貯金箱

「ただいま」

疲れた体を引きずり、青年はワンルームマンションの玄関で靴を脱ぎ散らかします。

就職を機に上京して一人暮らし、返事をしてくれる人などいません。

「おかえり!」

いえ、いました。

青年はまっすぐ窓際のデスクに移動し、

ポケットの中の鍵やら小銭入れやらさっき買ってきた弁当のレシートやらをごちゃ、っと吐き出しました。

そしてそのままスーツを脱ごうとして

「ちょっと、今日の分は?」

と再び声がします。少し険があるようです。

青年が仕方なくベルトを外したところで向き直ると、

デスクの端っこの豚の貯金箱、その上に仁王立ちする妖精の姿がありました。

「今日は小銭出なかったんだよ」

「小銭入れに入ってるでしょうが」

即座に言い返され、仕方なく小銭入れから一番「小さい」硬貨を探します。

5円玉でした。

「ご縁がありますように」

そういって貯金箱に入れるとジャッ、と籠った鈍い音がします。

もうずいぶん硬貨が入っているようです。

「最初の方の軽やかな音もいいけど。今の音も好き」

妖精はその音をかみしめるように聴いてうっとり顔です。

それを見て青年は困った顔をしました。


元々は上京した日から始めた貯金でした。

引っ越しはいろいろ入用で、娯楽に使えるお金があまりありませんでした。

そこで、貯金箱いっぱいになったらゲームソフトでも買おうと思っていたのです。

意志力に自信がなかった青年は、陶器の貯金箱を選びました。これなら割らない限り取り出せません。

しかし、青年はあっという間に面倒になり、貯金は停滞してしまいました。


ある日、たまたまポケットに小銭があったので、思い出したように貯金箱に硬貨を入れると、どこからともなく妖精が現れました。

「かわいい豚ちゃん。いい音ね」

妖精は、興味がわくとひょっこり現れ、失せるとまたどこかへ消えていく自由気ままな連中です。

「さっきの、また聴かせて?」

そう言って妖精は貯金箱に居つき、毎日青年に貯金をせがむようになりました。

青年は「ただいま」と言うようになりました。


それからふた月、妖精のおかげで貯金のペースはぐんと上がり、

今やあと数日で満タンというところまで迫っていました。

そうすればもう「音」を聞かせることはないでしょう。青年はそれが気がかりでした。


しかし、ほどなくして青年は妙案を思いつきます。


「ただいま」

「おかえり!」

青年はいつも通り貯金箱に小銭を入れます。

ちゃりん!と陶器に擦れる軽やかな音がします。

「いい音!やっぱり最初の方の音の方が素敵だわ」

妖精がはしゃぎます。

「よかったわね、豚ちゃん2号」

妖精は豚ちゃん1号に腰かけ、2号を撫でます。

デスクの真ん中には2個の貯金箱が並んでいました。


問題を先送りにした青年は、この貯金がいつまで続くのか少し考えを巡らせました。

しかし、豚牧場になってしまったデスクの姿が頭をよぎったところで、考えることをやめました。


ともあれ、当分の間「ただいま」は続くようです。

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箱の妖精たち 秋踏 @akatuki_aya

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