第4話『出会いの不可解な啓示』
空港・エグゼクティブラウンジ(屋内)夜
まばらな乗客。窓口で航空会社の女性と話込む精一郎(21)。
ラウンジを抜け、男女共用化粧室へ入る精一郎。ドア上にある紙面の英語字面「断水の為、使用制限あり。」
化粧室内。全て施錠された個室トイレドア。設置された段ボール製簡易災害用トイレ。首から下の体を隠すポンチョ姿で用を足す白人女性。黒サングラスと白イヤフォン姿。壁の注意書きを読む精一郎。壁に掛けられたポンチョを着用。トイレットペーパーを手に持ち着座。
白人女性(英語)「こんな時だから、ちょっとした思い出話がささやかな役目を果たすのよ。『女と男のいる舗道』のセリフ。映画の男がピンボールマシーンに興じる女に話しかけている。好きな動物についての小学生の作文だったかしら。八歳の女の子が選んだ動物は鳥だった。鳥は外側と内側を持った動物で、外側を外すと内側が残る。そして内側も外すとあとには魂が残る。」
精一郎(英語) 「外面を除くと内面が現れる。内面を取り除くと魂が現れる。素敵な引用ですね。その思い出話には何かしら教訓があります。確か僕の記憶ではアンドレ・ラバルトはフランス語の雌鶏プルを使ってました。その意味は英語の雌鶏チックとは少し趣が異なる。」
白人女性(英語)「驚いた。あなたの言う通りよ。一度も出会ったことないのに、片言の世間話で簡単に外面は外れるものなのね。」
精一郎(英語) 「同じ羽毛を持つ鳥は群れをなして飛ぶ。(『類は友を呼ぶ』の英語諺)」
白人女性(英語)「実は私、ただ彼らの Tシャツを着ているだけなの。お尻を拭く前に、あなたにもう一つ引用を披露しても良いかしら?」
精一郎(英語) 「教授、是非。」
白人女性(英語)「そうとあれば、コホン(立って尻を拭きながら)。全ての感受性はやがて自動思考の枠に絡め取られる。もしくは頭でっかちな論証を着せられ片づけられてしまう。そうなるとそれは本来の姿であった感受性とは程遠いものに変化する。概念という固定化されたものに。あなたの好きなS.S.のエッセイからの引用よ。」
女はポンチョ内で尻を拭き終わる。服を正し、ポンチョを脱ぎ壁に掛ける。鏡台で手を洗おうとするが、水が出ない。
白人女性(英語)「断水中だったわね。」
精一郎(英語) 「教授、ソンタグは時代の感受性は最も明白なものでありながらも、同時に最も壊れやすいものとも言っています。我々残された者は、彼らが残した概念のTシャツを着るだけしか選択はないのでしょうか?」
女は口紅で化粧を整える。
白人女性(英語)「あなたもTシャツを着てるの?『人は芸術作品になるか、もしくは芸術を着るかのどちらか』って。」
精一郎(英語) 「オスカー・ワイルドですね。」
白人女性(英語)「あなたとの世間話、とっても楽しかったわ。ところで私は教授じゃない、セールスウーマン。」
退出する白人女性。鏡台上の光沢ある容器を眺める精一郎。ソープ、ローション、オーデコロン、小綺麗に重ねられたハンドタオル。
CUT TO:
トイレから出てくる精一郎。
ビジネスマン(外国語訛り) 「すみません。迷惑でなければ、サイン、頂けますか?あなたのファンです。」
少し離れた場所で一人、テーブルに座る無名女優(28)。頭にヒジャブを巻くムスリム女性。彼女の前に立ちサイン求める三十代黒人男性。仕立ての良いスーツ。差し出された白いハンカチ。微笑みながらサインする無名女優。二人の会話を見守る精一郎。
ビジネスマン「握手、お願い、よろしいですか。」
無名女優 「もちろん。(握手)」
ビジネスマン「ありがと。いつも応援してるよ。」
精一郎とすれ違う際、笑みを見せるビジネスマン。精一郎は無名女優の向かい側に座る。
無名女優 「こんなに出発が遅れるとは思いませんでしたね。」
精一郎 「まだ停電は多くの地域に広がっているらしいです。」
無名女優 「『原因不明の大停電』て、精一郎さんは何が原因だと思いますか?」
精一郎 「さぁ、見当もつきません。ただ取材で宇宙飛行士さんが話してました。『いつか19世紀の生活が再び始まる』って。電気が完全に使えなくなる時という話ですけど。」
無名女優 「先月マツシマナミという科学者の名前で発表されたニュースがあったでしょう。」
精一郎 「人工知能による、肉体を持たない知的生命体の発見ですよね。」
無名女優 「真意を巡って全世界で話題になっている。今後、世界中の科学者による検証が数年かけて行われるだろうけど。」
精一郎 「掲載された論文に何らかの具体的な映像があれば、その知的生命体を理解しやすかったかもしれませんが、今の所、AIに与えられたコードと実証データだけみたいですね。そして科学者の名前が匿名という憶測もあるみたいです。」
無名女優 「(微笑)そのコード自体が、とても興味深いのよ。『物質的及び有機的な肉体を持たない』、そして『伝達ツールである独自の言語を持たない生命体』を探せというコード。」
精一郎 「人間の言葉で表現できるそれらの存在は、象徴ぐらいしかありません。例えばゴースト、神、仏、ガイヤ思想、ウバニシャッド(梵我一如)思想。今思いつくのはそのぐらいですね。」
無名女優 「AIによって発見されたとなると、膨大なシミュレーション、天文学的な演算によって導き出された対象、現象、もしくは存在として扱われることになる。人類が今まで演繹論理学でたどり着くことのなかった地平が、AIによって軽々と飛び越えられていく。そんな状況を人は簡単に受け入れられるのかしら。」
精一郎 「でもなぜそのニュースと原因不明の停電が繋がるのですか。」
無名女優 「私は人類が抱える全ての問題がAIによって解決できると、もちろん思っていないわ。けれど既に交通渋滞の緩和、節電、金融不正防止、銃犯罪防止、飢餓や貧困撲滅のプログラムまでが、現実にAIによって提示され人類はそれを着実に実行に移している。それらのいくつかは、十年・二十年と時間がかかるプログラムだけど、AIが未然に事故を防ぐこの時代に『原因不明の大停電』て、精一郎さん、何かおかしいと思いませんか?」
精一郎 「AIによるグリッチは、他のAIによって補完的にかつ瞬間的に捕捉され制御されるから、市井の人が気づくことはまずあり得ない。だから今となってはAIの暴走を制御するには、地球的規模の電源喪失を行う必要があると言われているぐらい、だから。」
無名女優 「不謹慎な話だけど、私、少しほっとしてるんです。昨日から事務所の連絡も途絶えてしまって、でも気分が楽になっている。このまま停電が続けば良いのにって思っている自分がいる。そしてあの肉体を持たない知的生命体の発見のニュースがずっと頭から離れない。」
急に何かを想い出したように黙り込む精一郎。
無名女優 「(続けて)でも私のせいで精一郎さんに貧乏くじ引かせましたね。他のスタッフさんは予定通り帰国されたのに。」
精一郎 「『想定通り事は運ばない』、『リカバリーしてプラスに転じさせる』この二つが制作の醍醐味だってプロデューサーの口癖です。」
無名女優 「(笑)じゃ私のフライト、まだキャンセルされる可能性あるかしら?」
精一郎 「(慌てて)今の所、九時発に変更ないそうです。」
無名女優 「(笑)精一郎さんの便はどうですか?」
精一郎 「明日に振り替えられました。なのでもう少しここでゆっくり出来ます。」
無名女優 「それは羨ましいですね。」
精一郎 「どうか妙な考え、起こさないで下さいね。」
無名女優 「ゲート閉まるまで見送るようにって、釘刺されたでしょ?」
精一郎 「(笑)エアポートでよく盗塁されるって。」
無名女優 「あの人達、そんなことまで話してた?」
精一郎 「ボールパークじゃなくエアポートで盗塁って、意味分かりません。」
無名女優 「(笑)そろそろ出発ゲートに移動しましょうか?」
キャスター付きラゲージを手にする無名女優。バックパックを背負う精一郎。
精一郎 「エグゼクティブラウンジまでお誘い頂きありがとうございました。初めてだったので、正直勝手が分かりませんでした。気を付けてお帰り下さい。」
無名女優 「こちらこそ色々と撮影お世話になり、ありがとうございました。」
精一郎 「お荷物お手伝いします。」
無名女優 「ありがとう、でも自分で出来ます。」
二人はラウンジ出口へ向かう。
無名女優 「精一郎さん、一つ質問して良いですか?」
精一郎 「はい。」
無名女優 「精一郎さん、誰に対してもそんなによそよそしいの?」
精一郎 「よそよそしいですか?」
無名女優 「はい。」
精一郎 「失礼のないように、猫を被っています。(無名女優言葉を失う、それを見て)あれ?猫じゃなく狐でしたっけ?」
無名女優 「(笑)ねぇ、『ゾミーツカ』って名前、聞き覚えないですか?」
精一郎 「『ゾミーツカ』ですか?」
無名女優 「精一郎さんはその名前で呼ばれてました。」
精一郎 「いつですか?」
無名女優 「(間)実は、私の夢なんだけど。」
精一郎 「夢?ですか。」
無名女優 「心当たりありません?」
精一郎 「ゾミトゥカ。(間)精一郎・ゾミトゥカ・ウォキムナカ。久しぶりにその名前で呼ばれました。僕のもう一つの名前です。」
無名女優 「布谷精一郎と、精一郎・ゾミトゥカ・ウォキムナカ。それぞれ良い名前ですね。」
精一郎 「さすが俳優さんですね。この名前、正確に発音できる方、ほとんどいません。」
微笑む無名女優。二人はエスカレーターの前。精一郎は無名女優を先に行かせる。しばらくして無名女優は振り返る。精一郎を少し見てから再び正面を向く。その表情を見て、精一郎は言葉を探す。二人はエスカレーターを離れ、横に並んで歩く。
精一郎 「ウルのジッグラト、それからエ・テメン・アン・キ、ご存じですか?」
無名女優 「ウルのジッグラト、それからエ・テメン・アン・キ。(間)それメソポタミアの古代遺跡ね、古代遺跡がどうしたの?」
精一郎 「はい。夏の仕事が終わったら、旅費が手に入ります。」
無名女優 「一人旅?」
精一郎 「はい。」
無名女優 「素敵な旅になりそうですね。近くに来ることがあったら、また連絡下さい。」
精一郎 「方向が全く違うかも、しれません。」
無名女優 「(笑)それに都市に、古代遺跡なんてある訳ないか。」
笑う二人。ほとんどが閉店状態のフードコート前を通り過ぎる。
精一郎 「でも共通項はあります。」
無名女優 「何の話ですか?それ。」
精一郎 「少し奇妙に聞こえるかもしれないけど、神話みたいな話として聞いて下さいね。都市にも人の目では見えない高くそびえ立つ塔があります。その塔の中には、らせん状の階段があって、数え切れない程の時間の部屋がある。」
無名女優 「時間の部屋?」
精一郎 「はい。都市の記憶が、保存された部屋みたいなものです。塔は都市が発生する前から存在し、消滅した後でも変わらずそこにあります。どうしてその塔があるのか僕には分かりません。ただ正確には、その塔には入口も出口もありません。エクステリアはないけれど、インテリアはあります。」
無名女優 「なぞなぞみたいな話。」
精一郎 「僕の叔父は『塔』とは呼ばず、『ヘソ』と呼びます。」
無名女優 「(間)精一郎さんは、その『時間の塔』に入った事があるのね?」
精一郎 「『時間の塔』が旅の目的です。でも摑み所のない話で、申し訳ありません。」
無名女優 「そういった感覚はよく人に話すの?」
精一郎 「いいえ。似たような経験か、そう言った素養を持っていない限り、なかなか人には伝わりません。」
無名女優 「(間)ねぇ、ゾミーちゃん。ゾミーちゃんって呼んでいい?」
精一郎 「はい」
無名女優 「帰国する前にどうしても伝えておきたかったの。どうして私がゾミーちゃんの名前を知ったのか、と言うさっきの夢のこと。」
精一郎 「はい」
無名女優 「ゾミーちゃんの言う『時間の塔』は、人の目では見えないから、形のないもの、またはメタファーとして考えても良いのよね?」
精一郎 「はい」
無名女優 「ゾミーちゃんは、その存在は、なかなか伝わらないとも考えている。でも私にその感覚を今伝えている。」
精一郎 「はい」
無名女優 「私もうまく説明出来ない、その座りが悪い感じは良く分かる。だから『夢』って呼んだけど、それも今ひとつしっくりこないの。だから誰にもその夢の事は話さないし、いつも夢から得た感触が、消えていくのを静かに待っている。でもゾミーちゃんは、なぜ私と共有できると思ったのかしら。私は今その事を考えています。」
精一郎 「実は僕も良く分かりません。ただ僕はそこで判断はしません。与えられた状況をただ受け取るだけです。おそらく『なぜ?』と考えるのは、ずっと後になってからだと思います。」
無名女優 「それは言葉による思考を追うのではなく、もっと別な鉱脈を辿っていくという事かしら。」
精一郎 「はい」
無名女優 「私、不思議な夢を沢山見る子供だった。だから夢には注意深くて、寝ていても結構詳細に覚えてられるの。ここで見た夢。これまでのものとは異質だった。それは私の夢だけど。おそらくゾミーちゃん、あなたのものでもある。」
出発ターミナル行きのシャトル(無人電車)乗り場に辿り着く二人。
精一郎 「はい」
無名女優 「きっと私が口にするほど大げさなことでなく。生き物には自然に備わっていて。残念だけど今の社会では誰もその方法を教えてくれない。(間)私が訪れたその場所は、駅みたいな所だった。そこの電車へ乗車すると、急に内臓がかき乱されるような感じになって、次の瞬間、私自身が自分のお腹を突き抜けていました。初めての感覚だった。私が私の身体から自然に離れて。突然すぎて、驚いて、慌てました。いつの間にかこの身体に戻って来た時、今まですっかり忘れていたこと、気づかなかったこと、色んな懐かしい感覚に満たされていました。こんな涙が私にはあったんだっていう涙だった。」
精一郎 「まるで他人の『魂』を演じる俳優さんの仕事みたいですね。」
無名女優 「少し似ているかも。(間)でも、やっぱり全然違うの。なぜかって言うと、それは本当に一瞬の出来事で、同時に永遠だったから。」
扉が閉まり出発するシャトル電車。その電車を見送る二人。
左手を見せる精一郎。その掌を興味深く眺める無名女優。
精一郎 「左手で失礼だとは思うのですが。」
無名女優 「心配しないで、分かってます。」
その手を自分の手に取る無名女優。裏返す。軽く指で手をなぞる。匂いを嗅ぐ。最後に両手で包み、その手の熱を確かめる。照れくさい表情の精一郎。顔を上げ笑顔で精一郎を見る無名女優。
無名女優 「ゾミーちゃん。」
精一郎 「はい」
無名女優 「ゾミーちゃん。」
精一郎 「はい」
無名女優 「ゾミーちゃん。」
精一郎 「はい」
無名女優 「私、このフライトには乗らない。」
精一郎 「はい」
(続く)
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