第5話

 時間とは無情なもので、自分がどんな気分でも止まることなく流れ続ける。

 日が落ちれば明日になるし、そしてまた日が昇れば学校に行く。


 こんないつもの当たり前が、今は心の底から憎たらしかった。


 ――私は結局、あれから一睡もできずに登校の道を歩いている。


 もちろん、ずる休みも考えた。

 とりあえず母にも風邪をひいたから休みたいとも言ってみた。

 しかし、私自身ずる休みの経験など一度もなかったし、そもそも嘘をつくことに慣れていなかったこともあってか、私史上初の仮病はあっけないほどに簡単にばれた。

 で、私は家を追い出させられるような形で登校している。それが今だった。

 

 ……足が重い。


 こんなに前に進みたがらないなんて、ひょっとしたら何かついているのではないかとソックスをめくり上げてみるも、もちろんそこには重りがついているわけもなく、私はそのままため息をついてうずくまった。

 ダンゴムシのように丸くなった。


 ………………え、うわ、なにこれ。ちょっと落ち着くんだけど。


 私はそんななんとなく心地よい体勢のまま、少しずつ足を前に進めてみようと試みる。


 ……が、もちろんその歩みはそれこそダンゴムシのように遅く、非常に疲れる。


 あ、そうだ。この体勢のままだったら学校までいけないじゃん。名案じゃん。私天才じゃん。


「……なにしてんの?」


 そんなこんなで自分なりに前に進まない理由を作り出していると、唐突。

 後ろから声がかかった。


「んー、見てわかんないの?」


「うん、全くわからん。だから聞いてる」


「今、ダンゴムシの――――」


 その体勢から後ろを振り向こうと顔を向ける。そしてその人と目があった。

 

 ――――そこには『第二走者』がいた。

 私はダッシュで逃げ出した。


「え、え、な、なにどうし――――って速っ! めっちゃ速っ! なに、なんなのっ?」


 後ろを振り返ることもない。ただ前だけを向いて走る。

 なんで逃げ出したのかなんて、私には知らない。わからない。

 でも。

 それでも。

 今の自分が、彼女達と会って話をできる状態ではないことはわかっていた。

 自分がなにを言うのかわからない恐怖。自分がなにを言われるかわからない恐怖。


 それらがどうしようもなく、私の足を早く動かしていた。

 


*****



 学校には結局行かなかった。

 私は彼女から逃げた足そのまま、学校の近くにある公園で時間を持て余していた。

 あまり学校を休んだことがないからかもしれないけれど、ほかのみんなが真面目に授業している中こうやって別のことをしていると、なんとなくな罪悪感が……すごい。

 今頃体育の時間だとか。

 そろそろ定期テストの範囲発表だなとか。

 陸部のみんなはしっかり授業出ているのかなとか。

 そんなたわいもないことが気になりすぎて、全く落ち着かない。 

 ソワソワする。

 足が地面についてないみたいに。ジェットコースターの浮遊感みたいに。

 本当に自分がここにいるのか、怪しくなってくる。幽霊にでもなったような。


 ――ダメだ。うん。やっぱり学校に行こう。


 そう踏ん切りをつけ、乗っていたブランコを飛び降りる。スカートが結構めくれた気もするが誰もいないので気にすることはないだろう。それに今日は――――


「……いや、スパッツ履いてればいいって問題じゃないでしょ」


「――っ!」


 振り向く。

 そこには、あの時、一番に集団から抜け出していた『第一走者』がいた。

 私の頭の中に色々な疑問が浮かんだけれど、とにかく早くこの場から離れなければならないことは脳が訴えてきていた。


 私はすぐさま走り出す。


「――おっと、ここは通れないよ」


 そして私が逃げようとした公園の出口。そこにあまりにもタイミングよく人が私の道を遮った。

 もう声だけでわかる。

 アンカー『第四走者』の彼女だ。

 別の道を行こうにも、いつの間にか再登場していた『第二走者』そして『第一走者』に挟まれる形でいつの間にか私は動けなくなっていた。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 私を含めて全員が無言だった。無表情でもあった。

 他の人間が入る余地もないほどにこの場の雰囲気はピンッと張っていた。

 そして私は、その空気を非難のものと受け取った。


「えーと……どうした……んでしょうか」


「…………」


「…………」


「…………」


「……まあ、うん。そうです……よね」


 口をたどたどしく開いた私に、三人は無言で答える。

 その圧力ともいえる視線。

 態度に私は辿々しく言葉を並べる。

 

「……あの大会のことですよ、ね」


 下唇を噛みながら言葉を放つ。

 拙いながら、止まりながら、言い出せなかったこと言いたかったことを伝えるため、口を開く。無理やり、開く。


「いや、そのことについて、謝らなきゃいけないってのはわかってる。うん。ごめんなさい。……いや、謝って済むことじゃないのはわかってるんだけど、なんなら気の済むまで殴ってほしいぐらいなんだけど…………」

 

「…………」


「…………」


「…………」

 

「……でも、それでも言わせてほしい。——本当に、ごめんなさい」


 私は頭を下げた。あの時、あの場所で。

 あの場所で黙って帰ってしまって。

 そしてその場で言えなかった言葉を、今口にした。

 

 『第四走者』が私の頭のところまで歩いてくる。

 正直、殴られると思った。

 殴られてもいいと言ったのは私だし、それは当然のことだとすら思った。

 だから、その覚悟のうえ、私は歯を強く噛みしめる。目を閉じる。

 しかし——実際に飛んできたのは拳ではなく、言葉だった。

 

「……七月三十日。グラウンドに来て。絶対」


 それだけ。

 他には何も言わず、彼女たちは私の目の前から姿を消した。

 私はしばらく頭を下げたまま、一瞬何を言われたのかわからずに呆然としていたままだった。

 

 チャイムが——静かにこの公園まで響いた。

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