第7話 終わりなき逃避

「が……はっ」


 咳のような呼吸が一つ。

 それと共に、遊ヒトが後ろ向きに倒れこみ、血を噴出させる。


「遊ヒト……ッ!」


 夜シルは、もはや戦うことなど考えられなかった。

 半壊した椅子を放り投げ、遊ヒトの元へ駆けつける。

 背後から部ノの叫び声が響いた。


「優しくしてればつけ上がりやがって! クソ餓鬼ども、後、4分だ! さっさと教室から出ろ!」

「ゆ、遊ヒト! ど、どうしよう、夜シル! 血が! こんなに!」


 遅れて玖ユリが遊ヒトの元へ走ってきたが、肩に傷を負った玖ユリにはどうすることも出来ない。


「夜シル、なんとかしてよ! 遊ヒトが、また死んじゃう!」


 遊ヒトが血の泡を口から飛ばしながら、言った。


「な、なんだよ、それ。な、なぁ、部ノも言ってたけど、もしかして、もう、死んでたりするのか? 二回死んだやつとか言ってたけど、それって、俺なのか? ここ、夜シルの夢の中なんだろ? なぁ、現実の、俺、どうなってる?」

「遊ヒト……!」


 夜シルは遊ヒトの手を握る。

 その手は震えていた。

 死の実感を与える振動だった。


 遊ヒトは夜シルの目を見て、言う。


「し、死にたくねぇ、よ。俺、新しい、ギター、買ったんだよ、だから」

「あ、ああ! 知ってるよ!」

「……なん、だよ、なんで、知ってるんだよ」


 夜シルは何も言えなかった。

 通夜の会場に飾られていたなんてこと、どうして言えようか。


「な、なぁ、夜シル、聞いてくれ、よ、俺……」

「ああ、聞こえてる! なんだよ、遊ヒト! ……遊ヒト?」


 それが最後だった。

 遊ヒトは、それっきり喋ることなく、呼吸を止めていた。


 絶命だった。


 夜シルは涙をボロボロと流しながら、その胸に手をやり、心臓が止まっていることを確認する。


「あっ……ああああ……」


 夜シルの心は、酷く痛んだ。

 特別な親友を、二度も失ったのだ。

 こんな悲しみ、いまだかつて経験したことなどありはしない。


「あらら、白村君、死んじゃった? クールぶってたくせに、マジ、クソ雑魚ザコなんですけど! ロックなんか聴いてるからだ弱いんだよね! アハハハハハ!」


 陽気にはしゃぐ部ノの声に、夜シルは激高した。

 そのまま立ち上がり、憤怒の表情で部ノを見据え、こぶしを握り締めた。


 ――ちくしょう、やってやる!

 もう、撃たれて死んだってかまわねぇ。

 ぶち殺してやるぞ! クソ野郎!


 だが、そうして一歩を踏み出そうとした時、夜シルの制服の袖を掴むものがあった。

 玖ユリだ。


「夜シル、お願いだから、やめて。私を一人にしないで」


 ……玖ユリの顔に血の気がない。

 出血を、止めないと、本当に死んでしまうかもしれない。


「く、くそ!」


 夜シルは涙を振り払い、玖ユリの腕をつかむと立ち上がらせた。


「や、夜シル?」

「もう、大丈夫だ。とりあえず逃げよう。傷の手当てをしないと! 保健室に……!」


 思った。


 ――今は逃げる。

 だけど、覚えてろよ!

 絶対に、遊ヒトの仇を取ってやる!


 そうして夜シルは歯を食いしばりながら教室を出た。

 だが、その場で固まってしまった。

 そこは、見知った学校ではなかったのだ。


「なんだよ、これ」


 床や壁、天井は紛れもなく学校の廊下だったが、まるで迷路だった。

 右側を見れば三差路があり、そこからでも多数の交差点が見える。

 左側はすぐ近くに階段があったが、その先は、どこまでも続く果てしない廊下が見えているのだ。


 窓の外は……と前方の窓まで進み、見下ろしてもみたが、底が見えない深い穴が学校を取り囲んでいた。


 驚愕している夜シルの背中を見て、教室の部ノがゲラゲラと笑う。


「私が乗っ取ってる夢なんだから、お前らの学校がそのまま出てくるわけないだろ? ちなみに、どこに逃げたって、お前らの居場所は大体わかってるからな? 休み過ぎたりして一か所に留まってると、すぐ追い付いちゃうから!」


 教師なんて名乗っていたが、やはり、それは見せかけらしい。

 夢を乗っ取ったと言う物の言い方と言い、夜シルには、部ノがまるで邪悪な悪魔に見えた。


「夜シル……!」


 玖ユリがしがみついて来て、震えた。


「い、行こう、木村。行くしかない」


 夜シルは玖ユリの手を取って一歩を踏み出す。

 保健室へ行かなければならない。


 と、歩き出した夜シルの背後から、再び声が聞こえてきた。

 部ノの声だ。


「簡単に死んじゃったらつまんないから大ヒントね! 教室を出て左の階段を6階分降りたら、正面の道を進んで、左側。数えて4つ目のドアが保健室だよ! 私が行くまでに治療、出来ると良いねぇ!」


 罠だろうか。

 だが、それでも行くしかない。


 ――――――――――


 部ノの言うとおりに進むと、確かに保健室はあった。

 薬が並んだ棚に、様々な治療道具が詰まっている救急箱。

 ふかふかとしたベッドもあれば、新鮮な水が入ったボトルもあった。


 だが、ゆっくりはしていられない。

 自分たちの目的地をわざわざ教えた部ノが、この場所に来ないはずがないのだ。

 急いで必要な物資を漁るとその場を離れ、途中で手当てをしながら、二人は歩いた。

 階段をいくつも降りて、いくつも上り、曲がり角を曲がり続けた。


 そうしている間も、一体どうすれば良いのかと夜シルは思案に暮れる。

 こんな場所からは、一刻も早く脱出しなければならない。


 だが、考えれば考えるほど、夜シルは不気味な感覚に襲われていた。

 それは、学校からの脱出が不可能ではないかと言う、絶望の気配だった。


 かなり歩いたから分かったことだが、玄関やら昇降口もある気がしない。

 どこが一階なのか、そもそも自分たちが今、どの階にいるのかもまるで分からないのだ。


 それでも夜シルは、窓からの脱出を考えた。

 窓は無数にあったし、一つくらいは降りれる場所があるのかもと。


 だが、そんな窓は無かった。

 どんなに歩いても窓の外いくつ階段を上っても、いくつ階段を下りても、窓は学校を取り囲んでいる深い堀を夜シルに見せる。

 さらに言うと、遠くにある町のシルエットが、霧のようなものがかかっていて良く見えないものとなっていて、学校どころか逃げ場がまるで無いように感じられてしまった。


 部ノが言った、ここが自分の夢の中だと言うのが事実なのだとしたら、それもそのはずである。

 夢からの脱出など、歩いたり走ったりで出来るはずがない。


「……くそっ、どうすれば良いんだよ!」


 そもそも、この『鬼ごっこ』に、終わりはあるのか?

 いつまで逃げれば助かるかなんて、部ノも言っていなかった。

 ただ、こう言っていただけだった。


『みじめに死んでくださいねー!』


 死ぬことが終わりならば、どうすることも出来ないではないか。

 しかし、それでも夜シルはこう思っていた。


 絶対に玖ユリを守り、遊ヒトの仇を討つ、と。


 だが、その手段が思い浮かばない。

 銃は強力で、部ノの気配はずっと追跡してきている。

 こっちは武器らしいものも持ってないし、人を殴ったりなんてことは大の苦手なのだ。

 対峙してしまった場合、銃で狙われたらひとたまりもないだろう。


 だが、考えごとをしている時間もあまりない。

 気を抜くと足音が近づいて来るのだ。

 音の質感からして、部ノの履いているヒールの足音に間違いない。


 夜シルは、満足に休息も取れず、ひたすら逃げ続けるしかなかった。

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