融合

「こんちはー」

「あ、けーじ」


 部室にやってきた啓示を迎えたのは、瀬奈。なぜか制服の上着を脱いでシャツを腕まくりしている。


「……な、何してんだ?」


 啓示はぽかんと立ちすくんだ。一瞬、目を奪われてしまった。


「何って、見ての通り」

「見ての通りって……」


 涼しい顔で答える瀬奈の手元に目線を落とす。


「俺にはトランペットに縛りつけられたのこぎりで廃材を切って遊んでいるようにしか見えないんだが……」

「うん。ほぼ合ってる。でもこれ、トランペットじゃなくてトロンボーン」


 そう言うと、瀬奈は手持ちの物体をひょいと掲げた。


「いや、普通に切れよ……」


 己の無知を棚に上げてこぼす啓示に、瀬奈は分かってないなーと言いたげな顔で肩をすくめる。


「普通に切っても何も面白くないじゃない。全く縁のない両者を結びつけて新しい価値を産み出す。創造にはこの結びつきという要素が大事なのよ。オーケー?」

「は、はあ……」


 啓示は勢いに押されて頷いた。なるほどごもっとも。よく分からないが何となくいいことを言っている気が――。


(……い、いやいやいや!)


 ぶぶんと首を振った。


 これではまた瀬奈のペースにはめられてしまう。今日はちゃんと自分のペースを保つのだ。それがテーマだ。今決めた。


「で、その新しい世界とやらは産まれそうか?」


 注意しながら話を続ける。目立たぬように、はしゃがぬように。


「うーん。臨月っぽい気配はあるんだけどねえ。たとえばこうやって、ほら」


 ぶぶぶぶっぶぶー、と軽快にトロンボーンが鳴り、廃材に切れ目が入った。


「……これが、臨月っぽいのか?」

「ええ、そうよ。けーじにはまだ早かったかしら。この滋味が理解できないなんて本当にお子ちゃまなんだから。ぷぷぷ」


 嘲けるような笑みを浮かべて、また、ぶー。


「むう……」


 啓示は犯人の動機を探る名探偵のように、眉間を指で押さえた。


(……うん)


 どう考えても、単なる愉快犯という結論にしかならない。


「どっちかというと精神年齢が低いのはそっちな気もするが……」


 だって愉快犯だしな。


「やだなあ、けーじってば。この高尚な試みのどこが低年齢よ」


 不機嫌そうに言い返すと、瀬奈はトロンボーンをくわえたまま啓示の正面に歩み寄る。


「ほれ、言ってみ?」


 スライドの部分に固定されたのこぎりを、啓示の身体にこつんと当てた。ぶ、とマヌケな音が辺りに響く。


「いてっ」


 啓示は思わず声を上げた。結構痛い。


「ほれほれ」


 ぶー、ぶー。


「い、いててっ」

「そうらそうら」


 ぶ、ぶ、ぶー。


「や、やめろって」

「このお、ちょんちょん」


 ぶぶぶ、ぶー。


「だーっ! やめんか! うっとうしい!」


 たまりかねた啓示が、トロンボーン&のこぎりを振り払った。意外なことに肉体よりも精神を切り刻まれる攻撃だった。


「え?」


 すると、瀬奈の雰囲気が一変する。


「やめて……いいの?」


 おもちゃを前にはしゃぐ子供から、情に訴える大人の女へ。


「……本当に?」


 妖艶な目つきで、トロ&のこを口元に当てた。


「っ……」


 啓示の鼓動が、どくんと跳ねる。


 心を、もっていかれそうだった。


 いかに風変わりといっても、見た目だけなら瀬奈はかなりのもの。ミスター平凡男子である自分には少々刺激が強い。


 ――が、しかし。


「ええ、どうぞどうぞ。むしろ積極的におやめください」


 啓示は言い切った。よくやった、俺。誘惑に打ち勝ったぞ、俺。今日は意地でも自分のペースを保ってみせるのだ。わはは。


「おっと……そうきましたか」


 大きなアーモンドアイを不敵に輝かせると、瀬奈は口の片端を釣り上げにやりと笑った。


「じゃあじゃあじゃあじゃあ」


 炊飯器の営業みたいに連呼すると、トロンボーンの口をずいっと啓示の顔に突きつけてくる。


「今度はけーじがやってみる?」

「え、ええっ!?」


 啓示はどぎまぎした。それはもしかして、俗に言う間接キスではないか。


「私たちもしてみようよ、融合。これはその第一歩」


 気楽な調子で、瀬奈が誘う。


「ゆ、融合?」


 啓示の喉が、ごくりと鳴った。


 二人で、融合。


 何という甘美な響きだろう。思春期の妄想がとめどなくあふれてしまいそうだ。エマージェンシー、エマージェンシー。


「う、うあ、あ……」

「じーーー…………」


 苦悶する啓示を、瀬奈は昆虫でも観察するようにじっと見つめる。


「ふ」


 かすかに、口元が緩んだ。


「どうやら、けーじにはまだ無理だったみたいね」


 左サイドテールをしなやかに揺らしながら、勝ち誇るようにそう言う。


「まあ……」


 少し、間が空いた。


「私も焦って融合する必要はないと思うけど」


 思わせぶりに続けて、啓示の手からトロンボーンを取り返す。


「じゃ、そういうことで」


 また一つ、ぶー。


「なっ……」


 啓示は口を開きかけて、やめた。


(何なんだ……)


 どんよりとした苦悩の色が、凡庸な顔を覆う。何なの、一体何なの、この女。


(でも……)


 一つだけ、理解できたことがある。


(無理だ……)


 瀬奈の前で自分のペースを守るなど、啓示にはやはり不可能なのであった。

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