第19話 ウナギの行方と夢見マシン
――
その夢の中で最初に感じたのは静けさだった。
電気の消えた部屋。
夜シルは窓から差し込む光の眩しさに目をくらませ、鼻先に感じた湿り気のある空気の中で目覚める。
痛いほどの静寂。
人の気配はなく、外の音もほとんど聞こえてこない。
どうやらマンションの一室のようで、起き上がるとキッチンであることが分かった。
水道から垂れた一粒の水滴。それが落ちた音。
綺麗に整頓された食器と、微かな水の匂い。
それらの全てが、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせている。
続いて感じたのは、寂しいと言う感情だった。
所々が酷く冷えていて、どこか欠落したぬくもりを感じる。
それは、ここが病院で深い眠りに落ちていたあの魚住・希ルエと言う女性の夢の中だと言う事を夜シルが理解したからだった。
「来たか、赤井」
声の聞こえた方へ歩くと、沢田・ア墨はすでにリビングで何やら物色している。
「沢田さん、ここは?」
「魚住・希ルエの夢の中だ。おそらく、本人の住居が再現された者だろう」
しかし、夢の中と言う事を忘れそうになるリアルがそこにあった。
壁も床も、家具の一つ一つを見ても、生活感がそのまま残されている。
テーブルには二つのカップ。
中身はココアのようで、湯気が立っていた。
「……今さっきまでここにいたようだな。だが、見ての通り、魚住・希ルエはここにはいない。夢魔の気配もないな。念のために寝室を調べるぞ」
「はい」
沢田は遠慮なしにドアを開ける。
だが、寝室にも誰もいなかった。
乱れたままのシーツと、傍らに転がる夢見マシン。
「沢田さん、夢見マシンがあります」
「そうだな。おそらく魚住・希ルエのものだ。夢魔に引きずり込まれる前に使っていたので再現されているんだろう。……少しこの部屋を調べる。赤井はそのまま待機していろ」
「わ、分かりました」
しかし、手持ちぶたさだった。
待機していろと言われても、何をすれば良いのか。
夜シルは自分も何かしなければと言う気持ちを抑えきれず、そこにあった夢見マシンを持ち上げると、ウォッチと同期させた。
ここは現実ではない。
それは、他人の設定した夢を覗き見ると言うまるでデリカシーのない行動への躊躇いを、無い物とさせていた。
マシンに表示される起動画面。ウォッチに記されるバージョン情報。
そして……
「……制限解除プログラムだ」
「どうした? 赤井」
ベットの下を調べていた沢田に、夜シルは戸惑いながら言う。
「沢田さん、この夢見マシン、制限解除プログラムが入ってます」
「制限解除? ああ、あれか。それがどうしたんだ?」
「あの、俺も自分の夢見マシンに入れてたんです。友達に入れられて、ですけど」
何が解除されるかを思い出し、夜シルは言い淀む。が、それでも続きを言った。
「でも、その友達も夢魔に殺されました。夢魔に襲われるのって、このプログラムを入れたからなんですか?」
沢田は数秒間だけ考えると、答える。
「関係ないとも言えるし、関係あるとも言える。だが、きっかけになりうるのは確かだな。どちらにせよプログラム自体に因果関係はない。むしろ、夢見マシンそのものの方が原因だ。重症患者はほとんど夢見マシンを使ったことがある」
夜シルは手に持った夢見マシンを見つめた。
「……使ったら夢魔に襲われるだなんて。これって、そんなに危険なものだったんですか? 俺、便利な、ただの娯楽の機械としか思ってなかった」
「いや、それは娯楽の機械だよ。夢見マシンの本質は、人の脳だとか、心だとか、そう言うデリケートな部分に干渉すると言うものだ。夢を見させるなんて事しか出来ないようだが、それだけなら娯楽の機械で間違いない」
「なら、どうして?」
「直接、心に働きかけるなんて機械だ。夢魔にしてみれば、こんなに良い侵入経路は他にない。何の苦労もなく腹いっぱいにごちそうが食える場所まで行ける。特にこの国じゃ、機械のセキュリティを重要視していない人間が多い」
「そんな。だったら、こんな機械、作るのを止めてしまえばいいのに」
「それは無理だ」
沢田は忌々しげに言った。
「赤井、ウナギって魚知ってるか?」
「ウナギ?」
聞いたことのない名前だった。
何故、そんな話を突然しだしたのかが夜シルにはわからず、戸惑う。
沢田は話を続けた。
「日本じゃ江戸時代よりずっと昔から食べられてきた魚だ。土用丑の日って言ってな、ウナギを食べる日ってのが決まっているほど文化的に根強く食べられていた魚だったんだが、100年くらい前に数が大幅に減って、絶滅危惧種に指定されたんだ。完全養殖は難しく、稚魚を海から捕まえて来て飼育するなんて方法でしか養殖できなかったのが、減少に拍車をかけた。だが、当時の人々はそのウナギをどうしたと思う?」
「え? えっと、食べるのを止めて保護したとか?」
「それがな。数が減っていると知っても、食べるのをやめなかったんだ」
意味が分からなかった。
「どうして?」
「旨い魚だったらしいからな。それに、規制すれば調理の技術を持っている職人なんかも職を失う。養殖関係の施設も台無しになる。工場で大量生産される、ウナギを使った商品用の施設もだ。そう言う背景もあって、ウナギは食べられ続けた。たくさんの人が、ウナギ商品の購買意欲を煽るメディアなんかに踊らされて……つまりはそう言う事なんだよ」
グッと沢田は顔を険しくさせる。
「良いか、赤井。今の状態が決してい良いこととは俺は思わない。だが、夢見マシンは娯楽の少ないこの国じゃ飛ぶように売れているんだ。それに眠り病の被害は日本に集中している。他の国じゃ、あっさり封じ込めに成功したし、そもそも眠り病って病気そのものが無いことになっているからな。夢見マシンは愛好家も多いし、携わって飯を食ってる奴も少なくない。日本だけ禁止するなんてのは、酷く難しいんだ」
夜シルには、まるで理解できなかった。
玖ユリも、遊ヒトも死んだと言うのに、社会は悲劇を防ぐ努力をまるで考えていないとも思える。
「俺、納得できないです」
「そうだろな。だが、これが俺たちの生きている世界だ」
「……そんなこと、言わないでください」
どうにも許せない気がした。
夢見マシンとウナギ。
夢の中に入る前に聞かされた『正しいことをやれている』と言う実感が、急速に薄れていく。
危険を冒して戦うこと自体が、酷く虚しい物とすら思えて来る。
そんな夜シルの気持ちを察して、沢田は指を自分の口に立てた。
「赤井。俺たちナイトメアバスターズが、危険性を放置している連中のケツを拭く、社会にとって一方的に都合の良い存在だと思ったかもしれないが、それは違うぞ。今現在、侵入経路として夢魔に利用されることが多いのは確かだが、夢見マシンなんか無くても夢魔は人を喰うし、襲われている人間を助けられるのは俺たちだけなんだ。夢見マシンが無いと、俺たちは戦う事すらできない。そして、俺たちが戦わないと人が死ぬ。いずれ時代が変われば、他に効果的な方法も見つかるはずだ。それまでの辛抱だ」
「……はい。でも、一つだけ教えてください。ウナギはどうなったんですか?」
ウナギと言う名前は、あまり聞く名前ではない。
一切聞いたことがないかと言われると自信はないが……それでも。
沢田はフッと微笑むと、続けた。
「それは自分で調べといてくれ。俺の言葉だけを鵜呑みにせず、自分で調べるんだ。ああ、それとな、赤井。やる気があるのは感心するが、俺の許可なく、うかつに調べないでくれ。今回に限ってだが、これは大切なことだ。お前はまだ初心者なんだぞ? 夢魔が罠を張っていないとも限らないし、致命傷になるかもしれない。そうなったら、いくらベテランの俺でもお前を助けることが出来なくなる」
「す、すいません」
「……いや、気にするな。初めてだから仕方がない。俺も不注意だった」
だが、そうも言っていられなくなった。
寝室のクローゼットから、何かが動く音がしたのだ。
「……聞こえたか? どうやら、話し込み過ぎたようだぞ。さっさと仕事に取り掛かるべきだったな。まぁ良い。赤井はここを出る準備をしておけ」
「はい」
声を潜めて話し合った。
夜シルはすぐさま寝室の出口を目で確認したが、沢田はその場から動かず、服の中に手を入れてクローゼットを睨んでいる。
「沢田さんはここに残るんですか?」
「ああ。夢魔本体が来たのならここで仕留める。だが、本体以外ならば、ここで滅ぼしてやった方が良さそうだ。足の速い奴だった場合、追いかけられるのは気持ちの良いもんでもない。幸いにも、他の気配はないし、この部屋の出口は一つだ。ここなら逃がさずに仕留められる。お前は魚住・希ルエを探して保護し、俺が追い付くまで逃げていろ。とりあえず、武器を渡しておく」
沢田は、コートの中に差し込んでいた手を外に出した。
その手には、夜シルにとっては恐怖の象徴であった物体が握られている。
「そ、それは……?」
「お前はまだ、自分の『特性』を知らないからな。教えられる時間があれば良かったが、今回はこれを使え」
沢田が渡して来たのは、拳銃だった。
忘れもしない。自分を殺そうとしていた夢魔、弁戸・部ノが夜シルを追いかけまわしていた時に持っていた、大昔の武器。
「使い方は知っているな?」
「は、はい」
「こいつは
夜シルの手にしっかりと収まったそれは、ずっしりとして重かった。
引き金があり、それを引くことで銃口から火が吹くのだと、夜シルは部ノとの戦いの経験から知っていた。
あんなにも恐れ、手の出しようのなかった武器が今、自分の手にある。
それを思うと不思議でしょうがなかった。
「……な、なんでこんなの持ってるんですか? 夢の中で」
「夢の中だからさ。とりあえず、後で説明する。話している余裕は無さそうだからな。とりあえず、撃つ時までは引き金に指をかけるなよ」
すさまじい腐臭が漂い始めた。
「……もう、そろそろ限界だな。早く行け」
沢田の見立て通り、唸るような、苦しんでいるような異様な声が聞こえてきた。
クローゼットの隙間から、どす黒い、粘度のある液体がこぼれている。
ゴボゴボと濁った水音が続き、腐臭はいよいよ増していく。
「行け、赤井!」
夜シルは弾かれたようにして走った。
そして、リビングを抜けて玄関のドアを開けるのと、クローゼットの中から何かが飛び出してくるのはほとんど同時だったらしい。
何かが破裂するかのような轟音が夜シルの後ろから響き、続いてダラララララと言う連続したドリルのような音が続く。
夜シルは、その音を背中に外へ飛び出した。
ドアの外は、やはり再現されたマンションの廊下のようで、夜シルは一瞬の迷いの後、すぐさま階段に向かう。
どこへ向かえば良いのかなんて、分からない。
それでも、とりあえずは外に行かなくてはと思ったのは、不思議とこのマンションの中に、魚住・希ルエがいない気がしたからだった。
いや、気がしたどころではない。
正確には、魚住・希ルエと言う人間がいる位置が、なんとなく分かった。
存在を感じ取っていたと言っても良い。
距離と方角を感じ、こちらにゆっくりと近づいてきているのが分かる。
感覚そのものは不思議だったが、それでも夜シルはその感を信じることにした。
そして夜シルは、手すりからマンションの外を見て驚く。
どこか見覚えのある景色だと思った夜シルだったが、それもそのはずだ。
玖ユリが住んでいた住居に、かなり近いらしいことが分かったのである。
夜シルは階段を駆け下り、マンションを出ると、いつか玖ユリや遊ヒトと共に談笑した公園を思い出し、そこへ向かった。
銃を握り締めて、必ず助けると、心に誓う。
魚住・希ルエの位置は、遠くない。
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