「あの、それで結局『墓医者』って何をする仕事なんですか?」


 僕がそう聞くと彼は一瞬驚いた様子だった。


「なるほど、仕事か。これが仕事、そんなことは考えたこともなかったな。面白い」


 いったい何が面白いのか、僕にはさっぱりわからなかった。あまりに僕がきょとんとしていたのだろう。彼は「おっと、すまない」と言って頭を下げた。


「一人で盛り上がってしまったな。いや、君の言う仕事とはお金を稼ぐ方法ってことだろう? そういう意味でならこれは仕事ではないよ。誰からも金なんか貰えないからね。任務というべきか、宿命というべきか、生きることと同等のもの、どう説明すればいいかわからないが……、ただ間違いなく誰かがやらなければならないことなのだ。なぜなら……」


 男はまた仁藤家の墓をぽんと叩いた。


「私みたいな者が聞いてやらなければ誰が墓の言葉を聞いてやると言うのだね?」


 話はどんどん怪しくなっていく。それなのになぜか僕は彼の話に引き込まれようとしていた。


 僕は馬鹿げていると思いながらもこう聞かずにはいられなかった。


「墓の言葉……、それって『幽霊』ってことですか?」


「少し違う。墓とは死者が眠る場所。古い墓になればなるほど死者は降り積もり、思いもまた積み重なっていく。一人の人間の思いなら『霊』と呼べるだろうが、重なり合い、『家』というものに縛られ、個を無くした思いは次第に『墓』という存在そのものになってしまう。そしてそれらは物質としての子孫、生者たちに何らかの思いを抱くようになる。それは時に生への『嫉妬』であり、『幻滅』であり、『心配』である。かつて自分たちも持っていた『生』を忘れてしまった墓たちから生者へ向けられた叫びなのだ」


 何かの哲学を聞いているようで僕にはちんぷんかんぷんだった。


「そんな困った顔をするな。今のは師匠の受け売りだ。私だって全てを理解しているわけではない。そうだな、簡単に言ってしまうならこうだ。私は墓の声を聞く。それは何かを望んでいる。しかし彼らは物質的な存在ではないから現実に影響を与えることは出来ない。そこで私が墓と現実の間の橋渡しの役目を果たす」


「えーと、それは何のために?」


「解決されない思いは溜まっていくからだ」


「溜まる? どこに?」


「私にもわからない。師匠もわからないと言っていた。しかし溜まった思いは澱みになり、そしていつかは腐ると昔から伝わっている。大量の思いが腐ると通常なら影響を受けないはずの現実の世界に大変なことが起きるらしい。それを防がなければいけないんだ」


「大変なことってどんな?」


「まだ誰も体験していないのだからわからない。そうならないように私はいわばガス抜きのために墓の治療を行うわけだ。精神科医のカウンセラーみたいなものだな」


「なぜこんな夜中に?」


「昼は生者たちが活発に動く時間だ。死者たちは遠慮して話したがらなくなる」


「じゃあ、今は喋るって言うんですか?」


「ああ、饒舌でもないし滑舌も良くはないがね。私には聞こえてくる。例えば……」


 彼は僕の家の墓をちらりと見た。


「君のお祖父さんはまだ死んでからそれほど年月が経っていないようだね。まだ『墓』との融合具合が甘い。おかげで個人としての声の判別がし易かった」


「な、なんて言っているんですか?」


 僕はそう彼に聞いた。死んだ人間の声が聞けるなんて、頭ではありえないと思っているはずなのに。優しかった祖父は二年前に亡くなったのだ。彼は僕の唯一の味方だった。


「……今藤の家の馬鹿息子になんか負けるな、と」


 はっとして胸が掴まれたような苦しい気持ちになった。それは祖父の口癖だったからだ。


 今藤は僕のことを小学生の時から苛めている相手だった。彼の父親はこの町の外れにある大きな工場を持つ会社の社長だ。この辺りではこの会社に勤めている住人が多く、僕の父親もその一人だった。親に溺愛されているおぼっちゃまの今藤は一従業員の息子からすれば仕返しなんて出来る相手ではなかった。


 祖父もそれを知っていて最後まで僕のことを気にしてくれながら死んだのだ。僕は涙が出そうになった。何か答えてあげなくては。そう思ったが良い答えが浮かんでこなかった。


「爺ちゃん、……ごめん」


 考えた挙句、僕が返した言葉はそれだけだった。男はそれを聞くとまた静かに手を墓に当てた。目を瞑り何かに集中しているように見えた。


「取り敢えず君が来てくれたことで一応の満足はしたようだ。この墓の思いは叶えた」


「えっ、それってどういう意味……」


「実は君が来る前、既にこの『墓』の思いを聞いていたのだよ。それは『子孫が心配だ』というものだった。それを私が媒体となって昇華し現実へ変換した。すると君がこうしてここに来てくれたというわけだ」


「じゃ、じゃあ、僕が今日ここに来たのは偶然じゃなくて仁藤家の墓の願いだったって言うんですか? それをあなたの力で実現したって……」


「私の力などあってないようなものだ。体を貸しているだけに過ぎない」


「……それってあなたにしか出来ないことなんですか?」


 自分がなぜそんなことを聞いたのか、自分でもわからなかった。


 僕の言葉を聞いた男はまた一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたふっと笑った。


「その言葉、俺が師匠に言った言葉と全く同じだよ。懐かしいな。これも何かの縁か。……よし、特別に君にだけは見せてやろう。治療の様子を」


 そう言うと男はうちの隣の墓の前へと移動した。僕も慌ててそれに付いていった。


「墓の声を聞くためには自分の心も落ち着かせる必要がある。『墓』はあくまで『存在』しているだけだからこちらから、つまり生者である私たちの方から死者に近づかなければ話を聞くことはできない」


 男はうちの隣の墓に手を置いた。この墓の持ち主を僕は知っていた。うちの親戚筋に当たる家だったからだ。彼はゆっくりこちらを振り向いた。その表情が変わった。


「では始める。私が良いというまでは話し掛けるな。いいな?」


「は、はい」


 彼の顔があまりに真剣で怖かったため、僕の返事は裏返った。先程までと同じ人間とは思えなかった。


 男は眼を瞑った。これから何が起きるのか、僕は息を飲んだ。動くことが出来ず、ただ彼だけをじっと見つめた。


 静寂の中に今まで気が付かなかった虫の声が鳴り響いていた。気のせいか先程まで生温かった空気が急にひんやり感じられた。そのせいでここが墓地であるという現実を急に思い出した。


 自分は今、深夜の墓地に得体の知れない中年の男と二人きりでいるのだ。自分の麻痺していた部分が戻ったような気分だった。その生々しい現実的な恐怖が震えとなって僕の体に現れてきた。


 それからどのぐらいの時間が経っただろう? 男が急に言葉を発した。


「……終わった」


 僕は驚いてびくっと肩を上げた。いつの間にか彼はもう墓から手を離していた。


「そんなに怯えなくてもいい。もう終わった」


「お、終わった?」


 僕は拍子抜けしてそう聞いた。震えながらではあったがずっと彼を見ていたのに別に変わったことなど起きなかったからだ。彼はただ墓に手を当てて目を瞑って立っていただけだった。彼が仄めかした超常現象らしいものなど微塵も起きなかった。


 墓の願いを叶えるなんて不気味なことを言うから何かとんでもない現象、つまり体がぼんやり光るだとか墓がぶるぶると振動するとか、そんなことを期待していた僕にとっては正直期待はずれだった。不服そうな顔になっていたのだろう、男は再びフッと笑った。


「漫画のように派手なことは起こらないぞ? しかしだからこそ現実の安寧は守られる」


 その言葉は僕にとって言い訳がましく聞こえた。やはりただのハッタリなのか。


 さっき僕のことを言い当てたのもひょっとしたらたまたまどこかで耳にした話だったということなのかもしれない。


 そんな疑心が沸き起こってきた。


 僕は敢えて彼を試すようにこう聞いてみた。


「それで何かわかりましたか? この墓のこと」


「次男が他の土地に行ったままなかなか帰ってこないそうだ。それを先祖たちは悲しがっていた。後を継ぐ兄弟たちには仲良くしてほしいと」


 次男だって!? それを聞いて今度は僕が真顔になった。


 父と母が噂しているのを聞いたことがあった。うちの親戚筋に当たるその家では長男が家を継ぎ、次男は他県の方に出て行ったらしい。何年か前に二人の父親が亡くなったのだが、一周忌などの法事があってもその次男は仕事の忙しさを理由に帰ってこないようなのだ。お陰で親戚には不信心だと陰口を叩く者もいた。なぜそんな親戚しか知らないようなことを彼は知っているのだ? まさか、本当に……。


「こんな他愛もない願いばかりならいいのだがなあ。恨みの塊のような願いの時も少なくないんだよ。強い恨みを持った個が墓に入ることで墓全体が影響されてしまうんだな。そんな願いを叶える時は遣り切れない。自分が共犯者のようで」


 彼はふうっと溜息を吐いた。その顔は先程より少し老けたようにさえ見えた。


「今日はもう止めだ。疲れてしまった。歳だな、私も。若い頃は一晩で十個くらいの墓をやれたんだがね。仕方ない、そろそろ帰るとしよう。君も帰った方がいいんじゃないのか?」


 僕はハッとして腕時計を見た。家を出てもう二時間も経っている。当初の予定を大分過ぎてしまっていた。こんなに遅くなったのは初めてだ。僕は焦った。


「まずいって顔だな。いいか、帰る時に慌てて転ぶなよ。寝ていたはずの人間が血だらけじゃおかしいだろう? 君のご両親も心配するよ」


「あっ、はい。あ、あの……」


「なんだね?」


「また会えますか?」


 自分でもどうしてそんな気になったのか、わからなかった。それでもこの人とこのまま別れて二度と会えないなんて耐えられなかった。


「ああ、まだしばらくはこの辺にいることになるだろう。いつでも会いに来い。だから今日は帰りなさい」


「わかりました。それじゃあ」


 僕は彼を墓地に残したまま砂利道を下った。アスファルトの道路に降り立つと振り返り上を見た。別れたのと同じ場所で立ち尽くしたままこちらを見ている彼の姿があった。


 僕は一礼し、その場を後にした。走りながら見ると反対側の遠くの山の際は僅かに明るくなっていた。夜明けが近い。夜のうちに家に帰りたい。親に外出がばれる怖さというよりも今の体験には朝が似合わないような気がしたので僕は家路を急いだ。


 家に帰り、また窓から自分の部屋へと戻った僕はまだ薄暗いことに安心し、横になった。いつの間にか眠りに落ち、少しの時間だがぐっすり眠れた。


 それは僕にとってとても珍しいことだった。












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