アヤカシ喰い依子さんの非常食
伊乙式(いおつ しき)
第一部
本当の依子さん
「付き合ってください」
広大な記念公園の一角で、俺は意を決して告白した。
目の前に立つ可憐な美少女は、何度もまばたきをする。
彼女の名は御影依子。名門女子校に通うお嬢様で、奥ゆかしい雰囲気を纏っている。綺麗な黒髪に合わせた黒いワンピースがよく似合っていた。
彼女のガラス細工のように綺麗な目は、俺を不思議そうに見つめる。
「あの、狛村さん」
「うん?」
「同伴はいいとして、どこに行くのです?」
……計算づくのボケとかなにかの振りではない。これが依子さんの素だ。
俺は苦笑しながら間違いを正す。
「そうじゃなくて。お付き合いっていうのは、男女交際のお願い」
「つまり狛村さんは、わたしと肉体関係をご所望で……!」
やめて。それ目当てなゲスにするのやめて。
「ええと……そういうんじゃなくて」
「じゃあ、しないの?」
俺は答えに窮する。付き合うってことは当然、そういうことによる愛情表現も含まれるだろう。ピュアな関係で成り立つカップルもいるかもしれないが、世間一般には有りと言える。
ただ何分、ここは外だ。TPOを弁えなければいけない。
「い、いずれね」と口の中でもごもごと答えながら、俺はつい周囲を伺った。幸い、閉園間近の並木道には誰の姿もない。
依子さんは真っ赤になった頬を手で押さえうつむいている。言動はどうあれ、恥ずかしがる姿は可愛らしい。
まぁそれを見ても、俺の気持ちに昂ぶりはないけれど。あるとしても、ちょっとした恥ずかしさくらいだ。
――まだ、妙な点はないよな。
変わっている子ではある。依子さんは俺が働いている喫茶店の常連で、その美少女たる容姿は客たちにも評判だった。しかし彼女が喫茶店で読んでいる本が「実験洗脳学」「中世拷問実録」「変態の躾け指南」などの奇抜な代物ばかりで、誰もが不気味がった。
そんな中、店員の俺だけが声をかけられる立場にあって、いつの間にか仲良くなっていたわけだが……接してきた今までの感想を述べるなら、ちょっと変わった女の子程度だろう。
聞かされた話が本当なら少しくらい片鱗があってもいいはずだが、それらしい兆候はない。
「それで、返事はどう、でしょう」
「あの、はい……」
依子さんはもじもじと指を絡める。悪くない雰囲気だが喜んでいる場合でもない。
そのときガサリと、並木道の向こうから音が漏れる。
「よーご両人。見せつけてくれるねぇ」
日が暮れ始め、薄暗くなった林の中から数人の男が姿を現した。
格好は完全にチンピラだ。派手な服を着て、髪を金や灰色に染めている。
男の数は四人。そのうち、サングラスをかけた男がニヤニヤしながら俺たちに近寄ってきた。
腕に柔らかい感触が当たる。いつの間にか依子さんが身を寄せて、両手で俺の腕を掴んでいた。目を伏せている様は、怯えた小動物のようだ。
怖いのか、と素朴な感想を抱きつつ、俺はそっと依子さんの手に自分の手を重ねる。
そしてニコリと笑いかけながら、彼女の手を引き剥がした。
「えっ……?」
動揺の声を挙げる依子さんを無視して、俺はサングラスの男の脇を通り後ろの三人組に近寄った。彼らに向けてにへらと笑いかける。
「お、遅かったですね」
「ああ? てめぇがチンタラしてっから人払いの結界張るのに手間取ったんだろボケが」
野球帽を被った男に、スパンと後頭部を叩かれる。俺は我慢して、愛想笑いを続けた。
「狛村さん……どういうこと?」
依子さんの声が震えている。顔は蒼白だが、まだ俺を信じようと、なにかの冗談だと縋るような目を向けていた。
「ざーんねん。用があんのは俺ら。お前は騙されたんだよ」
失意が浮かぶのを、俺ははっきりと見た。依子さんの瞳から色が失われる。
サングラスの男は下卑た笑みを浮かべて、彼女の顎を指でくいと持ち上げた。
「さぁて御影依子。こっちは我慢の限界なんだ。精々いい声で泣けよ?」
依子さんの体がビクンと震える。口はぎゅっと引き結ばれていた。
ここに至ってもまだ、俺には彼女が普通の女の子にしか見えない。
もし人違いだったら。そんな最悪の結果が過って、俺は思わず口走っていた。
「あ、あの……別人、なんじゃないですか?」
すると金髪の男が愉快そうに笑った。
「別に構いやしねーよ人違いでも。あの女で遊ぶだけっしょ」
「そ、それじゃ話が違う!」
頭がカッと熱くなって汗が吹き出した。奴らを捕まえるというから協力したのに、その結果が普通の女の子を襲うだなんてどうかしてる。
俺はただ、母と叔父を殺した連中の手がかりが欲しかっただけだ!
焦りに突き動かされて、依子さんの元へ走ろうと一歩踏み出す。
「んだてめぇ口答えすんのか。出来損ないのくせによ」
その途中で、野球帽の男に胸ぐらを捕まれた。
足が宙に浮く。息が苦しい。腕を掴んでもビクともしない。
俺は依子さんに目を向けた。逃げろと叫ぶために。
そのとき、サングラスの男の手が依子さんの頭を鷲掴みにする。
「何とか言ったらどうだ? それとも怖くて口が開けねぇか?」
「――いで」
依子さんが小声で呟いた瞬間。
ゴトッと、重たいものが地面に落ちた。
サングラスの男が悲鳴を上げて尻もちをつく。俺は男の腕を見て息を呑んだ。
前腕部が丸ごと、ない。関節からは噴水のように血飛沫が飛び出している。
喚く男を、依子さんは虚ろな目でじっと見ていた。
彼女の手には、先程まではなかった大振りのナイフが握られている。
「餌の分際で気安く触らないで?」
俺は一瞬、誰の声か理解できなかった。
いや、理性では依子さんだと気づいている。ただ感情が追いついていないだけで。
「邪魔。今いいところだったのに、わからないの」
言葉は男達に向けられたが、依子さんの目は俺を見つめていた。ゾッとするほど冷たく、刃物のように鋭い。
「ふざけんなよクソが……! 同胞を食った件を忘れたとはいわせねぇぞ!」
歯をむき出しにして吠えた男の体に、異変が起こった。
体が変色して群青に染まり始める。筋肉が膨張して内側から衣服を突き破り、爪が鋭く尖っていく。口は大きく横に裂けて目玉も赤く染まった。
そして頭頂部から、一本の角が生える。
鬼が、そこにいた。
しかし異形の鬼を前にしても、依子さんは臆した様子もなく首を傾げる。
「具体名を言って。数が多すぎてわからない」
挑発ではない。彼女は本気で覚えていないようだった。
鬼は激昂すると依子さんに突進する。無事な方の腕を振るい、鉤爪が彼女に迫る。
腕が飛んだ。依子さんは既にナイフを振り切った態勢だ。あまりに早すぎて俺の目では捉えられなかった。
鬼が悶絶すると、首に切れ目が入って横にズレていく。銀閃を描いた刃によって、首は体と別れを告げた。
「て、てめぇ!」
残された三人が咆哮した。俺は突き飛ばされ尻もちを付く。その間にも男達の体が急激に変化していく。
立っているのはやはり鬼。色は赤、黒、緑と異なっているが、頭頂部に生えた一本角は共通している。
「一本、か。あまり美味しそうじゃないけど仕方ない」
独りごちる依子さんを鬼たちが囲む。ジリジリと距離を詰めていくが、依子さんは特に反応せず素立ちだ。
鬼達が一斉に攻撃を仕掛ける。肉の裂ける音が響き、血臭が鼻孔を突く。
俺は目の前の光景が信じられなかった。
鬼たちは古来より「アヤカシ」と呼ばれる異形の存在だ。平安の世から人間社会の裏に潜み、人間を捕食し、あるいは利用してきた別種の存在。
膂力は人間を軽く凌駕する。中には妖気を操り異常現象を引き起こす個体もいる。ナイフ一本しか持たない、ただの女の子が敵う相手ではない。
しかし俺の目の前で繰り広げられる殺戮は、一人の少女が生み出したものだ。
黒鬼と緑鬼は既に首を切られて絶命している。赤鬼も両腕を切断されて地面に倒れていた。
血に濡れたナイフを握って、依子さんがゆっくりと近づく。赤鬼は恐怖で顔を引きつらせた。
「た、助けてくれ! 頼む! もう二度と近寄らないから……!」
命乞いをする赤鬼に向けて、依子さんはニコリと笑う。
「餌のくせにうるさいなぁ」
ナイフが振り放たれる。赤鬼の首は切断され、地面へと落ちた。
静寂が戻る。血溜まりの中をステップして移動した依子さんは、切断された鬼の腕をひょいと持ち上げた。
おもむろに、齧りつく。
「微妙。やっぱり一本角の妖力は大したことないです」
まるで審査員みたいに評価しながら、依子さんは鬼の腕を咀嚼していく。骨付き肉をむしゃぶるように噛みちぎり、口元に血を付着させながら。
逃げることも忘れていた俺は、ただ一つのことだけを理解していた。
彼女こそが鬼達の復讐相手「アヤカシ喰い」であると。
その昔、人間たちはアヤカシに対抗するため妖気の研究を始め、人為的利用もしくは耐性を得るために妖気に順応した体組織を得ようとした。
前時代の人間が取った方法は、アヤカシの一部を身体に融合させること。
蛇の毒を摂取し続けて抗体を獲得した人間がいるように、アヤカシの血肉を取り入れることで妖気に適応、ないし無害化することを画策した。
計画は連綿と続けられ、現在は経口摂取だけで妖気を抽出し、肉体を強化させるまで進化したと聞く。
そのアヤカシの天敵の末裔が、御影依子。
「そうだ、狛村さん」
いつもと同じ声音が降りかかる。口元を血で汚した依子さんが微笑みを携えて近づいてきた。
殺される。俺はそう直感した。自分を騙したアヤカシの仲間を、放って置くはずはない。
「さきほどのお返事なんですけど」
しかし依子さんは騙されたことに言及せず、別の話題を展開する。
「交際、お受けいたします」
あまりに場違いな台詞で、俺は反応するのが遅れた。
「え?」と辛うじて呟くと、依子さんがしゃがみこみ、ゆっくりと顔を近づける。耳元で彼女が囁いた。
「狛村さんタイプの顔だし。それに、美味しそうな匂いがするから」
心臓が大きく跳ねて、早鐘を打ち始める。
まさかそんな。どうして。
「私、鼻が効くんですよ。だから最初からわかってたんです。でもちょっと薄いと言うか、人間のも混じってて……狗村さんは半妖、でしょうか?」
ゴクリと唾を飲み込み、俺は依子さんと目を合わせる。
彼女は艶めかしい瞳で見返しながら、舌なめずりした。
「欲しかったんです。彼氏と、非常食」
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