どこまでも真っ直ぐに
「そんなに大きな騒ぎに……ごめんなさい、万華鏡さん。情けないところをお見せしてしまって」
学食の焼きそばパンとコンビニで買ったコールスローを食べながら、湖夏くんに昨日の晩の話をした。ちなみに、いろいろ相談して、二人でいるとき以外は呼び捨ては止めることになっている。
パパが警察に通報して、削除依頼を出してくれたらしい。見る人が見れば私だってわかる映像だし、あまり拡散されると困る。未だ喧嘩中のママに聞くタイミングがなくて、出所は知らないんだけど。
「んーん。気にしないで、私も気にしてないから。私はママに腹が立ってんの」
「あのシーンを見たら、誰だって心配になると思います」
「にしたって、いきなり別れろはないよ。湖夏くんと会ったこともないくせに」
泣きながら、それでも慎重に言葉を選びながら、湖夏くんは江南ちゃんを咎めた。
もっとキツく言ってくれてもいいのに、って、あの時は言った。けど、本当は嬉しかったんだ。あの優しい湖夏くんが、私のために怒ってくれた。それだけで充分すぎるほど。
涙が止まらなくなるくらい苦しくても、目を背けずに、きちんと向き合ってくれる。カッコよくはなかったかもしれないけど、湖夏くんにカッコよさは最初から求めてない。そこはナナヤ様で足りてるし。
「お会いしてみましょうか? 万華鏡さんのお母さまと」
湖夏くんは、今度も目を背けようとしない。
「いいけど湖夏くん、喋れる?」
「頑張ります。いずれは話をしなければならないと、僕も思っていました。いい機会だと思います」
「前向きねえ」
「いえ。そうでもありません」
湖夏くんの言葉に、なにか違和感があった。嘘を嫌う湖夏くんが、謙遜なんてするだろうか。
「な、なんでもありません! なんでも」
「そう?」
しまった、という顔だ。嘘をつき慣れてないところが、また愛おしい。
湖夏くんがここまで言うんだから、きっと気にしないほうがいいんだろう。深くは考えないことにした。
「彼氏が、ママに会いたいって」
今日の夕飯はコールスローとチャーハン。冷凍食品なんて食べたことがなかったから、レンジでチンするだけでこんなに美味しいチャーハンができるなんて知らなかった。
「ずいぶん急な話だね。まあ、会ってあげてもいいよ」
「なんで上からなの?」
「ただし、条件がある。その子が次のテストで、クラスで一番になること。愛する人のためなら、それくらい簡単だろう?」
ママは知らない。湖夏くんが毎回テストで学年トップを取ってることを。
だからこれは、私たちにラッキーな課題だ。
だけど。
「そんなに会いたくないわけ?」
急に次のテストでトップを取れなんて、普通に考えたら無理な話だ。
つまり、ママは湖夏くんと会う気がない。
「そんなこと言ってない。最低限の誠意は見せろってことよ」
「湖夏くんはちゃんと向き合おうとしてるのに、ママは逃げようっての?」
「だから、会いたくないとは言ってないでしょう?」
どうやら、認める気はないらしい。
「ごちそうさま」
これ以上話しても無駄だ。
いつもより早めに食べ終えたから、その分長めにお風呂に入れる。ストレスはお肌の大敵。今日は念入りにお手入れしないと。
明日もまた、湖夏くんにエネルギー補給してもらわないといけないな。
誰も観ていないテレビの音が、リビングに空しく響く。
バラエティ番組の軽快な野次を子守歌に、母親はソファーで寝息を立てている。
うつらうつらと揺れる意識を、ドアノブを回す音が呼び覚ました。
「ただいま。遅くなってごめんね、ママ」
眠い目を擦り、むくりと体を起こす。目の前には空になったビールの缶が4本と、飲みかけのものが1本。リビングの電気もテレビの電源も付けっぱなしだ。
「お帰り。今温めるわ」
「いいよ、自分でやれる。お互いお疲れ様」
父親はネクタイを緩めながら、ラップのかかった大皿を一瞥する。その上には大量のハンバーグが盛られていた。父親も食べる方だが、一人前にしてはだいぶ多い。母親が冷蔵庫を開けるので、どうやらまだ何かあるらしい。
「今日は豪勢だなあ」
「あなた。これも、食べてくれる?」
母親は大皿の隣に娘の弁当箱を添えた。
「あの子ね。私が作ったご飯は食べたくないって」
「そうなんだ。ママの料理、美味しいのにねえ」
父親は大量に余ったハンバーグの内訳に納得した。
父親の分のほかに、娘の残した分。そして、母親の喉を通らなかった分。
「どうしたらいいの?」
いつもより少し長めにレンジのタイマーをセットする。そのたくましい背中に、声が染み入る。
「私は、あの子に幸せになってほしいだけなのに」
ワイシャツ一枚で席に着き、父親は弁当箱を開けた。
弁当箱に備えてある箸入れに手が伸び、年頃の娘はこういうことに敏感だと思い直して、食卓に用意された自分用の長い箸を手に取った。
小さな箱に所せましと色とりどりのおかずが詰め込まれ、目が胃袋を刺激する。何気なく取ったきんぴらごぼうは噛むたびに濃い旨味と塩味が溢れ、冷めてもご飯が進む。
「お弁当、美味しいなあ。野菜もたっぷり入ってる。ママの愛情を感じるね」
「あなた、聞いてる?」
ゆっくりと、しっかり味わいながら、娘のために作られた弁当を堪能する。
「こんなに美味しいお弁当が食べたくないだなんて、よっぽどだね。まーはそれくらい本気だってことだろうねえ」
「学生同士の恋なんて、おままごとみたいなものじゃない。なんであんな泣き虫といつまでもくっついてるのよ。パパ、お見合いって学生でもできるのかな? 私たちで見繕ってあげたほうが――」
チーン、と、レンジの音が母親の声をかき消した。
「もう、いいところで邪魔しないでよ」
「はっはっはっ。ママ、だいぶ酔ってるね?」
「酔ってない。さっき寝たもん」
「酔っ払いはみんな酔ってないって言うよ。でもパパにはわかる。酔ってなかったら、ママがまーのことそんな風に言うはずないもの」
レンジに向かう途中、父親は母親を抱きしめた。いや、抱きしめるついでにレンジに向かったのだ。二人はずっと一つでいた。たくましい腕が心地よく、蘇った眠気で足元がふらついて、倒れそうになる母親を父親が支えた。
目と目が合う。先に逸らしたのは、母親だった。
「パパからもなにか言ってよ」
「ママ。まーはいい子だ。明るく元気で、素直で前向きで。そのまーが、別れるのは嫌だって言ってる。ワガママ娘の癇癪じゃない。あの子は聞き分けのない子じゃないだろう?」
「……うん」
「まーの本気を止めたいなら、ママも本気で挑まなきゃいけないよ」
父親は母親の手を引き、ベッドまで連れ歩いた。
離れたくないと手を固く握り締める母親に、お休みのキスをひとつ。寝息を立て始めるまで布団の中で寄り添った。
起こさないようそっと寝室を出て、冷蔵庫の中をチェック。明日の分のハンバーグが保存されているのを確認してから、レンジの中にほったらかしのハンバーグを温め直し、かなりの量をそれなりの時間をかけて完食した。
食器を水にさらして、着替えを持って風呂場へ。そうして、父親はようやくワイシャツを脱いだ。
ガラガラと、浴室の戸を閉める音だけが3人の家に響く。
プラスチックのカゴに、女ものの華やかなシャンプーやコンディショナー、ボディソープなど合わせて10種類。隣のカゴには、白と黒のボトルが1本ずつ。
「頑張れよ。
フローラルな香りの残るバスルームで、父親は熱いシャワーを浴びる。
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