手負いのケモノと引きこもり

 街に朝が訪れる。雑居ビルが連なった通りは静けさに満ちていた。道ばたに寝転ぶ酔っ払いの姿もなく、姿を現すのは廃棄ゴミを狙うカラスくらいのものだった。


「うー、さぶさぶ。早く暖かくなんないかにゃー」


 カンカンと小気味よい靴音が響く。雑居ビルの非常階段を一人の女が降りていく。

 彼女は口元をマスクで隠し、厚手のどてらを着込んで背を丸めていた。上下共にスウェットという部屋着のまま外に出ている。脇には大きなゴミ袋を抱え、寒さに耐えるようにしながら階段を降りた。

 彼女はきょろきょろと周囲を見回し、誰もいないことを確かめて裏手の小路に入り込む。ビルとビルの間の細い道を進むと、ゴミ袋が大量に積み重なった場所があった。そこは中華料理店の裏口で、夜の調理場から排出されたゴミが山積みに置かれている。一時間ほどすると若い店員が出勤してきて、近場のゴミ回収場にこのポリ袋の山を運んでいく。

 女は悪臭漂うゴミ山に近づくと、抱えていたゴミ袋を放り投げた。こうして混ぜればついでに持って行ってもらえる。


「ほんと人間てめんどーなこと好きだよね。そこらに捨てりゃいいのに」


 自家ゴミの袋が目立たないように周囲のゴミ袋で隠しながら、女は文句を呟いた。以前は適当なところに捨てていたのだが、役所の人間とやらに見つかってこっぴどく注意されてしまった。なのでこうして偽装する羽目になっている。仕方ないとはいえ、どうにかならないものかと彼女は嘆息した。

 本来なら、住んでいるビル付近の指定ゴミ置き場に置くだけでいい。しかし正規通りの捨て方をすることは彼女にはできなかった。

 なぜなら登録上、。無人ビルからゴミが出れば不審がられてしまう。


 人間社会で暮らす大変さを欠伸と共に噛みしめながら、女は大きく伸びをした。その拍子にマスクが取れて顔が露わになる。

 彼女の面貌は、ほとんどの人間が美しいと評する整った顔立ちだった。やや童顔で垂れ目だが、それも愛嬌の良さに繋がっている。

 ただし、目の下の隈と肌荒れが美貌を台無しにしていた。

 美になど無頓着な女は鬱陶しそうにマスクを外す。次にしまりのない笑みを浮かべた。三日前くらいからぶっ続けでログインしていたオンラインゲームの難関ダンジョンがようやくクリアできたばかりで、彼女はその喜びを思い出していた。苦楽を共にしたパーティメンバーとボスを打倒したときの感動はひとしおで、時間が経った今でもゾクゾクと鳥肌が立ってくる。


 しかしまだ寝るわけにはいかない。興奮冷めやらぬパーティメンバー達は後続プレイヤーのために攻略チャートを作ったりプレイ動画の編集をしていることだろう。部屋に戻ったら手伝ってやらねばなるまい。まだまだ眠れそうにないが活力に溢れているし、そもそも人外である彼女は三日眠らない程度で体調を崩すことはない。

 メンバーからは鉄人だと半ば冗談のように讃えられている彼女だが、チームリーダーがアヤカシと呼ばれる化け物だとは誰も想像していないだろう。


 真相を知ったとき、果たして彼らはどんな顔をするだろうか?

 女はそんなことを考えて、一瞬後にはどうでも良くなった。人を化かして愉しむ時代など遙か昔に終わりを告げている。そんなことよりゲームをするほうが何百倍も楽しい。


「さーって! ひとっ風呂浴びたらタイムラインでも――」


 ガサリと音がした。

 女は弾かれたように振り返る。身体は緊張に強ばりボブカットの髪は静電気を帯びたように逆立つ。瞳は収縮して、猫のように縦に細くなった。

 女は小路の奥を観察する。人の姿は見えない。が、物陰に誰かが潜んでいることはわかった。視線を向けられている気配がするので、あちら側も気づいているだろう。

 浮浪者かと考えたが、すぐに否定する。鼻孔は特徴的な匂いを拾っていた。


 ――血の匂い……にしては変ね。アヤカシと人間の両方が混ざってる。


 アヤカシが人間を喰っているとき、両方の匂いを感じることはままある。それでもここまで混濁しているわけではない。

 次に彼女の脳裏を過ぎったのはアヤカシの天敵――アヤカシ喰いのことだった。アヤカシの肉を喰い妖力を補充する連中なら、近い匂いを発するかもしれない。

 そこまで考えた女は、これも思い直す。生物によって匂いの種類も変わる。アヤカシ喰いはあくまで人間だから、人間特有の匂いを強く感じないといけない。

 相手から漂う血の匂いからは、人間とアヤカシの特徴が丁度半分ずつ嗅ぎ取れる。こんな中途半端な存在に心当たりがあるとすれば、一つしかない。

 アヤカシと人間の混ざりもの――半妖。


 視線を受け続けること数十秒後、女は隠れている人物に向けてゆっくりと歩き出した。アヤカシ喰いでないなら、警戒心を高めておく必要もない。

 物陰から驚くような気配が漂ってきたが、姿は現さなかった。逃げるわけでもなく様子を伺っている。

 攻撃に対応できるギリギリの距離で立ち止まった彼女は、しゃがみ込んで小路の奥を覗き込んだ。室外機に隠れている何者かは、完全に隠れることが出来ず靴の爪先が少しだけはみ出している。

 女は手を伸ばし、ちっちっちとリズミカルに舌を打った。


「よしよーし。怖くないから出ておいでー」

「……猫、じゃないです」


 返事が返ってきた。男の声だ。警戒は含まれているが、敵愾心はない。


「知ってるよ。でも怯えて隠れてるみたいだからさ。いきなり殺したりしないって」


 男は何か考え込んだのか、時間差を置いて応える。


「……できれば、見なかったことにしてもらえませんか」

「なんで?」

「迷惑をかけるかも、しれない」


 正面から気遣われた経験など僅かしかなかった女は、その言葉に意表を突かれた。自己保身や皮肉の類かと疑ってみるが、どうも本当に他人を案じているようだ。

 少しだけ興味が湧いた。だからカマをかけてみた。


「それは、あたしが化け物だと気づいた上で言ってる?」


 無言だったが、驚く気配はない。やはり向こうもアヤカシだと気づいている。

 その上で、迷惑をかけたくないとほざいた。

 半妖のくせに、自分よりも強い相手に対して、巻き込むことを躊躇っていた。

 

 一体どんな奴なのだろうか。確かめたくて、女は一歩踏み出した。危険はないと判断したこともあったが、面倒臭がりのくせに結果を見なければ気が済まない性分も後押ししていた。

 室外機に近づき上から見下ろすと、影に隠れて一人の青年が地面に座り込んでいるのが視界に入った。全身ぼろぼろで到るところを怪我している。血が滲み、顔色もかなり悪い。よくもこんな状態で他人を気遣えたものだと呆れてしまうほどだった。

 しかし、青年の目は死んでいない。見返してくる茶色がかかった瞳には、死地をくぐり抜けた者が持つ苛烈さが宿っている。


 ――何かに追われてるって感じだなーこりゃ。厄介事とか抱えてそう。


 青年を観察した女はそう断じる。彼は身体の線が細く顔も中性的で、妖力の程度も低い。先程の言葉を素直に受け取るなら、揉め事に巻き込まれて絶賛逃亡中といったところか。

 敵はアヤカシか、あるいはアヤカシ喰いだとして、半妖を狙うなら余程の理由があるのだろう。


 ――もしかして……カラスが言ってた異変ってやつと関係してる?


 およそ二ヶ月くらい前に知り合いのアヤカシから通達があった。遭遇した場合は確保しろとも言われている。

 話に聞いていた人物と特徴は一致しないが、怪しい半妖を見過ごすこともできない。厄介事には首を突っ込みたくなかったが、女は事情を聞くことにした。


「へい兄ちゃん。そんなところで死にかけてどうしたんだい?」


 壁に手を当てて軽口を叩く。青年は困惑に眉をひそめると、緩慢な動作で立ち上がった。それから背を向けて歩き始める。


「おいー。そんな状態でどこ行くのさ」

「……すいません。もう、行きますから」


 それだけ言って、青年は足を引きずるようにして離れていく。

 何も悪くないのに謝る態度が癪に障った。女は寝癖だらけの髪を乱暴に掻く。


「あんたどこか行く宛あんの?」


 返事はない。ムッとして、女はすぐに言い放つ。


「半妖の癖して無視してんじゃねーわよ! 弱っちいなら本物のアヤカシ様にでも頼れっての!」


 地面を擦るような足音が止まった。しかし彼は振り返らず、背を向け続けている。


「手下にでも何でもなりますから助けてくださいって言ってみなよ。変に意地張るより、わんこに成り下がったほうが楽なこともあるんだぜ?」


 鼻息を荒くする女だが、言葉とは裏腹にその胸中は困惑が混ざっていた。

 本来アヤカシは、同種の母体から誕生した者だけを同族と見なし付き従える。人間の血が混ざった男など侮辱の対象で、排斥するのが普通だ。近くに置くなどもってのほかだろう。

 引き止めるための方便ではあるが、考える間もなく口走っていたことに彼女は戸惑いを覚えていた。


「……まぁ死にたきゃ死ねばいいけど。格好付けて無駄死にするバカなんてどーでもいいし。でもどうせみっともないんだから、更に無様になっても一緒でしょ」


 去ることもなく耳を傾ける青年に向かって、女は大股で近づいていく。それから彼の背中を拳で軽く叩いた。


「あんた、名前は?」


 青年はうつむいた後、振り返る。まるで叱られた子供のように情けない顔をしながら、躊躇いがちに答えた。


「狛村、太一……です」


 ふうん、と相づちを打った女は青年の顔をしげしげと覗き込む。


「あたしはなつめよ。ところであんた、掃除とか料理得意?」

「……まぁ、それなりには」

「ならちょうどいい。世話をさせる下僕、いやヒモか? そういうの欲しいなーって思ってたところだから」

「あの、どういう?」

「あたしが飼ってあげるって言ってんのよ」


 面食らう彼の顔が面白くて、アヤカシの女――棗は笑みを浮かべる。

 本当は面倒事を抱えるつもりはなかったが、棗はこのとき手元に置いてもいいかなと考えていた。

 利用価値がありそうだし、もしかすると大きな収穫が見込めるかもしれない。半妖なら危険性も低い。

 何より他人を気遣うこの男は、今まで接してきたどのアヤカシの雄よりも気楽そうだ。

 唖然とする青年を置いて棗は先に歩き始める。と、少し進んだところで立ち止まり振り返った。


「頑張って働けよ太一? サボってたら殺して喰うからね」


 そう言って、棗は目を細めた。

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