クークデエレンの左腕

 クークデエレンが生まれた時、ゼデレワイン教会のトキスの鐘がひとりでに鳴り響くとともに、街の全ての人間の鼻から血が流れはじめた。空はよく薫る熟れた葡萄だった。滴るような月がぶるっと震えた。産婆は己のとりあげた赤い肌の子が、やがて世界をしろしめす者となることを確信した。子の左腕は美しかった。霧のなかに降る雪のように白かった。七本の指があった。親指の隣にさらに親指があり、小指の隣にも親指があった。実在を記述する言語が67種の文字で書かれていることを解き明かした齢371歳のエルゼ賢至霊がかれを祝福した。

 クークデエレンは左手で触れた悪しきものを砕き、善きものを癒やす力を持っていた。朽ちたエスデローデの遺跡を修復し、蛮族に焼かれたエウゼスシュゲの『砕かれたハバルの橋』を灰から復活させた。額縁まで直った。

 殉教者ガリデドールの乾いた遺体を撫で、彼をこの世に呼び戻した。ガリデドールはそれから24年のあいだ生きた。

 クークデエレンは呪われたピキュテパナキュトの石壁をかき消した。人間の胎児だけを食らう獣、メメシュの子守猿を殺した。僭王イオ・テの城塞を、たったひと撫でで塵に変えた。すべての牢獄と拷問室が無に変じ、雲突く塔の頂上に座すイオ・テは恐怖の叫びをあげて落下していった。

 クークデエレンは殺され、左腕を切り落とされた。彼を殺したのはよく知られた野盗であり数学と天文学の天才でもあったハジカザールだった。この者は手下に算額を盗ませ、盗みと殺しの片手間にそれを解いては、元に戻すように命じたのだった。彼が作り、天文方に届けた暦を、ゼーツェブルクフの国は採用せざるを得なかった。

 己の首を絞めるハジカザールに、クークデエレンは左手で触れた。しかしハジカザールは幻のように消えはしなかった。そのため、この世の全ての悪が彼の左手にとっては決して触れることのかなわぬ夢でしかなかった偉大なるクークデエレンは死んだ。

 ハジカザールは処刑された。彼は己のつくった暦で己の死ぬ日を知らされた。処刑が月食のさなかに行われることを、彼なしでは予見できなかった。


 クークデエレンの左腕は見つからなかった。やがて、白い左腕に七本の指を持つアルルエトルが現れた。

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