勝ち誇る依子さん
「じゃ、サクッと倒してくるね」
食われた方の肩を手で押さえている太一にひらひらと手を振って、依子は走り始める。すぐに爆発音が木霊したが、依子は振り返らない。今は太一ではなく自分の役目に集中する。
「ふざけやがってぇ……っ!」
激昂した秋子が急接近していた。肉薄した二人は同時に刃を振り放ち、甲高い音が打ち鳴らされる。
「ぐっ……!」唸ったのは秋子の方だった。拮抗する力が傾き、女の腕が押し返されていく。舌打ちをした秋子がナイフをいなすも、次の斬撃は依子の方が速い。
凄まじい速度の連撃に秋子は苦戦を強いられ、動揺に目を見開いた。
「どうして!? アヤカシを喰って威力は上がってるのに……!」
「単純な解です」
澄んだ声は秋子の懐で流れた。秋子の目と鼻の先に、ガラス細工のような黒瞳がある。
「
依子は逆手に持ったナイフを振り下ろした。秋子の二の腕にナイフが突き刺さる。その腕は雷獣を握りしめている方だった。
絹を裂いたような叫び声と共に、秋子が雷獣を手放す。細長い体躯が投げ出される。
地に落ちる前に依子は雷獣の身体を抱きしめた。
彼女の顔面に銀閃が迫る。
「しぃねぇああ!」
ナイフは切断する。依子の影を。
予測していた彼女は深く屈み込み、逆手に持ったナイフの柄頭を秋子の鳩尾に叩き込んだ。秋子は限界まで目を見開き、血混じりの胃液を吐く。
「以前のように仮面で隠したままならともかく。嫉妬剥き出しのあなたなんて、余裕で見切れる」
頬を歪めた秋子は、流血した腕を動かして依子の肩を掴んだ。だが彼女は何かを告げる前に白目を剥き、その場に崩れ落ちる。
依子は気絶した元先輩を見つめて嘆息した。それから抱えている獣の首根っこを摘まんで鼻を近づける。
「……やっぱり」
太一と再会したときに感じた匂いの一つと、この雷獣の匂いは同じだった。
どういう関係か知らないが、匂いが染みつくほど親密な相手だからこそ、彼も気が動転していたのだろう。
考えれば考えるほど胃がムカムカして負の感情が大きくなる。
だが依子は、喉元までせり上がった怒りを引っ込めて笑った。嫉妬とは別に、優越感が沸いてきていた。
「んっ……ぐぅう」
うなされるようなくぐもった声と共に、雷獣の瞼が薄らと開いた。意識が戻ったようだ。
依子の顔を確認した雷獣の目に、胡乱げな感情が過ぎる。
「て、めぇ、は」
「たーくんは私が好きなの。残念だったわね」
勝ち誇る依子の声に、雷獣が目を見開く。翡翠の瞳に浮かんだのは果たして敵意だったか、自嘲だったか。
確かめる前に、依子は雷獣の身体を空中へと放り投げていた。
「んにゃああああああ!?」
くるくると回る雷獣の身体は放物線を描いて地面に激突する、直前に夜叉によってキャッチされた。アヤカシはそのまま建物の物陰に隠れる。自身のダメージを回復するついでに雷獣を引き取ってやった、という所か。
依子は帯にナイフをしまう。これで役目は終わった。多少は気も済んだ。後は太一が勝利すれば事は終わる。
彼女は、太一の勝利を一変たりとも疑っていない。
だからこそゆっくり振り返り、彼を見守る。太一と星熊童子は、雌雄を決しようとしていた。
△▼△
夜を焼く炎が執拗に纏わり付いてくる。振り切ることもできず俺の耳を、髪を、腕を、脇腹を、爪先を掠めて焼いていく。即座に修復しているとはいえ、星熊童子の猛攻で負傷箇所が増え、体力は削られ続けた。
反比例するように、俺の中から徐々に現実味が失われ、疑問が湧いてきた。
――俺はどうして、この人と戦ってる……?
苛烈な戦いの最中で、そんなことを考えている自分がいる。
思いつく限りの理由は複数ある。依子さんと俺の逃避行を邪魔するから。鈴鹿御前を殺した相手だから。俺を騙し利用した恨みがあるから。
確固とした怒りはあるのに、これ以上燃え上がらない。なぜ?
俺はなんとなく、その原因について察していた。
多分、起こってしまった事に対処しているだけだからだ。元より俺は、炎鬼と敵対するだけの理由を持たない。出会わなければ、こうして戦うこともなかった。
じゃあ、なぜ戦うことになった?
「あなたは、なんのために戦うんですか」
気づけば俺は、戦闘中に問いかけをしていた。
首を傾ける。炎が頬を掠める。更に放たれた蹴りを飛び退って回避する。
「アヤカシを人の手から守るためとか、そういう理由はないんですか」
「何をほざくかと思えば。弱い奴を守る必要がどこにある」
炎鬼は白けたように答えつつ、人型の状態から縦横無尽に炎を放つ。その赤黒い瞳には気だるげな飢えが見え隠れしている。
そこで俺は気づく。鬼の飽くなき欲は、俺への不満が原因じゃない。何もかもがこの鬼にとっては退屈でしかないんだ。
「恨みとか、復讐のためなら俺にも気持ちはわかる……でもあなたのはわからない」
「説法の真似事なんぞ他でやれ」
吐き捨てた星熊童子が炎となって襲いかかる。回避が遅れ、右腕を焼かれた。冷たい氷に手を突っ込んだような感触の後、凄まじい激痛が来て脂汗が出る。俺は右腕を庇いながら走り、空を滑る炎鬼を睨んだ。
なぜ鈴鹿御前の理念が叶わなかったのか、わかる気がした。復讐の連鎖を止めようとしても次から次に他人を食い物にする連中が現れたからだ。
それは人間もアヤカシも同じ。種属の垣根なんて始めから関係ない。彼女の理念を邪魔してきたのは、誰かの悪意。
「自分が愉しければ、それでいいのか?」
誰に対するでもない呟きは、ふわふわとしていた俺の感情をカチリと固定する。
この鬼は、
灼熱の塊が急接近する。半歩ズレるだけで避ける。空中で方向転換した星熊童子が再度突撃してくる。
俺は振り返り様に裏拳を放った。でもその攻撃はほとんど力を抜いていた。なぜかフェイクだとわかったから。
自分の感情が凪いでいるせいか、相手の殺気がクリアに感じられる。
星熊童子の殺気は、こんなものじゃない。
直撃の寸前で拳を避けた炎が俺の顔面めがけて迫る。今度は本気だ。
溜めておいた五指を振り放つ。鈎爪は、炎を裂いた。
炎は慌てたように揺れて俺から離れていく。地面に降り立つと即座に人型の姿へと戻った。炎鬼は表情を無くした顔で俺を見つめると、次に右手を目の前に持ってくる。
掌は切り裂かれボロボロになっていた。
「なるほど、うまく変怪できん。やはり晴明と同じ破魔の力か」
瞬間、鬼は怖気を誘うほどの凶悪な笑みを浮かべた。赤黒い瞳は狂喜で爛々と輝き、横に裂けた口の間から地鳴りのような笑い声を漏らす。
先程まで張り付いていた不満は、どこかに消えていた。
「我が主、酒呑童子を封じた力と再び邂逅できるとは……なんの因果か知らんが、この再戦を歓迎するぜ、陰陽師」
「違いますよ――俺は、半妖の太一だ」
短く息を吐いて鬼に立ち向かう。射出された炎を回避して星熊童子に肉薄し、鈎爪を振るう。屈んで避けた炎鬼は傷ついた右手を拳にして振り放つ。俺は両足でその腕を蹴り飛ばしつつ横合いに飛ぶ。即座に追ってきた鬼の炎を避け、躱し、針の穴のような隙間に攻撃を仕掛ける。
互いの一撃が必殺の威力。俺と星熊童子は一発も貰うことなく打ち合う。
けれど不利なのは俺の方だ。たとえ一撃を与えられても、炎に変怪した状態では急所を狙えない。さっきみたいに拳だけ傷つけても勝てない。
風の唸りの中にくぐもった笑い声が混ざる。
「カッカカ! 愉しいなぁ銀狐! 久方ぶりの恐怖が堪らねぇよ!」
ふざけんな、と言ってやりたい。
今までたくさん利用され、道具扱いされてきたけど、この鬼の玩具になるのは反吐が出そうなほど嫌だった。
意識を集中する。喧噪が遠ざかる。鼓動の音だけが耳の奥に響く。俺は数多の攻撃を避けながら、チャンスを待つ。
けれど雑念を落とそうとしても、彼女だけはそうもいかなかった。
「頑張れたーくん! 勝ったらせっくすだよ!」
聞こえてきた依子さんの声に思わず苦笑する。どんな声援ですか。
でも、おかげで勇気が湧いた。
星熊童子の拳を掻い潜り、懐に入る。心臓を狙って手刀を放つ。
それは赤褐色の肉体を貫く――寸前、鬼の身体は爆発したように炎へと変化した。俺を覆い隠すほど広がった星熊童子の身体が急速に収縮する。このまま炎に包んで焼き殺すつもりだ。
脱出しようとした瞬間、ガクリと前のめりになった。
左足首に、変怪できなくなっていた鬼の右手がしがみつき、俺を固定している。
目の前に炎の壁が迫る。全身が泡立つ。
俺は鬼の右手を鈎爪で切断し、もう一方の手で炎の壁を穿孔した。僅かな隙間に身体をねじ込んで脱出する。かなりの部分に火傷を負ったがまだ動ける。
振り向いた瞬間、腹部を炎の槍が貫いた。
「終わりだ」
星熊童子の頭部が出現して陰惨に嗤う。俺は血を吐き、じわじわ肉を焼かれる感触に震え……思わず笑ってしまう。
陰陽師だなんだと言いながら、
俺は槍を裂き一足飛びに距離を詰める。意図に気づいた星熊童子が炎を撃ったが、急所に当たる部分だけ消し飛ばした。他の部位を犠牲にしてでもこのチャンスに食らいつく。
そして、頭部を引っ込めようとする星熊童子に、言ってやる。
「残念でした」
手刀が、消えかかっていた鬼の額を貫く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます