依子さんと共に生きる覚悟
意味深なやり取りの蚊帳の外になっていたが、特に口は挟まなかった。きっと彼女たちにとって重要な話だろうから。
無言だった依子さんは、こくりと頷く。満足気に見届けたボブは「じゃあね」と告げ背を向ける。
「あの!」俺はそんな彼(彼女)に声をかけて一度引き止めた。振り返ったボブに、自分が辿ってきた道を目線で示す。
「この先に、怪我をしている人がいます。介抱してあげてください」
ボブは何も聞かずに頷くと、俺が来た道に走って向かった。
誰が倒れているのか告げる勇気はなかった。卑怯でみっともないと自覚していても、依子さんの耳に入れたくなかった。自分の自信のなさに嘆息する。
静寂が過ぎる。この場には俺と依子さんだけが残された。
ようやく二人きりになれたのに居心地の悪さが付き纏うのは、男の件で罪悪感があるからと、さっきの話が尾を引いているからだ。
「依子さん、その……」
事情はきちんと説明しなければいけない。俺がやろうとしたこと、そして騙され利用された事実を。
正直、彼女の失望と幻滅は怖くて気後れするが、誤魔化すわけにいかないことはわかっている。何より依子さんが自分を責めないよう、俺の責任だとはっきり告げなければいけない。
どう切り出すべきか逡巡していると「たーくん」依子さんが呼んだ。
顔を向けた瞬間、口の中に異物が侵入する。半開きになった唇の間を縫うようにナイフが差し込まれていた。
「ごっ……!」
「あなたは自分の不始末を釈明するためにここに来たの?」
鋭い声に唾を飲み込む。舌先が触れたナイフの冷たさが、彼女の不満を告げているようだった。
「過ぎたことをぐちぐち言うのは止めて。たーくんだけに非があるなんて考えてない。私にだって罪はある。あなたを逃し、ここへ呼び寄せてしまったことはれっきとした裏切りだから」
「……っ」
「私とあなたの二人でこの事態を招いたの。恨まれて憎まれるのは当然のこと。なのに私だけ逃げるなんて都合のいい真似はしない、したくない。仲間に追われてもあなたと一緒になると決めたんだから。あなたも同じでしょう?」
痛感した。俺は、依子さんを侮り過ぎていた。
彼女は全部お見通しで、自分の贖罪も理解した上で、俺に答えてくれていた。そこに水を差せば怒るのも当然だ。
彼女の黒瞳に映る自分の顔は、はっきりと目つきが変わっていた。依子さんはナイフをするりと抜く。
「ごめん。もう終わったことは話さない。これからのことだけにする。まずは脱出しないと……って依子さん?」
依子さんは俺の話を聞かずナイフを凝視していた。おもむろにその刃先を舐める。
さっき付着した俺の唾液を舐めていると気づいた。恍惚としたように眉尻が下がる依子さんの姿に、首から上が熱くなった。
「ふふ、ちょっと血の味もする」
「そういや口の中が切れてる……いやそうじゃなくてっ」
「血、もっと飲んでいい?」
「脱出が先だし生体浸食中でもないでしょ!?」
しかし問答無用で接近した依子さんは、俺の腰に手を回し鎖骨に唇を近づける。艶っぽい流し目に心臓が高鳴るがそんな場合じゃない。俺は彼女の肩を押さえて抵抗する。
「あ、後にしてください!」
「一年間も待たせる方が悪い」
そう言われるとぐうの音も出ない。依子さんはたじろぐ俺を面白がるように目を細め、艶めかしい舌を首筋へと――
突然、視界が暗闇に包まれた。
「っ!?」
天井も通路も地面も何もかもが濃い黒で塗り潰されている。一切の光が遮断されているせいで遠近感がまるで掴めない。
「依子さん!」
「大丈夫、ここにいるよ」
手に暖かい感触が伝わる。依子さんは先程と変わらず隣にいて、手を握ってくれていた。
安堵のため息が漏れる。彼女がそばにいるだけで、恐ろしい事態に対する不安やストレスが和らぐようだった。
「これは一体……」
呆然と呟く俺とは対象的に、依子さんは既に意識を切り替えて剣呑な目つきになっていた。彼女の警戒心に触発される形で俺も身構える。
人間側かアヤカシ側かはわからないが、この異常現象は俺達に対して何か仕掛けてきている証拠だ。
今の俺は変怪が切れている。でも、ここには依子さんがいる。彼女がいることで強くなれる。
――絶対に守るんだ。
決意した瞬間、闇の中でぼんやりと赤い光が浮かび上がった。輪郭がぼやけているが徐々に形が整っていく。
それはオブジェのような物体だった。二本の柱の頂点に直方体の木が一本置かれ、もう一本の木が柱二本の間を貫いている。特徴的な構造にある単語が浮かぶ。
「鳥居……?」
全体が朱色をしていることからも鳥居そのままだ。しかも鳥居は一つだけじゃない。鳥居のすぐ奥にもう一本の鳥居が現れ、更に一本とどんどん追加されていく。
まるで千本鳥居のように、ずらりと並んでいる。
圧巻の光景に俺は声を上げそうになった。この地下通路は四方を壁で囲まれていたはず。奥に続く空間なんて欠片もなかった。
この場所が変わってしまったのか、それとも俺達の位置が変わってしまったのか。わかっていることは、とてつもない力が働いているということだけだ。
「やっぱり、そうか」
依子さんが何かに気づいたように独白した。
すると彼女は鳥居の方向へ歩き始める。
「ちょ! 待って依子さん!」
「大丈夫。害はないよ」
依子さんは断言して一番最初の鳥居に足を踏み入れた。見ているこちらの方がハラハラしたが、言葉通り何も起こらない。
「ついてきて」
そう言うと彼女はどんどん鳥居の間を進んでいく。泰然とした態度は、既にこの現象の正体を掴んでいることを示している。
元より依子さんを信じないという選択肢はない。俺はすぐさま鳥居の中をくぐって彼女を追いかけた。ひとまず何も起こらなかったことにほっとする。
「これが何なのか、知ってるんだね」
追いついて隣を歩くと、依子さんは小さな顎を引いて首肯する。
「この現象はアヤカシの仕業じゃない。多分<
「招かれた……? じゃあ、これはアヤカシ喰いの誰かが?」
聞き返したところで鳥居の終わりが見えた。その光景に俺は呆気に取られる。
相変わらず暗い場所だったが、陰影のあるちゃんとした空間だった。砂利が敷き詰められた地面の周囲はごつごつとした岩壁に囲まれている。まるで洞窟の中だ。
そんな閉鎖的な空間に、小さな屋敷が建っていた。本拠地にあった屋敷とほぼ一緒の外観だ。崩れたり汚れている様子もなく、人の手で丁寧に維持されている。
「これを発動させたのは滅怪士じゃないよ。空間と空間を繋げるなんて神威級の結界は、一切の穢れを祓ったこの総本山の中でしか使えない。それもたった一人のために用意されたものだから」
淡々と問いに答えた依子さんは鳥居を抜けると屋敷に近づく。高床式になっていて、階段を登った場所に入口があった。
屋敷からはまったく物音はせず静謐な空気に包まれている。
「ここにいるのが、その人だと」
「そう……陰陽寮首領、鈴鹿御前。私達を呼んだのは、奥の院に潜む組織の長よ」
驚愕と困惑が津波のように襲いかかった。
つまり俺達は敵のトップの前に来てしまったことになる。最大級にまずい事態だ。
しかし不可解な状況が俺の中の危機感を抑えていた。普通なら真っ先に罠を疑うが、敵の気配がなさすぎる。やろうと思えば今この瞬間にも拘束できるのに、なにも起こらない。
依子さんもさっき、招かれたという言い回しを使った。彼女も別の思惑を嗅ぎ取っている。それでもまだ屋敷に入ろうとしないのは、罠の可能性を拭いきれていないからだろう。
「どうしよう、か。俺の力なら、さっきの結界も破れると思うけど」
「……ううん。中に入ろう。戦いが目的じゃないっていう意思表示だと思うから。それに私としても知りたいことがあったし、結界が入り口を塞いでる今なら他のアヤカシも入ってこれない。でも、いつでも退避できるように備えておいて」
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