家出した村人

 朝食を食べ終わった後、俺は自室に行き、家を出る支度をしていた。とは言っても、バックパックの中に着替えを数着とお小遣い全額入れた巾着袋を入れただけだが。


 今から俺が向かう山はそこまで高くはなく、せいぜい標高五百メートルがいいところ。


 だが、俺の知っている情報では、その山には、強い魔力を持つ魔物が多数いるとのこと。


 危険だが、その魔物は日没から活発に行動するらしい。だから、荷物を最低限にして、動くスピードを最大限まで上げることで、日没までに俺の師匠となる人のところまで、辿り着こうという算段だ。


 俺はバックパックを背負い、部屋を後にし、廊下を渡り、玄関から出ようとしたのだが、「ユー君」という声に呼び止められた。


 俺は後ろを振り返ると、そこには短剣――俺からしたら短剣ではない――を持った母さんが立っていた。


「これを持って行きなさい。いつか必ず、役に立つはずよ」


 そう言って、母さんは俺の腰にベルトを巻き、そこに鞘に納めた短剣を提げた。


「……ありがとう、母さん。行ってきます」


「……行ってらっしゃい」


 俺は母さんの視線を背に感じながら、ドアから出た。


 その後、しばらく歩いていると、前の方から幼い子どもがこちらに向かってきていた。


 その子どもは、俺にとって大切な人の一人、幼馴染であり、この世界の希望である“勇者”その人であるところのフレアだった。


 フレアは楽しそうに鼻歌を歌いながら、歩いている。フレアは、俺の存在に気づいたのか、パッと目を輝かして、走ってきた。


「おはよう。ゆーたくん!」


「おはよう。フレア」


「……あれ? ゆーたくん、どこか行くの?」


 フレアは、俺がバックパックを背負っていることに気づいたのか、聞いてきた。


「あ……あぁ」


「そっかぁ。じゃあ、今日は遊べないの?」


「うん」


「うー、ざんねんだけど、しかたないもんね。……それで、いつかえってくるの?」


……来た。言ってしまったら、フレアが悲しくなる質問が。本当のことを言えば、俺はフレアを悲しませ、罪悪感が俺を襲うだろう。


 嘘を言えば、俺はフレアが悲しむ姿を見なくて済む。でも、いずれその嘘はバレて、もっと悲しませることになる。


 どうすることが、お互いにとっていいことなのかなんて分からない。分からないけど、言わなければならない。そう思った。


 だからこそ、俺は――


「十年は帰って来ないと思う」


 そう笑顔で告げた。


「じゅうねん? じゅうねんっていつなの……? わからない、わからないよ。……おしえてよ、ゆーたくん」


「俺とフレアが十五歳になったとき、俺はここに帰ってくる」


「わたしとゆーたくんがじゅうごさい?」


「そうだ」


「でも……おかあさんがいってた。わたしとゆーたくんがいっしょにいれるのは、ろくさいまでだって」


「…………」


 俺は何も言えなかった。黙ることしか出来なかった。フレアは自分の意思など関係なく“勇者”というだけで、六歳になる年に村から出て、国が運営している兵士育成学校に入学することが決まっている。


 フレアにもう自由などほとんど残されていない。気の毒だと思う。可哀想だと思う。だけど、“勇者”として生まれてしまったのだ。その時点で、神に選ばれてしまった時点で、フレアは普通には生きられない。


「なにかいってよ。おねがい……おねがいだから」


 そう言われても、「大丈夫」とか「また会えるよ」とか、そんな無責任なこと、言えない。


「……ゆーたくんだいきらい! ゆーたくんなんか、どっかにいっちゃえばいいんだ!」


 フレアはそう言い残し、来た道を走りながら、戻っていった。


 あーあ。何をしてんだろうな、俺は。結局、言いたいこと、何も言えなかったじゃねーか。


――それでいいのか? 

――このままでいいのか? 


 何も言えず終いで、フレアの心に傷を残していっただけで。


……いいわけないだろ!


 そう思った時、俺は発動していた。


“身体能力上昇”


 それは、己の“ステータス”を上昇させる技能。一月ひとつき前は、習得していなかった技能。


 しかし、“身体能力上昇”を発動したところで、“勇者”であるフレアに追いつけるはずがない。


 例え、俺の“身体能力上昇”が他の人とは違うものだったとしても、“村人”と“勇者”の間に存在する差がそんな簡単に埋まるはずがない。


 だけど、技能を重複することが出来るならどうだ? 技能を自分が考えている通りに、形を変えることが出来るならどうだ?


“身体能力上昇”で、己のステータスの限界まで高める。

“身体能力強化”で、己のステータスの限界値を強化し、より大きなものに。

“敏捷上昇”で、強化した己のステータス敏捷びんしょう値のみを更に高める。


 もしそれが出来ても、身体にかかる負担は尋常ではないだろう。ましてや、“村人”である俺にそんなこと出来るのだろうか。


――否、やるんだ。やらなければならないんだ。


 俺は“身体能力上昇”の上に、“身体能力強化”を発動する。そして、更に“敏捷上昇”を発動する。


 技能を発動するには、魔力が必要となる。それは当たり前のことだ。だが、“村人”である俺にはほとんど魔力というものが無かった。


 だから、俺は拡張することにした。拡張することは、さほど難しいことじゃない。技能を使い続けていれば、自ずと魔力値は上がっていく。


 骨折し、骨がくっついた時、骨は強くなると言われてるのと同じ原理で、魔力が尽き、魔力が全回復した時、魔力値は上昇する。


 だが、その方法は危険であり、死ぬ恐れだってある。そう書かれていた。俺の家の地下にある本棚の中で眠っていた古びた本に。


 それに、こうとも書かれていた。身体が出来上がった人間がその方法をとっても、あまり効果は無い。


 効果があるのは、まだ身体が出来上がっていない子どものみ。つまり、現在の俺にぴったりだったというわけだ。


 俺は一月ひとつきの間、魔力を枯渇させ続けて、魔力値は三桁上昇した。


 魔力はある。後は気合で、技能を保ち続けるのみだ。


 俺はうっかり技能を解除してしまわないよう、注意して、フレアに追いつく為、走り始めた。


 自分でも分かる。俺の走りは、生身の人間が出せる速度ではないことを。


 フレアとの距離を徐々に詰めていき、そして追い抜き、俺はフレアの前に立ち塞がった。


 発動していた三つの技能を解除した俺に、今まで感じたことのない疲労感が押し寄せて来た。


 俺は肩で息しながら、俯いていたフレアに向かって、途切れ途切れだが、言葉を間違えないように、言葉を選びながら言った。

 

「フレア、聞いてくれ。今の俺では、いずれお前の邪魔になる。それは、俺とお前の立場からすれば、仕方のないことなんだ。……分かるよな? 邪魔になれば、俺はお前と共に居られない。一生会えなくなる。でも、十年。十年あれば、俺はお前と共に居られるようになる。信じられないかもしれない。信じろとも言わない。でも、俺は約束するよ。必ず、俺はお前のところに帰ってくるって」


「……ほんとうに? また、あえる? また、いっしょにあそべる?」


「あぁ。また、会える。また、一緒に遊べるよ」


「やくそくだよ? ぜったいかえってきてね? わたし、まってるから」


「うん」


「…………」


「?……どうした、フレア」


 俺は急に押し黙ったフレアに首を傾げた。


「やっぱり、さみしい。ゆーたくんとあえなくなるの、さみしい」


「俺も寂しいよ。でも、今は我慢してくれ」


「いや……わたしにはゆーたくんしかいないもん」


「お母さんとお父さんがいるだろ?」


「そうだけど……いないもん」


 何が居ないのか分からない。俺しか居ないってどういう意味だ? フレアの母さんと父さんは、かなりの親バカだ。フレアを蔑ろにしているとは思えない。


 そう思っていたら、フレアが「ともだち、ゆーたくんしかいないもん」と言ってきた。


 俺は聞いてからやっと、納得した。確かにフレアには、俺以外友達居なかったなと。……俺もフレア以外に友達居なかったけど。


 でも、友達居ないと今言われても、どうしようもない。そう考えているとフレアが「ともだち、できるかな?」と聞いてきた。


「出来ると思うよ」


 俺は自信満々に言った。というか、友達が出来ないはずがない。だって、“勇者”というだけでなく、可愛いんだぜ? 高スペックを誇るフレアだ。学校に行けば、簡単に友達の一人や二人、いや、友達百人出来るのは、時間の問題だろう。


「そうかぁ〜。わたしにゆーたくんいがいのともだちできるのかぁ〜」


 フレアは嬉しそうにしながら言った。くれぐれも忘れるなよ? フレアの一番の友達は、俺だということをな。


「そんなに嬉しいのか? 友達が出来るの」


「うん」


「そうか。……俺そろそろ行かないと」


 話を切り出した。嬉しそうにしていたフレアの表情が、一気に寂しそうな表情に変わった。


「そんな顔するなよ。可愛い顔が台無しだぞ」


「だって……ゆーたくん、いなくなっちゃうもん」


「……ったく、仕方ねぇな」


 俺はフレアの前髪を上げて、露わになった額に唇を落とした。


「これで、十年は大丈夫だろ?」


「ゆ、ゆ、ゆーたくんのばかーーーーーー!」


 そう言い残し、顔を真っ赤にしてフレアは走っていった。俺はフレアの小さな後ろ姿を見ながら、「こういう別れ方もいいもんだな」と呟いた。


 フレアが見えなくなったことを確認した俺は、目的地の山に向かって、走り出した。


 

 

 


 

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