第7話『子殺し・母殺し』
山深い村
バスから下車する妊娠中の布谷精子せいこ(28)。白人男性、ジョセフ(26)が出迎える。ピックアップトラックに乗り込む二人。未舗装の山道。車中からは深い山々が見え鹿やハミングバードが時より垣間見られる。疲れた表情の精子。無言で運転を続けるジョセフ。
森の中のジョセフ農園。ジョセフの妻、ジーナ(28)が出迎える。二人は旧知の仲らしく抱き合う。森には質素な木造住宅、納屋、池、鶏小屋、果樹園、畑、そしてスウェットロッジ。
古いモーターホーム
ジョセフとジーナが古い黄色いスクールバスを改造したモーターホームに精子を案内。バックミラーに手足の長い蜘蛛が巣を張る。蜘蛛の巣に三匹の羽虫。精子は蜘蛛の糸に触れ初めて笑顔を見せる。
古いモーターホーム(屋内)
ベッドルームで陣痛を迎える精子。ネイティブアメリカンの中年助産婦。男の子を取り上げる。ジーナが涙を流す。
ジーナ(英語) 「精子、おめでとう。とっても美しい男の子」
新生児が精子の胸に渡される。精子はくるんでいたタオルをはぎ胸の前に掲げ体中を精査する。五体満足。安心し再びタオルに優しくくるむ。胸に抱き赤子の匂いをかぎ頬にキスをする。
スウェットロッジ
ホワイトセイジに火が通る。息を吹きこむワレス・タタンカ・ウォキムナカ(50)。彼の前に新生児を抱いた布谷精子(28)。ホワイトセイジの煙を精子の身体全体を包むようにくゆらせる。鷲の羽の扇でその煙をあやつる。精子はその煙を片手ですくい、新生児の頭、身体にすり込む。ワレスは鷲の羽で新生児の頭を軽く触れる。
堆肥作り用の納屋前
ジョセフ農園。精子(34)は住み込み労働者。ピックアップトラックの荷台にある大きなタープの袋。口から枯れ葉が見える。袋の一メートル上をガイガーカウンターで計測する精子。納屋から出てくるジョセフ(32)とジーナ(34)
ジョセフ(英語) 「ハニー、彼女のあの眼差しを見る度、いささか不安になる」
ジーナ(英語) 「まだまだ時間が必要なのよ。それに汚染を真剣に管理してくれて私は安心だわ。」
ジョセフ(英語) 「彼女の知識には感謝しているよ。でも僕には彼女は年々悪化しているようにも見える。今後、数値が少しでも変化しようものなら彼女はどんな行動に出るだろう。僕だけじゃない、村の住人さえ彼女の言動には首をひねる者もいる。」
ジーナ(英語) 「機会をみて私が話してみる。」。
トタン屋根の納屋。煉瓦で囲われた枯れ葉の集積場(茶色の材料・炭素分多)。糞や野菜くずなどの生ゴミ、おが屑を混ぜ合わせた(緑色の材料・窒素分多)コンポスト。それらの材料を手に取って発酵具合を見る精子。
集積場の横、金網とゴミ袋で作られた円筒形の堆肥枠。空気を通すため底上げされた網棚に多数置かれている。混ぜ合わされたばかりの堆肥枠から蒸気が上る(摂氏50度)。前々日に混ぜ合わされた堆肥枠からはもっと水蒸気が出る(摂氏60度)。長い温度計で塚の真ん中の温度を計る精子。堆肥の発酵確認。水蒸気の出ていない堆肥枠をジーナが開き平らな所に取り出す。フォークを使って堆肥の山を切り返すジョセフ。
手製のふるいに堆肥を通しキメ細かくするジョセフ。細かくなった堆肥を木箱に詰める精子とジーナ。納屋片隅にはその木箱が多数。二〜三週間寝かされ畑にすき込まれる。堆肥が土壌微生物を増やす。土中の生態系が豊かになる。結果、土壌に豊かなミミズが増える。
ジョセフ小農園
土を耕すジョセフ。耕された土の六センチほどに出来たばかりの堆肥をすき込むジーナと精子。微生物が大量に生息する豊穣な土。精子やジーナがすくう土から大きなミミズ(20センチ程)が多数姿を現す。精一郎(6)、ミミズを見つけると喜んで拾い上げ空き缶に入れる。
精子、新しいトマトの苗を支柱に沿って植え込む。茎と支柱を紐で8の字を描くように結ぶ。トマト近く、コンパニオンプランツとしてアスパラガス(トマトがアスパラにつくジュウシホシクビナガハムシを防ぎ、アスパラがトマトに被害をもたらすサツマイモネコブセンチュウ・キタネグサレセンチュウ等センチュウ類の繁殖を抑制)。同様に枝豆とトウモロコシ、カモミールとタマネギ・ブロッコリーがペアで植えられている。
野菜畑の生育状況を確認する精子。野菜についた青虫や毛虫を手に取りためらいなくつまみ殺す。地面に体液が流れ蠢く毛虫。
併設された地鶏飼育場を自由に動き回る20匹ほどの鶏。精一郎、空き缶のミミズを一匹手に取り鶏に投げる。大喜びでミミズを食べる鶏の姿に驚喜。元気な鶏が精一郎の空き缶を狙う。精一郎、その鶏と格闘。
畑を囲む柵を修繕する精子。ジーナがうれしそうに一ダースの卵パックと、器に入れられた生卵(ぷっくりと盛り上がった黄身と張りのある卵白)を持って現れる。
ジーナ(英語)「精子、見て。なんだか最近調子良いみたい。精子のレシピ、効いたわ。」
精子(英語) 「黄身も弾力が出て、卵白も広がらず盛り上がってきたわね。」
ジーナ(英語)「色も風味も濃縮されてきた感じがするわ。」
精子(英語) 「良かった。ジーナ、キャベツにアブラムシが例年より多く見られるから、セージかコリアンダーを近くに植えてみてはと思うんだけど。少しは抑制すると思う。どう?」
ジーナ(英語)「もちろん。早速、ジミーさんとこから苗を分けてもらうわ。精子が来て六年、土壌の管理が飛躍的に向上したし、野菜も鶏も生き生きしているのはあなたのお陰よ。ジョセフも私もとても感謝しているの。毎日土に新しい発見があって本当に楽しい。精子は楽しい?」
精子(英語) 「ジーナ・・」
ジーナ(英語)「まだ夢は見るの?」
ジーナの問いに戸惑う精子。
ジーナ(英語・続く)「簡単ではないとわかってはいるけれど、辛いことを思い出したらいつでも私に話してね。」
精子(英語) 「ジーナ、科学者や政治家、企業経営者は、有機栽培された作物と、化学肥料で栽培された作物を見わけられない。でもこの土壌を必要としている生物は違う。私たちが注意深くあらねばならないことは、科学者が作り出した物質を土壌や水源に混入させないこと。」
精子の反応に複雑な表情を見せるジーナ。
森、午前
裸足で目隠しした精一郎(6)、大きな木の幹を抱く。離れた所で煙草を吸い岩に腰掛ける精子。精一郎の裸足の上を小さな虫が歩く。精一郎の鼻腔はざらざらの木の表皮近く。
目隠しのままの精一郎を連れ森をおりる精子。モーターホームの前で、精子は精一郎を三回、回らせ目隠しを外す。森の中へ再び一人で向かう精一郎。その後に続く精子。
古いモーターホーム(屋内)
ダイニングテーブルで茹でたとうもろこしを食べる精一郎。優しい表情で眺める精子。
精一郎 「今日は面白かった。くんのお腹の中で、誰かが小さな石投げた。精くん、その石を取ろうとしたら、周りが絵本みたいになった。お空が目の前に現れて、お空が走った。そしてね、青いお空が急に茶色い木の空に変わった。精くんの前をギュイーンて走るの。」
精子 「 精くんはどうしてたの?」
精一郎 「 精くんは小さな石を持ってじっとしてた。そしたらね、精くんが木の上にいてね、木を抱っこしている精くんが下に見えた。ママは煙草吸ってた。でもね、すぐに、木を抱っこしている精くんに、精くんが帰ってきた。だからどの木を抱っこしてたか分かったよ。」
精子 「精くんお空飛んだ?」
精一郎 「違う。精くんは動いてない。精くんの周りが滑った。すっごい、楽しかったよ。」
精子 「でも精くん、目隠ししていたのにどうして見えたのかな?」
精一郎 「お目めで見てない。お腹の石が教えてくれた。それからね、あの木はね、『精くんに抱っこされると嬉しい』って言ってた。精くんが子犬を抱っこすると、子犬が嬉しいのと同じだって。そしたらね、小さな虫がね精くんの足の上にいてね、精くんを抱っこしてるって虫さんが言ってた。精くんも虫さんに抱っこされて嬉しかったよ。」
精子 「じゃ、その小さな石をくれたのはあの木だったのかな。」
精一郎 「わかんない。」
精子 「あの木は精くんのお友達だね。」
古いモーターホーム、午前
精子と話をしている司祭ワレス・タタンカ・ウォキムナカ(58)。長い枝で遊ぶ精一郎。枝を望遠鏡のように目の前に掲げ、色々な方向に向ける。ワレスは精子と話が終わると、精一郎の方に近づく。
ワレス(英語) 「セイ、何をシューティングしているのか?」
精一郎(英語) 「こんにちはアンクル・ワレス。アイアム・シューティング・ハミングバード。」
ワレス(英語) 「セイ、よいか。ハチドリはクリエイターから遣わされる鳥だ。この地では決して殺めてはならない。アンクル・ワレスは曾祖父さまから教わった。セイもハチドリを大事にしてくれないか。」
精一郎(英語) 「僕はハチドリ殺さないよ。このカメラでハチドリをシューティング(撮影)してるだけだよ。」
ワレス(英語) 「そうか、その枝はカメラだったか。ワレスはライフルだと勘違いした。セイはハチドリ好きか?」
精一郎(英語) 「わからない。」
ワレス(英語) 「じゃ、セイはハンティングは好きか?」
精一郎(英語) 「(初めて枝を顔面から外して)好き。」
ワレス(英語) 「私のところでハンティングを学ぶか?」
精一郎(英語) 「本当?学びたい。ママに聞いてくる。」
ワレス(英語) 「精子とはもう話したよ。セイ、ワレスはハンティングを教える為に一つ条件がある。」
精一郎(英語) 「何?」
ワレス(英語) 「明日からセイのことをゾミトゥカと呼ぶ。」
精一郎(英語) 「ゾミトゥカ」
ワレス(英語) 「そう、ゾミトゥカ。キカプー・フォックス族からハンティングを学ぶには、キカプー・フォックス族の名を名乗らなければいけない。アンクル・ワレスの名は、ワレス・タタンカ・ウォキムナカ。」
精一郎(英語) 「タタンカ・ウォキムナカ、おかしな名前だね。」
ワレス(英語) 「嫌いか?」
精一郎(英語) 「好き。」
ワレス(英語) 「良かった。お前はわしの所では、精一郎・ゾミトゥカ・ウォキムナカだ。」
古いモーターホーム(屋内)夜
ダイニングテーブルのソファーに精一郎(6)を寝かしつけ灯りを消す精子。キッチンの扉からスケッチブックとロウソクを取り出す。それを手に奥のベッドルームに入る。
ロウソクに火をともす。煙草を旨そうにくゆらしながらウィスキーを一口飲む。ろうそくの光を頼りにスケッチブックを開く。幼い精一郎がとうもろこしを旨そうに食べている顔、四十代の母親、父親、祖父母、ジョセフ、ジーナ、ワレス、夫(啓宇・けいう)、単眼症の奇形胎児(文月・ふづき)、それぞれの顔が鉛筆で描かれている。
奇形胎児(文月)の似顔絵のページで精子の手が止まり、しばらくして顔をあげる。ロウソクの光だけの暗く狭い部屋。精子の反対側に夫・啓宇(29)が静かに座っている。
産婦人科(屋内)
超音波検査を受ける精子(26)。超音波検査映像の再生画面。
精子(興奮して) 「頭に水ってどういうことですか?他の気になるところって?障害があるって事ですか?」
精子の反応に面食らった顔で静まる担当医。 精子の隣にいた中年女性の助産婦が精子の手をそっとにぎる。
助産婦 「大丈夫、落ち着いて布谷さん。ゆっくり先生のお話を聞きましょう。」
担当医 「『水頭症』という病気があります。頭の中に水がたまる病気です。でも布谷さんの場合は、少なくとも今超音波で見た段階では、『水頭症』ですね、と言える程水がたまっているわけではありません。あと、他に気になるところというのは、赤ちゃんのおでこらへんに何やら突出したものが見えます。大きさにすると、二センチほどのものなのですが・・・」
精子 「それは何なんですか?」
担当医 「おできのようなものかもしれませんが、今日の診察ではよく分かりませんでした。病棟の方にはさらに精密な超音波の器械がありますし、MRIという検査も入院して受けてもらった方が良いかと思います。」
急に襲われた不安のため担当医の言葉がうまく耳に入らない精子。
MRI検査を受ける精子。
検査疲労のため病室で寝ている精子。付き添いで見守る夫・啓宇。病室に入ってくる主治医。
主治医 「ちょっとよろしいですか?」
主治医室
主治医 「奥さんから少しは話を聞いているとは思いますが、まず頭についてです。MRIをとった結果、やはり頭に水がたまっていました。量としてはそれほど多いものではありません。頭のサイズ的にも正常範囲と言えます。ただ・・・。本来脳というのは『右脳』『左脳』の二つに分かれているのですが、この子は分かれていないようです。簡単に説明するのはとても難しいのですが、非常に厳しい状況にあります。あと外来で赤ちゃんのおでこらへんにおできのようなものがあると言っていたのですが、どうやらそれは鼻のようです。」
啓宇 「え?」
主治医 「ここまでは、外来でも奥さんの方になんとなく説明していたことなのですが、今日MRIをとって新たに分かったことがあります。この画像を見せると奥さんはびっくりすると思うので、とりあえず先にご主人に見て頂きたいと思います。」
コンピュータを操作しディスプレイに画像を表示する主治医。画像を指さしながら説明を始める。
主治医 「ここが頭、分かりますか?これは水がたまっていると思われる部分です。このおでこらへんにあるのが、鼻だと思われます。そして、分かりますか?ここ。眼が一つしかありません。」
啓宇 「えっ?」
主治医 「驚かれるのは当然のことですが、最後まで落ち着いて話を聞いて下さい。この子はおでこに鼻があります。それは私たちの鼻とは違います。『長鼻』とか『象鼻』と言われるのですが、要するに象のように長い二センチほどの鼻があります。鼻の穴は一つです。そしてその下に眼があります。一つです。その下の口は問題ないと思われます。」
大きなため息をつき窓の外に視線をうつす啓宇。主治医は夫の反応を静かに観察。
主治医 「窓をあけて空気を入れ替えましょうか?」
啓宇 「先生、すみません。続けて頂けますか?」
主治医 「こうなった原因ははっきりとは分からないのですが、胎児は妊娠初期にいろいろな器官が二つに分かれる時期があるのです。脳が右脳と左脳に分かれると、眼が右目と左目に分かれる。その時期にそれが出来ない何らかの理由があったのだと思います。鼻は目が二つに分かれた、その間を通って、下に降りてきて鼻の穴が二つでき、形が整ってくるのです。結論を言いますと、脳が正常にできていない。鼻が正常に出来ていない。というところから呼吸が上手く出来ないので、生きていくことが難しいです。お腹の中では呼吸をする必要がないので生きていけます。生まれてきて、人工呼吸器をつけて、うまく呼吸が出来たとしても脳が正常には出来ていないので、重い障害を抱えることになります。つらいお話になりますが、もう今の週数では中絶も出来ません。産んであげるしかないのです。生まれた時に、挿管する等の蘇生処置をするかについて奥さんとよく話し合って頂けますか。」
軽くうなずいた啓宇に声をかけられずにいる助産婦。
曇り空
曇り空を背景に三本の大きな水蒸気の煙。上手から下手に流れる。煙の出先は画面にない。けたたましく警報が響く。排水溝へ流出する汚染水。
道路
雨。路肩で非常灯を点灯した2トンアルミバン車。フロントガラス下に「救援物資輸送中—すすき野町—」のサイン。バンには「布谷工務店」のペイント。精子は助手席でラジオをチューニング。多くのラジオ局がノイズ。時々、放送が聞こえるが再びノイズ。ワイパーがフロントガラスに叩きつける雨を忙しなく振り払う。
ラジオ(画面外) 「ノイズ・・官房長官は今朝十時の発表で爆発的なことが万一生じても、避難している周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じないと述べました・・・冷静な対応を国民に・・・」
サイドミラーを覗く精子。パンクした後輪をジャッキで持ち上げようとしている啓宇。車外に出る精子。啓宇の背後に立ち傘を差し伸べる。ジャッキのヘッドがパキンと折れる。パンクした後部車輪は中途半端に持ち上がったまま。啓宇は無言で精子を見る。
啓宇(画面外) 「先生、蘇生処置は希望しません。ありのままで生んであげたいと思います。」
雨に打たれ他の車を止めようと試みる啓宇。車はまばら、どの車も停車拒否。携帯電話ををかける啓宇。繋がらない電話。再び道行く車を止めようとする啓宇。自ら雨に濡れながら傘を夫の頭上にさす精子。
啓宇(画面外・続き)「爆発のあった当日、核発電所の近くにいました。こんな結果になることなど露とも知らず。」
産婦人科(屋内)
精子の病室
陣痛を迎えた精子がベッドに横たわる。カーテンで仕切られた入り口近くで、主治医と啓宇が立ちすくんでいる。
主治医(画面外)「布谷さん、何度もお伝えしますが、お二人のお子さんは核発電所の事故、放射線とは全く関係ありません。科学的にも疫学的にも因果関係は見いだせないのです。お二人が落ち着かれた暁には、遺伝子カウンセリングをお受けになられてみてはいかがでしょうか。」
精子の傍らにいる助産婦。
精子 「赤ちゃんの心音を聞きたい。」
マイクを精子のお腹辺りにあてる助産婦。精子の耳に添えた小さなスピーカーからゆっくりとした心音。
精子(微笑)「赤ちゃん、生きてますね。(間)もういいです。外して下さい。」
分娩室。
二、三回いきんだところで小さな赤ちゃんが生まれる。産声のない静かな誕生。
助産婦 「おめでとうございます。」
胎盤の処置、新生児のへその緒を切断しタオルの上に寝かせる主治医。そしてしばらくして時計を見ながら心拍の停止を確認。
助産婦の手できれいに身体を拭かれ、タオルにくるまれた単眼症の赤ちゃんが精子の胸の上に置かれる。精子の目から涙が流れる。赤ちゃんの頬を優しくなでる精子。赤ちゃんの匂いをかぐ。傍らの助産婦に向かって。
精子 「もっともっとショックを受けると思っていました。でもまぶたもあるし、まつげもちゃんとあるし、かわいい。もっと抱いていていいですか?」
助産婦 「もちろん。赤ちゃんはお母さんに抱っこされることが一番嬉しいんだから。」
精子 「ごめんね、ごめんね、守ってあげられなくて本当にごめんなさい。もしママを許してくれるなら、どうかいつか帰ってきてください。」
分娩室に入ってくる啓宇。退室する助産婦。三人だけの分娩室。
古いモーターホーム(屋内)夜
精子のいるベッドルーム。手の中にあるスケッチブック。精一郎が書いたハチドリのデッサン。
精子 「亡くなった文月は、すぐに戻って来てくれた。私はここで精一郎を産んで正しかった。あなたのように逃げない。」
揺れるロウソク。その光がハチドリ絵の上で揺れる。精子を見つめる啓宇。
啓宇 「間もなく夜が明ける。だから私を放しなさい。」
精子 「祝福してくれるまで放さない。」
啓宇 「お前の名は何と言うのか?」
精子 「精子」
啓宇 「お前はもう精子と名乗らず、イスラエルと言うがいい。お前は『神』に対しても強かったし、人に対しても勝つだろうから。」
精子 「名前を明かして下さい。」
啓宇 「なぜ私の名を尋ねる?」
精一郎(6)のいるキッチン・リビングルーム。
精子の部屋のドアを背に床に座っている精一郎(6)。
時を刻む目覚まし時計。小さいが部屋に音が響く。精一郎のソファベッド枕元に無造作に置かれた図書館の本とCD。日英両書籍揃う。多くは無数のペーパーバック。精一郎(12)、(先ほどまで精一郎(6)が寝ていた)ソファベッドで横になり、本を開いたまま母親の部屋を見ている。ドア前の精一郎(6)の姿はない。ベッドから抜け出しドアをノック。返事はない。
精一郎(ドアを開けながら) 「おかあさん、入るよ。」
ベッドで寝入る精子。ブランケットの上に置かれたスケッチブック、小さな卓。卓上には火のついたろうそくと倒れたウィスキーグラス。精一郎(12)はスケッチブックと卓をサイドテーブルに置き、精子にブランケットをかける。ドアを閉じ、先ほど精一郎(6)がしていたようにドアに背もたれ床に座り込む精一郎(12)。
曇り空
曇り空。三本の大きな水蒸気の煙。
スウェットロッジ(屋内)夜
スウェットロッジ/ネイティブアメリカンチャーチ。スウェットロッジ隣で燃えさかるたき火。その黄色い炎がロッジ室内から入り口を通して見える。
タタンカ(英語) 「ブリングイン・ストーンピープル」
たき火で熱せられた大きな石。スウェットロッジ中央に掘られた穴にスコップで運ばれる。七つの石は暗いロッジ内で赤黒く発光。
タタンカ(英語) 「水と瓢箪ひしゃく」
バケツと瓢箪ひしゃくを運び入れた外の者が、外側から毛布で入り口を閉じる。暗闇になる内部。ドラムを叩きラコタ語で歌うタタンカ。ひしゃくを使い石に水をかける。水は「シュー」っと音を立て蒸発。ロッジ内は蒸気で満たされ温度が上がる。暑さと暗さから参加している幼い子どもが泣く。子をなだめる母親。それらの声が歌声に混じる。
中央のくぼみに置かれた七つの石ストーンピープルの赤黒い発光。その光は暗闇でかげろうのように揺れ、地球形成期の小惑星のように見える。
曇り空
曇り空。三本の大きな水蒸気の煙。けたたましい警報。焼け石で蒸発する水の音。スウェットロッジ内参加者全員で歌われるネイティブアメリカンソング。排水溝から大量の汚染水の流出。
タタンカ(英語・画面外) 「このスウェットロッジは大地の子宮。共に歌い共に祈りを口にしよう。そうすれば大地とへその緒で結ばれていることを再び自覚できる。この子宮を出ていく時、以前そうだったようにこの大地の子として再び生まれ変わる。」
スウェットロッジ(屋内)夜
発光するストーンピープル。シダーの葉が石に振り掛けられ、パチパチと芳香を放ちながら燃焼。
若い母親(英語) 「私の娘、ダコタ、そして継娘のエリザベス、二人を平等に愛せるよう私に力を与えて下さい。二人が仲良く助け合い健やかに育ちますように。」
中年女性(英語) 「夫のマシューがアルコール依存症を克服できますように。我が家から暴力が取り除かれますように。」
青年(英語) 「父親のジョージの為に祈ります。父は重い鬱病で長年苦しんでいます。どうかクリエイターのご加護で父に安らぎの日々が戻りますように。」
ゾミトゥカ(英語)「この大地に告白します。母を殺したのは僕です。どうぞ僕に相応しい罰を与えて下さい。」
タタンカ(英語) 「このスウェットロッジは大地の子宮。共に歌い共に祈りを口にしよう。そうすれば大地とへその緒で結ばれていることを再び自覚できる。この子宮を出ていく時、以前そうだったようにこの大地の子として再び生まれ変わる。アホミタクヤセン。」
全員 「アホミタクヤセン。」
スウェットロッジ 夜
覆いが開かれる。中から大量の水蒸気。参加者がぞろぞろと十五人出てくる。
たき火の光だけの夜空の下。ロッジ周辺で汗まみれの精一郎・ゾミトゥカ(17)はタオルで顔・身体を拭く。タタンカ(69)もゾミトゥカの隣で身体を拭く。着替え終わった他の参加者。タタンカに礼を言う。幾人かはゾミトゥカを無言でハグ。最後の一人、ネイティブアメリカン中年女性が話しかける。
女性(英語) 「私はあなたの母親が作る野菜や卵が大好きでした。彼女の野菜には野菜本来の味が濃縮されていました。だからいつもおいしく頂けました。彼女は誰よりもこの大地の恵みと病を熟知していた。だからこそ、この大地の病を一人で引き受けてしまった。その病は大きすぎる。みんないつか彼女のように弱くなる。彼女の死はあなたの責任ではない。」
ゾミトゥカ(ラコタ語)「アホミタクヤセン(ありがとう)。」
女性、去る。ゾミトゥカを向くタタンカ。
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカ、一緒に歌ってくれてありがとう。」
ゾミトゥカ(英語) 「アンクル・タタンカ、精子は弱い人間でも臆病な人間でもなかった。」
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカが一番精子のことを理解している。」
ゾミトゥカ(英語) 「タタンカ、正義としての目的が達成されるなら、あらゆる手段は正当化されると思うか?」
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカ、わしはシンプルなインディアンだ。そのような大きな質問はクリエイターに聞いてくれ。」
ゾミトゥカ(英語) 「アンクル・タタンカ、僕の身体にはどうしても清め払えない棘がある。いつの日かその棘によって、僕は僕でいられなくなってしまうかもしれない。」
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカ、火に当たろう。この歳になると、冷えはすぐに訪れるからな。」
たき火を囲む二人。
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカ、精子の自死という選択を、わしは今でも考える。お前を一人残す犠牲を払ってまでも、どうして死が必要だったのか。病がそうさせたのか、アルコールがさせたのか、一時の衝動だったのか、もしくは(間)精子が抱いたビジョンがそうさせたのか。ゾミトゥカ、よく聞きなさい。そこに答えはないとわしは思う。(間)それでもお前が、『はい、そうですか』と、容易く諦めないこともわしは知っておる。答えのない問いを解き明かそうという執念には、気の遠くなる程の時が伴う。そしてそれはいつしか問いではなくなる。それはお前の人生の呪いに変化するからだ。」
ゾミトゥカ(英語) 「あの核事故さえなければ、こうはならなかった。タタンカ、精子の無念さを思うと、体中に怒りが溢れ僕自身押さえられなくなる。」
タタンカ(英語) 「ゾミトゥカ、どうして精子が無念だったと決めつける。このわしでさえ、精子がゾミトゥカと一緒に過ごした幸福な時間をいくつも知っている。ゾミトゥカ、わしは今でもあの日を覚えている。お前がまだ精子のお腹にいるとき精子は東の国からやって来た。彼女は何かに怯え心を閉ざしていた。けれどお前が生まれ心を少しずつ開くようになった。それはゾミトゥカ、お前だけが持つ可能性に彼女が気づいたからだよ。そうやって人が心を開く時、いつも見慣れた風景に、新しい景色、新鮮な視点が加わる。それがこの大地の奇跡だ。ゾミトゥカ、肉体の目で見えるものには限りがある。しかし見えないものは無限だ。困難な問いは心の眼を要求する。それまで見えなかった所に何かを見出す眼だ。心の眼で世界を見なさい。そして何かが心を掠めた時、それを捉えられるだけの落ち着きを常に保ちなさい。そうすれば何かが心を掠めた時、それはほんの少しだけ理解への扉を開いてくれる。人の一生はその積み重ねだ。そうやって見えないものから、少しずつ学ぶという姿勢を忘れてはいけない。結論を急ぐな。理解を得るには忍耐と問い続ける努力しかない。答えのない問いに向き合うつもりなら、それぐらいの心構えを身に付けなさい。良い機会かも知れん。ゾミトゥカを神聖な場所に連れて行こう。」
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます