プライベート・ロマン

 本日の日替部はのんびりモードだ。特に何をするでもない、まったりした時間が流れる。


 そこに、突破口を開かんとする者が一人。


「そういやあ、まのかさん」


 ソファーに座った沙妃先輩が、背中を丸めて身を乗り出した。


「あら、なあにい?」


 まのか部長が応じる。すっかりハマったのか、今日もご満悦の顔でインスタントコーヒーを堪能中だ。


「いや、素朴な疑問なんだけどさ」


 そう前置きすると、沙妃先輩は急に声を潜める。


「……まのかさん、プライベートジェットって持ってんの?」

「ええ、もちろんよお」


 水は上から下に流れます、くらいの口ぶりだった。


「それがどうかしたのお? 沙妃い」

「あ、ああ。いや、ちょっとな……」


 沙妃先輩は言葉を濁すと、ばつが悪そうに目を背けた。言いたいことははっきり言おうぜ、が身上のこの人にしては珍しい。


「ふむ。実を言うと僕は一度機体を見せてもらったことがあるぞ」


 匡先輩が参入してきた。萌黄色のナース服がよくお似合いだ。


「ほ、本当ですか? すっげー!」


 啓示は知らない虫を発見した小学生みたいに叫ぶ。まのか部長のことだ、機内はきっとキンキラキンの金箔張りとかに違いない。


「でも、何で飛行機を?」

「いやあ。ちょっと将来のビジネス展開に向けて色々調査をね」


 不思議そうに尋ねる瀬奈に、匡先輩はちょっと意識高い系の人っぽい、すかした口調で答えた。


「違うでしょお、匡」


 持ち主さまに、あっさり水を差される。


「あの時言ってたじゃなあい。僕は将来痛ジャンボジェットを作るんですってえ。あれは嘘だったっていうのお?」

「うっ」


 匡先輩は、餅でも詰まらせたように目を白黒させた。


「え、ええ、まあ、それもあります、が……」


 あるのか、痛ジャンボジェット計画。


「それもあるう、じゃなくてそれしかないい、でしょおおお」

「ふ、ふむ。では、まあ、そういうことにしておきましょうか」


 まのか部長の追及を避けるように、匡先輩はすちゃっとメガネの位置を直した。いつもは冷静なこの人がこんな風にうろたえるのもなかなかに珍しい。


「うーん、プライベートジェットかあ。もしあったら、けーじは何する?」


 瀬奈が水を向けてきた。


「え? お、俺?」


 そんなの、生まれてこのかた一度も考えたことがない。


「え、えーと……と、とりあえず外国のスーパーにおやつとか買いに……」

「うわ、ちっさ」


 蔑むような声で、ざっくりと斬られた。


「う、うるさいな。そういう瀬奈はどうなんだよ」


 むきになって質問を返す。


「私? 私は世界各国の家庭の晩ごはんに突撃するわよ。しゃもじだけじゃなく、フォークやスプーンも超特大サイズのやつを用意してね」

「い、いや、それは……」


 正直どうだろう。センス的にも、倫理的にも。というか、巨大フォークを持って家庭に突撃ってそれはもう討ち入りなのではあるまいか。


「でえ、言い出しっぺの沙妃はどうしたいのお?」


 まのか部長が話の矛先を戻す。


「え? あ、まあ、それは……すー、すぴ~」


 沙妃先輩が目を逸らして口笛を吹いた。吹けてない。


「どうしたいのお?」

「い、いや、だから……」

「どうしたいっていうのおお?」


 なおも言葉を濁す沙妃先輩を、まのか部長は容赦なしに追い込んだ。


 表向きはにこにこしているが、その背後からは底知れぬ邪気が漂っている。何というかもう、圧倒的すぎる存在感と威圧感であります。


「わ、分かったよ。言うよ。実はさ……」


 観念したのか、沙妃先輩はぽつぽつと語り出した。


「飛行機の機体にさ、あたしのヘアヌードをばーんとペイントすればさ、世界中の人に見てもらえるんじゃないかなー……とか、思ったりして」

「い、いやいやいやいや。ダメでしょ、それ」


 啓示は即座にツッコむ。これはセンスや倫理の問題ではなく、法的にアウトだ。


 ――が。


「あらあ、いいじゃなあい」

「うむ。実に沙妃くんらしい」

「大胆な試みです。けどさすがに性器の露出はまずいのでそこは巨大なしゃもじで隠す必要がありますね」


 まのか部長も匡先輩も瀬奈も、普通に受け入れている。むしろ歓迎ムードだ。


(あ、あれ……?)


 啓示は一人、置いてけぼり。


 おかしいのか。俺の方がおかしいのか。いやまさか、そんなはずはない。オール3.5の平均に寄せる力をなめてもらっては困る。


「でもそんな面白そうなこと、何で言い渋ったんです?」


 自問自答する啓示をよそに、瀬奈は話を進めた。


「ん? あー、まあ……」


 無造作ヘアをさらにわしゃわしゃかき回しながら、沙妃先輩がうなる。


「実は、さ……」


 少し、間が空いた。


「宇宙人に見られるのが、まだちょっとばかし恥ずかしくって、な」


 瑞々しい頬がほんのりと、羞恥の朱に染まる。


「う、宇宙人んんん!?」


 啓示は素っ頓狂な声を上げた。いきなり何を言い出すんだ、この人は。


「いやあ、あたしも地球人の中ではスタイルのいい方だと自負してるんだけどさ、全宇宙規模となるとさすがにちょっと自信がないやね」


 そう語ると、沙妃先輩は悔しそうに苦笑する。


「宇宙人となると美的感覚も全然違うだろ? ましてエロさとなるともうこっちの想像もつかないような基準で見てくるに決まってんだ。となると、現段階ではまだ厳しいってことになっちまうんだよなー、残念ながら」


 腕組みをしてうんうんと頷いた。何で宇宙人は存在して、しかも沙妃先輩の裸をしっかり鑑賞する前提になってるんだろう。謎である。


「だからさ……」


 さらに話が続いた。


「少なくとも地球で一番の痴女、痴女地球代表になるまで飛行機はお預けだなーと思うわけよ、あたしとしては。な?」


 壮大な冒険物語のワンシーンでも紡ぐみたいに、滔々と述べる。


「ち、痴女地球代表……」


 啓示は二の句を継ぐことができない。そんなしょーもない肩書きがほしいのか、この先輩は。何とハレンチな。いや、知ってたけど。


「いつの日か必ず代表の座を勝ちとってみせる。そして全宇宙の皆さんに堂々と、これが地球の痴女ですよー、とお見せするんだ。いやー、楽しみだなー。ムラムラするなー。宇宙の海は痴女の海ってか? あはは」


 自称痴女地球代表候補生が、夢を信じる若者の顔で朗らかに笑った。


「何という、地球の恥……」


 啓示のツッコミが、宙のかなたへ虚しく消えていった。

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