哀鷹刹那の殺人賛歌

MIDy

梶原節子の利害計算

 梶原かじわら節子せつこは「普通」であることを何よりも忌み嫌っていた。目立ちたかったわけではない、ただ、自分のアイデンティティーを――これぞって言える何かを欲していただけだった。中学二年生の少女において、それを持ち合わせていないことは精神衛生上非常によくないことだ。

 どうにも彼女には、才能と呼べるものが何一つとしてなかった。と同時に、とてつもなく苦手な事も皆無だった。彼女は往々にして、やることなすこと全て、平均を上回ることはなかった。どんなに努力し、勉強し、経験を積んでも、彼女はそれを「得意」と呼べるほどの出来にすることはかなわなかった。何事も人並みに出来るといえば聞こえはいいかもしれないが、彼女にとってはそれは呪い以外の何者でもなかった。

 幸いしているのは、彼女の「諦めない心」も人並みにあったということだ。運命づけられた平凡さだったが、けれどもこの広い世界のどこかに、胸を張って、これだけは誰にも負けないといえるものが必ずあるはずだ、という希望を持ち続けるだけの心の強さが節子にはあった。だから彼女は、新しいことを始めることをいとわなかった。たしなむには勇気やお金が少々必要な事にも怖気ることなく挑戦し、たとえどれだけ努力やお金をつぎ込んだことも、やはり平均以上にはなれないと悟った瞬間躊躇なく捨てて次に手を伸ばした。親などは優柔不断だと彼女を非難したが、その行動力とそれぞれの事柄への本気の姿勢は確かなものだった。

 不断の挑戦こそが、彼女が最も得意としていることかもしれなかった。それならそれで、この生き方を貫くだけだ。今日も今日とて、彼女は新しいことを始めようと思い立つ。さしあたっては――。

 「私、軽音やる!」

 起床一番、節子はベッドから跳ね起きてそう言った。あまりの突拍子のなさに本人も驚きを隠せないが、それを上回る期待感で胸が躍っていた。朝の支度をしながらビジョンを広げる。楽器はやはり華のギターだろう、銀色でメタリックなかっこいいエレキギターを買おう、どうせなら作曲とかもしてみたい、歌は前に練習して下手ではないことは確認済みだ、学校にも軽音部があったはず。膨らむ空想、妄想、皮算用、形から入るタイプかと笑う人もいるだろうが、これこそが彼女の原動力である。鏡の前で制服に着替え終わった節子は、ギターを持って熱唱する自分を想い描く。これこそが、自分にとっての青春かもしれない。学校に行ったら、放課後軽音部を訪ねてみよう。そして帰りに駅前に寄って、楽器屋でギターを選ぼう。広がる夢、膨らむ期待。

 ダイニングにおりると、節子の母がすでに朝食を作り終えていた。

 「早く食べてしまいなさい」

「いっただっきまーす!」

 トースト、ベーコンエッグ、キャベツ。ザ・朝食な献立である。

 「お母さん、私軽音始める!」

「またぁ?」

 節子の母の呆れたため息。「そろそろ何か一つに絞りなさいよ。あなたの趣味のために一体どれだけお金を使わせる気?」

「勉強をおろそかにしてるわけじゃないんだからいいでしょ! 私は止めないよ、いつか私にぴったりの、高みを目指せる趣味が見つかるまで!!」

「楽器なんて安くないのよ? どうせ止めちゃうのに、もったいないわよ」

「やってもないのに止めちゃうかどうかなんてわかんないじゃん!」

 この手の言い合いはほぼ毎日のようにされている。そして基本、節子の正論とその底抜けの明るさに親が負けて終わるのだ。

 「活動的なのは悪いことじゃないさ」

 スーツに身を包んだ節子の父が割って入ってくる。

 「せっかくの青春時代だ、後悔のないようにしなさい」

「うん!」

「もう、お父さんは甘やかしすぎなのよ」

「父親とは往々にして、娘に甘いものなのさ」

 不敵な笑みを演技っぽく浮かべながら、節子の父はテレビをつけた。朝一番のニュース番組だ。

 『――とみられる遺体が見つかりました。遺体は首を刃物のようなもので斬りつけられており、その手口や現場の状況から、警察は一週間前から続く連続通り魔事件と同一犯ど断定しました。通り魔事件の被害者はこれで三人目で、警察は犯人の特定を急いでいます』

 朝から物騒な話だった。ギターを買いに行くときは早めに帰らないと、なんてぼーっと思いながら、節子はトーストをココアで流し込んだ。

 「じゃあ行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

「気を付けて」

 二人に見送られて、節子は家を出る。朝日を瞳に輝かせて、通学路を行く。足取りは思わず軽くなり、あふれる推進力に身を任せ節子は学校への道を理由もなく急いだ。

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