第6話
―――七月三十日
時間指定がなかったので、私は朝早くに家を出ることにした。
足取りは……正直今までで一番重かった。
……なにせ、私は今からボコボコにされるのだ。集団で。容赦なく。限りなく。
こんな……最悪の朝はなかなか他にないだろう。
あまりの顔色の悪さに、あの鈍い両親からも心配されるほどだ。
制服を着るかは最後まで迷ったけれど、結局は制服の上にパーカーを着ただけというなんとも中途半端なラフスタイルを取ることにした。
こうすればフードのおかげで、帰りにボロボロの顔は見えないだろうなんて考えた結果だ。
――今日まで、学校では彼女らと話すことはなかった。
一度たりとて姿すら見ることがなかった。
友達に聞く限りだとどうやら学校には来ているみたいだったけれど、それだからこそ、私としては避けられていると考えてしまうのも無理からぬことだし、事実としてそうなのだろうと思う。
そして、今日、そんな忌み嫌われている三人からの呼び出しが私を待っている。
これを怖がらないで何を怖がれと言うのか。
私は今日ほど、時の流れを恨んだ日はなかった。
結局私はいつもの登校時間と同じぐらいの時刻に校門をくぐる。
いつもは長い道のりだなんて思う道も、今日の私からしてみればあまりにも短すぎる地獄への階段にしか見えなかった。
グラウンドに着く。
うだるような暑さの陽炎が人工芝をゆらゆらと揺らすも、私はその前にあるトラックの方に目をやった。
タータンが熱そうに己の存在を主張している。
——きっと二度と来なかったな。
呼び出しがなかったら。
彼女たちに呼ばれていなければ。
ここに私が姿を表すことはなかっただろう。
こんな——こんな、悲しみしか湧かないような場所で。
忘れたくても忘れられない経験をした場所で。
どうして私は陸上なんてものを始めてしまったのか。
どうして、私の足は早かったのか。
どうして、私は努力をしてしまったのか。
どうして、私はあの時——。
膝小僧の治りかけの傷が少し疼く。
そこまで考えて頷く。
深く頷く。
……なるほど。
私への報復にはぴったりの場所だな、ここは。
私は考える。
なんだろう。
私はあの暑いタータンの上で土下座でもすればいいのだろうか。
……いや、そんな簡単な話ではない気がする。
何か芸でも見せなければならないのだろうか。困ったな、一発ギャグなんて私持ってないんだけど。
そんなことを考えていると、長年使っていた部室の方から、扉を開ける音がした。
私はその音に反応して振り向く。
「おっ、早いじゃん」
「ほら! だから言ったろ。別に時間指定しなくてもよかったんだって!」
「……いや、それは偶然だから。たまたまあの子が真面目だっただけだから。普通いないわよ。こんなクソ暑いのにバカ真面目に制服着てくるやつなんて」
「でもほら、上にパーカー着てるよ、やっぱりアウトロー感出したいんだよ、きっとさ」
そこにはいつかの三人と、そして怪我で大会に出れなかった本来の『第三走者』もいた。
誰一人として、私の想定した顔をしている奴はいなかった。
私はその光景にこう思った。率直にただ思った。
意味がわからない。
なんでそんなに笑っているのかがわからない。
私は、あなたたちの三年間を一人で台無しにした人間なのに。
補欠の身分で足を引っ張った悪人なのに。
なんでそんな顔を向けられるのかがわからなかった。
なんでそんな顔を向けてくれるのかがわからなかった。
「――なんで」
「ほら」
私がつぶやくように言うと『第四走者』は私の目の前に何かを投げる。
私は自分の視線を彼女からそのものへと移した。
――それは私のスパイクだった。
『第一走者』が近づいてくる。
「ほら、早く履いて」
「何を言って……」
『第二走者』が私を小突く。
「いいから」
「何を……」
『第四走者』が笑う。
「やり直すんだよ」
「……だからなにを」
そんな。
そんな私の疑問を踏まえて顔を合わせた彼女たちは
そして、満面の笑顔で、口を揃えて言った。
――――インターハイ!
私は前を向いた。
そして大きく深呼吸。
足を大きく開いて前屈をし、そのまま前後に体重移動。
アキレス腱を伸ばす体制を取りながら同時に腕周りのストレッチ。
最後に首回りをぐるりと一周まわして、また、前を向く。
いつものルーティーン。
何年とやってきた準備体操。
それでも今回はどんな時よりも入念にそれに時間をかけた。
後ろを見る。
『第一走者』と『本来の第三走者』がなにやらケータイを見て話している。
どうやら時間までもう少しらしい。
私は——空を見上げた。
眩しいぐらいに輝いている。
雲ひとつない青い空を見上げた。
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