第6話『45億年の石』

ナイトクラブ (屋内)

アジア人・白人・黒人スタッフが入り交じる撮影準備風景。テーブルでスナック菓子、ミルク、紙ナプキンを並べる精一郎。キャストらしき宇宙飛行士数名がグラノラバーをつまむ。飛行士は皆、オレンジ色のジャンプスーツ姿。胸に異なる国旗のバッジ。


白人宇宙飛行士(英語) 「ハーフ&ハーフある?」

精一郎(英語) 「ありますよ。(クーラーから取り出す)」

白人宇宙飛行士(英語) 「ありがとう。」


ステージ前。リハーサルを行うミヤジマ・ディレクター、黒川レイコ・プロデューサー、大熊カメラマン、木下ケンタ録音技師、レポーター・タシロ、レポーター・無名女優、アジア人宇宙飛行士・星川卓(48)。


黒川   「精一郎、ストロー、お水、紙ナプキン。」

精一郎  「今すぐ。」

タシロ  「それでは船外活動百二十八時間の記録を持ちます星川卓宇宙飛行士においで頂きました。星川さん、今日はどうぞよろしくお願い致します。」

無名女優「よろしくお願い致します。」

星川飛行士 「よろしくお願い致します。」

タシロ「ここは宇宙飛行士の方々がよくお集まりになる、『ある場所』だと伺ったのですが。」

星川飛行士 「はい、宇宙での仕事は常に危険と背中合わせといっても過言ではありません。長年の経験から、運を引き寄せると言われる数々の験担ぎが自然に生まれます。この場所で行われようとしているイベントもその一つです。今ではケープカナベラルの飛行士の間では、非公式ながら出発前の儀式になっています。これに似たささやかな慣習は各地にあります。ロシアの発射場、バイコヌール宇宙基地では、ロケットに搭乗する飛行士は、自分の乗るロケット設置の様子を見るのは縁起が悪いと言われます。」

無名女優「それではここでクイズです。このケープカナベラル宇宙基地では・・・」

ミヤジマ「はい、カット。星川さんありがとうございます。ばっちりです。次はセグメント2のリハを行ってみましょう。」

無名女優「先ほど話題にありました宇宙での仕事ですが、具体的にどのような危険が伴うのでしょうか?」

星川飛行士 「近年ではロケット発射に伴う事故の危険性はかなり押さえられています。民間航空機事故より低い確率と言われる程です。次に考えられるのが、宇宙での長期滞在化による要因です。これによって、宇宙放射線対策が必要になってきています。」

タシロ 「宇宙放射線とはどういったものでしょうか?」

無名女優「タシロさん、今回星川さんにお目にかかるので、私、勉強してきました。宇宙放射線、略して宇宙線とは高エネルギーの放射線で、私たちが病院などで接する機会のあるX線やガンマ線などが含まれます。間違いありませんか?星川さん?」

星川飛行士 「はい、そうです。ただX線やガンマ線に限っては太陽で大きな太陽嵐たいようあらしが発生した際に、その炎の向きが地球側に向いて起きれば飛んできます。その炎には電磁波・粒子線・粒子などが含まれ、それらによって地球上や地球近辺にある人工衛星に甚大な被害をもたらす現象のことを言います。」

無名女優  「宇宙に滞在すると、どれほどの線量が飛行士に影響するのでしょうか?」

星川飛行士 「宇宙では一日平均一ミリシーベルトの被曝量があると言われています。」

タシロ 「それはかなりの量ですね。現在国際的な基準として、地上での日常生活における被曝許容量は一年間、一ミリシーベルトから二ミリシーベルトと言われています。宇宙では数日滞在するだけで一年間の許容量に達してしまいますね。」

星川飛行士 「地上は地球の磁場、そして大気やオゾン層によって、侵入してくる宇宙放射線は和らげられます。宇宙ではその大気やオゾン層の外側になりますので、高線量下の環境が待ち受けることになります。そこで綿密な放射線被曝管理が必要になります・・・」


テーブルに戻る精一郎。コーヒーを飲む白人宇宙飛行士(54)が話しかける。


白人宇宙飛行士(英語) 「卓は何を話しているんだ?」

精一郎(英語)  「太陽嵐による高エネルギー粒子線放出と人体被曝について語っています。」

白人宇宙飛行士(英語) 「随分学術的な話をしているんだな。この番組はエンターテイメントだと聞いたが、君は歴史的なソーラースーパーストームがいつ起き、どれ程の被害をもたらしたか知っているか?」

精一郎(英語)  「済みません、そのソーラースーパーストームとはどう言う現象なのか御説明頂けますか?」

白人宇宙飛行士(英語) 「ソーラースーパーストームとは太陽の表面で常に起きている核爆発であって、それが巨大な爆炎として見える現象のことだよ。興味あるかね?」

精一郎(英語)  「はい。」

白人宇宙飛行士(英語) 「1989年のソーラースーパーストームでは、通信衛星やスペースシャトルに障害が起きただけでなく、カナダ・ケベック州の送電網で12時間に及ぶ大規模な停電を引き起こした。記述上で最大なのは1859年のキャリントンイベントで、その当時、地球上にはまだ多くの電子機器類は存在しなかった。だが欧州や米国の電話通信施設が完全に麻痺した記録がある。例えて言うならば巨大な太陽嵐が起きると、『プラズマの雲』というとてつもない爆炎、例えるなら巨大な電子レンジが発生し、運が悪ければそれが地球に向かってくる。そして地球が丸ごとチンされてしまうことになる。電子レンジにスマートフォンを入れてチンすれば、結果がどうなるか大体予想つくだろう。」

精一郎(英語)  「飛行中の旅客機は飛行不能になりますね」

白人宇宙飛行士(英語) 「君は飲み込み早いな。超巨大なソーラースーパーストームは500年に一度。キャリントンイベントレベルは、100年に一度と言われている。これらが起きると地球上の電子機器類ほとんどが機能障害を起こし、あらゆる発電所、送電施設で全電源喪失が起こりえると考えられている。2012年にはキャリントンイベント・レベルのプラズマの雲が地球の軌道をかすめている。そう遠くない将来、我々は19世紀初頭の生活に戻らなければならなくなるかもしれないな。」

精一郎(英語)  「19世紀初頭の生活で済めばまだ救いはあります。人体に対しての影響は記録されていないのですか?」

白人宇宙飛行士(英語) 「君はどう思うかね?」

精一郎(英語)  「宇宙飛行士が喜んでロケットに搭乗することを考えると、さほど人体への影響はないのでしょうね。」

白人宇宙飛行士(英語) 「宇宙飛行士といえどもそこまで脳天気じゃない。放射線は見えない雨みたいなものさ。濡れることによって個人差はあるけれど、体内の遺伝子に影響を与える。何せプラズマの雲の見えない雨粒は、ミクロの高エネルギー粒子だから、あたかも機関銃掃射の雨に晒されている様なものだ。その銃弾は小さすぎて我々の目には見えない。けれど生命の設計図である遺伝子は、知らぬ間に高エネルギー粒子によってずたずたに打ち抜かれていることになる。もちろん遺伝子には損傷部分を修復する機能もある。ただ著しく損なわれたら修復できない。また世代を重ねていくうちに小さな不良部分がより大きく増幅され、異常となって発見されるケースも多い。つまり癌というケースで。放射線が遺伝子にどれほど影響を与えるかという研究、その閾値しきいちの見極めは、慎重な研究が求められる今後の課題でもある。」


星川飛行士の話を聞いている無名女優が、精一郎の方へ一瞬視線を向ける。その視線に気付く精一郎。


白人宇宙飛行士(英語・続)「あの一着十億円の宇宙服をもってしても、宇宙線や高エネルギーレベルの放射線を遮蔽することはできないのだよ。我々の技術力はまだそこまで追いついていない。その代わり飛行士に対しての累積被曝量は厳密に管理されている。閾値の問題は棚上げされてはいるけれど・・・」


白人宇宙飛行士の説明を上の空で聞く精一郎。白人宇宙飛行士も精一郎の視線の先を気付き微笑む。


白人宇宙飛行士(英語) 「演奏を気に入ってくれるといいのだが。コーヒーありがとう、ヤング・スポーツ。」


ケープカナベラル浜辺、夜明け

海面のサーフボード上で空を見上げるサーファー。垂直に立ち上るロケット雲。


無名女優(画面外)「それではクイズの答です。このケープカナベラル宇宙基地に伝わる験担ぎの一つ。


撮影所(屋内)

白い鍵盤に宇宙飛行士の手が触れる。宇宙飛行士トリオの演奏。


無名女優(続・画面外)「それは『出発前に楽器を演奏する』です。」


宇宙

太陽の南半球の八分の一を占める黒点。黒点の周辺で吹き上がる巨大太陽フレア。X線映像でそのフレア(火柱)が太陽の数倍に膨れあがる(X90相当を立体的に描写)。太陽から吐き出された巨大火柱は巨大竜のごとく暗い宇宙空間に押し出される。


彗星、夜

強烈な太陽風(プラズマの雲)を受けながら太陽に接近する彗星。大きく揺れる彗星の尾の帯。尾の帯が次第に蒸発し、むき出しになる彗星核の小惑星。


北極圏、夜

北極圏に降り注ぐオーロラ。


暗闇の水面

暗闇の水面上に浮かぶ石。石は照らされながら回転。石の照度が上がり白光状態になる。水面に落下。波紋が生まれ水中に沈む石。


ナイトクラブ

精一郎の右肩上に光輝く子供の手。精一郎の視界が突然曲面を描き、精一郎を取り囲む。視界は精一郎を中心にくるくると回る。自分の手の中に石を見出す精一郎。曲面の視界には輝くあぶくを放出しながら小石が沈む。光る子供の掌に収まる小石。


時間軸の異なるナイトクラブ(幻想)

光る子供の手が重く濡れた暗幕を開く。暗幕の内側からライブハウスに入る精一郎。降雨のような雨漏れの室内。その光景に戸惑う精一郎。揺れる青い光に照らされた室内。テーブル席にはNASAの制服を来た宇宙飛行士。私服関係者も多数演奏を聴いている。黒川プロデューサーはじめ撮影隊が陣取るカウンター席。濡れているカメラとその横にいるケンタ。カウンター隅に設置されたテーブルにもう一人の精一郎が皆と同じように演奏を聞いている。室内の人は皆、濡れながらも雨漏りを気にしていない。白人宇宙飛行士はベースを演奏。

精一郎は濡れつつテーブル席に一人座る。濡れた楽器のずれた音階の音楽に耳を傾ける。水を精一郎の前に置くウィレム・デフォー似のウェイター。そのコップに落ちる雨漏り。無言で注文を聞く。


精一郎(英語)「随分、降っているね。」


怪訝な表情のウェイター。その表情を慮る精一郎。


精一郎(英語)「スパークリングワインを。」


注文を書き取り、立ち去るウェイター。雨漏れなど気にせず演奏を続ける宇宙飛行士トリオ。カウンターに座る無名女優に視線を移す精一郎。濡れたワンピース姿の無名女優。精一郎の前に細長いグラスを置くウェイター。スパークリングワインを注ぐと立ち去る。細かな泡がゆっくりと上昇する細長いグラス。時折雨漏りが落ちる隣の水コップ。


レオニード・モズゴヴォイ似のタキシード姿の初老男性が姿を現す。室内を一通り眺め機嫌悪そうに精一郎のテーブルに座る。舞台を眺めながら帽子を置く。男の前に水を置くウェイター。そして無言で注文を聞く。

人差し指でテーブルをトントンと叩く初老男性。その仕草で注文を理解し立ち去るウェイター。男はパイプを取り出し火を付ける。煙草の火は雨漏れの為に消えかかる。しかし全く気にしない初老男性。男の前にショットグラスを置くウェイター。ウィスキーを注ぐ。注ぎ終え立ち去ろうとすると、男性はステッキで制止。ステッキで軽く指図。ウェイターはウィスキーボトルをテーブルに置き立ち去る。


精一郎(英語)「ご機嫌いかがですか。実は僕は雨漏りの中で演奏を聴くのは初めてです。」


精一郎を完全無視する初老男性。何事もないように演奏を聴く。スパークリングワインを一口飲む精一郎。その一口を舌の上で転がし味わう。考えがまとまるとワインを喉奥に全て流し込む。ワイングラスをコップ隣に置く。するとコップ口にヤマビルが姿を現す。尺取り虫のように彷徨うヤマビル。その出現にユーモアを感じる精一郎。すると機嫌の悪い初老男性の視線を感じる。

沈黙したまま精一郎を正視する初老男性。その視線をあえて無視するように無名女優を見る精一郎。テーブル越しに顔を近づけろとステッキで合図する初老男性。立ち上がりテーブル越しに顔を近づける精一郎。精一郎の耳元でぶつぶつ囁く初老男性。そしてすぐに初老男性は再び腰掛け音楽を聴く。火の付いていないパイプ煙草をくゆらす。雷に打たれたようにしばらく動けない精一郎。我に返り入室の際に通った濡れたベルベットのカーテンを見る。そこへ歩き出す。頭をカーテン隙間に差し挟む。

降り続ける雨漏り。木製の卓上の水たまり。コップ口であてどなく首を振るヤマビル。カーテンの隙間に頭を差し挟み、首下だけの身体を露呈している精一郎。鳴り響く音階のずれた演奏。


(続く)

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