夜襲 下

 美希と秋子に挟まれた立ち位置で、太一が日本刀を構える。

 その瞬間、妖力の桁が上がったことを美希は肌で感じとった。太一の身体からもやのような妖気が噴出している。細かった腕や足も筋肉が盛り上がっていた。

 そしてフードから微かに覗く頭髪が、銀色に染まっている。


 ――変怪した!?


 美希は焦ってナイフを構える。秋子も双眸を細めて警戒心を高める。

 しかし、妖狐にしてはまだ妖力が弱い。一本角の鬼以下だ。尻尾なども生えておらず、まるで中途半端な変容だった。


「俺は死なない。あの人を助け出すまで、絶対に」


 太一が地を蹴って走りだす。向かう先は美希の方だった。

 秋子に向かわなかったのは両者の力量差を推測し、弱い方を選んだからだろう。その態度が美希の癇に障る。


「ウチを舐めるな半妖が!」


 斬撃の速度は更に上がっているが、美希はこれを難なく受け止めた。武器を使い続けるところを見ても妖狐になったわけではなさそうだ。これなら支障はない。

 手首を捻って日本刀をいなした美希は、がら空きになった男の胴体に靴底を叩き込む。呻き一歩下がった太一に向けてナイフを切りつけた。彼は即座に身を引いていたが避けきれず二の腕がぱっくりと裂かれる。


「どうしたんですかほらほらほらほらぁ!」


 美希はナイフを乱れ打つ。太一は日本刀を使って防御するか回避するのに精一杯だった。それも完全に防げるわけではなく、斬撃と共にコートが刻まれ血が半円を描いて飛沫する。

 横薙ぎに振るったナイフを、太一は大きく跳躍して回避した。

 着地した地点に人影が重なる。


「一人だけ相手にするなんて意地悪ね」


 太一の背後に立つ秋子は、逆手に握ったナイフを彼の左肩に突き刺した。


「がぁあああ!?」

「罰として邪魔な腕を落としましょうね、ボク?」


 秋子もまた仮面を脱ぎ捨て、嗜虐心を覗かせた陰惨な笑みを浮かべていた。彼女は太一の肩に突き刺したナイフをぐりぐりと弄る。即座には切断せず遊んでいた。

 太一は日本刀を振り回して逃れようとするが、その腕も抑えつけられる。動きを止められ、更にナイフで肉を抉られた。

 叫び声と肉が千切れる音が重なる。男の悲痛な声は美希をゾクゾクと興奮させた。

 ともすれば周辺住人を騒がせかねない状況だが、用意周到な滅怪士は呪符により簡易的な結界を作り出している。この殺し合いが誰かの耳に届くことはない。

 だからここでは、どれだけ無残なことをしても構わない。


「じゃあウチはそっちの腕もーらい!」


 動きが止まっている間に美希が肉薄する。ナイフを振り上げ右手を狙う。

 だが太一はまだ抗った。唸り声を上げ腕を掴まれた状態から秋子ごと強引に反転する。攻撃の射線上に秋子が現れたことで美希は腕を引っ込めるが、両者の身体が激突した。

 更に太一は背後に向かって頭突きを放つ。秋子は額を痛打され微かに怯む。拘束する腕の力が緩んだ隙に太一は飛び退き、距離を開けた。


 彼の左腕はぷらんと垂れ下がっていた。コートの袖は赤く染まり、男は激痛を堪えるように歯を食いしばっている。

 もう少しで切断という場面で逃げられたが、秋子に悔やむ様子はない。むしろ彼女はナイフについた血を舐めてとろりと眉尻を下げた。太一に熱い視線を送り、無意識からか自分の股間部に手を伸ばしている。

 秋子とは性格も価値観も違う美希だが、彼女の興奮は手に取るようにわかった。

 妖力の吸収には快楽を伴う。妖力を吸えば吸うほど魔臓宮が喜ぶ。

 何より、人を殺める外道をこの手で追い詰め、その血肉を啜る絶対強者の愉悦が堪らないのだ。


 美希と秋子が同時に駆け出す。千切れかけの左腕を押さえた太一は、迎え撃つのではなく、逃走を選んだ。どうやら不利を察して逃げに転じたようだ。

 美希は高笑いしたくなった。馬鹿すぎる。逃げるならもっと前にそうするべきだった。とっくに手遅れだ。

 美希と秋子が急接近してナイフを振るう。太一は防御に徹しているが左腕を庇っているせいで動きが鈍くなっている。

 二人の女は玩具で遊ぶように太一を嬲った。男の身体は赤く染まっていく。傷跡のない箇所など見当たらないほどに切り刻まれ、太一の顔面が脂汗に塗れていく。

 その攻防の中で、フードに隠された太一の目と美希の視線がかち合った。

 追い詰められているのに、絶対的窮地なのに、彼に怯えはない。死の恐怖もない。

 あるのは剥き出しの闘争と、諦めを知らぬ鉄の意志。


「ウザっ!」


 叫び、美希の放つ斬撃が日本刀に激突する。

 亀裂が入り、日本刀が半ばで折れた。

 その隙に秋子が彼の首めがけて横薙ぎを放つ。が、太一は即座にしゃがみこんで秋子の攻撃を回避した。彼はそこから地面すれすれに踏み込み、美希に向かって折れた刀を振るう。

 半ばで折れているため懐に入り込む必要があったようだが、軌道は読み切れている。美希は容易く日本刀を受け止めた。

 そして美希はガパッと大口を開けた。男の喉笛に食らいつき、肉を囓り取るために。

 だが噛み付こうとしたその直前。

 視界の端に、太一の千切れかかった左腕が動いているのが映った。

 彼の手には折れた日本刀のが握られている。


「っ!」


 美希はたたらを踏んでその場に停止し、飛び退いた。

 同時に、頬に微かな熱が走る。

 距離を開けると太一もまた秋子の攻撃を回避しつつ跳躍しているところだった。遠く離れた太一を確認しながら美希は頬を触る。日本刀で切りつけられ血が滲んでいた。

 こんなものは怪我のうちに入らない。意表を突かれはしたが、最後の足掻きにしては貧相な結果だった。


「そろそろ諦めなさいな。泣いて縋れば私の気分も変わるかもしれないわよ?」


 秋子が侮辱混じりに嘲笑うと、太一は深く息を吸って吐く。

 それから右手に握っていた、折れた日本刀を投げ捨てた。

 本当に降参するのか、と拍子抜けする美希だが、胸中には違和感が過った。

 彼の左手はまだ、抜き身の日本刀を握りしめている。


「ギリギリ、だったな……変怪の時間も、切れてたし」


 息も絶え絶えといった感じで独白しながら、太一は右手でフードを外す。手配写真と同じ顔が曝け出された。先程銀色に染まった髪は元の黒色に戻っている。

 ここで秋子も眉を潜めた。諦めたにしては様子がおかしい。

 困惑する滅怪士二人をよそに、彼は不敵な笑みを浮かべる。


「でも、これで


 抜き身の日本刀を右手に持ち替えた太一は、その切っ先を口先に持っていく。

 そして、付着した血を舌で舐め取った。

 それは先ほど切りつけられたときに付いた、美希の血だ。

 血を飲み下した太一は残る刀の方も放り投げる。

 瞬間、彼の身体に異変が生じた。激痛を催したように身体をくの字に折るとその場に膝を付き、くぐもった苦鳴を漏らす。頭を垂れ手で胸元を押さえる男の姿に二人が言葉を失っていると、彼の身体から蒸気のような煙が発生し始めた。


「まさか――!」

「変怪!?」


 叫んだ美希と秋子は即座に走り出す。煙は太一の身体を繭のように包んでいるが、まだその場に留まっている。今なら仕留められる。

 二人は同時にナイフを振るった。剣閃が闇を走り煙を両断する。

 手応えは、ない。

 秋子がゆっくりと振り返る。視線の先を追った美希は、心臓の鼓動が早まるのを自覚した。

 公園の中央に、銀の輝きを持つ男が佇んでいる。艷やかな銀糸の髪が夜風になびき、頭髪の中にある大きな獣の耳がピクピクと音を拾って動いていた。腰の後ろから伸びる毛量の多い銀の尻尾がたおやかに、誘うように揺れる。瞳もまた銀色に染まり縦に細長く収縮していた。

 姿形はまだ人に近いが、人とは違いすぎる存在感と圧迫感が、彼の変化を雄弁に語っている。

 半妖太一はアヤカシに――銀髪の妖狐へと変怪し、滅怪士を見据えていた。 

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