第18話 黒の中の白

 ……2098年は5月に突入した。


 いずれ来るだろう、梅雨を運ぶあたたかい風が吹く季節。

 暖かな日差しは、冬がとっくに過ぎ去ったのだと言う事を教えてくれている。

 そうしたゆるやかな光の中、駅へ向かう赤井・夜シルの姿があった。


 上星東駅。

 夜シルの住んでいる上星市東区の大きな駅であり、上星市から東へ出る玄関口の駅である。

 最初にこの駅が作られてから150年余り。何度も改装を重ねた結果、かつてビルディングだった場所を飲み込んだがごとく肥大化した建築物の姿が、そこにあった。


 夜シルは150年前と同じ街路樹の並ぶ道を歩き、ロータリーへ。

 真ロウの乗った車を見つけると、乗り込んだ。


「やぁ、おはよう、夜シル君。準備のためにと与えた休日だったが、呼び出して済まないね」

「いえ、友達の墓参りは昨日行きましたし、大丈夫です。学校に行くくらいしか、やることが無かったですし」

「そうか。いや、助かるよ」


 真ロウはにこやかに笑う。


 4月の末、夜シルがナイトメアバスターズ加入した日の翌日。

 夜シルは真ロウと共に学校で学校長らを交えて会談し、特待生とも言うべき特権を手に入れた。


 必要な授業日数等の『単位』は免除され、最低限の成績は保証されると言う。

 これは、仮に『戦うための力』が失われた場合を想定した処置だと、真ロウは言った。


「将来、何が起きるか分からないからな。そうなった場合、実働班とは違う形で僕たちに協力してもらう事にはなるとは思うけど、一応ね」


 そんなわけで、夜シルは表向き『学校から選抜された特別就労学生』と言う体で学校から姿を消す。

 学校には、非番の日に自由に登校しても良いと。


 だが、それに一体、どんな意味があるのだろうか。

 元々教師には疎まれ、他の生徒からは下級生上級生含めて、変わり者、あるいは問題児と思われていた。

 居場所なんてあるわけがない。遊ヒトも、玖ユリも、もう、学校にはいないのだ。


 それでも、本当に、少しだけ未練はあった。

 仲間と共に過ごした日々と、敗れ去った自分の初恋。

 大企業の末娘と言うだけで声をかけるのも躊躇してしまい、容姿の美しさばかりか、普段から凛としている姿勢の良さや、各分野で学年トップレベルの優秀さもに憧れた高嶺の花、金田・みずリは今もあの上星東高校に通っているし、退院直後の自分を心配して気にかけてくれた中村の顔も、思い出すと切ないものがある。


 だが、夜シルには感傷に浸っている暇はなかった。

 乗り込んだ車、後部座席には、すでに筋肉隆々の男が乗っている。

 入院した夜シルの元を訪れ、スカウトして来た男だ。


 どうやら普段は無口なようで、この男は今、いったい何を考えて自分と真ロウの会話を聞いていたのだろうかと、不安にもなる。

 だが、夜シルの心配をよそに、男はニッと歯を見せて、手を差し出してきた。


「名乗ってなかったな。沢田・アすみだ」


 差し出された大きな手を、夜シルは力強く握る。

 どうやら、思っていたよりフレンドリーな男らしい。


「赤井・夜シルです」

「ああ、知っている。よろしく頼むぜ」


 その光景を見て、真ロウは笑いながら言った。


「本当なら、先に事務所で他の職員と顔合わせもしたかったのだけれど、先に仕事をさせることになって済まないね」

「はい。いえ、仕事って言いますけど、俺、今日、何するんですか?」


 真ロウから夜シルのウォッチに送られてきたデータには、何をするかは書いてなかった。


「急患だよ、夜シル君。今朝がた連絡があったんだ。運び込まれて3日目と言う事らしい」

「急患? じゃあ……」

「そう、夢魔と戦ってもらう」


 拳銃を持った部ノに追いかけられた事を思い出し、夜シルは震えた。

 同時に、自分と同じように一方的に襲われているだろう、犠牲となりつつある者の危機を感じ、夜シルはグッと握りこぶしを固める。


「助けに行くんですね」

「そう言う事だね。でも、夜シル君。僕から言うのもなんだけど、不安は無いのかい?」

「そりゃあります。戦う才能があるって言ったって、俺、何にも知らないんですよ。敵のこととか、戦い方のこととか」

「それは俺が実戦を交えてレクチャーしてやる」


 沢田・ア墨が腕を組んで答えた。


「今回、発見が早く、事前調査に向かった者の話では、大したことのない夢魔だと言う事だ。俺一人でも十分やれそうだが、ちょうど良いと言う事でお前の出番と言うことになった。ただ、問題があるとすれば、そこの灰谷さんだよ」

「……ん? 僕かい?」

「ああ。灰谷さんは現場で仕事をするのは久しぶりだろ? いつもみたいに栗山さんがいれば安心なんだが」

「馬鹿を言ってもらっちゃ困る。僕はもともと技術畑の人間だ。それに、栗山君は今回、市川君やリナ君と一緒に上星中央病院で仕事だ。何、彼女からは、ある程度のセキュリティを突破出来るプログラムは借り受けてある。不測の事態が起きても、僕なら対応できるだろうって、話だよ」

「そうか。なら良い」


 沢田と真ロウの話の中に出てきた人物のことが気にかかった夜シルは、言った。


「すいません、栗山さんって?」

「黒金エンターテイメントって会社知ってるか? 黒金って企業グループの一部門で、日本で夢見マシンの開発と販売を行っている会社の一つだ。俺たちの使っているコンピューターやら夢見マシンやらを特注で作ってくれている会社だな。まぁ、スポンサーの一つなんだが、そこから出向で来ている技術者だよ。本当なら悪魔退治をしてる俺たちとは相成れない存在なんだが、それでも彼女の理論で新しい夢魔と戦える状況が整ったと言っても過言では無い」

「ようするに、すごい人ってことですか? 今回、会えないのが残念です。是非、話をしてみたいですね」


 会うのが楽しみだと、夜シルは思う。

 だが、沢田はこめかみを抑えながら、どう言えば良いのかを迷う様子を見せた末、言った。


「……いや。気をつけろよ。難しい人だ。なんと言うか、いろいろ

「え?」

「今は気にするな。いずれ会えばわかる」


 何を言いづらそうにしているのだろうか。


 夜シルは戸惑ったが、口を濁し、黙った沢田と、目を泳がせてぎこちない笑みを浮かべた真ロウには、それ以上、何も聞けなかった。

 とにかく、戦いが目前に迫っていることを感じた夜シルは、ひたすらに車の進行方向に目を向けていた。


 やがて、車は止まる。


『きりん・サンテ・クリニック』


 夜シルが驚いたのは、それが自分の住んでいる上星市東区、駅にして二つ離れた場所にある病院だったからだった。


 ――ここ、玖ユリが、近くに住んでいたのではないか?


「機材を運ぶのを手伝ってくれ」

「あ、はい!」


 思いにふける暇はない。

 真ロウが挨拶に行き、機材のケースを持った夜シルと沢田・ア墨がその後に続いた。


 ――――――――――


 ……病室は4人用の相部屋で、患者はぐっすりと眠っているようだった。

 複数のベットにはその女性、ただ一人が眠っている。

 運び込まれた機材を真ロウがセットしながら、夜シルは、生命維持の装置が付けられているその女性の顔を覗き込んだ。


「……奇麗な人ですね」

「ああ。魚住・希ルエ、24歳。主婦だそうだ。今から、この人を助けに行く。灰谷さん、行けそうか?」

「解析中だが、問題なさそうだ。準備をしてくれ」


 真ロウの言葉を聞いた沢田は、夜シルにコードで繋がれた機材を手渡してきた。


「俺たちの使っている夢見マシンだ。特注で、同時接続が可能なものを改造している」

「……同時接続?」

「日本で発売してるかは知らんが、海外じゃ割と主流のタイプだ」


 夜シルはそれを手に取って見た。

 目を覆うようなバイザー。ヘルメットタイプだ。

 コードが伸び、真ロウが触っているコンピューターに接続されている。

 夜シルは内側に触れてみたが手触りも良く、着け心地もよさそうだった。


「……よし、解析完了だ。やっぱりこの夢魔、大した事なさそうだよ」

「そうか。なぁ、赤井、夢見マシンを付けながらで良い、聞いてくれ」

「はい?」


 沢田に自分の名前を呼ばれたのは初めてだった。


「この世界は……特に、この国には俺も言いたいことはたくさんある。どこでいつ、何が狂って、こんな息苦しい世界になったか知らないが、正直、今のままじゃ暗い未来しか見えない。だけどな、そんな中で、俺たちは正しいと思う事をやれる。お前にも色々と思うことはあるだろう。これからも、必ず。だけどな、どんなことが起きても、俺たちはお前の仲間だ」

「は、はぁ」


 沢田は夜シルの本当の事情を知っている。

 酷く同情もしているようで、グッと強く、優しい目で夜シルを見つめると、照れ臭そうに笑った。

 と、追加情報とでも言うように、真ロウの声が聞こえる。


「沢田君。患者のデータは一緒に送っておくよ。向こうで参照しといてくれ」

「必要ない」


 沢田の言葉に、真ロウは驚いた様子で言葉を返した。


「また君はそうやって……」

「夢魔は殺す。それだけで十分だ」

「……いいか、沢田君。君の夢魔殺しの腕は確かだ。戦い方は応用も効くし、だからこそ、新人の夜シル君と組ませた。だけど、僕は心配なんだよ。君のやり方では……」

「灰谷さん、うるさくて眠れないぜ。この人を助けに行けないじゃないか」


 沢田はフンと鼻で笑うと、夜シルに言った。


「赤井、気にせず目を閉じて、眠れ。夢の中で会おう」

「……はい」


 夜シルは若干の不安を持ちつつ、夢見マシンの稼働する僅かな音を感じて、ゆっくりとその機械に意識をゆだねて行った。

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