った。


「樹ミ君は、乱暴されかかった私を守るために、たくさん殴られて死んだの。だから、どうしても助けたくて。でも、我がままを言ってたのは自分でも分かってる。夜シル君、もし、無理ならそう言ってね。夜シル君の邪魔は、したくないから」


 夜シルには、希ルエの気持ちも痛いほどわかった。

 頭の中が混乱していて、理性が働かないことは、誰にだってある。

 自分もそうだった。

 たとえどんな状況であろうと、大切な人間の形をしたものが、目の前で、銃で撃ち殺されるなんて光景は……


 でも、それでも、守るために必要な事ならば心を決めなければならない。

 夜シルははっきりと言った。


「樹ミって子も、可能なら助けたいです。でも、どうしても無理だったら、ごめんなさい」

「……うん」


 だが、その一瞬、地面のコンクリートにひびが入った。

 ごく近く。ビキッと言う音に、二人は思わず手を取り合い、身をすくませる。


「な、なに? 夜シル君」

「分かりません」


 ひび割れは拡大し、隙間からピンク色の、スライムのような半透明の物質がにょろにょろと出てきた。

 触手だった。

 数えきれないほどの触手がにょろにょろと這い出て来て、フルフルと震えながら、蠢いている。


 ――来たのか?


 夜シルは思い、銃を構えた。

 そして、その通りだった。

 触手は数を増やし、蠢きながら二人に伸びている。


 もはや、安全な場所なんて、どこにもない。

 拳銃一つで、この場を切り抜けることは不可能だ。


「魚住さん! ここは危険です! 行きましょう!」

「は、はい!」


 夜シルは希ルエの手を取って、走り出した。

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