第8話 深まる絶望

 部ノの気配に追われては逃げ、休んではまた追われる。


 そんなことしている内に、だんだんと時間の感覚は薄れて行った。


 いったい、どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 夜シルはとことん疲れ切っている自分に気づき、もはや限界も近いと感じた。


「木村、傷、大丈夫か? ここで少し、休もう」

「……うん」


 廊下で二人は腰を下ろす。

 念のためと、見通しのいい場所を選んだが、それでも、近くの曲がり角に気配を感じたら、走って逃げなければいけない。


 夜シルは、玖ユリの足取りが重く、まるで元気が無いのが気にかかった。


 彼女の体力の消耗以上に、肩に負った銃の傷が心配なのだ。


 保健室で最初に見せてもらった時、とても血が止まるような傷には見えなかった。

 銃から発射された弾丸は、玖ユリの左肩に、まるで肉をえぐり取ったかのような深い傷を残している。

 とてもではないが、左手がまともに動くとは思えなかった。


 それでも傷を水で洗い、止血剤と書かれたスプレーと包帯で血は止まったかのように見えるのは、これが夢だからなのかもしれないと、少し思う。

 とにかく、この対処が正解だったのかまるで自信がない。


 失敗だったのは、置いてきてしまった薬品のことだ。

 抗生物質だとかなんだとか書かれた物は、どれを飲ませたら良いのか分からなかったため、置いてきてしまった。

 出血が無くなったようなのですっかり安心していたが、もしかすると、きちんとした治療が必要なのかもしれない。


「くそ……こんな時、遊ヒトがいれば」


 遊ヒトの最後の声。

 握った、彼の震える手を思い出し、夜シルの目からまた涙がこぼれた。


 酷く寂しく、悲しい。

 遊ヒトは、心の底から通じ合っている頼れる親友だった。


『まったくぅ、しょうがないなぁ夜シルくんはぁ』


 いつだったか、声に変なアクセントをつけてそう言った遊ヒトに、夜シルは笑って答えたことがある。


『なんだよそれ。誰かの物まねか?』


 夜シルの知らない名前を答えが返って来て、夜シルは戸惑った。


『どら、もん……? 誰?』

『100年以上前に生きてた人間の、想像力の結晶だよ。藤子・F・不二雄って人の作品で、何回もリメイクされて、とにかくすげぇんだ。でも、まぁ、これも規制されて今の子供は簡単には見れませんからね。いつかお前にも教えてやるよ。動画も良いけど、漫画も最高なんだぜ?』


 なんでそんなに物を知っているのかといつも不思議に思っていた。

 とにかく、彼がいれば自分よりもうまく玖ユリの傷の手当ても出来ていただろう。


「遊ヒト、いろいろ、知ってたもんね。夜シルは、小さいころから一緒だったんでしょ?」


 玖ユリの声にハッとした。


「ああ、そうだよ。情けないけど、遊ヒトは俺なんかよりも、ずっとすごい奴だった。小さいころから、いつも楽しいことを見つけて来てくれるんだ。初めてウォッチを触った時も俺は戸惑うばかりだったけど、あいつは簡単に操作して見せた。動画とか写真とか、説明書も読まないで撮りまくってたっけ。それと、木村には言ってなかったけど、ロックを俺に教えてくれたのも遊ヒトだったんだ」

「遊ヒト……」


 涙ぐみ、うつむく玖ユリ。

 夜シルは遊ヒトを思い出しながらも、これではいけないとも思う。

 弱気になってはいけない。


「なぁ、木村、元気出せよ! きっと大丈夫だよ!」

「……うん」

「ほ、ほら、こんなの、いつもの木村らしくないじゃないか! ロックに行こうぜ!」

「ロック……ロックを聴いてたから、こんなことになったのに、そんなの……」

「それは違うよ! 悪いのは、あの、部ノのクソッたれだ。ロックは悪くない。それにさ、こんなの、ただの夢だろ?」

「ただの夢じゃ無いじゃない。私、死にたくない。家に、帰りたい」

「きっと帰れるよ。なぁ、木村、頼むから」


 弱音を吐かないで欲しい。

 夜シルはグッと、自分も取り乱したくなるのを堪えて、自分のウォッチを見た。


「そうだ。ネットに繋がってるかも。そしたら、助けを呼んで」


 ……助けを呼ぶ?


 言ってから、夜シルは絶望した。

 やはり、疲れているのだと、夜シルは自分でも思った。


『夢の中で、教師を名乗る狂った女に銃で殺されかけてます』


 例え繋がったとして、こんなこと、誰が信じてくれる?

 そもそもどうやって、誰が助けに来てくれるって言うんだ?


 が、そこで固まった。

 バカなことを考えた自分への嘲りのためではなく、ウォッチが示した表示である。


「な、なんだよ、これ。バッテリーはまだまだ十分みたいだけど、それより、これ」

「……どうしたの?」


 日付と時刻。


 遊ヒトの通夜があったのが、4月の18日。

 そして、その日の夜に夢を見始めて、今。


 現在時刻は4月26日、AM、11時22分。


 ……夢を見始めてから、一週間以上が経過していた。


 さらに言うと、ネットの接続は生きているのが、なおさら夜シルをゾッとさせていた。

 ネットに繋がっていると言うことは、この時間の表示は正確と言う事なのだ。


「そんな、バカな! お、俺、何も食ってないし、飲んでない。第一、ずっと歩き続けてたじゃないか。こんなの、ありえない。とっくに餓死するか何か、してるだろ?」


 隣で、玖ユリも自分のウォッチを無表情で見つめている。


 その時、ふと、また部ノの足音が聞こえてきた。


「き、木村! また来たぞ! とりあえず、逃げよう」

「……」


 玖ユリは動かない。

 足音は、恐れていた通り、すぐ近くの曲がり角のところから聞こえてきている。


「木村! 早く!」

「……もう、無理なの。動きたくない」


 ぼそりと、玖ユリが呟き、夜シルはとことん絶望した。

 玖ユリは追い打ちとばかりに、こう言うのだ。


「私を、ここに置いて行って」

「そんなこと出来るかよ! なぁ、頼むから、立ってくれ! 木村!」

「これ以上、逃げたって……それに、夜シルも、本当は分ってるんでしょ? 私のせいだって」

「な、なにが?」


 玖ユリは力なく笑った。


「夢見マシンの制限解除プログラム。多分、あれが原因だよ。私が、夜シルのウォッチにインストール、しちゃったから」

「……そ、それは」


 それは逃げている時、夜シルも考えていた事ではある。

 遊ヒトから玖ユリへ、そして、遊ヒトの通夜の日、玖ユリから夜シルへ。

 関係者は三人とも巻き込まれてしまっているのだ。


 夢を乗っ取ったと部ノは言っていたが、それはようするに、夢に干渉できる、夢見マシンが乗っ取られたと言う事なのかもしれないと。

 だが、そんなのは今は良い。


「そんなの関係ないだろ! 生きなきゃ!」

「もう、疲れたの」


 ボロボロと玖ユリは涙をこぼした。


「お母さんとお父さんに会いたい。家に、帰り、たい」

「帰れるよ! 部ノをぶっ飛ばして……!」

「夜シルも撃たれたから分かるでしょ? 銃。かないっこないよ。どうせ、最後には殺されちゃう」

「だ、大丈夫だ。俺が何とかする。考えがあるんだ!」


 嘘だ。

 夜シル自身、どうすれば良いのかもう、分からない。

 銃は、離れていてもこっちに致命傷を与えることが出来る。

 あれがどういう原理で弾を飛ばしているのかは分からないけれど、だからこそ、戦うのが難しいと思った。


 せめて、至近距離まで接近できれば、あるいは……


「あらぁ! 何とかできるの? なら、見せてもらおうじゃん?」


 ――部ノ?


 だが、その声の主を想像した時にはもう、遅い。

 夜シルが振り向くより早く、銃の轟音が響きわたった。

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