変わりそうな楠木との関係
「鬼! 人でなし! クズ! ド畜生! どっちもやだもう死ぬぅううううう!」
アヤカシに対して何の効果もない罵声を浴びせながら、楠木は駄々っ子のように泣き叫び始めた。
棗さんはその様子をパスタを食べながら眺めているが、目元が愉快げに釣り上がっている。さては泣かすためにわざと提案したなこの人。
俺は嘆息して暴れる楠木を眺める。「やだもんやだもんこんな現実あり得ないにゃああ!」なんかキャラクター崩壊してる。
自分の身体をいいようにされるのは屈辱だろうけど、それにしたって厳しい訓練受けてきたんじゃないのかこの子は。アヤカシ喰いとしてやっていけるのかと、逆に心配してしまう。
――でもほんと、どうするかな。
依子さんのために何でもすると誓ったのは俺自身だ。楠木を捕まえたのだって有効利用するためで、優しく扱うつもりはなかった。さすがに人体実験じみた真似はしたくないけれど、非情に徹するべきなのかと心が軋む。
第一、いつかは楠木を、殺すことになる。今更悩んだところで――。
不意に、間違いに気づいた。なぜ俺は一つの方向でしか考えていなかったんだ。
――……殺さなくてもいい状況だって、あるよな?
元々俺は、アヤカシ喰いからは目立った情報は得られないし、手を借りるなんて夢のまた夢だと思っていた。せいぜい変怪用の血を奪うのと、式務を捕まえるための駒くらいしか想定していなかった。
それは冷血で非道で、人間を逸脱したアヤカシ喰いを相手にした場合の話だ。
この少女が相手なら、別の関係性を模索できるかもしれない。
「あのさ楠木。聞いて欲しいんだけど」
「処女取っといたのにぃいいい!」
「アヤカシ喰いを辞める気はない?」
楠木が動きを止めた。涙でぐずぐずになった目を瞬かせる。俺の隣では棗さんが眉根を寄せていた。
「使命とか責任とか仲間とか、色んな理由があって戦ってるのはわかる。そんな簡単に離脱を選べないことも、知ってるけどさ」
現に依子さんは言っていた。自ら選んだ人生でなくとも、今まで死んでいった人達のために簡単に辞めるわけにはいかないと。その誇りはアヤカシ喰いの誰もが持っているだろう。
でも俺は、説得が難しいことは承知の上で、どうしても提案してみたくなった。
「少しだけ、ほんの少しだけでいい。俺に協力することも考えてくれないかな」
「協力……?」
「うん。魔臓宮を持つ楠木が力を貸してくれれば、俺の力が通用するかとか、安全に触れる方法を調べられると思う。対価は、君がアヤカシ喰いを辞めて普通に生きる未来。どうかな」
「……はっ。何を言うかと思えば。そんな取引が成立するって本気で思ってるんですかぁ?」
「思ってるよ」
楠木の表情に困惑が過った。涙で滲んだ双眸を細めて怪訝そうに俺を見つめる。
「どうせなら望んで協力してもらったほうがこっちもやりやすい。楠木がアヤカシ喰いを辞めたなら敵でもなくなるし。後は好きに生きたらいいさ」
「意味わかんないんだけど。そんなことしてあんたにどんなメリットがあんの」
「君を殺したっていう罪悪感を抱えなくて済む」
「ははっ、アヤカシを殺して喰いまくった女に罪悪感だって! ちょっとお人好しにも程がありません?」
「でも楠木は、普通の女の子だ」
楠木は返す言葉を失って目を丸くしていた。黙って聞いてる棗さんも何を言ってんだこいつという表情を浮かべている。
まぁわからないだろうな、と心中で呟きながら俺は曖昧に笑った。
母と叔父を殺したアヤカシ喰い達は無機質な殺人兵器だった。依子さんだって人間性を殴り捨てて得たような、無慈悲な怜悧さを持っていた。
反対に楠木は、その片鱗を覗かせることはあっても、趣味に固執し自分の意思を捨てることができない。任務に徹し切れない未熟さがある。感情がはっきりしていて、人間臭さが抜けていない。
逆にそれは、まだ人間に引き返せることを意味している。
言葉にして伝えて、はっきり自覚した。俺は楠木に、できれば普通の子に戻ってもらいたいと感じている。
「別に楠木に真っ当な人生を歩んで欲しいとか思ってるわけじゃない。殺さないで済むならそれでいいってだけ」
楠木は黙り込んでいた。心なしか感情を抑えて、真摯に耳を傾けてくれている気がする。
しかし彼女の口から出たのは悪態だった。
「そんなこと言って、ウチの身体目当てじゃないでしょうね」
「あのね……俺には依子さんがいるんだけど」
「ふーん。まぁ確かに? 別の女に手を出したら愛しの依子さんも傷つくでしょうし?」
「――あっ」
しまった。めちゃくちゃ重要なことを忘れていた。
あの依子さんが、他の女の子と関係を持つことを許すはずがない。
『たーくん、私がいない間に他の子とも付き合ってたんだ。でも事情があるみたいだし、しょうがないか。じゃあその子と平等に分け合うからたーくん二分割するね?』
すみませんどう取り繕っても死にますこれ。
想像しただけなのに冷や汗が溢れて止まらない。あの戦慄の同棲生活で味わった恐怖が蘇ってくる。
俺はぎこちなく振り返って、棗さんに愛想笑いした。
「や、やっぱり人道的見地って大事ですよね?」
「腰抜けっ!」
棗さんに思い切り背中を蹴られる。もんどり打って倒れるといきなり伸し掛かられた。しかもなぜか彼女の手が俺のベルトを掴んでいる。
「そのなよっとした感じイラッとする。罰として常時勃起状態で過ごせ」
「なぜに!? っていうかどんな嫌がらせですか!」
抗議しても無理矢理ズボンを脱がそうとしてくる。必死に腰を押さえると棗さんは三叉の尻尾を出して、その先端からバチっと電気を放電させた。なんでこの人本気になってるの!?
「――ふふっ」
俺と棗さんは同時に動きを止めて振り向いた。
ハッとした楠木の顔が、林檎みたいに赤く染まっていく。
「いま笑ってた?」
「わ、笑ってない! ウケてなんかないから!」
狼狽した楠木は目を泳がせると「さっ、さっきの話だけども!」と誤魔化すように話を変える。
「本当に、ウチを……普通に戻すつもり、なの」
「俺の力が効くか試すわけだからね。成功すれば、楠木はもうアヤカシ喰いじゃなくなる」
座り直して答えると、彼女は沈黙した。
もどかしいほどの静寂が流れた後、か細い声が耳に届く。
「…………時間が、欲しい」
ほんの僅かな前進。しかし着実で大きい意味を持つ一歩だった。
俺が思わず破顔して頷くと、楠木は鼻を鳴らしてそっぽを向く。まだ壁があるけど、いつかはもっと本音を覗かせてくれるんじゃないかと、ほんのり期待を持ってしまう。
これで全てがうまく転べば言うことなしだ。生態浸食を止める具体案が定まって、依子さんを救い出して、楠木も普通の女の子に戻って、棗さんも自由に生きられるようになれば――
ゾワリと背筋を怖気が走った。俺は即座に背後へ振り向く。
「ん? どした」
俺の視線を受けた棗さんが眉を上げていた。
「……いえ」
俺は首筋を撫でながら向き直る。まだ残り香のようにソレの感触が残っていて鳥肌が立っている。
ソレは殺気だった。まるで死神の吐息のような極寒の意思。
でも棗さんは至って普通で、感情が荒ぶった様子もない。むしろ不自然なほどに平然としている。
――なんでだろう、楠木を生かすって話にも突っかかってこなかったし。
棗さんなら、妊娠させて試した後は殺せばいいだろ、とでも言いそうだ。アヤカシの倫理観としてはそちらのほうがきっと正しい。
元々彼女にとって生体浸食の問題は関係ない。だから興味がないだけだろうか。さっきのも気のせいか?
不穏なものを感じつつも、俺は確かめることができなかった。言及すればまた話がこじれそうだったから。せっかくまとまってきたのだから、このまま進めたい。
その判断を、俺は一生悔いることになる。
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