努力も才能のうち?

 朝礼が始まるまでの数分。ほんのわずかな時間だけど、クラスメイトのほぼ全員が揃うこの時間は、学生にとっては意外と貴重だ。

 と言っても、マジメな湖夏くんはもちろん、私も早起きだから、ギリギリになることはまずない。朝のお手入れは時間がかかるし、夜更かしはお肌の敵だもん。


 「……というわけなんだけど」


 みんながほぼ揃って騒がしくなってきた教室で、イチゴミルクの紙パック片手に、愛しの彼氏に昨日のことを話した。 


「ま、湖夏くんならテスト一位くらい余裕っしょ! ねー」


 男子確一悩殺スマイルを飛ばしたのに、難し顔の湖夏くんには届いていないみたい。その後ろで流れ弾に当たってる子がちらほらと。君らのための笑顔じゃねーんですけど。


「大丈夫だとは思いますが、念を入れたほうがいいですね」

「湖夏くんなら余裕だと思うけどねー。そこで油断しないのが湖夏くんよね」


 その時は、相変わらずマジメだなあくらいにしか思っていなかった。

 どうやら私は、『念を入れる』という言葉の意味を、だいぶ甘く見積もっていたらしい。



 お昼休み。この苦しい学校生活で私の一番好きな時間。

 勉強から解放される感覚にお昼ご飯がセットでついてくる。しかも彼氏と相席。これ以上の贅沢があるだろうか。いやない。

 いつか湖夏くんに教えてもらった反語を使いつつ、教科書とファイルの詰まった机をぐるんと動かす。プリントは教科ごとに分けて出納するといい、というのも湖夏くんのアイデアだ。

 湖夏くんといると、なんだか勉強まで楽しくなって……いやそれはないわ。さすがに嘘だわ。


 それはともかく。

 机をぐるんと動かすと、湖夏くんは4限目の数学を復習していた。マジメだなあ、ほんとに。


「あ……えっと、ごめんなさい、キリのいいところまで終わらせたくて」

「いーよ、湖夏くんのペースで。終わったら食べよ。お腹ペコペコなんだから、ちゃちゃっと済ませちゃってよね!」

「は、はい! ごめんなさい、待たせてしまって」

「じゃあこうしようか。1分遅れるごとに、湖夏くんのお弁当からひとくち貰う!」

「え、ええっ!?」


 過剰に気を遣う悪い癖も、だいぶ扱いに慣れてきた。湖夏くんは、一方的になにか施されたり、一方的に迷惑かけたりするのがとっても心苦しく思っちゃうんだ。だからこうやって、形の上でもお互い様にしてあげると、下手に気を遣わなくて済む。


「ほらほら、早くしないとお弁当なくなっちゃうぞー」

「あ、が、頑張ります!」


 さらさらとノートを走る文字は、綺麗さを捨てて速さに全振り。ノートはあくまで自分用だから自分が読めればいいんだってさ。私はノートで復習なんてしたことないけど。湖夏くんに聞いた方が早いし。

 やっぱりあんまり集中できてなかったみたいで、終わるまでには5分ほどかかった。


「お疲れ様。よっしゃ、食べますかー!」

「はい。お待たせしました」


 湖夏くんがぱぱっと風呂敷を開くのを見て、私もコンビニの鮭弁当とコールスローの蓋を開けた。


「いっただきまーす!」

「いただきます」


 湖夏くんのお弁当箱は、この歳の男子にしては小さめ。中身は手作りだったり冷凍食品だったりまちまち。解凍して箱に詰めるだけでも大変だってことは、私もよく知ってる。ママも私と同じくらい朝が早くて、ずっと台所に立ってるから。

 今はママのこと、あまり思い出したくはないけど、食べないわけにもいかないし、悪いのは湖夏くんや湖夏くんのママじゃない。そう、自分に言い聞かせる。

 湖夏くんがお弁当に箸を伸ばして、唐揚げを自分の口に……ではなく、私の口元に運んだ。


「万華鏡さん、どうぞ」

「……ん? んん?」


 どうした急に。教室のど真ん中で『あーん』は難易度ベリーハードなんですけど?


「5分かかったので、5口ですね」

「…………あー、うん。そうなるわね。いや、そうなるのね」


 どうしたものかと頭をかく。


「湖夏くん、自分がなにやってるのかわかってる?」

「え? ええと、なにかおかしかったですか?」

「それ、恋人同士でやるやつよ?」

「……恋人同士なので、問題ないですよね?」


 ひゅーひゅーと茶化す声が聞こえる……たぶん、湖夏くんには聞こえてない。集中すると他のことがマジで完全に入らなくなるんだよね、湖夏くんって。


「あーーもうわかったわよ! 私の負けでいいから! はい! あーん!!」

「ど、どうぞ?」


 ゆっくり運び込まれた唐揚げを勢いよく噛み砕く。味とかもう、よくわかんない。それよりなにより、早くこの辱めを終わらせたかった。


「あと4口ですね」

「もういいから! 自分のお弁当食べきれなくなっちゃうから、湖夏くん食べていいよ」

「そ、そうですか……?」


 こっちばっかり恥ずかしい思いして、不公平だ。だから湖夏くんにも恥ずかしがってもらおう。そう思って、2つ目の唐揚げを湖夏くんが食べたのを見届けてから、


「間接キス」


 と指摘してみた……けど、湖夏くんはほんのり頬を染めるだけだった。


「えへへ……」

「あー! 湖夏くん、さては気づいてたな!?」

「さすがに、あれだけ繰り返せば……」


 湖夏くんの爆弾発言にざわつく教室。みんなの視線とこそこそ話。恥ずかしさと暑さでくらくらする。

 テストまであと2週間。だけど、勉強の話をしてる子なんて、もちろん一人もいなかった。




 その日の放課後。


「ごめんなさい、今日の授業でどうしてもわからないところがあって」


 放課後デートの誘いを断られたのは、これが初めてだった。


「私にはわからないことしかなかったけどね。どれくらいかかりそう?」

「現時点では確実なことは言えません。新たな疑問点が生まれるかもしれませんし、一度の説明では理解できない可能性もありますから、すぐに確認できるよう、復習も校内で済ませたくて」


 前回のテストの時は、勉強会と称して湖夏くんに教えてもらうかイチャコラするかばっかりだったけど、今回は絶対に1位を取らなきゃいけない。前回もダントツ1位だったし余裕な気もするけど、頑張る彼を邪魔したくはない。


「そうねえ。私じゃ湖夏くんのレベルにはついていけないだろうし、今日はやめとこっか」

「ごめんなさい」

「いーってば。その代わり、ぶっちぎりで1位取るのよ?」

「はい!」




 次の日も、そのまた次の日も。


「今日は暗記を重点的に」

「今日は出題範囲を通しての演習を」

「土日は例年の出題傾向を分析したくて」


 湖夏くんは、ずーっと勉強ばっかりしてる。

 いつも遠慮してばかりの湖夏くんが、自分の意見を言えるのはすごいことだ。だけど、こんな急に湖夏くんを摂取できなくなるとは思ってなくて、なんていうか、やっぱりちょっと……寂しい。

 でも、そんな本音が湖夏くんの耳に入ったら、勉強どころじゃなくなっちゃうだろうし。邪魔したくないのだって、本音だ。

 テストが終わったら存分に甘えよう。ガマンも彼女の仕事だ、きっと。



「湖夏くん、おっはよー」


 いつものように余裕を持って登校する。湖夏くんはいつも私より早くついている。


「おはようございます、万華鏡さん。今日の分の予習ができなかったので、話はそれが終わってからでもいいですか?」

「うん、いいけど、大丈夫? 顔色悪いよ?」


 いつもと違うのは、机に向かう彼の可憐なベイビーフェイスに、うっすらとクマができてたことだ。普通は気づかないだろうけど、美容にうるさいスーパー美少女万華鏡ちゃんのぱっちりお目目は誤魔化せない。


「大丈夫です。大丈夫ですから」

「わかった。けど、無理はしないようにね」

「はい」


 話をしながら、湖夏くんの視線はずっと、書き殴ったノートの上を走っている。そんなに急がなくたっていいのに。

 男子にしては小さなその手で綴られた字は、いつも以上に荒っぽい気がした。




 国語の授業はまだわかるほうだ。何故なら日本語だから。


「それじゃあ、神楽坂さん。この文章を訳してみて。直訳でいいわよ」


 だけど、古文はわからない。だって日本語じゃないもん。


「はい、先生! わかりません!!」

「少しは考えなさい! まったくもう……祠堂さん、代わりに答えてあげて? この文章の訳、直訳でいいわよ」

「は、はい」


 湖夏くんは私の真後ろの席だから、席順で当てると続くんだ。小さなことだけど、なんか嬉しい。こう、私のミスをカバーしてくれてる感じがして。

 ことん、と椅子を引きずらないように下げ、湖夏くんが立つ――その直後。

 ぽすん。まるで糸が切れた人形みたいに、湖夏くんの体は椅子に戻った。


「祠堂さん?」

「あ、だ、大丈夫……ですから……」


 見慣れた苦笑いを浮かべながら、再び立ち上がって、なにもなかったみたいに口を開く。


「……あ、あの……問いの内容をもう一度教えてください」


 おかしい。先生の言葉を聞き逃すなんて、マジメな湖夏くんらしくない。

 先生もそう思ったらしい。湖夏くんの席まで来ると、チョークの粉を払ってから彼の額に手を当てた。


「失礼するわよ。……熱があるわ。祠堂さん、保健室に行ってらっしゃいな」

「で、でもテストが」

「質問なら後でいくらでも聞いてあげるから。内申下げたりしないから安心して。職員室にいなければ茶道部の部室まで来なさい。ほら、ぐずぐずしない!」


 先生は端的に必要なことを伝えると、不満顔の湖夏くんの肩を支えて歩かせた。


「せ、先生、私も!」

「なにかしら?」

「私も熱があるので、一緒に保健室行ってきます!」

「まったく……いいわ。どのみち付き添いが必要そうだしね。保健室の場所はわかる?」

「わかります! たぶん!」

「まったく、頼もしいわね。祠堂さんのこと、任せたわよ」


 なにを言ったのか、よく覚えてない。ただでさえ頭が悪いのに、湖夏くんのことで頭がいっぱいで。


「行くよ、湖夏くん」

「お手数おかけします……」


 久しぶりに握った湖夏くんの手は、いつもより火照っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る