第3話『言語能力の限界は俗世界の境界線』
湖畔のキャンプ地、夕暮れ
シーズンオフのキャンプ地。日が落ちてまもない。森と湖の間を抜ける人通りのない舗装道。 そこを一人歩く木下ケンタ(きのしたけんた)(21)。片手にビニール袋。
水辺に面した静寂に包まれたキャンプ敷地。雑草の茂み。夕闇に包まれた森に比べ、わずかな夕刻の光が残る。茂み中央で、煙で身を清める布谷精一郎ぬのたにせいいちろう(21)。彼の右手には乾燥ホワイトセイジ。
精一郎(英語・囁き)「あなたが一人語ってください。この静けさと暗闇に、私は深く魅了されています。」
精一郎は左手の中にある丸石で、乾燥ホワイトセイジの火を優しく消す。
精一郎(英語・囁き)「あなた方は崇高なる者としてそこにおられる。静寂なる永遠のうちに、暗闇の聖所のうちに。」
茂みに佇み目を閉じる精一郎。腰ほどの茂みから所々白い羽虫がホタルのように飛び交い、精一郎の右手からはホワイトセイジのか細い残煙が立ち上がる。木々や舗装道、駐車されたバンそれらは夕闇に音もなく絡め取られていく。
草葉の上の小麦色のバッタが飛び跳ねる。静止した茂みの中でその草の一束だけが揺れる。目を開く精一郎、そして森の方を振り返る。バン背後から、気まずそうに誰かが咳をする。
ケンタ(英語・声)「ごめん、邪魔するつもりじゃなかった。」
精一郎(英語) 「ケンタさん、ですか?」
ケンタの輪郭は闇に溶け込んでいる。微かな輪郭と色彩を残すのはバンのみ。窓ガラスに淡いすみれ色の水面と黄昏時の雲の反射、シートと窓枠、ケンタのシルエットがそこに折り重なるように映り込む。
ケンタ(英語・声)「 ビール買いに行って来たところ。」
精一郎(英語) 「モーテルにビールあるのに。わざわざ出かけたんですね。」
ケンタ(英語・声)「散歩がてらにさ。何してるの?」
精一郎(英語) 「ここがあまりにきれいだなぁと思って、・・・バンにガソリン入れてきた帰りです。」
ケンタ(英語・声)「そうか。あのさ、精一郎の邪魔したくないんだけど、もし良かったら一緒に飲まない?」
湖畔、夕暮れ
ロケバンのベンチシートを外し、水辺に運び出す精一郎とケンタ。
ベンチシートに腰掛け湖を眺める二人。二人の前には箱馬を重ねた簡易卓。水面は鏡のように静止し黄昏の雲を映し出す。ビニール袋からキャンドルと紙コップを取り出すケンタ。ナイフを使って上手にロウソクの風防を作りはじめる。
精一郎(英語) 「実は一人で飲むつもりだったでしょう。」
ケンタはナイフで紙コップに通気穴を作り、キャンドルに火をともし入れる。
ケンタ(英語) 「えっ、そう思う?・・実はちょっと迷ってた。宿に帰ろうかなって。そしたら精一郎さんがいて、正直ほっとしたよ。」
ケンタはビールを精一郎に渡す。
精一郎 「じゃ、お言葉に甘えて。」
ケンタ(英語) 「乾杯。」
ビールを飲む二人。目の前の風景を眺める精一郎。二つ目の紙コップキャンドルを作るケンタ。
精一郎(英語) 「カメラマンの方、お名前何でしたっけ?」
ケンタ 「大熊先輩」
精一郎(英語) 「大熊さん、プレビュー待ってませんか?」
ケンタ(英語) 「あぁ、あの人、来ない。毎晩プレビューする訳ないじゃん。プロデュサーの手前、体裁整えてるだけだよ。これも食べて。精一郎、同い年だよね?」
ケンタはビニール袋からカシューナッツを取り出し蓋を開ける。
精一郎(英語) 「21です。」
ケンタ(英語) 「やっぱ、タメだ。外国で生まれ育ったのに、『お言葉に甘えて』なんて知ってるんだ。それって凄いよね、漢字も書けるの?」
精一郎 「書くのは、正直、骨が折れます。」
ケンタ(英語) 「(笑)おおー、それも凄い。この撮影隊の会話、疲れるでしょ。顔に書いてる。『疲れる』って書ける?」
精一郎(英語) 「いきなりですね。(笑)ケンタさん、漢字得意でしょ。(ケンタの笑みを見て)やっぱり。僕はまだ皆さんの会話に入るタイミングが掴めないから、とりあえず運転だけに集中してます。」
3組の紙コップキャンドルに火を灯し、気の向くままに配置し直すケンタ。その仕草を眺める精一郎。
ケンタ(英語) 「この撮影隊の会話、俺も苦手だよ。業務連絡以外、いつも『軽い笑い』、『軽いうなずき』、『軽い沈黙』だから。」
精一郎(英語) 「そんな風に見えませんでした。」
ビールを飲み干し二本目の栓を開けるケンタ。
ケンタ(英語) 「俺みたいな若造が言うのも何だけど、マジでこの業界に誇りが持てなくてさ。録音担当の仕事、これまでズーッと真剣に取り組んで来たんだ。台本のセリフを俺なりに勉強して、役者の口元にしっかりマイク向けて、一言も漏らさないようじっくり録音してきた。 けど結局、番組の台本は取り留めの無いお茶の間の会話でさ、心に残る声はそこにはない。仕事始めた頃、視聴者が簡単に食いつくのが不思議でならなかった。結論から言うと、この仕事は視聴者に色んなカップラーメンを提供する事と変わらないんだ。」
精一郎(英語) 「ずいぶん冷めてますね。」
ケンタ(英語) 「じゃ辞めればって、よく言われる。」
精一郎(英語) 「真面目なんだ、ケンタさん。」
ケンタ(英語) 「先輩が言うには、現実知らなすぎだって。」
精一郎(英語) 「もしカップラーメンが3種類しか存在しない世界があったら、それはそれで文化的に寂しいかもしれないですよ。」
ケンタ(英語) 「カップラーメンの種類は文化度とはあんまり関係ないと思う。カップラーメン的業界の本質って分かる?」
精一郎(英語) 「いいえ。」
ケンタ(英語) 「知りたい?」
精一郎(英語) 「はい。」
ケンタ(英語) 「ラーメンのイメージを消費者に勝手に想像させることだよ。生産者はそのイメージに 風変わりな物語を付け加えるだけ。その風変わりな物語に人々が惹きつけられてる間に、 その物語と安くて早くて手軽だよってイメージを結びつける。消費者が最初に抱いていたラーメンのイメージなんてあやふやだから、簡単にすり替えられる。おぉって、その物語に感動している間に、その安くて早くて手軽なカップラーメンを大量に売りつける。 消費者の乏しいイメージと生産者の洗練されたイメージのギャップが大きければ大きいほど、そこから派生する感動も大きい。消費者は食べるという行為でその感動を再現でき手軽に飢餓感も埋められる。そしてそこにはささやかな達成感と幸福感もある。これあくまでも勘違いなんだけど。その風変わりな物語が飽きられる前に、次の代替品が新しい物語と一緒に作られる。 代替品の繰り返しを永遠に追い求めているのが我々。」
精一郎(英語) 「早くて安くて簡単な達成感。」
ケンタ(英語) 「そう。その繰り返し。」
精一郎(英語) 「メディアと食品業界は同じ業界体質ってことですか?」
ケンタ(英語) 「問題は客が与えられた代替品が一瞬の快楽を与えるだけで、本質的で永続的な達成感と幸福感とは程遠い代物だと言うことなんだ。マスメディアもマスマーケティングも印象操作だけ熱心で、客にとって健康や教養を提供する事なんて面倒くさくて誰も気にはしてない。重要視されているのは人々をその気にさせる動機付けだけだよ。 考えてもみてよ、真面目に精魂込めて食べものや番組作ってたら、安い値段でできないじゃない。残念だけど今の社会、目先の事しかみんな興味ない。」
精一郎(英語) 「ケンタさんの言わんとすることは、なんとなく分かるけど、まだうまく飲み込めない部分があります。急に禅問答はじまったみたいで・・・ケンタさんは実は禅マスターですね。」
ケンタ(英語) 「俺はカンフーマスターの方が良かったな。」
精一郎(英語) 「殴られるよりは、禅問答受ける方が僕は好きです。ケンタさん、うまく理解出来ないんですが、カップラーメンに絡め取られない為には、『軽い笑い』、『軽いうなずき』、『軽い沈黙』とか必要なんですか?」
ケンタ(英語) 「人は袋小路に陥ると言葉を失う。体制に従順じゃなければ、職を維持できない。例えその対価がカップラーメンを得るだけだとしても。」
精一郎(英語) 「僕には皆さんプロに見えるし、袋小路に陥っているようには見えないけどなぁ?」
ケンタ(英語) 「なぜ俺がこんなにべらべら喋っていると思う?」
精一郎(英語) 「(考えて)まさか業務連絡じゃないですよね?」
ケンタ(英語) 「業務連絡?」
精一郎(英語) 「さっきそう言ってませんでした?」
ケンタ(英語) 「確かにそう言った、・・良い耳してるなぁ。でも違うと思う。」
精一郎(英語) 「酔いが回ってきました?」
ケンタ(英語) 「まだ酔ってない。俺、外国に出たの、この撮影が初めてだから。」
精一郎(英語) 「でも旅慣れてますよね。」
ケンタ(英語) 「そう見える?(間)正直言ってさぁ、国によって空気の匂いが違うって知らなかった。」
精一郎(英語) 「その匂い分かるような気がします。」
ケンタ(英語) 「精一郎は他のローカルクルーのように、完全に『こっちの国の人』って匂いじゃないよね。何て言うか、俺たちと近いけど遠くでもある、少し不思議な国の人の匂い。」
精一郎(英語) 「子供の頃、母のスーツケースを開けると、そこだけ匂いが違ったのを覚えてます。皆さんを空港にお迎えして、お荷物を車の荷台に積み込む時、その匂いを思い出しました。」
ケンタ(英語) 「それそれ、外国出るまで、その匂い自体があること、全く気づかなかった。俺のスーツケースにも、しっかりその匂いがあったんだよ。」
精一郎(英語) 「カップラーメンの匂いでしょ?」
ケンタ(英語) 「精一郎、そんなユーモアも持ってたんだ。(笑)」
精一郎がポケットから乾燥したホワイトセイジを取り出しケンタに見せる。
精一郎(英語) 「これ何か分かりますか?」
ケンタ(英語) 「さなぎ?」
精一郎(英語) 「嗅いでみて下さい。」
ケンタ(英語) 「香草?」
精一郎(英語) 「ホワイトセイジ。僕の育った土地にはこれが辺りにいっぱい茂っていて、ハーブとして料理に使ったり、乾燥させて燻って、身を清めたりします。」
ケンタ(英語) 「この匂いには心を静める力があるね。」
精一郎(英語) 「ただの草だけど、パワフルなんです。だから親愛の情を込めて、グラスピープルと呼ぶ人もいます。」
ケンタ(英語) 「精一郎も?」
精一郎(英語) 「ええ。」
ケンタ(英語) 「あのさ、一つ質問して良いかな。さっきカップラーメンが3種類しか存在しない世界って精一郎言ったけど。もしもだよ、カップラーメン自体、存在しない世界があったら、それについてどう思う?もちろんカップラーメンは、メタファーとしてのカップラーメンであって、本当のカップラーメンではないんだけど。」
精一郎(英語) 「(湖畔を眺めながら考えて)地球の海は千年降り続いた雨で出来たと言われています。『海』が『海』と言う言葉で呼ばれる以前、世界には文字通り『海』はなかった。あったのは千年降り続いた雨で出来た大きな水たまりだけ。『海』を『海』という記号で呼ぶことは便利だけど、それは同時に『海』を理解したことには繋がらない。ケンタさんが仮定した世界は、そんな人間が作り出した言葉が生まれる以前の世界を思い起こさせます。」
ケンタ(英語) 「(考えながらビール飲む)それ良いね。好きだよ、頭がほぐれていく。ほぐれるって漢字、書ける?」
精一郎(英語) 「もう結構です。」
ケンタ(英語) 「(笑)ごめん。じゃ、そこにお題をもう一つ足しても良い?」
精一郎(英語) 「もちろん。」
ケンタ(英語) 「俺たちは生まれた時から、その言葉という記号の世界で生活してきただろ。身の周りは全て言葉で整理され、そこには意味というラベルが敷き詰められている。右とか左とか、前とか後ろとか、コレはいくらでアレはいくらとか、安全とか危険とか。俺は時々思うんだ、今一度そんな言葉のグリッドから自由になれたとしたら、人はもっと自由に生きられるんじゃないかって。そんな世界、どう思う?」
精一郎(英語) 「(考えて)もし言葉や言語がなかったら、時間の定義も失われます。なぜなら言語無しでは人は論理的に思考を組み立てられない。昨日と今日と明日の違いが失われることになる。そこにあるのは連続して続く今の繰り返しだけです。そして歴史さえ存在しなくなる。結果、今の日常生活は困難になります。買い物も出来ないし、メディアの仕事もできない。社会秩序も維持できない。つまり言葉や言語というのは、人間社会が長い時間をかけて少しずつ積み重ねてきた文明であって、言葉を失うと言うことは、文明の土台が解体されるということでしょう。」
ケンタ(英語) 「言葉ってさ、人間にとって最強のコミュニケーションツールであるが故に、言葉の不完全性もまた絶大な力を振るうと俺は思うんだ。」
精一郎(英語) 「役者にマイク向けて録音していると、そんなこと考えるようになるんですか?」
ケンタ(英語) 「録音は余計なものを見ないですむ。だから声には敏感になる。特に録音できない声に対して。」
精一郎(英語) 「ケンタさんは思考が生まれる瞬間って、見たことありますか?」
ケンタ(英語) 「そんなの見えるの?」
精一郎(英語) 「物心ついた頃、繰り返し教えられてきたことが僕には一つあります。母は僕を森に連れて行き、十分間だけ静かに目を閉じることを教えました。ある日、僕は移動出来ることを知り、その先に部屋があることを見つけました。そこは薄暗い部屋で、窓やドアはありません。装飾品や家具もありません。その部屋に突然、影が生まれ、それらが街灯に集まる羽虫のように忙しく動き始める。僕はその羽虫を捕まえる。捕まえるとその羽虫は、すぐに影に戻り消えてしまう。消えていく時、僕は手の中に言葉を見つける。それは不思議な経験です。神秘的とさえ言えるかも知れません。一瞬にして言葉を理解できるのに、それを人に伝えようとすると、なかなか出来ない。それはまだ僕の思考ではないからです。『なぜこの部屋から影が、影から言葉が生まれるのだろう?』。その装飾のない部屋は、実感としては空っぽの空間で、同時に静寂に包まれた貯水池のようにも感じられる。人によっては、その部屋を『心』とか『魂』と呼ぶかもしれません。」
ケンタ(英語) 「俺は言葉を、そんなアングルで眺めたことなかったな。言葉はいつも自分自身の声だと信じてた。でも精一郎が言うように、視覚的に言葉を追い求めると、心の部屋までも浮き上がるのかも知れない。俺の言葉が果たして自分の声なのか、それとも知らぬ間に誰かの言葉をなぞっていたかなんて、改めて問われると俺は分からなくなる。」
精一郎(英語) 「言葉は口にした言葉と、相手の耳に届いた言葉との間で、常に翻訳という作業が生まれます。言葉はあくまで記号だから、少々の誤解は仕方ありませんよね。それが原因で相手を、ひどくがっかりさせたり、困らせたり怒らせてしまうことも多々ある。」
ケンタ(英語) 「俺の翻訳はそんなにひどい?」
精一郎(英語) 「ケンタさんの顔には、違う言葉が書いてある。」
ケンタ(英語) 「何それ?」
精一郎はケンタの顔の前を飛んでいる見えない羽虫をつかまえる。そしてその掌を彼の前であける。そして笑顔を見せる。
ケンタ(英語) 「俺の言葉はカップラーメンの底に残された野菜くずかもな。 」
精一郎(英語) 「ケンタさんの想像以上に、カップラーメンのメタファーは強固ですね。ケンタさんはあたかもそれを現実として捉えているか、もしくはその仮想現実を実際に生きている。」
ケンタ(英語) 「精一郎の言うとおりかも知れない。俺はその仮想現実に取り憑かれてる。カップラーメンを沢山食べたいという強迫観念に支配されてる。でも同時にカップラーメンを食べるという行為は、 本物のラーメンを食べるという行為と異なって、幻影を追い続けるだけの行為だということも理解している。この行為が全くの快楽主義者のものだって事も。そして今の仕事に従事していることで、この幻影の生産と消費に一部加担し、結果、俺自身好むと好まざるとに関わらずカップラーメン的商売という下劣な大量消費社会に貢献してる。このシステムに絡め取られている結果、最良の選択肢よりも早くて安くて手軽な選択肢を盲目的に選ぶようになってしまっている自分も知っている。気が進まないにも関わらず、溢れかえる一瞬の快楽の中で自ら進んで自分を見失おうとしてる。これはまるで発達障害を起こした同調圧力に自由を奪われているようなものなんだ。この呪縛からどう抜け出せるか?」
精一郎(英語) 「ケンタさんにとって、カップラーメン社会というのは本当に存在するんですか?ケンタさんの話を聞いていると、それはメタファーではなく、自己から切り離された第二の自分が直接語りかけているみたいだ。」
ケンタ(英語) 「カップラーメンという言葉は症状であって象徴でもある。また他の言葉と同義語でもある。例えば動物園。檻の中では、動物園の動物はいつか檻が破壊されるなんて想像しないだろ。」
精一郎(英語) 「そんな日がいつか訪れると言っているのですか?」
ケンタ(英語) 「精一郎の意見を聞きたい。外国で育ち、複数の言語を理解し、そして人々の匂いを知っている、そんな人間の意見を。」
精一郎(英語) 「ケンタさん、もし僕が間違っているとしたら訂正して下さいね。ケンタさん、もしくは第二のケンタさんが居る領域は、ある不純な光に魅了されていて、その光はそこにある全ての物を本当の姿から程遠い姿として照らし出している。」
ケンタ(英語) 「不純な光の下では、反抗的な者は精神異常者として映し出される。なぜならその光の下では、誰も彼を予言者として見る術を持たないから。」
精一郎(英語) 「『反抗的な者は自らのことを予言者として捉えているのですか?』
ケンタ(英語) 「なぜなら予言者はカップラーメン社会の外側に出る術を知っている。もし動物園のライオンが予言者なら、彼は檻の外にいる自分自身を思い浮かべることが出来る。」
精一郎(英語) 「予言者としてその外から彼は何を見ているのですか?不純な光によって照らし出される幻影を見極めるだけの確かな目を、彼は持っているはずです。」
ケンタ(英語) 「予言者はカップラーメンを沢山食べたいという強迫観念に縛られていない。予言者は多くの時間を辺境で過ごしている。辺境にはカップラーメンもない、製造業者もいない、商人もいない、消費者もいない、スチロールの容器もない、お湯もない、だからそこには餓えが広がっている。暗闇の中で断食していると言っても良い。餓えに耐えながら、予言者は直観だけを研ぎ澄まし、周りを 観察している。食欲さえもその直観を干渉できない領域。そこは多様性と多義性を両極に持つ場で、不安と妄想が溢れかえり全てが不確かだ。その不確かさが絶望になり、その絶望が全てを飲み込む。予言者は自らその辺境の不確かさに身を置き、その絶望を彼の側にたぐり寄せておく。やがて観察している暗闇の一点から、いつしか小さな小さな光が放射される。それは理解への強力な象徴に成り得る光だ。その光が予言者にとっての新しい地平線になり、予言者はその象徴から我々を呪縛から解き放つ智慧を解読する。それが予言者が辺境で得る労働の果実だ。」
精一郎(英語) 「その辺境に姿、形はありませんよね?」
ケンタ(英語) 「(うなずき)辺境は心の闇にしかないと思う。(間)俺の両親は農家だった。母ちゃん、いつも子供に与える食材の汚染具合、心配してた。汚染は目に見えないし味もない。母親の直観は赤信号が灯っている。国は賠償責任を負いたくないから、御用学者を用意し早々と規制値を緩和し食べて安全と宣言する。近所からは神経質とかストレス症候群だと非難される。自分の手で作った野菜やお米を最後まで子供に食べさせるべきかどうか、いつも悩んでた。食物に含まれる汚染物質の許容範囲の解釈でいつも夫婦喧嘩してた。子供に与えるのが不安な作物を市場に出し、よそ様に提供する農業に、母親はいつも罪悪感を抱いてた。親父はと言えば、『そうしなければ生計を立てられない。皆同じ事をやってる。現実的に考えなければ、先祖代々の土地を守ることができない』って、すがるように国が緩めた規制値を信じようとしてた。最後の最後まで心身ぼろぼろになるまで。でも周りの農家はすぐにお腹が痛くなるわけではないから、『なんで国を信用できないの?非国民』って無関心でさ。『この温度差は何?』って子供の時からいつも疎外感を感じてた。で、ある日、気づいた。『人は簡単に忘れる』って。その時、覚悟したんだ。『俺は目に見えない辺境に住んでいる』って。変な話を急に聞かせて悪かった。」
精一郎(英語) 「ケンタさんと一緒にここで飲むビールはうまいです。風も気持ちいい。部屋で飲むよりビールが新鮮に感じられます。いつの間にか会話が生まれたし、少し深くケンタさんを知ることも出来た。これが僕の魂が放つ『うまい』っていう感覚ですが、伝わりますか?」
ケンタ(英語) 「部屋で飲むより、ここで飲むビールの方が本当にうまいね。」
精一郎(英語) 「僕の母親は死ぬまで異常にセル汚染にこだわっていました。父と別れて、セル汚染が比較的軽いこの国に不法移住して、そしてヒッピーの様な生活をして僕を育ててくれました。ただ息子の僕でさえ本当に彼女の不安や恐怖がどれほど深かったのか、それともそれは狂気だったのか理解できない時があります。母親の事を想い出す度に、彼女の抱いていた恐怖を共有したいと思う。でも同時にそれを知ることを怖れている自分もいます。」
ケンタ(英語) 「そうか。俺の両親は事故を起こしたセル発電所の三十キロ圏内に住み続けた人間だよ。家が代々農家だったから、その土地を離れることが経済的にも精神的にも困難だった。だから作物を育める土や水をなんとか取り戻そうとした。(首にあるケロイド状の傷跡をさわりながら)八歳の時の手術あと。妹も同じ所にあった。子供の時から病気ばっかり。心音に不整脈が出たのは十四。いつでも医者はセル発電所とは関係ありませんと診断してた。症状は目に見えるけど、原因はいつも不明。見えないことになってた。俺が十七の時、妹が白血病で亡くなって、十九の時、母ちゃんが心筋梗塞で亡くなった。」
ビールを飲むケンタ。そのケンタの反応を見て精一郎も一口飲む。
精一郎(英語) 「僕の母親は僕が十四の時、自ら死を選びました。」
ケンタはビールを横に置き、紙コップキャンドルを一つ手に取る。
ケンタ(英語) 「さっきは威勢の良いこと言ったけど、本当は闇ばっかり見つめるのは苦しい。いつまでたっても闇は闇のままで光は訪れない。そんな言葉を投げかけるもう一人の自分が常にいる。精一郎、俺、もうすぐ仕事辞めて、農業に戻ろうと思っている。」
ケンタの顔をしばらく眺める精一郎。それからケンタと同じように紙コップキャンドルを手に取る。精一郎はスニーカーを脱ぎ、ゆっくり立ち上がる。そしてそのまま湖の中に入っていく。10メートルほど先で立ち止まる。水は彼の膝まである。精一郎はケンタの方に振り返る。
精一郎(英語) 「辺境には克服しなければならないとてつもない暴力が潜んでいます。」
ケンタ(英語) 「それをなんて呼ぶか名前は知らないけど、精一郎が何を指してそう言っているのか、俺、分かる気がする。」
精一郎(英語) 「僕の村の長老はその名前を教えてくれた事があります。それは『偉大なる虚無の死』と呼ばれているそうです。」
ケンタ(英語) 「偉大なる虚無の死?」
精一郎(英語) 「 そう、虚無の死です。」
ケンタ(英語) 「俺はそんな殺生に飲み込まれたくない。でもその流血はいつでも隙さえあれば忍び込んでくる。いつの日か誰の目にも明らかになるように、俺らの隙を四六時中伺ってる。精一郎、でも、俺、思うんだ。(間)それでしか、人々の心は動かされないかもしれない。」
暗闇に広がる静かな水面を再び見つめる精一郎。精一郎の右手から紙コップキャンドルが離れ水面に落ちる。キャンドルの火が消え、闇に精一郎の姿が溶け込む。精一郎を見ていたケンタの顔が急に淡い光で照らされる。ケンタは淡い光に照らされ裸で水面に佇む精一郎の姿を見る。彼の周りには無数の羽虫が飛び交っている。ケンタを照らし出していた淡い光が消える。一人取り残されたケンタは、夜空に輝き始めた赤いオーロラに気づく。
(続く)
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