土汁

「まあ、けーじくんったらあ」


 まのか部長がたしなめるように言った。


「だめよお。いくら貧しいからってそんな人間の尊厳をドブに捨てるような真似をしてはあ。貧民はあ、いいええ、貧民だからこそ誇りは大切にしないとお」

「な、何の話ですか?」


 いきなり真顔でお説教をされ、啓示は戸惑いながら作業の手を止める。


 ここはおなじみ日替部の部室。そして今は放課後をのんびり楽しむためにお茶の準備を進めている最中だ。尊厳を損なうどころか、むしろ逆である。


「だってそれ、土でしょお?」


 まのか部長が、啓示の持つ茶色い粉の詰まった瓶を指す。


「え、つ、土?」


 何を言われているのか、本気で分からなかった。


「もしかして有名な土なのかしらあ? 保育園とかあ」


 ……甲子園あたりと間違えているっぽい。


「でもだめよお。いくらお茶も満足に買えない貧乏人だからってえ、土を溶かして飲むなんてことをしてはいけませえん」


 ものすごく真摯に、ものすごく失礼な言い方で諭してくる。


「い、いえ、あの……」

「いけませえん」


 問答は無用らしい。


(え、えぇえーーー……)


 啓示は困り果てた。一体何をどうすればそんな思考回路になるのか。正直、訳が分からない。


(……あ)


 ふと、閃く。


 もしかして、この人――。


「あの……まのか部長?」


 手を上げて、おずおずと口を開く。


「もしかして、ご存じないんですか? インスタントコーヒー」


 勇気を出して、はじめての質問。


「はいい?」


 まのか部長は頬に人差し指を当て、きょとんと首を傾げた。


「これは、コーヒーなんです」

「…………はいいい?」


 糸のように細い目が、ぎらりと光る。


「あのねえ、けーじくうん」


 呆れ顔で、ため息を一つ。


「そーんなみえみえの嘘で人をたばかることはできないわよお。やるのならもっと巧妙におやりなさあい」

「え、えぇえっ!?」


 啓示は目をむいた。もはや清々しいほどの全否定だ。


「う、嘘じゃないですよ」


 言いながら、作業を再開する。


 世界の主要通貨記号がちりばめられたマグカップを棚から出して、茶色い粉末を投入した。さらに手早くお湯を入れ、スプーンで軽くかき混ぜる。


「飲んでみてください。ちゃんとコーヒーですから」


 うやうやしい手つきで、まのか部長に差し出した。どうでしょう、このしびれるような香り。


「う、うううーーー…………」


 お嬢さまは、いきなり手負いの獣みたいな声でうなった。


「ど、どおしてよおお」


 不満たらたらに口を尖らせる。


「何でわたしがあ、この世界に誇るスーパーセレブ外崎まのかともあろう者があ、こんな拷問みたいな仕打ちをされなきゃいけないのおおおお」

「ご、拷問!? 何でですか!?」


 啓示は声をひっくり返した。発想が斜め上すぎてアイドントノーだ。


「うわー、拷問かー。ひでーなー。意外と鬼畜なんだなー、け-じっちって。人のよさそうなケツしてさー」


 沙妃先輩が、ここぞとばかり話に乗り込んでくる。どこ見てんですか。


「ふむ。人には誰しも裏の顔があるということだな。まあ拷問、特に女性に対してそんなことを行うなど悪逆非道としか言いようがないが」


 匡先輩もしたり顔で続く。アクギャクヒドウって。非道いのはどっちだ。


「さよなら、けーじ……」


 瀬奈に至っては、まるで死にゆく恋人でも見送るように温かい視線を投げかけてくる。末期か。今から冥府に旅立っちゃうのか、俺。


「何なんですか、みんなして……」


 啓示はうなだれた。本当に困った人たちだ。全部知ってて煽るとか、そういうのよくないですよ。うん、よくない。


「ねえ、けーじくうん。実はこれ土なんでしょお? 今ならまだかわいーい後輩のささやかーないたずらと思って大目に見てあげるわあ。だからあ、ちゃんと本当のことを言いなさあい」


 まのか部長が詰め寄ってきた。口調こそ丁寧だが、声のトーンは一ミリも笑っていない。


「ああ、それともお金目当てかしらあ」


 また変なことを言い出した。


「金をくれないなら土を飲むぞお、みたいな脅迫ねえ。いかにもまともに稼げない貧愚庶民が考えそうなことだわあ」

「ひ、貧愚庶民って……」


 いよいよもって酷い見下されっぷりである。ヒングショミン。何か薬品名とかにありそうな響きだ。ヒングショミン。


「でもわたしは屈しないわよお。だって大事ですものお、お金え」

「い、いえ、俺は別にお金を要求しているわけではないんです」


 陶然と語るまのか部長に、啓示はそう返した。とにかく、この恐ろしい勘違いを何とかしなくては話にならない。


「……分かりました。もしこれがコーヒーじゃなかったら、俺の命でも何でも差し上げます。ですからまずは飲んでみてください。ちょっとだけでいいですから」


 腹をくくって、決然と言い放つ。


「ええーー……?」


 まのか部長は訝しげに啓示を睨みつけた。


「人畜無害なだけで何の取り柄もないけーじくんがこうも強気に出るなんてえ……でもお、はったりの可能性だってえ……だけどおお……」


 心の声をだだ漏れに呟く。どこまでいっても酷い言われようだ。


 ――だが。


「……えっ、えええーーーい」


 覚悟を決めたのか、まのか部長が突然カップに口をつけた。


『……』


 えも言われぬ緊張感が、部室を包む。


「……あらあ?」


 拍子抜けしたような声が、潤んだ唇からこぼれた。


「まああ、あらああ」


 親戚のおばさん口調で言いながら、何度もカップを上下させる。


(ほっ……)


 啓示は胸をなでおろした。どうやらちゃんとコーヒーと認識してくれたようだ。


『……(ちっ)』


 煽り組の舌打ちが聞こえる。うん、まあ、気にしない。


「ああ、いいこと思いついたわあ」


 湯気の向こうで、口唇が震える。


「本日はインスタントコーヒー部にしましょおお。うふふう」


 見事な必殺掌返しを披露すると、まのか部長はにっこり微笑んでまたコーヒーをすすった。

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