楠木の大事なもの

 依子さん曰く、アヤカシ喰いは様々な場所を転々としてその度に名前や身分を変えているという。アニメ好きコスプレ女子高生、というのはかなり特殊な設定な気がしないでもないが、楠木もそれを演じているのだろうか。

 ……いや、どう考えても変だ。

 外で活動するときに必要な仮面であって、誰にも見られない家の中まで飾る必要はない。依子さんも女子高校生の格好をしながら、部屋の中はまるで学生らしくなかった。

 

 ――そうなると単純に、楠木の趣味とか?


 依子さんが書物を愛好していたように、このアニメキャラクター達は楠木が愛でている大切なものだとしたら。だから見られること、荒らされることに過敏になっていた……割としっくりくる。

 ぱらぱらとカードの挟まったシートをめくっていると「太一っ」と棗さんの呼び声が聞こえてきた。俺はファイルを持ったまますぐにリビングまで向かう。

 棗さんは食器棚の傍でしゃがみ込んでいた。近づくと、一番下の棚の奥に電話機が置かれているのが見えた。

 依子さんの部屋で見た黒電話と同じく、呪符に使う朱文字が刻まれている。

「これのことだろ」棗さんが手を伸ばしたので俺は咄嗟にその手を掴んだ。


「待ってください。これも多分、呪符と同じ効果があります。触るとまずいかも」


 そう言うと棗さんは即座に手を引っ込めた。俺は彼女と位置を変わって、電話機に手を伸ばす。

 触れるかどうかの位置で止まり、意を決してたぐり寄せる。

 予感は的中した。


「ぐうう……!」


 触れた瞬間に脳みそが焼き切れそうになる。激痛で意識が混濁したが、俺は奥歯を噛みしめて耐えた。

 荒い息を吐きながらコードのついた電話機を棚から取り出すと、朱文字が掠れて消えていた。今回も何とか無事に済んだようだ。


「棗、さん。お願い、します」

「……わかった」


 再び位置を代わり、棗さんが電話機に手を伸ばす。彼女としては随分と躊躇いがちに、そろっと電話機に触れた。

 指先が触れる。棗さんに異変はない。そのまま受話器を取っても彼女の身体には何も起こらなかった。

 棗さんはほっと息を吐く。緊張していたようだが、当然だろう。対アヤカシの呪符は彼女の肉体をズタズタに破壊していたはずだ。


 安全を確認した棗さんはトートバックを置くとそこから自作のパソコンを取り出した。次に電話機のコードを抜き、そのコードをパソコンに接続する。

 ぼふんと音が鳴った。棗さんの腰から煙が上がり、スキニーパンツの腰上から三叉の尻尾がにゅっと生える。彼女はその尻尾一つを、ノートパソコンに接続したハサミ状の端子にくっつける。


「お前の話が正しければ、この通信機は本部ってところと直通になってるのよね。さて鬼が出る蛇が出るか、試してみようじゃない」


 アヤカシ、というよりかはハッカーとしての顔つきになった棗さんは、舌なめずりをするとノートパソコンの操作を始める。彼女の妖力が電子回路を従わせ、タイピングの度に緑色の文字列が鮮やかに踊った。

 俺は彼女の操作を見守る。棗さんなら何とかしてくれるという信頼感はある。

 うまくいけば、依子さんが捕えられている組織の位置が判明するはずだ。


 この電話機は本部と直通ケーブルで繋がり、緊急時にのみ使われる。外部からの傍受や逆探知を恐れての措置で、裏を返せばこのケーブルが繋がる場所こそが本部の居場所ともいえる。

 だからアヤカシ喰いの組織はこの通信機の存在を察知されないよう隠していたし、もし発見されたとしても利用できないよう呪符の罠をしかけていた。

 けれどその対策も、情報を知っていてかつ罠を解除できる俺と、稀有なハッキング能力を持つ棗さんが揃うことで無効化できる。


「多分まだ時間がかかる。邪魔されたくないから、連中が来たときはお前に任せるわよ」


 ディスプレイから目を離すことなく棗さんが告げる。俺は頷き、カードファイルを置いてから玄関まで向かった。

 俺達が姿を現したことで敵も大規模に動くだろう。同時に仮宿も、悪用されないために撤去を始める可能性が高い。

 その動きに先回りすることが俺達の狙いだ。

 計画の目的は二つある。一つは組織本部の位置を把握すること。

 もう一つは部屋の撤去に来た組織の人間を捕獲すること。


 組織なのだから、撤収作業は戦闘担当のアヤカシ喰いではなく裏方の人間が行う。依子さんから聞いた式務とやらが作業に当たるのであれば、そいつらを捕えることで魔臓宮の機能や生態浸食を止める方法を聞き出せるかもしれない。

 もし知らなくても定期接種の薬を手に入れる、あるいはその製造方法を掴める可能性だってある。そして救い出しても問題ない段階に至ったとき、俺は依子さんの元へ行く。

 それが俺が描く筋書きだった。

 甘い見立てかもしれないけれど、この方法に賭けるしかない。


 予想通りなら、楠木捕獲を知った組織の人間がすぐ撤収に来るはずだ。俺はいつでも対応できるよう、ポケットに忍び込ませた小瓶を握りしめた。

 玄関の前で待機を続ける。無音の時間が流れていく。

 夜ということもあってか物音一つしない。扉の向こうに誰かがいる気配も、撤収用の車が来た音も聞こえてこない。


 ――……今日は来ないのか?


 ここまで用意周到かつ手間のかかる偽装を施す組織が、撤収を後回しにするなんてありえるんだろうか。

 しかし、いくら待っても組織の人間がやってくることはなかった。

 嫌な予感が生じる。耳が痛くなるような静寂の中で、次第に不安と鼓動の音が大きくなっていく。


「っく! 弾かれた!」


 唐突の声に心臓が飛び出そうになる。

 俺は止めていた息を吐き出し、急いで棗さんの元へ走った。


「どうしたんですか!?」


 振り返った棗さんは指でノートパソコンを示した。

 ディスプレイはひび割れ、筐体から煙が上がっている。


「さすがに無策ってわけじゃなかったわ。こっちのアクセスに反応して過負荷かけてきた。おかげでノーパソぶっ壊されたわよ」

「じ、じゃあ奴らの居場所は……!」


 目の前が真っ暗になる。

 これでは、依子さんの場所を見つけられない。

 愕然とする俺とは対象的に、棗さんは不敵に笑ってみせた。


「なに勝手に凹んでんの。所在地のコードは取得してる。解析すりゃ一発でわかる」

「でも壊れて……!」

「あたしが何の対策もしてないと思う? データサルベージすりゃいける。時間はかかるけどな」


 棗さんの自信ありげな態度は泥のような不安を一気に消し去ってくれた。

 俺は気が抜けてしまい、へなへなと弛緩して息を吐く。

 すると棗さんは玄関の方へ視線を向けた。


「撤収、来ないのか?」

「……みたいです」

「やけにちんたらしてんだな。まぁいいわ。そろそろズラかるわよ。あの女一人だけにするのも嫌だし」


 棗さんは手早くノートパソコンを片付けると、次に部屋のドアに妖力を込め始めた。眷属となった物質に誰かが触れると、主人である棗さんにもその瞬間がわかるらしい。これで撤収のタイミングに合わせて動くことができる。

 本当はもう少し待っていたかったが、確かに楠木一人を放置しておくわけにもいかない。俺は後ろ髪引かれながらも棗さんと仮宿を出た。ついでにある物も持ち帰る。


 だけど、本当はそこで出るべきじゃなかった。

 翌日、仮宿から火災が発生して、部屋のものは全て消し炭になった。

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